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 発見された書状などから村井准教授は、信長を「部下に常に報告などを求める中小企業の社長」、秀吉を「聞いてもいない手柄を自慢する嫌な同僚」と両者の性格を分析している。

 村井准教授によると、21点は秀吉宛ての返書。書状からは、現在の兵庫県三木市で織田信長と、信長から離反した別所長治が戦った三木合戦(1578~80年)や、鳥取城(鳥取市)の兵糧攻め(81年)の詳細が明らかになるとともに、秀吉が信長へ逐一戦況を報告していたと推測される。側近に功績を自賛する書状を大量に送ることで、信長の耳にも入ることを狙った工作とみられるという。