【画像】鎌倉時代の食事、うまそう。こういうのでいいんだよおじさんも納得の食事☺ [834922174]
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木曽義仲が京都で公家に飯を出すシーン好き
>>11
泥臭い海水魚だと? 生臭いは分かるが、回遊魚のイワシが泥臭いってなんだよ >>7
鎌倉時代だぞ
そんな贅沢は上級貴族じゃないと無理
>>6
江戸時代以前は精米した米が食えるのは上級貴族の一部のみ これを灯籠の薄明かりで食うんだろ?
しかもコーヒーも完食もないただ肉体労働でヘトヘトになった身体で
絶対美味いわ >>14
じゃどこおかわりすんの?
どう見ても600kcalくらいしか無いんだが もう納豆と味噌汁はあるらしいから米と魚があれば現代飯と変わらんな、肉が無いだけ 全ての食べ物が添加物の無い究極にして至高のものばかりなんだろうな
今これを食べようとするならとんでもない額になる それどころかお金をいくら出しても食べられないかもしれん >>20
メチャクチャ塩分多いから添加物より体に悪いかもしれんがな >>20
栄養不足の土で育って品種改良もされてない野菜とか米ってきっと硬くて味気ないんじゃね お前らが想像しているのより100倍味がしないぞ?
塩なんかキャビアクラスの高級品だからな?鰹節で車が買えるぞ?お浸しはそこら辺に生えてる雑草だぞ? >>18
日が落ちたら寝るからいいんだよ
灯りなんかろくにないぞ
活動時間が日の出てる間 >>23
鎌倉時代には塩造りはかなり盛んになってた
>>24
米にタンパク質が含まれているのを知らんのか >>25
いやどこおかわりすんの基礎代謝にも足りないけどさ
鎌倉人普段なに食べてるか教えてよ 米とおかずと小鉢で別の食器使うと洗い物が増えて無駄だと気づかなかったんかね中世ジャップは
丼と汁椀の2つだけでいいだろ これでも武士や貴族の上級メシだろ。庶民はもっと粗食 >>33
プンパーニッケル常食できる俺に隙は無かった >>23
塩って飛鳥時代には税で収めるくらいに流通してるもんなんだけど >>23
塩味じゃなくて化調味がしないことを味がしないって言ってそう いやーこういうの見ちゃうと現代に生まれて良かったと思っちゃうよな
鎌倉時代どころか戦後くらいですらゴミみたいな食事事情だったわけだし
庶民ですら旨味の塊みたいな物体を山ほど食べられる時代に生まれて良かった >>33
玄米ごはん自体は好きだが
冷やご飯レベルならともかく時間が経って異臭がする玄米ごはんは無理だわ
糠が腐った臭いは最も嫌いな臭いの1つだ 日本に限らずだがどの国も昔の食いもんてすげえ塩っぱかったんだってな >>53
みんな余裕あるヤツは糖尿まっしぐらだよね 上級以外アワとヒエってよく話に聞くけど
食ったことないな >>55
昭和30年代なるまでみんな食ってたんやで
つまり白飯だけ食ってた日本人わずか最近2-3代だけや
江戸時代の江戸庶民が食ってたのは古古米の黄色くなった臭い飯 >>23
なんかめちゃくちゃ勢いがあって信じそうになるのが笑えた >>9
イワシってこんなデカかったのか
ためになった 見た目に騙されてるヤツ多いけど
素材の味以外ほとんどしないからな。
うっすい塩味がかろうじて付いてるだけだぞ。 こういうの見ると毎度思うんだけど魚とかってそんな希少なんか?
味とか無視すればその日食うくらい量はそのへんで取れるだろ >>64
動力も無い時代に沖に出るなんて命がけなんだが
特に太平洋側は >>63
豚肉を塩水だけで茹でて食ってみ
それなりにうまいから 頼朝が塩鮭食って、
世にこんなうまいものがあったとは!
みたいに感動した話って事実なの? 庶民は味噌なんて手に入らないよ味噌汁なんて高価なもの食べてるわけない >>14
風習として少なくとも一回はお代わりしたんだよ
一膳飯は縁起が悪い
居候でも2杯までは食う >>64
まともな船も物流も冷蔵技術もない時代に魚を自由に食えたのはごく一部よ
日本人がどの地域でも不自由なく魚を食えるようになったのなんて戦後遠洋漁業が盛んになってからの話 鎌倉時代の食事と太平洋戦争前の食事は基本的に代わり映えしない
同じようなものを食ってた
ジャップの敗戦後に急速に食事内容が充実しだした >>72
タンパク質をちゃんと取るようになったのが戦後だからね
戦前までは肉はもちろん魚も卵もろくに食ってなかった もっとご飯山盛りなイメージなんだが
あれ江戸時代だけの文化なのか? 【武士編】
「武士は食わねど高楊枝」という言葉があるように、鎌倉時代の武士も質素な生活がモットーでした。武士は同じお米でも玄米を好んで食べていて、「強飯」(こわめし、こわいい)と呼ばれた、炊くのではなく蒸した玄米を主食としていました。
1日2回、1日あたり5合の米が基本でしたが、戦いや旅行など体力が必要なときは1日3回に増やしていました。この習慣がだんだん日常化していき、現在の1日3食につながったとされています。おかずは焼き塩・みそ・梅干しのいずれかと焼き魚が基本でしたが、現地調達で肉を食べることもありました。携帯食として、現代の「おにぎり」に当たる「屯食(とんじき、とじき)」が生まれたのもこの頃です。
奈良〜平安時代は僧侶が権力を持っていたため、肉食禁止令が出るなど肉食は忌み嫌われていました。しかし、戦ったり長距離を歩いたりするために身体を作らねばならない武士にとって、肉は貴重な栄養源です。食べていたのは主に狩りで獲ったウサギ、タヌキ、猪、鹿、熊、猿など。鶏肉ではウズラや鴨、飼育した鶏が主でした。牛や馬は農作業で使う大切な家畜なので、食べなかったとされています。
【農民編】
庶民も食事の回数は1日2食でした。ただし、お米は年貢として納めなければいけなかったため、庶民が食べられるのは麦・粟(あわ)・稗(ひえ)など。一部玄米が混じった粥を食べることが多かったようです。強飯は祭礼など、特別な日のご馳走でした。 >>23
いや、おかずはめちゃ塩辛い
この写真の魚は塩拭いてないから嘘
この頃は一回の食事で、塩25g米5合食べてた
米でカロリー摂ってだ時代やな >>64
メザシなんか庶民には行き渡ってる筈、日持ちするからね とにかくアホのように米食ってたようだ
一日3,000kcalとってたようだ
玉子くらいありそうなもんだが
なかったんかな たまにおっさんって言うでしょを
一般の車に乗ると
サウナて壮大なステマだと思ったらシギーのこと ぬてかろへええかかさてええむひひほてりぬいりねたせやくへんくろやそうゆこんこなもけあむをひろけたみのま >>80
そもそも間違ってるんちゃうん?
とにかくレスバしたい >>83
鶏卵食べるようになったのは江戸時代からだね
庶民が気兼ねなく食えるようになったのは高度成長期以降 せこぬみはそてみかれあやむへりなこひれみさねんほくうちとるそへめけけし 30 I WAS NOT ABE & 維新、竹中は自民よりも危険 (ワッチョイ 93a2-QT26) sage 2023/08/20(日) 15:38:19.44 ID:U1ntUZ//0
そこでわいルーローの出番ってわけよw
https://imgur.com/UV2vAtW.jpeg
https://i.imgur.com/nPuf7U4.jpg 明治から戦前くらいの、漬物だけでひたすらどんぶり飯を掻っ込んでカロリーを摂取するのが常で、
たまにメザシでも付けば御の字、という栄養バランスどこ吹く風の食事でよく健康が維持できたなぁと思うんだが、
実際のところ維持できてなかったわけですかね。 >>77
牛車は基本注文生産だが中古車もあったから売ってたんだろう(棒 我々も数百年後の人たちから、よくも不味くて栄養バランスが悪いものを食べていたんだなと嘆息されるのだろうか。 >>64
川や海の近くならね
少し内陸になるだけで厳しい
ただ、サメは身にアンモニアを含んで腐敗が遅いから古くから内陸でも刺し身で流通することがあった もちろん独特の風味はある >>99
数百年とか行かずとも
20年後にはナトリウム過剰になりやすい飯と汁の文化は消えゆく >>94
毎日は食わないだろうけど武家は訓練を兼ねて狩猟するから獣肉を定期的に食ってるはず
室町時代以降は鷹狩が武家に流行り出して獣肉は減っただろうけど鳥肉は食ってるだろう >>53
基本的に保存を意識してたからな
なので塩味噌醤油漬けあるいは天日干し(これまたある程度塩を振る)が基本だった 料理は味付け無し、皿の塩か滅多に手に入らないお酢をつけて食べる
すぐ飽きそう… ひしおとかそのまんまペロペロ舐めてたんじゃないの? >>55
米農家の田んぼとかみるとたまに生えてるよ
稲穂とは明らかに違うけど米みたいに実ってる 今の米や野菜は先人が品種改良して出来たものだから
同じ味だと思わんほうがいいぞ 米は穀類の中でも極端にタンパク質含有量が多いので、米食だと肉食しなくてもタンパク質不足による成長障害は起きないよ
極端に少ないのがとうもろこしで、これ主食だと肉も食べないと成長障害が起きる
畜産でとうもろこしを餌にする場合は大豆粕とかでタンパク質を補う必要があるよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています