【悲報】東京の真っ黒なうどん、ガチで絶滅寸前 [858219337]
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また繰り返しの黒うどんスレかよ
讃岐うどんにしとけアスペガイジ でも松本繋がりでどん兵衛西日本食ったけど東日本の方がうまかったわ 蕎麦屋が片手間でうどん作ってたからだろ
昭和の東京はうどん屋が殆ど無かったから
1990年代以降に讃岐うどんがブームになって関西風うどん屋も増えてで真っ黒うどんに出会う機会が減った 大阪人ってよしもとで一回ウケたネタを何十年もこするよな
真っ黒うどんもそうだし、未だにパチパチぱんちとかで大爆笑してるんだろ? >>5
関西風うどんって東京にあるか?四国風ならあるが >>11
うどんには関西風の出汁を使う立ち食いそば屋が最近増えてきたように思う >>5
昭和に山田うどんはあったぞ東京にはあったかは知らん >>11
四国の方が少なくないか?
讃岐うどんを自称してても汁は関西風だったりするぞ 水みたいなつゆのうどん食ってる奴らの方が味音痴やろ 東京でも薄くなってきてるしおでんにはどこも牛すじ入ってる
天津飯も醤油ベースが増えてきた
侵食されてる >>23
ある
武蔵野うどんがそれだ。きちんとエビデンス歴史もある。
ただ、美味くはない 黒くて旨い有名店があればまだ生き残れるんだろうけどな
安くて有名なチェーン店に純粋に淘汰されていってるんではないか 黒いうどんってもんが
どういうもんかわからん
関東住みだから
関西の人からしたら
黒いうどんなんだろうけどよ
まぁ確かに讃岐うどんとかは
出汁メインだから透明だけど
昔って
そこまで店でうどん食うことなかった気がする
店ならラーメンやそば >>5
だよな
昔は、店でうどん食うことってなかったよな
そういえば
カレーうどん食ったの
そば屋だったなあれ >>4
どん兵衛はお揚げをぎゅと絞って
甘い汁を出汁に溶かして食べるもの
お試しあれ 関東でうどんって
昔は細麺じゃなかったか?
家庭で茹でて食う奴みたいな
だから昔は
うどんって言ったら
けんちん汁にうどんが入ってたり
豚汁にうどんとかのイメージ
今の太麺うどんって
最近になってからだと思う
逆に若い子は細麺知らないだろ
揖保乃糸とかさ めんつゆあるじゃん
あれは関西人からしたら
黒いことになるのか? >>18
そもそも讃岐風を自称してる関東最大勢力は丸亀製麺だろ >>38
うどんをメインで出す店って
殆どなかった気がする
そば屋が
うどん出してるくらいじゃなかったか?
外に出掛けて
うどん食べるって習慣は無かった気がする
昔は外食=ラーメン屋のイメージ強いな
ラーメン屋は、そこら中にあったし
学生時代、香川みたいに
安いうどん屋あったら
毎日行ってたな
俺、うどん好きだし 丸亀やくら寿司なんか関西風だからそれが根付いたんだろな >>37
美味しんぼ知識?
まだ雁屋哲の被害者が嫌儲にいてるんだな >>38
看板は蕎麦屋でついでにうどんも出してるよってくらいだな >>11
立ち食いなら都、かのや辺りが東西阪選べる
つるとんたんやかすややウエストと言ったチェーンも一応ある >>11
四国風ってよくわからんのだが
讃岐うどんのこと言ってんの?
そもそも讃岐とか四国でも
所謂素うどんやかけうどんは
関西と同じと言うか西日本はあの薄い出汁がデフォで
それを関西風と言っているだけだよ スレの初めからいきなりカオスで笑うw
俺は関東、地粉とかいう方で特に母方は小麦粉文化なんだけど >>50
山田うどんは実は歴史的な見方すると絶対に無視は出来ない存在では
埼玉の歴史とほぼ重なるなにかがある、と思うよ本当w >>38
江戸時代以降でもうどん屋はなかった
関西では逆にうどんで商売する形態あったのがいつからかなんだろ >>7
東京のうどんは真っ黒って言われることがそんなにムカつくの? >>37
また濃口/薄口醤油の塩分量の話を
うどんつゆと取り違えてる馬鹿いるんだな 関西のうどんは真っ白って言われても全く腹が立たないんだけど
トンキンの一部の弱男ってなんで東京のうどんは真っ黒って言われたら怒るの?
>>7みたいな中年弱者男とかさ 関西のうどんは真っ白って言われても全く腹が立たないんだけど
トンキンの一部の弱男ってなんで東京のうどんは真っ黒って言われたら怒るの?
>>7みたいな中年弱者男とかさ もんじゃはゲロって言われても怒るのは分かる
ゲロは汚物だから
でもうどんは真っ黒って言われて怒るトンキン中年弱男の真理が分からん
真っ黒だけでは蔑称にならんだろ 食に関しては東京の一人負けな気がする
ただし、お金かけられると逆転すんでしょ
知らんけど これそばでも同じ汁で出てくるの?
うどんオンリーなの? ふるいちのぶっかけうどんは蕎麦つゆみたいな黒いつゆがかかってるぞ >>57
https://recipe.yamasa.com/blog/konamon02_03
そもそも、しょうゆと粉もんの出会いは、
”うどん”が最初であったのではないかと言われてるそう。
そんな、しょうゆとうどんの歴史は、
江戸時代の「砂場のうどん・そば」から。
”砂場”と言っても公園などの砂場ではなく、
当時、大阪城を作る時の資材置き場を”砂場”と呼んでいて、
そこに2軒うどん・そば屋が並んでいました。
この時代から麺大好きだった大阪人。
麺を食べに行くときに「砂場、行こか?」と言い、
「砂場」という言葉が「うどん・そば」の代名詞に。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています