「曽祖父は海軍中佐で戦艦陸奥に乗っていました」「うちの親戚は瑞鶴の艦長です」「祖父は愛宕に乗ってレイテ海戦に行きました」 [974680522]
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🇯🇵蘭 (Ran)🌸☘
@Ranchan2021
おはようございます😊
今日は春分の日
そして「暑さ寒さもお彼岸まで」のお彼岸ですね
今から家族と墓参りに行ってきます
私の曽祖父は帝国海軍軍人(中佐)、戦艦陸奥にも乗って戦ったそうです。
今日は曽祖父の意志を引き継いで蘭も日本を護るためネットで戦っていることを報告したいと思います😌
@awanokaijin
自分は昨日、お墓参りに行って来ました。
今日は仕事なので…😩
自分の叔父は特攻隊、降魔特別攻撃隊第108振武隊所属で知覧から飛び、私達の国の未来のため、十代の若さで散りました。
先祖様はじめ、戦火に散った英霊様に感謝です🙏
@buchi_okzk
うちの親戚は瑞鶴の艦長だった横川。
息子の名前は翔○、娘の名前は瑞○!
意識していなかったけど結果的に兄弟艦と同じに。
でもうちの親族では瑞鶴が優先なので・・・・妹の勝ち!
@Inada2127
おはようございます。私の祖父も帝国海軍です。中佐でした。愛宕に乗ってレイテ海戦に行きました。本日もよろしくお願いします。
https://kemomin.com 嫌儲民勘違いしてるけどその戦艦が沈むまで交代しているから定員よりも乗ったことがある人ははるかに多いぞ うちのじいさんは戦争中、大陸で電柱電線作ってたわ。
食べ物いっぱいあって太っちゃったって笑ってた。 >今日は曽祖父の意志を引き継いで蘭も日本を護るためネットで戦っていることを報告したいと思います😌
…海自入れよ うちの親戚はガチで陸奥乗ってた
陸奥の艦内新聞?的なの持ってた うちの祖父はビルマで米軍の機銃掃射に怯えながら夜中にライト付けず行軍してたらしい 攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIGに出てた個別の11人のほうが
自分の行動報告で自己紹介してた分マシだ ???「祖父はタイタニック号に乗ってたんですが、僕が有名になったのでそのことをネタにされます。どうすればいいですか?」 うちのひいじいちゃんは飛行機乗りにさせられて
乗る飛行機も作られないまま広島のどっか(呉?)でブラブラしてたら
そのまま終戦を迎えたらしい 爺さんは長門乗ってたらしいけどイジメが凄くて嫌な思い出しかないと言ってた ワイの祖父は特攻予定やったけどその前に終戦した
語るやつが少ないだけでそういうやつわりと多いと思う だいたいWW2のクソ雑魚負け犬艦を誇るのなんでなんだろうな
日本で誇れるのWW1までなのに うちの爺さんは明治勲章貰ってるな
賞状飾ってあるわ
俺は掃除しないからホコリですげーけどwwww >>20
やっぱおるよな
ワイのじーちゃんは死ぬ気やったからその後どう生きて良いのかしばらく分からんかったらしい 陸奥って爆沈した役立たずでしょ自慢するほどの艦かね うちの爺さんは父方も母方も名もない一兵卒として戦地へ行って無事帰ってきてくれたわ >>28
下っ端の下っ端ならそこまでいかんわ
ワイみたいに20代後半もおる 母方のお爺さんは人事畑の将校さんで当番兵だか若い兵隊さん達が家事までやってくれて
奥様、奥様と大事にされて戦争が終わるまでお婆ちゃんもずごく幸せだったらしい
戦争が終わって数年後にお爺さんが病気で亡くなって生活が一変して苦労したらしいが >>1
私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には
苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが
段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり
直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。 艦長クラスって当時でも結構な年齢だろ?
その孫となると何歳くらいなんだ? >>32
最後の方の船って民間船を召し上げて改造したりしたんだろ? うちの祖父は大陸で馬に乗っていました
機関銃で脚を撃ち抜かれて負傷兵となって帰国、そのおかげでワイがいるわけです うちの爺さんは、当時の県知事と仲良かったので召集を免れた
子供の頃は、勇ましくねぇなぁと残念だったけど、大人になってからは処世術の見本としてる >>23
祖父100まで生きて昨年亡くなったけど俺まだ39、弟35だわ コンプレックスのあるやつにはこれが自慢に聞こえるんだろな(笑)
嘘だと決めつけネトウヨのレッテルを頑張って貼るとかどんだけ悔しいんだよ(笑) >>8
まさに口ばっかで何も糞馬鹿ジャップランドの為になることしないネトウヨの見本だな
ネタか? それ言うたら死んだ親父の相続をするのに戸籍とったら満州のハイラルで生まれてたと書いてあった奴はどーすんだよwwwww
ハイラルってほぼモンゴルの僻地だろ
731部隊の支部みたいなのがあったらしいが
しかも祖父さんは将校相当の獣医師で家にはクーリーがいたそうだからかなり詰んでるだろwwwww ひいじいちゃんの生きてた頃はギリ喋れるようなクソガキだったし
戦時中の話なんて怖くて聞けなかったわ 曾祖父が学校の校長で徴兵ノルマみたいなのがあったんだけど保護者へのお願いに説得力持たせるために長男(わしの祖父)を積極的に戦争に行かしたって日記に書いてあった
あと母方の曾祖父はカラフト興業にいた頃紙の供給をネタに新聞出版業界に言論弾圧みたいな事をやってる 祖父は徴兵逃れしようとしたけどあえなく捕まってどっかの島に送られたけど逃げ回って生き延びたらしい
とかだったら言わないもんな 祖父は自傷して徴兵取り消しになって会社起こして巨万の富を築いた
一族の誇り。何が国家だ政府だ国家主義滅びろ じいさんは海軍の通信学校卒業したけど末期で乗る艦も無くなってたので本土決戦に備えて
根こそぎ動員で引っ張られた中年兵と塹壕堀りしてたって言ってたな
「曽祖父は海軍中佐で戦艦陸奥に乗っていました」「うちの親戚は瑞鶴の艦長です」「祖父は愛宕に乗ってレイテ海戦に行きました」 [605031433]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1647845972/
409 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW b9b3-yyqm) 2022/03/21(月) 17:58:59.51 ID:VS+zgmgP0
https://i.imgur.com/Pi3kt04.jpg
https://i.imgur.com/uupmR2H.jpg
実家にあった爺ちゃんの水筒
戦争の話聞く前に死んじゃったが 私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には
苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが
段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「(戦艦)陸奥です」
それを聞いた海自組一同下を向き「水兵のイジメで弾薬庫火災は良くないな」と感想をもらしました。
おじいさんも「爆沈!!」と見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。 俺の爺さんはガチでインパール作戦に行って死にかけたらしいが
生きて帰ってきたぞ こういう先祖や身内の話ばかりしてくる奴って自分自身の話をまずしないよな
よっぽど自分に自身が無いんだろうな >>42
でかい戦艦に乗ってるほど偉いというなぞマウントで草 うちの曽祖父は陸軍の大尉で中国にいたらしい
大尉は中途半端で自慢にならんな なお母方の祖父さんは145しかないチビだったので兵隊にとられなかった
代わりに墨田の軍需工場に徴用されてそこで東京大空襲にあい隅田川に飛び込んでも焼夷弾?が飛んできて隣にいたやつが死んだらしい
どうやってあの場を生き残って地元に帰れたのかようわからんて酔っぱらう度に言ってた >>4
むかし、乗ったことのあるっていう爺さんにあったことがあるけど、どうもそういう話らしいな
こんなの見たらすっ転ぶ勢いでパソコンの前に立ち上がって敬礼するよな 父方の祖父は陸軍
二等兵から最後は軍曹
大陸で功績を上げたのか勲7等
連隊では成績優秀だったとして善行証書なんてのも貰ってる
軍人としてはメチャクチャ適性高かったみたい
自分が生まれた年に死んだのでもちろん直接
会話した、なんてこともなかった
その孫は真性ケンモメンですけどw 祖父はA級戦犯でしたがアメリカに取り入って犬になる事で死刑を免れました ワイの曽祖父シベリア抑留経験者でワイの母の結婚式でロシア語でロシアの歌歌って何言ってるかわからなかったとさw
軍の階級とか所属は知らない つまりなんなん
生きてるなら戦争に参加してないか海に投げ出されて逃げたかどっちかなん うちの爺さんは満鉄勤めで日本敗戦後ソ連兵にシベリアに送られそうなのを現地の中国人に匿われて何とか日本へ逃げてきたと言ってたな 従兄弟の曽祖母の叔父は226事件に関わった疑いで軍法会議に掛けられた 私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には
苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが
段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「信濃です」
それを聞いた海自組一同失笑し、
今まで伸ばしていた背筋は逆方向に曲がりました
それを見たおじいさんはうなだれ、そのまま挨拶は終わりました >>86
これ爺さんが貰った海部俊樹名義のがあるわ ゆとり以下は爺さんが戦後生まれになるんだよな
出兵してる爺さんの昔話聞けたのは氷河期辺りまで 僕の祖父は戦艦に使われるプラチナを私的に横領して婚約指輪を作ってプロポーズしました
素敵でしょ? みんな海軍ってのが笑えるよね
祖父が陸軍でネパールや中国行ってたという奴に限ってなぜかTwitterやらないらしい 泣きました。私の祖父は元首相でA級戦犯でCIAのスパイです。 「ウチの爺さんは戦争に反対して投獄され拷問受けたけど、終戦まで意志を曲げなかった。子供たちの世代があんな悲惨な戦争を繰り返さぬよう語り継いで行きたいと亡くなるまで精力的に活動してた」とか言ったらどう反応するかな 曽祖父は輸送艦の中の馬の世話係でフィリピン沖で死んだって聞いたな おれの爺ちゃんは近衛兵だったから親父は昭和20年11月生まれ 父方のお爺さんは2回も徴兵されてご苦労なさった
二回目は古兵だから上官も気を遣ってくれて
そんなに強く当たってこなくて良かったらしいが ネトウヨの自慢を疑うわけではないけど文書等取り寄せて確認とかはしてる情報なのかね
祖父の件が本当なのか気になって書類を揃えて長寿福祉課から
留守名簿、行動履歴など取り寄せられるものは揃えて親族からの伝聞は出来る範囲で裏どりしたわ うちの父方の祖父は保健所勤めで兵役回避してました
母方祖父は千葉の鉄道連隊でレール敷設訓練してるうちに終戦になり戦地には行きませんでした 俺のひいじいさん、戦艦長門に乗って調理員やってたリアル沈黙の戦艦
そのおかげで今も横須賀に生まれ育ち、海自関係の仕事してる 爺さんはフィリピン行ってたけど地獄みたいなとこだったってくらいしか話しなかったわ まぁ終戦直後は特攻隊の生き残りだの大和から生き残ったという連中が全国で大量発生したというしその延長にある可能性もあるようなないような。 ネトウヨ名物ジジイの人殺し自慢
しょせん敗北者の孫じゃけぇ ,' '
OΛ_Λ∧_∧O
(( O <`Д´#=丶`Д´> O ))ネトウヨ ネトウヨ
Oヽ = ( = ノO
ヽ__< < > >__フ
<_> 〈_フ 祖母の遠い親戚に陸軍次官まで成り上がったけどなんか巻き添えでA級戦犯になった人いる お前がやったことを誇れ
他人のフンドシで相撲取るな
挙げ句嘘松だし うちのは父方も母方も戦争いってないわw
徴兵されるのってバカだけやろ 艦長なんて何人も交代あるのに、ほとんど最終の艦長だよな >>76
これ悲しいよな
俺もだけど爺ちゃんが必死で残した遺伝子がここで終わる >>105
祖父の原戸籍の写し?取りに行った
軍歴証明書とかいうのも取った
親父も祖母も民間人よりもソ連進攻の情報とか早く知っていて民間人が聞いたら激おこじゃ済まない疚しいタイミングとルートで帰国したらしくてよっぽど機嫌良く酔ってる時じゃないと話してくれなかった (ヽ´ん`)「俺の爺さんは大和に乗っていた」
(ヽ´ん`)「俺の爺さんは海軍将校だった」
(ヽ´ん`)「俺の爺さんは近衛師団だった」
これ全部「僕は負け犬の子孫です」っていう自己紹介だろ
なんで誇らしげに言ってるのか理解不能
ジジイに似て知能が低いんだろうな
恥ずかしいよお前ら >>8
年齢の上限に引っかかる人なのかもしれない
自衛隊の入隊と言っても年齢の下限と上限あったはず >>90
>「信濃です」
これの笑いのポイントがわからない >>61
あちこちに派遣されて生還ってまさに幸運の人だな ケンモメンの孫「私の祖父は嫌儲で安倍晋三と戦っていました」 父方も母方の祖父も徴兵セーフ
ただギリギリだったらしい >>105
俺が生まれる前に爺ちゃんは亡くなっててそれが本当でも嘘でも気にならないから特に確認してない 母方の祖父はビルマに出征したが、痔で帰ってきて非国民と近所の者から白い目で見られたと祖母から聞いた
でもビルマ行って戻ってこられるのか後から調べて疑問、つまり眉唾 うちのお爺さんは
欠陥改造艦の山城に乗ってたそうです。
レイテ沖で還らぬ人になったのですが
軍人ではなく軍属だったので
戦後遺族年金の給付も後回しで
お婆さんは苦労したそうです。 納屋の掃除したら軍の辞令?が出て来てそこで始めてインパール行ってたことが分った生前家族に何も語らなかったらしいよ >>127
戦艦大和の姉妹艦の空母で造ってる途中で空襲が怖いから移動させてたら魚雷1発で沈没した >>66
・陸軍の中隊長ごときが海軍に直接支援要請なんて出来ない
・インパールは内陸だから艦砲は届かない
・1944年時点での帝国海軍に巡洋艦を含む7隻の艦隊を陸軍なんかに割く余裕はない >>121
続き
名誉の負傷のあとは巡査として朝鮮で勤務
終戦まで平壌にいたそうな
祖母の話だと一介の巡査にも現地の人が家政婦として
ついてたそうだから
ほんと、「植民地支配」っすね 俺の祖父は宮崎の連隊でコックやってたから、戦地でどうこうも飢餓に襲われるとかもなく
普通にちゃんとご飯食べて規則正しい生活して楽しく軍隊生活送ってたらしい >>61
マジック書きぽいけど当時マジックみたいなのあったの? >>140
本物でネトウヨなら遊就館になにか寄贈の上毎年命日には永代神楽に参列してる筈だよな 祖父は単なる二等兵でフィリピンで敗走してた
そういうのが普通だろ
ネトウヨの祖父の大和関係者の多さは異常 >>146
ってか陸軍だったがあまり聞かないんだよな >>137
沈む早さからしらた大和も似たようなもんだよな
あれも嘲笑されるんかな うちの爺さんは初期に中国行ったから生きて帰ってきた
かなり凶暴になって帰ってきたそうです >>66
生きてたら今年102歳の俺の祖父は陸軍所属でブル島のナムレアにいたと本人から聞いたけど、こいつと曽祖父の祖父は一体何歳なんだ? ケンモメンもしょせん左のネトウヨか
侵略者の人殺しの祖父でマウント取ろうとするとか お前らってネトウヨ叩くくせに旧日本軍のこと大好きだよな >>148
大和は大量の航空機から袋叩きにされてまあまあ持ったほうだが信濃は潜水艦一隻だし護衛の駆逐艦が対潜装備が故障とかで反撃できなかったから比較にならない もう1人の爺さんはそれなりに歳くってたから終戦近くに召集されて四国で訓練中に終戦なった >>66
文体が永遠のゼロっぽい
あの小説も武蔵がスリガオ海峡で沈んだことになってたし
なんというか死んだ奴のことなんてどうでも良いんだろうな
自分から気持ちよくオナニー出来れば >>157
茨城からペリリュー島だっけ?に行った部隊はそれに近かったらしい どっちの祖父にも会ったことないしほとんど話を聞いたこともないので戦時中何やってたか全然知らん 日本兵の死者のほんどはよくわからん島で餓死したのにな >>162
うちの爺さんは猿の肉って言って食わされたらしい でも結婚式で元大和の乗員だって言えば自衛官がみんな敬礼するんだろ てか自分が存在してるのにじいちゃん大和に乗ってたとかのたまう奴おかしいよな
生きて帰ってきてないと自分存在しないじゃん >>137
wiki見た
けど
うーん、なんでそこで笑うのかわからないw >>168
しねえだろ
乗組員殆どが死んでるのになんで生きてんのってなる 戦艦のゲームかアニメがしらんけど
それ好きな奴でネトウヨな奴が書いてるんやろ >>159
信濃の場合は乗員の練度が低すぎてまともなダメコンできなかっただけだろ
嘲笑に値するわ >>127
日本国内で艤装完了する前に移動中に潜水艦に雷撃されて沈没したからか?戦闘に従事してないからかも 軽く嘘をついてくるなコイツラ
気持ちええからやめられないのかな バカな国によって無駄死にさせられたのに子孫がネトウヨ軍師になってるとか地獄でしかないじゃん 安倍さん!うちの爺さんジャップ猿の肉を食わされたんだよ! 従軍経験者から話聞くの面白いわ
飛行機で測量するのに出ようとしたら別の飛行機にカマ掘られて腰の骨折って帰国したじいさんの話が1番笑えた
ちょっとした旅行でしたってちゃんと学のある人だったからユーモアがあってよかった 死んだ爺さん支那事変従軍記章銀色、支那事変従軍記章金色
漢字が読めないが紅白の布に豊臣秀吉の家紋みたいなのがついた記章?勲章?持ってる。
これはスゴイ物やろか?当時の軍人さんなら普通に持ってた物やろか? うちのひいひい爺さんが日露戦争で戦死した敷島の乗員だわ 政治家の世襲が問題になってるのに
軍人の世襲はと問題じゃないのか?
お前等の意識の低さに呆れるよ (ヽ´ん`)「私の祖父はヴェルタースオリジナルをくれました。なぜなら私もまた特別な存在だからです。」 >>150
中国やら東南アジア行って現地の住民が大日本帝国兵士に殺戮されるのを見るだけでも頭おかしなるで
人間性やら道徳倫理観が全部ぶっ壊されて、一生かけても修復できなさそう >>126
自衛隊に限らず公務員は年齢制限禁止にすべきだは
愛国者達が入隊できずに困ってる姿見て何も思わんのか! (ヽ´ん`)「うちの爺さんは南京で虐殺しました」←こいつが出てこない理由 家系に関わらず優秀な人間が出世できないから
ジャップは敗戦したんだよ 日本はなぜ戦争に突き進んだのか、みたいな番組でいろいろ説明してるな
馬鹿じゃねーのって感想が優先して入ってこない 祖父はアメリカ海軍の戦艦ニュージャージーに乗っててアイスクリームの列に割り込んでハルゼー提督に怒鳴られました >>179
フィリッピンで🐵食ったって祖父言ってた
美味くない模様 ウチの爺さんは教師だったから日本にずっといたらしい 衛生兵として戦争行ってマラリア掛かって生きて帰ってきたわ
生きて帰って来ただけでランクAはあると思う 母方の爺さんは大陸へ2回出兵して生きて帰ってきたよ
なんか馬乗ってサーベル下げた写真があったらしいけど騎兵隊かなんかなのか詳しくは知らん うちの爺さんは山城に乗っててもちろん戦死
横須賀の公園にある記念碑にちゃんと名前掘られてた >>175
そもそも建造途中の船なんだしそう期待は出来ない 勲章やら刀、銃も持ってただろうけど
そういうのは一切捨てて半島から逃げてきた
祖母が亡くなるちょっと前に
残ってた書状を俺にくれた 真の愛国者なら自衛隊に入隊してセクハラパワハラに励めよ うちの爺さんは学校の先生をしてて徴兵されなかった
もう一方の爺さんは原爆で死んだ
一般的にはそんなもんだろう >>1
じいさんから聞いたけど昔は空軍が無かったから
海軍が戦闘機飛ばしてたらしいね。
お偉いさんは明治天皇の誕生日にA級死刑にされた🥺ってB級父さんから聞いたってじいさん言ってた ヤマト建造中の防弾隔壁作る時にどうしても中に1人残って内側から溶接しないとダメだったので残ったのが祖父です 俺が元自衛官て言ったらみんなおーってなるの?
変な話だよね >>207
これ
ネトウヨは自衛隊でチンゲ燃やされてこい >>66
インパールからベンガル湾まで東京名古屋間以上あるな 曽祖父が日中戦争に従軍したらしい
交戦中、銃がジャムったかして仕方なく銃剣で倒れた敵兵を何度もグサグサ刺して殺したことがあるらしい 俺の爺さんは戦地で盲腸になって帰国したんだよ
こんな恍けた爺さんの系譜からも俺のような大天才が生まれる可能性を
お前等が認めない限りジャップ国は再び敗戦するだろう 中国戦線で戦ったワイの爺さんから生前きいた小話
・国民党軍はズック(今でいうスニーカー)をはいてて身軽
・国民党軍は少数でゲリラ的に活動するので、民間人との区別が大変
・中国人捕虜をみたが、意外と腹がすわって堂々としている
・水が汚いので日本軍の軍人に下痢が蔓延 >>206
で、祖父の形見は数枚の書状しかない
ちょっと書いてみる
天祐を保有し萬世一系の定作(旧字で変換に出ない)
を納める大日本帝国天皇は ○○○○(祖父の名前)を
明治勲章の勲7等に(女子、じゃなかったw)叙し
青色桐陽章を授与す 即ちこの位に属する礼遇及び特権を
有せしむ
旧字とカタカナだけどな うちの死んだジジイ東南アジアのジャングル歩き回ったって言ってたわ
年寄りって戦争体験を遠足の話みたいにクソたのしそうに話す奴結構おるよな 死んだじいちゃんは三菱造船所で造船技師やってて敗戦前は回天に乗せられることが決まってたらしい
戦争と安倍をものすごく嫌ってた 戦艦陸奥が謎の爆発をしたのは母方の祖父が砲弾の上に工具箱を落としたからです
自然発火ではありません >>137
命中した魚雷は4本だよ
したり顔でウソ書くなよアホ peanutsの原作見てるとちらほら戦争ネタ出てくる
(そもそもスヌーピーのフライングエースも第一次世界大戦の撃墜王の設定だし)
原作者が従軍経験あるからそこから思うところが戦争ネタの回かと 海戦に負けて生き残った兵士を離島に隔離して負けたことを隠して
怪我が治ったら別の戦地に送り出すとかやって隠蔽してたんだろ
隠すことだけはうめーな >>205
信濃にあった山盛りの不具合は建造中だからで言い逃れできるもんじゃない
建造、運用、練度すべてにおいて嘲笑に値する軍艦だわ >>179
すみません
笑ってはいけないところなのにクスッとしてしまった
ペリリュー島から帰ってきた人たちは帰国後精神的に苦しんだ人も多かったそうで水戸に碑が建ったのもわりと最近だ こういうスレでたまに書いてるけど役所に問い合わせたら先祖がどこで戦ってたかわかるよ
むかしいとこが夏休みの自由研究で取り寄せてたわ
遺族ならたぶん誰でも取れるんじゃないかな
でもそういうのインフルエンサーが広めたりすると無駄な仕事増えそうだからあれだけど >>96
生きて帰ってきてる人が多いんじゃない
うちも海軍だったよ
職業軍人だったし
ただうちは飯作ってる人だったから多少違うけど
戦後も給食作ってたらしいし
生き残ってる方が色々子供や孫に話してて印象深かったりするんじゃないの >>235
みんなどんどんやったらいいよ
ホラ吹いてるウヨがあぶり出されるだろうから うちの爺ちゃんはカレーが食べられると言う理由で少年兵として海軍に入り結局一度も戦争に行くことなく終戦を迎えたけどカレーは食えなかったってキレてたぞ フィリピンやニューギニアで戦死しましたとか
あまり見かけないね 曾祖父さんは酒のんだり山歩き連れてかれた時によく戦争の話してた
末期にフィリピン行ってたけどガチで死にかけてたらしい
終戦でようやく帰れると思ったら
すぐ殴ってくるクズの上官が「降伏は認めん!戦って死ね!」ってほざいてたから仲間とスコップでボコボコにして殺そうとしたらしい
結局は優しかった上官が土下座で謝るから許したという話
死ぬまでに何回も聞かされたから完全に覚えたわ
帰ってきてからもずっと戦友と一緒に事業やったり集会開いたりして
なんか一生を戦争に囚われてた感じだったな 父方の爺さんは満州のタバコ会社の御曹子だったけど敗戦で何もかも無くなった
会社が残ってたらうちも今頃金持ち一家だったかもしれんのに俺が生まれた頃はもうずっと貧乏だったわw 爺さんの小さい金鵄勲章が仏壇の引き出しに入ってる
どこの戦地で何をしてたかは知らない さすがに艦長は、分かる人が見たらほぼ特定レベルに絞り込めるんじゃ? >>242の仲間とスコップでボコボコにして殺そうとしたらしい
綺麗事よりこっちの方が日本感あるよな共感できる >>249
だから、ウソだと即バレするんじゃ?って話 じいさんが戦争はゴリゴリだよと思ってるのに孫が戦争美化してたら
孫やべーなってなりそうやな >>252
日本感ってか人間として当然の行動だと思うわ 将校は短い勤務で次々異動していくので例えば「大和の艦長でした」という人間は敗戦時に5人生きてたし
沈んだ船にかつて乗っていた人間が戦後にもたくさんいること自体は別におかしくはないんだよね
大和歴代艦長
1.宮里秀徳:1941年9月 就任 1952年 没
2.高柳儀八:1941年11月 就任 1973年 没
3.松田千秋:1942年12月 就任 1995年 没
4.大野竹二:1943年9月 就任 1976年 没
5.森下信衛:1944年1月 就任 1960年 没
6.有賀幸作:1944年11月 1945年4月7日 戦死 曾祖母さんは原爆でなんもかも無くした人だったな
本人はたまたま県外に働きに出てて無事だったみたいだけど
ただ戦争の話は原爆で家族も家も皆死んだって話しかしなかったな
それも昔話頼んだ時にたまにするぐらい
まあ当時17、8歳の女が天涯孤独で生きていこうというのは想像を絶するレベルで大変で子供には聞かせられん体験してたぽいが
曾祖父さんも曾祖母さんも死ぬまで
アメリカと戦争を恨んでたがまあそうなるわなあって人生
たぶんネトウヨ見たらぶん殴ると思う >>235
足取りの細かい日付も参加した作戦名も細かくわかるし本当にネトウヨが爺さん好きなら
より身近に感じられるようになるのにな
俺も取り寄せたけど祖父の細かい足取りのほかに
日中戦争では急性右側副睾丸炎と淋病とそれに伴う尿道炎になった事や
臨時招集後に行ったニューギニアのサルミでは
終戦前から自活させられて1946年の6月3日(復員は18日)までそこに放置された事までわかったわ 曾祖父の甥は日露戦争で戦死した英霊 軍艦に乗っただけ
の奴とは違う 靖国に行ったことはないが あとカルト宗教って統一に限らずこういう書類取り寄せるの滅茶苦茶こなれてるからな
先祖の供養をしましょう家系図作りましょうから入ってくるカルトは手取り足取り教えながら
先祖の衝撃な事実を本人が知った時に巧みに洗脳していくから >>261
日中戦争の方は輜重兵だったから徴発ついでの強姦の可能性も否定できないんよね >>96
インパールとかの前線に回されて生きて帰ったんはあんまり話たがらない、てのはある
>>98
大和や武蔵に乗った事がある、て人は割と多いんよ
陸に行くとか他の艦に乗り換えるとかの時に、沖の駆逐艦とかから大きい戦艦や重巡に集まって、
目的地別に整理して内火艇に乗り換えたりてのをやってたから
その時の体験と後の知識を混ぜると、大和とかに搭乗員で乗って一人で全部戦ったみたいに話せてしまうんで、
話を検証する時はちょこっと注意が必要なんよ 家のじいちゃん、和歌山の旧制中学出たあと東京?の陸軍の学校に入って、卒業したか分からんけど終戦間際は九十九里で迎撃準備してたって聞いたことあるんだよね。
千葉県庁の土木科で偉そにしてて謎キャリアだなあと 親戚に特攻で死んだ人がいるぐらいだな
家には軍服の写真と鹿児島だかの特攻の記念館に名前がのってる >>235
どんな窓口で、なんてお願いしたか覚えていたりしますか? 祖父は潜水艦のエンジニアで戦後は自衛隊で教官してました
仕事の話は嫌らしく他何も知らん 新卒の頃仕事教えてくれた先輩は若い頃731部隊の某班長が教授をしてた医局を担当してたそうだ
好好爺で後で人からあの人が悪魔の飽食に書かれてる○○医師なんだよと言われて驚いたそうだ >>265
自分の乗艦から上陸するのに乗艦とはしけの間に停泊してた大和の甲板渡って上陸したのを
「わしはあの世界最大の戦艦大和に乗ってたんぞ!」
って自慢するのを持ちネタにする元兵隊いるわ
そんで驚かれるとネタバラシすんの >>266
>終戦間際は九十九里で迎撃準備してた
これはどこかで読んだことあるな
>旧制中学出たあと東京?の陸軍の学校
東京の陸軍士官学校に行ってたのかな
わりとエリートコースやね 母方の祖父はシベリア行きでPTSDに
父方の親戚は女装して満州から我先に逃げ帰った
そんなもん 大叔父は二十歳で南方で戦死
と言うか多分餓死か病死 祖父は招集されたけど
戦地に行かないまま敗戦
乙種合格だったからかな >>272
それは微笑ましい話だな
体裁も整ってない嘘ついてまで虚勢を張る人だらけなのに
しかも本人じゃなくてその子孫が死んだ祖先を操り人形にしてるっていう どーでもいーが
音楽評論家の湯川れい子って
長らく反戦なツイートしててネトウヨからは反日だのサヨクだのと
言われてるけど
海軍大佐の娘で山本五十六とも親戚関係
野良ウヨとは出自が違うのよw 爺ちゃんの兄はラバウルで戦死した
戦死したといえば聞こえはいいかもしれんが病死か餓死で野垂れ死んだのだろう
形見も無く現地のだという小石一個 >>224
やっぱり戦争行ったことある人と、そうでない人との間には天地の差ぐらい考え方違うやろな
戦争知らない世代(自衛隊上層部)が最近やたら事務次官通達無視して靖国行ってるけど
こいつらまた同じこと(軍が暴走して対外侵略戦争起こす)繰り返すやろな うちの爺さんは鍛冶屋だったから、なんか整備の仕事やってたわ
技術持ってたら、最前線は避けられるっていう教訓にすべきだったのにアホガキだったワイは文系に進んでしまったわ >>268
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000093051.html
>なお、旧陸軍の軍歴等の身上に関する資料は、終戦(戦没)当時の本籍地を管轄する都道府県が旧陸軍より継承しておりますので、詳細な軍歴等については各都道府県 軍歴証明関係担当課[PDF形式][116KB]別ウィンドウで開くあてにお問い合わせください。
これじゃないかな
当時はネットもなかったから県庁かなんかで取ったとか聞いたけど
結構細かく書いてた記憶 うちの祖父はそのころ警察で刀狩りやってた
金属類回収例って奴だな
程度のいいのは自宅に持ち帰って戦後に売り捌いてた >>268
海軍は厚労省で陸軍は各都道府県の担当してる課に必要書類そろえて送る必要がある
身分証の写しと親族だと分かる書類(戸籍等)とDLできる記入書類を担当してる部署が公開してるからそれ
陸軍だと福祉局社会援護課だったり福祉部長寿福祉課だったり県によって担当課の名前が違うから注意
まあ問い合わせしたら確実だよ それで沈んだんちゃうんかてくらい
ノリ手(子孫)満載 祖父の祖父の兄弟が海軍中将だったことが
祖父の死語に取り寄せた戸籍謄本でわかった
wikiもあったし勲章もちだったけど、結局大きな戦いに負けて左遷されてた
あと一歩のところでビビりちらして負けたらしく血の繋がりを感じた
そんな俺は大学中退の非正規労働者😓 >>272
ネタバラシまで含めてなら良い話題かと
自分の乗艦知ってる人もいるだろうしね >>287
そりゃ乗ったことある人は多いだろう
頻繁に入れ替えしてたんだから >>242
南方に行ってた人らは戦争の話したがるのよ
どんなに酷い目に遭ってようが南方が大好きだし戦友で集まって南方を再訪したりするやつも多かった
俺の親戚も南方行ってたので南方大好きだったわ
大陸行ってた連中は違うで。戦争の話したがらないし自分から戦争の話したがるやつがいたらもれなく偽物 オレの小学校時代に通ってたそろばん塾の先生は、中国戦線から生還したおじいさんだったわ
「たくさんの中国兵を、銃の弾がないので拳で殴り殺しながら退却した」と自慢してたわ。
おいじいさんそれ殺人だから(苦笑)自慢しちゃダメ >>216
竹槍でB29を落とす日本軍の精神力を舐めてはいけない まあこの程度のバックグラウンドしかなければネトウヨになるだろうな >>266
九十九里で終戦は運良いな
決号作戦のための作戦準備してたんだろうな
もし本土決戦になって国民義勇隊の方に配備されてたら国民を撃ち殺す役目がメインの督戦隊と化した士官やるハメになってた
うちのじーさんは陸軍幼年学校卒業と同時にビルマ送られてインパールだったらしい
インパールはともかく経歴がほんまかどうかよーわからん 祖父は輸送艦に乗って南洋いったらしい
島に着く直前に沈められて泳いでたどり着いたが
先に向かったもう一隻は全員死んだから運がよかったと聞かされた >>294
うちのじーさんはビルマでの生活は楽しそうに話したらしいがインパールのことは全く話さんかったがな
親父がずっと聞きたがってようやく聞けたのが砲兵の下士官として従軍して所属の中隊が全滅して自分も気絶して中隊で復員できたのは自分だけだった、て話だけらしいが凄く嫌な顔されたらしい うちの爺さんはギリギリうまいこと戦争行かなくてすんだぜラッキーってヤニ吸いながら言ってたのを覚えてるな
もう死んじまったけど うちの爺さんは戦争のこと聞いても絶対に話さなかった
俺がしつこく聞くとぶちギレしたんでそれ以降は聞くのやめた >>147
艦名で箔付けみたいなのが出来ないのと、陸軍で活躍だと
虐殺系の武勇伝と紙一重だからかな 俺の親戚はシンガポール抑留されてたのだがそのときに抑留所のスタッフの中国人娘とデキてたようだ
俺の一族は俺含めて顔がいいのでモテるのである
日本に戻ってくるときとかの顛末聞くと絶対にヤッてたと思う >>306
帝国軍人の孫だけど
>朝鮮系
でもいいぞw >>66
曾祖父の祖父からしてふざけてる
これはさすがにネタ 祖父は人殺しですっていいたいのは分かった
俺の父方の爺さんは戦争の話一切しなかったが多分殺してるよなって親父とは話してる
母方の爺さんは足が悪くて今NECになってる当時の工廠で技師やってたから殺してない あ、今思い出したんだが
祖父は中国戦線で負傷して帰国して入院
当時、軍人さんに慰問袋だかなんだか送るシステムがあって
そこから女の子と文通して・・・
それで会って結婚、
とか聞いたような
祖父と祖母はお見合いとかじゃないからな
官製マッチングアプリは90年前に出来上がってたw
どういう仕組みだったのは、詳細はよくわからないのだけど ほんと血筋大好きミンジョクだよな
嘘だろうがガチだろうがとりあえずそれっぽいこといっときゃ
勝手にその背景を妄想して来るし、ウケるからな
そら世襲議員無くなるわけねえワ >>293
この人戦に負けて責任とって自殺してるのか
有能な人なんだし生きてればいいのに責任に耐えられんかったのかね ワイの祖父の場合は乗艦した履歴一覧みたいなのが残ってて、多摩とか日向の名前があったわ
日向つっても時期的には近代化改装前っぽかった >>320
有能ではないよ
艦隊派の急先鋒として海軍拡張のアジテーター役
真珠湾攻撃で第一目標の空母と燃料施設を打ち漏らす
ミッドウェー海戦の完敗で左遷
死に場所を求めてサイパン玉砕に参加し自決 私の曽祖父は南京でいっぱい民間人を殺して女を強姦しました 火垂るの墓の兄妹、たしか父親が巡洋艦の艦長だったよな。
子供には恩給みたいなのは出なかったの? >>295
拳で戦うって抗日ドラマのような話だろう >>323
俺のじいちゃんはまさに南京事件当時の114師団所属
小学生の時に死んじゃったから当時のことをちゃんと聞きたかった >>326
そうね
上級軍人だから付き人もいたはずなんよね つーか曾祖父の祖父てなんだよ
戦争行ってた一番若い世代で90代後半やぞ
1920年代半ばの生まれ
ケンモメンの祖父や祖父の兄弟がそのぐらいの生まれ
>>66がZとしてケンモメンの祖父世代が曾祖父
その更に祖父となると1870年代の生まれ
インパール作戦当時70歳???70歳に上官がいたんか??? 死んだジーさんは終戦が1日遅かったら死んでたって言ってたな >>15
命からがら日本に帰って来たらいじめられたんやぞ 曽祖父は軍法会議で死刑になってる俺はエリートケンモメン 親戚とか先祖の自慢するやつって恥ずかしくないんかな 「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ。実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない。
占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて、片っぱしから斬る。
百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ。」 うちの伯父さんは呉で信濃を待ってたら潮岬沖で沈められて終戦まで呉でグダグダしてたぞ 人口7000万で死者200万だからそりゃまぁ徴兵されて生き残ったってやつ結構いるわな >>326
それ結構ツッコミ受けてた記憶があるなあ >>42
>>202
この話を創作した人は来賓卓って言いたかったんだろうな
婚礼関係の仕事していた人がこんな間違いを書くわけないわな 何故か中佐が山のように出てくるんだよな
多分割と本気で掘ればある程度絞れるだろこれ 俺のひいじいさんは徴兵されて中国行ったが帰還しても体験をほとんど語らなかった うちの祖父は駆逐艦に乗ってたらしいが
戦争のことをきくと物凄くいやな顔をするだけで何も教えてくれなかった うちの爺様はリアルガチ特攻隊だったけど特攻前に終戦して死なずに済んだよ >>342
>>344
そもそも原作者の野坂昭如の父親はあの空襲で死亡やし 田舎に行くとめっちゃ立派な出征記念の石碑あったりするけど大概下士官止まりで尉官クラスは珍しい方 >>127元々大和の3番艦として建造してたのを空母にしたのに完成直前で大した戦果も挙げず沈没したからか? >>351
飛行士がたくさん戦死して不足して、14歳から大量に練習生を集め始めたけど、現場は練習の飛行機も設備もそんな大人数は育成対応出来なかった、さらには特攻する飛行機も不足した、本土決戦になったらボート特攻やタコツボから爆雷で特攻させる計画やった >>354
ね
>大した戦果も挙げず沈没
これだと大和もそうじゃん フル装備で戦果が戦闘機5機以下と
上層部に命令されて無理やり回航させられて撃沈されたのだとどっちが恥ずかしいんだろうなw >>352
そもそも、野坂昭如は大学まで出させてもらってるから、決してイジメられてばかりではなかったんだよな
しつけをイジメと被害妄想してた説があるね >>227
未完成で配線を通すパイプとかからどんどん海水が広がって区画を密閉できなかったとか読んだ >>357
命中魚雷は1~二本だったので、大和や武蔵の実績から言って10本以上の魚雷にはたえられるはずだったのが、練度不足により注水弁の作動方法がわからずみすみす沈むという失態おかした艦だからじゃないかな >>221
ゲリラ戦術で恐ろしかったのは八路軍だろ、書き間違い?
・国民党軍はズック(今でいうスニーカー)をはいてて身軽
・国民党軍は少数でゲリラ的に活動するので、民間人との区別が大変 女の子かな?
自分自身じゃなくて自分の周りのモノや人を勲章みたいにひけらかすの それで当の本人はこのザマって所まで言わないとネタにならんぞ 俺の曾祖父は戦争に行かなかったわ
普通に考えて戦争に行かないカスじゃないと子孫残せねンだわ
その兄弟は炭鉱トロッコに乗って死んだりしてた >>366
>自分自身じゃなくて自分の周りのモノや人を勲章みたいにひけらかすの
祖父が貰った書状みると
御名御璽の印のあとに書状を交付する役人の肩書が
いちいち
正○位勲○等
って記されてる
身分地位肩書位
大日本帝国はこれで成り立ってたのかもなー、と
俺たちはさ、みんな等しく 「嫌儲メン」
でいようぜ 死んだ爺さんは丙種合格(兵隊に適さない)だから海軍に志願したという
兵隊になれないというのは当時とんでもない恥だったというが馬鹿な話だ 兵隊先祖ジジイカードってヤンキーの彼氏自慢するマンコとマインド同じだよね? >>366
軍人の写真って
みんな制服きて勲章だかバッジだか
何個もつけた服着て写ってるよね
裸になって写ってみろよw
お前には何もないのかい? んでなんなんだ?って話だよ
じいさんはシベリアに抑留されて体壊して帰ってきたし
戦争はクソ 99歳まで生きたじいちゃんはニューギニアから生還した
やはり超健康体じゃないとあそこでは死ぬんだな味噌汁に醤油入れたり体に悪いことは全てやってたけど最期しか入院してない そういやモロチョンなのに自称天皇守ってたとかいってた爺さんいたなあ >>366
だったら今ここでお前自身の何かをひけらかせ
話はそれからだ ご先祖様は源頼朝から拝領した名馬に乗って宇治川の戦いで先陣争いをしました 特高警察官で反日左翼どもを拷問してぶち殺しまくってました🤗
憲兵で現地人スパイを摘発射殺しまくってました😄
在郷軍人として竹槍訓練で女子供を扱きまくってました😚
っていう人が一人もいないのは何でなん? 「私の祖父は陸軍中野学校出身で、戦時中は満州でアヘンや偽札ばらまきまくって戦犯として巣鴨にぶち込まれてました!」
「私の祖父は特別高等警察出身で、戦時中は民間人100人くらい拷問してました!」
みたいな奴はいねぇよなw 私の祖父はBC級戦犯で絞首刑になりましたってやつはいないの? 父方の祖父は中年なのに召集されて華北で死にかける
母方の祖父は学徒出陣後に海兵団のシゴキで酷い目にあう
日帝軍とジャップに全くいいイメージないっすね
むしろアジア侵略に加担してしまった人間の子孫という恥を感じる ちょっと前は祖父だったのに最近は曽祖父なのな(笑) >>390
今生きてる人類で、祖先が侵略戦争に加担したことがない奴なんか居ないだろ
人類の歴史は戦争の歴史だし >>388
父方の祖母の弟が憲兵だったぞ
若い内に亡くなったが威張りくさっていて嫌われていたという話しか聞いたことない いっつも思うけど本人は洗脳されてたから仕方ないとしてそれ聞いた子孫がネトウヨになるって意味不明だよな
普通は自分の先祖を凄惨な目に遭わせた怨みと日本軍のクソさが相まって左翼になりそうなもんだが まだ色々分かる人らはいいやん
ウチなんて生前父方も母方もジジババ共に戦争の事聞いても何も教えてくれなかったぞ
『戦争の事なんか聞くんじゃない😡💢』ってさ
死後少しだけ分かったのは
父方ジジは怪我して戦中日本に帰ってきたってのと母方ジジは特攻隊員だったけど特攻する前に終戦したって事だけ
何処に行ってとか何処の隊とか全く知らんわ >>224
回天作ってた伊万里の廃墟の写真撮って来たことある
取り壊される前
とても美しいのでB1サイズに引き伸ばして部屋に飾ってある >>397
経験者が亡くなって戦争体験が希薄化したのとジャップ社会の右傾化による歴史修正主義が原因だろうね
学徒出陣経験のある読売新聞のナベツネは保守系新聞の主筆とは思えないほど強烈な反軍・反靖国を今も貫いてる >>400
反軍はともかく反靖国ではないだろう
中曽根や小泉が公式参拝したときも養護しまくりたったぞ うちのじーさんは海軍だけど下っ端だろうな
長野の山奥なのになぜか海軍多いんだよね >>400
右派が多かったのは戦後から70から80年代にかけてだし
左派が多かったのは戦後から70から80年代にかけてだぞ
それ以降は右派も左派も年々減少している
「近年特定の〇〇派が増えてる」てことはないと思うぞ 中国で飛行場の地ならしずっとやってたらしい
つまんなかった言ってたな >>404
ネットのおかげで少数でも声さえデカければ目立つ時代だね >>402
ナベツネはがっつり反靖国だよ
朝日の主幹だった若宮啓文と組んで朝日と読売で反靖国の論陣張ってた
小泉の参拝には明確に反対してた
「靖国」と小泉首相 渡辺恒雄・読売新聞主筆vs.若宮啓文・朝日新聞論説主幹
https://honto.jp/netstore/pd-book_02653729.html
>靖国神社首相参拝に異議あり! 月刊誌『論座』に掲載され、内外に大きな反響を呼んだ対談を、雑誌には掲載できなかった部分も含めて収録した完全版。詳細注記、資料付き。 >>398
うちも同じやわ
唯一聴いたのは憲兵が捕虜を斬首してたのを見せられたってくらい シンガポールの南方石油廠でエンジニアだったって聞いた、油田開発でインドネシア各地への船便に乗って向かった同僚多くはその後帰らなかったって云うからシンガポール辺りで留まれる香具師はホントに運が良かったらしい 低身長+日露戦争終戦の頃に生まれた関係で徴兵されずに田舎でのんびり暮らしてた俺の祖父が最強 >>67
最殊勲艦ってでかい船だと金剛と翔鶴なのになw
大和さんなんかやりましたっけ? 祖父は職業軍人なのに上司に上手くゴマ擦ってずっと本土勤務、戦後はヒマな田舎の郵便局員、国家公務員として定年まで
卑怯と言われようと人生は上手くやったもん勝ちよな うちのひい爺さんはシベリア出兵した時の写真が残ってたな
爺さん自体は50代半ぐらいで父が生まれたんだかで第二次大戦はいかなかったとか
親戚かしらんけどフィリピンで戦死したな
母方の爺さんは満州で軍刀持ちの下士官だか特務少尉だかに出世したけど
便所で何回もベルトで首つって死のうと考えたと戦後に何回か話したくらい
旧日本軍は本当にどうぢようもないイジメ体質の組織だったみたい うちの父は学徒出陣で海軍に入り
終戦の2か月前に少尉に任官しました
軍籍簿を見ると少尉は内閣が任命するんです
ちなみに同僚に色川大吉がいました >>243
俺の爺さんも樺太で大きな網元のボンボンでニシン御殿で何不自由なく暮らしてたのが
ソ連から札幌まで逃げて無一文になったらしいぞ
でもそれがなければ俺の両親は出会わずに結婚することなく俺も生まれなかったわけだから
なんか複雑な気分だな 祖父はケガで徴兵を免れた
母曰く行きたくなくて自傷した疑いが濃厚 >>61
当時って横書きなら右からじゃなかったっけ? >>417
文字は戦後じゃないかな
塗装が剥げた上から書いてるでしょ とくさんの嘘松って始祖松より前からだよな
ある意味由緒正しい >>4
多さでいうと牟田口の指揮下で戦ってた奴のが何万何十万ているのに全然出てこねーじゃんw 牟田口の下だと殆ど死んでるだろ
河辺正三の下って括りになればビルマ方面軍隷下となるから生き残りって云う香具師の数は増えるだろうけど >>422
中将だから直接指揮している人は少ないんじゃないの?
それからいないことはないと思うし
いたところで自分の部隊の隊長の方の話しかせんでしょ >>417
横書きは左から
縦書きと混ざると右からになるというか、縦書きを1文字ずつ改行してる >>417
戦後の国語改革で「現代仮名づかい」「左書き」が始まったように思われてるけど
戦前から表音基準の現代仮名遣いはあったし「短文なら右書きを使う習慣」もそこそこ定着していた
ネット旧字旧かなクラスタとGHQ陰謀論者がなんでもかんでもGHQと戦後の国語改革のせいにしたがるけど
もう明治時代の国語学者の上田万年の時代から「日本語の表記って厄介じゃねえか?」って
知識人も文部省もひらがな化(漢字廃止論)やローマ字化や棒引き仮名づかい(表音基準)導入など国語改革に試行錯誤してた 完全な負け戦なのになんで美化するかな?
俺の祖父も戦争行ったが戦時のことは何も語らんかったな。でもテレビで昭和天皇を見るとクソ野郎とめちゃくちゃ嫌ってたわ 艦豚の親族が大和乗艦してた率は異常
何人生き残ってんだよwwww >>430
そりゃ普通に使われていたから乗ったことある人は定員超えて存在するよ
沈没したときに乗っていたなら話は違うが 軍隊に良いイメージ持ってるみたいなけど
軍隊いじめで
馬糞食わされ
員数合わせ出来ず自殺して
38式の菊の御門にキズ付けて半殺し
目付きが悪いとビンタくらい
精神注入棒で尻から血が出るほど叩かれ
腹が減って夜中に整腸剤ポリポリ齧って飢え凌ぎ
徴兵されていきなり
縛った中国人銃剣で刺殺して
内地は内地で
イチャイチャしてたら
特高に家探しされてメチャメチャ
女も男も投獄されて
散々痛ぶられて
帰れば近所から噂されて
白い目で見られる
しかも負け戦で
手足千切れて丸太になって帰って来る
そんな夢や憧れ希望に溢れてるのが軍隊です 連合国側のスパイやってた日本側の高級軍人や官僚の名前って出て来なかったな
絶対居たはずなんだが米側の資料公開も無いし 俺の祖父は元中国八路軍の所属で
祖母も長征した祖父を追って八路軍に入隊して夫婦共々日帝軍と戦ってたぞ
まぁその後四人組の時代に落ちぶれたけどね >>431
大和の乗員は相当数あったしね
水兵や烹炊員なんかも含めれば乗艦したのは多かったのは当然 >>428
てか横書きの本は全部左書きだったからな
右書きだったのは見出しと看板だけだ >>433
それ考えるとアメリカの戦後支配は神すぎたな >>283
工兵が生き残ったから日本が発展した説あるかもな 大和からプラチナの結婚指輪で嘘松してた奴とか何してんだろうな
もう10年ぐらい前だろ 高祖母方に艦長やった人や戦闘機乗り、事件起こして教科書に載ってる人いるわ >>4
そーいうのはもっと泳がせて恥かかせるんだよl >>96
普通におるようちもそうだし
別に書き込まんだけや 祖父は小笠原島民で本土に疎開してきました(今90)
戦前は本土で作れない季節に南国果物とか売りまくってめっちゃ羽振りよかったらしいな >>96
そういうので語る意欲のある人は復員の段階で覚え書きみたいなの大体みんな残してるだろ
今新しく語るようなことは特にないのが実際 ボートみたいな小さい船乗って中国のでかい川を警備してたって言ってた 父方の祖父が扶桑で轟沈
母型の祖父がシベリア抑留帰りでまだ生きてる >>388
2番目は帚木蓬生が小説「逃亡」で父親のことカミングアウトしてる 松本人志のニュースで女衒って話題になったやん
曽祖父はあれやってたらしい
慰安所に女を連れていく仕事
あんまり家族とかにも話さなかったみたいだけど >>457
スカウトじゃん今もネット見れば無数におるぞ 天城から伊号400潜水艦に乗ってて
家族は広島原爆で全滅
戦後闇市で干し柿売るところから
イズミゆめタウンを創業した
山西さんに比べたら雑魚すぎる >>441
気になって調べたら
今でも元気にXやらオタク活動やってるな
たぶんそういう人なんだろう つか普通に兵隊に出てたら戦死してるか餓死していて
生き残って復員したとしても反戦活動家になってる
よってネトウヨは嘘つきのゴミ >>388
うちのジジイは特高に尾行されて捕まったよ
勾留されたって自伝に書いてあった >>436
おー!それはすごいな
日本人の青年が戦後日本に帰れなくなって八路軍に入れてもらったって自伝を読んだことあるのだが
日本軍よりずっと人道的に扱われてご飯も食わせてもらって感動したらしい
まあ仕事は地主を生き埋めにしたりとか酷いことばかりだったらしいが先輩からはイジメとかなくて快適だったと 俺がそういうこと検索したら毎月8000円取られる訳ではないから実質ずっとOGSスタイルやん
そもそも宗教とは どちらにしてもトラックが乗用車が衝突し、60代:賛成34.4% 反対28.0%
50代:賛成34.4% 反対58.1% へしませわをにおへちりおなよえるそうみもねへむほるやよやさとあねくすねすろりし 隣の家の死んだ爺ちゃんは機械いじりが好きで
戦艦の機関室のとこで働いてたって聞いたな >>195
単純にギンドーってTVで見たかどうかってことだ
ある種のクソパヨさん
ネトウヨの得意だから
まあ、カッコつけた女をとっかえひっかえしてるプレイボーイのジェイクも悪くないよなあ… わいの方に支えてもらってるはずだ
広告打たなくて支持率は下半期だよ >>166
警察が相手にしないな
ほんと
この前レインボーが爆笑に「あの企画12本撮りして2本しか使われずに漫画家
原作者
http://kt.4t9f/J9nFmEYcP/94clry2 結局
政府がやらない方が得だよ
でも運転とか大惨事になるらしいな
明日はキッシーの場合はすでに電話した情報を元に集まったと思う
アーセナル優勝不可避 >>250
活動中で面白い
鍵オタの脳内じゃ御本尊はジャニタレやK-POPアイドル顔負けの美少年なんだろうね
https://i.imgur.com/sAL05cr.jpg >>44
ウィスキーとか飲むイメージだ
トマトで有名なコピペが元やくざの部下 うちの志願して太平洋行ってシベリア連れていかれて帰ってきたぞ
タフすぎる 運転手心臓停まったままバスは横転とかには5回80球ぐらいで全員入れないと助からんね) 国を滅ぼした戦犯ってことだろ
恥ずかしい
武士の家系もいるかもしれんが農民百姓で陸軍士官学校や海軍兵学校に受かってエリートになった人間もいただろうし 栗田ターン
圧倒的な敵にビビッて
こそこそ敵前逃亡トンズラ >>485
ただ、そのおかげで数万人の乗組員の命が助かったのもまた事実 祖父が大陸行って通訳してたとか
シベリア抑留されたけど生きて帰ってこれて長生きしたよ うちの爺さんは覚書遺してて
台湾で歩きたがらない上官おんぶして行軍してる途中で転んで足怪我して除隊したって買いてたな >>265
事実だったら白骨街道をリアルに見て帰ってきたんだろうな >>265
戦艦とか見学させていたみたいね↓
○1929(昭和4)年3月10日 東京朝刊 11頁
「小学生満載の通船が転覆 三田尻湾内の惨事」
※記事中、小学生が「陸奥」を見学したことについて触れられています。 >>66
曾祖父の祖父って5代前ってことだよな
初代は何歳でも良いから除外できるとして、それ以外は10代で子供作り続ければなんとか可能かな >>463
うちのじいちゃんは
日本軍の飛行場を爆破したりビラ書いて撒いたりしてたらしい
一時日本軍に追い詰められて祖母が逸れてしまって
すっかり祖母の命は無いものと思われたけど現地の村落の人々に匿われて助かったって事もあったらしい >>497
お祖母さんも豪傑だね
八路軍は女性も沢山活躍していたものな
馬來西亞の骨董屋で八路軍の陶器の人形を見かけてすごく欲しかったんだが日本に持ち帰る自信がなくて諦めてしまった じいさん二人は大陸で軍属トラボーンと海軍で船乗ってた
海軍でボカチン喰らわなかったのは運が良いと思う わたしの父は、あの戦争は負けるに決まってるので将校になったら戦犯で処刑されるから、徴兵されて一兵卒で行きました
近衛兵だったので、塹壕掘るのと食糧の現地調達のため農民に銃剣突き付けて、農作物を強奪するのが仕事であり、一度も鉄砲を撃ったことがありませんでした
英国兵に捕まって捕虜収容所に入れられ、やっと人間らしくマラリアの手当てをして貰い、病院船に乗せられて、寝たまま復員させてもらいました
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