江戸時代の居酒屋のメニューwwwwwwwwwwwwww [834922174]
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・芋の煮ころばし
・湯豆腐
・ぬた
・ゆでダコ
・煮しめ
・数の子
・おでん
・イワシ塩焼き
・カモの吸い物
・ねぎとりのなべやき
・から汁(おからを入れたみそ汁)
・油揚げのうま煮
・ショウサイフグのスッポン煮
・フグの吸い物
・アンコウ汁
・ねぎま(ネギとマグロを煮た鍋料理)
・マグロの刺し身
・刺し身の盛り合わせ
・田楽
江戸時代の居酒屋ではどんなおつまみがあった?江戸の「飲み会」事情を調べてみた!
https://monteroza.net/archives/6439 もう亡くなった江戸研究家の女の人が江戸時代の食事について語ってたけど結構美味そうだったね 江戸時代は、今の貨幣価値からすると長屋の家賃が一万円ぐらい、狭くてボロいけどな
その代わり燃料の薪がかなり高かったから、独身が多い江戸では外食が発達した
いまは独身でも便利に調理できるんだから甘えんなよ >>61
米は江戸に集まるので沢山食えた
江戸前の魚は豊富
各地で野菜なんかも取れるしね
小松菜なんて、小松川で作ってたのが始まり >>81
この言い方って、先日スレが立ってた「ティッシュが空なんですけど、これってホテルの仕様ですか?」みたいなねちっこい言い方にそっくりだね。 >>4
まな板に 金一両の 初鰹
初鰹 金と辛子で 二度泣いて
と唄われるくらい鰹は高かったらしい
この場合初が付いてはいるけど
面白いのはワサビじゃなくて辛子付けてたんだな 蕎麦屋がいいよな
注文入ってから打ち始めるから時間がかかる
だから客は焼き海苔とか蕎麦味噌で酒を飲んで待つ
蕎麦が来る頃にはベロベロになってるっていう >>87
まじで金が無い庶民や下級武士は味噌汁と塩辛い漬物だけで飯を一日5~6杯も食ってたらしい。 チャイナや台湾でやたら八角をぶち込むのは
ほとんど腐りかけた肉の臭みを消すため
とても食える代物じゃねえ >>130
薬食いとか言って獣肉食わせる店はあったそうだが。 >>1
>・芋の煮ころばし
スーパーでサトイモを買って
自分の部屋で煮込んで晩酌の肴にするのが
マイブーム >>1
動物性の脂質を極端に嫌っていた事が如実に表れてる >>82
それは後天的に得た好みで
おまえが江戸時代に生まれてたらこういう献立を御馳走だと喜んだ >>163
臭いからだろ
今だって醤油だけで食われてねえし >>25
ももんじ屋は猪とか鹿じゃねえの
牛肉なんか文明開化の明治以降でも臭がられて仕方なくすき焼きが普及したくらい >>87
居酒屋なんて行けるのは武士と自分で店持ってる町人までだからな >>120
河原乞食は京都民が歌舞伎役者を蔑んだ言葉 >>160
長屋は間口の広さで税金が決められたからそうなっただけだ >>103
乾飯みたいな感覚で、広げて手でつまんで食べてたとか 数の子って謎技術で圧縮されてると思うが江戸時代からあったの? 焼き鳥なんていかにも江戸時代からありそうなのに
実はまだねえんだよな お前らって相変わらず、どこかで仕入れてきた本当に合ってるかどうかもわからない知識を披露するの好きだな 帰省した時にお婆ちゃんが張り切って準備しちゃうやつ >>2
江戸時代の江戸は基本的に自炊禁止だから
基本的に全部外食だよ。 >>13
勝手な妄想と断定してるのが
お前の勝手な妄想だろ 江戸中期~後期の庶民は今の国民より毎日美味しいもの食べてる 今だとお通しで出てくるようなもんに当時のジャップは金払ってたのか 脚気の多さを見るというほど江戸の人間がおかずを
恒常的にとってたとは思えないんだよな
大半の町人は毎日飯と漬物くらいしか食べてないだろう >>192
京都の話をしているのではないですよね?
江戸にはそんなものはありませんでしたよ? >>114
宋代に成って普及したのわ炭じゃ無く石炭ね
あと唐~宋代の流行の順は炒める➡︎揚げる,煮る➡︎蒸す >>175
町人の圧倒的大多数はワープアだから町人の極一部な >>199
江戸詰の武士も下級武士は大部屋に放り込まれて
内職に勤しんでたそうだからな
実質サラリーマンと変わらん >>12
無いことはないけど江戸に比べればあんまりない
江戸で蕎麦や江戸前寿司とかのファーストフードや、夜の居酒屋、色街が発展したのは
一番最初のきっかけは明暦の大火後の復興事業で全国から男手が集まったことらしいわ
その後もしばしば江戸は火災が起きたり、工事をしたりするから、男が集まっていた
江戸に行った男達は、主に脚気で体を壊して郷里に帰ることもあれば、そのまま江戸で独身のまま死ぬことも多かったそうな 大衆居酒屋は酒は薄めたり高級だと甘い酒が大正義で味醂飲んでたり >>200
天明6年だけの1年限りの税金だろ?それで間口が小さくなるとは到底思えない
税理士が趣味で書いたものをソースとするのは不適切だと思うね
そもそもそのソース内に出てきている建物は間口が狭いか? >>63
戦国時代の宣教師も日本人酒飲みすぎって言ってるよ
戦国時代の不死鳥こと小田氏治は朝まで宴会することが他の大名にも有名だったそうな >>1
焼き鳥、牛肉、徳川将軍の好物である豚肉がない
やりなおし >>72
不自由だなーそりゃ家定も自分で料理したくなるわけだ 三代目金馬の「居酒屋」で小僧が「出来ますものは芋蛸南京…」って
スラスラとメニューを語ってた記憶があるんだけどあいまい
今の噺家で「居酒屋」を持ちネタにしてる人いる? >>2
江戸時代の江戸の話だよ
地方は地方で自力で取って食うパターンが多かった
農民とかたくましいぞ
今の貧民は自分で何も出来ない無能になっちゃったけどな 今の貧民はスーパーの半額惣菜あさりだな。
あれも立派な狩りだ。 結構いいもの食ってんじゃん。もっと壊滅的かと思ってたわ 酒に合わせてつまみの味付けしてるんだから
今と大差ないんだよな
何でもかんでもビールビールって今の風潮だと
そりゃアルコール離れも進むわ
合わないもん 将軍すらあんまし肉食えなかったんだな縄文人は肉食いまくりだったのにどうして仏教なんかに縛られたのか >>175
江戸時代の商業中心地で物流拠点でもある上方の町人も食えたと思うよ 今の世でもおかずの評価基準は
その一品で米何杯食えるかだから
江戸時代と大差はないよ。 素朴な疑問なんだが
江戸川住まいの連中って年貢どうしてたん?
米じゃなくて今みたく金で納めてたんかな? 江戸は人夫でもそこそこ食生活はよかったらしいな
逃げずに田舎にいたままなら天ぷらをおやつに食うなんてできない >>205
おまえはあの画像で町民の家屋だと思うのか >>222
あれこれ理由付けて肉食ってた名残が色んな名称に残ってるけどな
ボタン=イノシシ、サクラ=馬などの隠語
クジラは魚扱いだから当然食う。イノシシも山のクジラだから食う
ウサギも1羽2羽と数えてあれは鳥ですという扱いで食う
鳥全般も当たり前に食う >>210
嘘くせーな
明治大正或いは昭和の前記に撮影された写真っぽい >>16
高いのは初鰹、それも新鮮なうちのもの
鮮度が落ちれば最終的には捨てるしかないものだから
最終的には江戸町民でも食える値段で投げ売りされたらしい >>228
それでも一年通してのメニューなら魚がほとんどだな >>225
銭で収めてたはず
長屋の家賃は大家に払うけど、大家とか土地持ちは固定資産税的なものを払うし、
商売するにもそれを認可されるために払ってたはず >>222
農耕用の牛馬を食べてしまう農民を
コントロールするために厳罰を与えていたら
引っ込みがつかなくなったんだろうな。
戦乱の世だと綺麗な状態の皮を手に入れるために
庶民が牛馬の死体に触ることすら罰した。
その時に売り言葉でついた尾鰭が
部落差別の原点だろう。 >>234
綱吉様の生類憐みの令は強い思想によるものなので、引っ込みがつかないとか言うレベルじゃないっす >>230
felice beatoというイタリア人写真家が
江戸時代に日本を拠点に活躍していて
日本の江戸時代の写真の9割はこの人の作品。
ただ当時のカメラは撮影に数十秒かかるから
オープンセットでの演技。
https://i.imgur.com/O4SUXCP.jpg >>208
焼き鳥は明治時代からの食いもんだよばーか
スズメ焼いたのはあったけどb >>234
牛馬の皮を勝手に解体加工させないのは利権だよ
肉食うなって縛りが多い宗教は世界中で珍しくもないし 辛いものが無さそうに見える
唐辛子とか胡椒はもっと後の時代なのか? >>61
京や大阪って上方から江戸にきたものは下りものっていわれて
江戸時代を通じて上質なものとされてた
着物とかの衣類、調度品から酒、米、菓子とか食品など多岐にわたって
上方より優れてるとされたのは醤油とかくらいじゃなかったかな >>240
そりゃまあご存じ鎖国と呼ばれる管理貿易体制で、多少の文物は長崎に入っては来ていたものの、
食品を大量輸入して食文化として定着する感じではなかっただろうね
高価なお薬扱いだったんではないかな >>240
塩があれば十分でしょ。
干物や漬物なんかは塩まみれ。 >>245
江戸以外であれは台所を持てる。
江戸でも大規模な事業所とか
特定条件下で持てる。 >>242
醤油も播磨の薄口は安いし元祖なら湯浅のもある >>248
江戸の庶民が台所持てないって初耳過ぎてビックリなんだけどなんかソースある?
それともネタとか釣りなの? 江戸の台所って長屋の真ん中辺りに竈門が置いてあるイメージだわ >>250
本格的な台所が持てないってやつだね。
水は今と同じように購入するもの。
薪や炭も非常に高価なもの。
で火事を防ぐために設置にもルールがある。
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-16.html 薪は高価だから竈使うにも
江戸では朝、上方では夕方に一日分の米をまとめて炊く、とかいう話は聞くけど
そこから「台所は存在しない」とかいう話になるとは思わなかった >>30
>>74
居酒屋というのは日本独特の形態だって昔読んだ
欧米だと酒を飲むということに特化してるため、つまみ程度のものはあるけど、日本のような酒も料理も豊富という居酒屋はないそうだ
(もしそういう飲み会をするならホームパティーするとか)
居酒屋の起源は、昔、酒屋の軒先でちょっとした小料理を出してたのが始まりだとか
昔の居酒屋は徳利を持って買いに行って、店で酒を注いでもらってた
昭和の中頃まではそういう形態の店がまだあって、軒先で飲む風景もあった(今でもある角打ちというのはそれの名残りか?) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています