>>576
横から挟まるけど
俺には「清太はクズ」論は世代論に見えるんだよね
んでこれは高畑が清太の中身を野坂から全共闘世代へと入れ替えた事からの
必然の流れに思える

作品の欠陥としては他の人物の中身まで全共闘時代の人々に入れ替えた事で
作品世界が1945年の日本の実像とは全くかけ離れてしまってるとこ
ぶっちゃけこの作品は全共闘世代に対してしか「反戦映画」として機能しないし
高畑がこれを反戦映画ではないと言ってるのも
「全共闘世代に対して反戦映画にみせかけた映画」という意味でじゃないかね
つまり全共闘世代向けの「反戦」ポルノ映画として意図的に作り込んだのでは
その全共闘世代向けポルノ臭が現在「清太はクズ」論の形で叩かれてるんだと思う

そして俺の中での本題だけど
俺が見るには高畑の火垂るの墓は押井守のビューティフルドリーマーへの反発だ
押井は東大紛争初期の東大紛いのシャングリラ的楽園を「夢(夢想)」として描き
だからそれは続くはずがなく現実に帰らなければならない(かった)と描いたけど
もっと全共闘世代に共感的だったはずの高畑はその身も蓋もなさに耐えられなかった
それで「清太の楽園が続かないのは戦争が悪い!清太(≒俺たち)は悪くない!」
と闘争敗北世代に思わせるポルノ映画を作ってみせて慰めようとしたんじゃないかとね