評論家「ルパンが、カリオストロの城だけ人気なのかいまだに分からない…」 [579120809]
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こいつ前もいたな
気取った言葉を連発する映画批評マン
きも 赤ジャケルパンは最後のed曲のLove is Everything が好きだった_φ(^ム^)
https://youtu.be/AGEQ7ey7wJ0?si=vrUKMRiTrnlSPVxh >>669
ん?「左翼的反日反戦同調圧力」が引っかかった全共闘世代さんか?
まあ火垂るの墓が反戦映画として称揚されてた歴史に免じて許してやれよ
気取った言葉とやらも自覚はないが当時の左翼論壇の吐き戻しかも知れんし 左翼ガー左翼ガー
バカじゃねw
キモい奴にキモいと言ったら
「俺様の華麗な言説に反感を覚えるとはさては左翼!」と思想透視
な? 気取った言葉使ってるだけて稚拙な理論しか並べられない低知能だろ?w 冷やかされたんでつい勢いで書いちゃうけど
俺は清太かおばさんのどっちが正しいか議論には最初から乗った事がない
清太もおかしい(現実味がない)けどおばさんもおかしいと思ってたからな
そして昨日>>508の「当時のパンフレット」を初めて読んで確信したわ
高畑はものすごく意図的に全共闘時代の人物像を登場人物にはめ込んでる
その上で「清太が責められて戦争が肯定される時代に戻ったら恐ろしい」と言ってる
これは俺から見ると全共闘世代に
「現代の清太たちよ!高らかに反戦を叫べ!」とアジってるに等しいわ
高畑がそれら全てを意図的にやってたんだとしたらそっちのが俺は恐ろしいよ >>648
「全共闘世代」の設定がいまいち意味不明で理解できん
なんか、全共闘世代とはこうだ、っていう前提があるんだろうけど、
いきなり振り回されても意味不明で、もうちょい説明してくれないだろうか
いきなり登場するけど、全共闘世代、いまなら70代、公開当時ならアラフォーぐらいか
それがいきなり火垂るの墓の中身と入れ替えられる理由が分からない
押井について下りは、なんとなくわからないでもない気はするけど、
根本的にオールド左翼な高畑野坂と全共闘新左翼は仲悪いし、よーわからんで >>673
仮に俺が低知能だとしても多くの登場人物の時代錯誤を見抜けた事を思うと
知能より直観力の精度の方が役に立つんだなあと実感するだけだわ
むしろ自分の知能を驕り理論に溺れて現実を見失う連中があわれ >>675
理由はともかく事実として「まるで現代の子供がタイムスリップ」云々と
508にある「当時のパンフレット」に高畑が書いてるのは事実で
この「現代」ってのは今から見ると「制作当時」だわな
更に穿って見るとこの「現代の子供」は「現代(制作当時)の大人の観客」を
わざと言い替えてる
もしかしたら本当に「現代(制作当時)の子供(+大人)」をはめ込んだつもりだったかも知れんけどね
いずれにせよ終戦当時ではなく戦後民主主義時代の人物像である事は変わらない
押井は実際は「学生運動に乗り遅れた世代」であって全共闘世代そのものではない
だからこそ学生運動を懐古的に描いたつもりが左翼運動ど真ん中世代の高畑にとっては
左翼運動をいわば総括されてしまったようで癇に障ったんじゃないかと
「俺たちのあの闘いを夢と切り捨てるな!闘いはこれからも続くんだ!」みたいにね >>677
つまり、戦後民主主義が気に入らない
ってことを言ってるに過ぎないように思う
そして、それは作品批評としてならもうちょっと違ったこと言った方がいいように思う
ザ・「イデオロギー批評」やん
それは
>無職転生は無職ニートを主人公にしたからキモくて失敗、みたいなw いやそういうことでないと思うの
清太の中身が気に入らないので清太はクズ。うーん、それ作品について何かを言ったことになるんだろうか 高畑勲作品といえばじゃりン子チエの映画版
これはカリオストロの城の2年後の公開で
スタッフがかなり被ってる
デフォルメの効いたクセの強い原作絵の世界観を元に
デザインと動画と背景による魔法のようなリアリズムが
成立してて、それはアニメ映画ならではのものとしか
言いようがないと思う
高畑宮崎だとジブリ以前のこの2作品が個人的には好き 原作者が手がけたナノマシンが出てくる劇場版も何気に好きだけどな >>678
ん?俺が戦後民主主義を気に入ってないと?それは違うよ
「反戦映画ではない」と言いながら
「戦争が肯定される時代になったら恐ろしい」とも言ってる矛盾を解明したいんだよ
じゃあ反戦アジ映画でないのなら左翼アジ映画じゃんというのが俺の結論
「アジってる」という言葉遣いでわかってもらえると思うけど
俺の中にも学生運動当時のいろいろが時代を越えて染みついてるんだよ
(押井よりもさらに二世代は後のはずなんだが)
それをきちんと自覚して整理したいというのがこういう事を考えるにあたっての
俺自身の一番の動機だな 原作のルパンは平気で人を殺して女を手篭めにするしアウトローというか、改めて見るとサイコパスに近い
あと腕毛 >>684
ハードボイルドなので当然というかしゃーない
野獣死すべしの主人公はサイコパスだと言っても「お、おう」としかならんわな >>683
「戦争が肯定される時代になったら恐ろしい」ではなくて、
「清太が叩かれるような時代になったら恐ろしい。」なんだが。割と大きな違いがある
そのようにアジ映画としか見れない人がいるから、「反戦映画ではない」とわざわざ高畑も言ったと思うよ
清太の中身が戦後民主主義だからアジ映画だ!!はモノの見方としてヒネ過ぎじゃねえかなあ
それ言ったら戦後生まれを主人公にした物語は、なんでも左翼アジ映画になってしまうw
その手のイデオロギー的な単調化は作品批評としては避けるべきだと思う
その上で、根本的に「全共闘世代」の設定もやっぱりよくわからない。凄いイデオロギー的な単調化を感じる 話がわかりやすいし勧善懲悪ものだし
捕らわれた王女様助け行くとか王道 >>686
「清太が叩かれる時代になったら恐ろしい」なら尚更
「戦後民主主義世代が叩かれる時代になったら恐ろしい」の言い替えじゃないの
俺は宮台真司がビューティフルドリーマーについて
「終わらない日常を描いた」と評したのも知ってるよ
でも押井が描きたかったのは少なくともそれがメインじゃないのは確信してる
つまり制作者の意図と観客の意味付け価値付けは必ずしも一致しないしそれでいい
その上で火垂るについては公開当時は高畑の意図通りに受け止められたと俺は見てる
一番面白いのは実際に清太が叩かれる時代が来た事
それは本当に高畑が恐れた状況なのかを現代人としてしっかり見極めるべきで
それにあたって高畑の理想も現代人として客観的に見る必要が当然あるだろ 高畑は冷徹な近代合理主義の権化で
人間が争う(戦争する)なんて当たり前の事で
右翼や左翼なんて中途な思想なんか全然興味ない
この当時の高畑の関心事は
まだ思想に染まる前の人間
無垢な「子供」と言う存在が過酷な環境下で
どう行動するのがリアルなのか?
ただその点だけに興味があって
ハイジもマルコもアンも清太もチエも
そのバリエーションとして描いてるだけ >>689
そうなんかねー
最初の本気作のホルスが団体闘争だから俺はどうしてもその臭いに敏感になっちゃうわ
ちなみにホルスは去年盛岡で開かれた高畑展でロマンアルバム買ったくらい好きなんよ >>688
>「清太が叩かれる時代になったら恐ろしい」
は普通、戦後社会への問い直しであって、
「全共闘思想」バンザイだの反戦アジテーションとは意味合いが異なるように思う
そのように捉える単調化はすべきでない、なんやで。それが思い込み
>>576でトー横キッズの例を挙げてみたけど、
そもそも現代っ子な清太兄妹が苦闘の挙句餓死する話で現代っ子バンザイじゃないんだよ
現代知識で無双、みたいなことやってから現代バンザイは言ってもらいたい
かつ、その中身がさらに限定された全共闘世代なのもよく分からん話ではあるけれど
高畑が「反戦ものではない」と言ってたのは、戦争という特殊な時代に限るものではないって話だよ
その叩かれる時代が来たからこそ、清太はクズで話を受け止めて済ませるべきではないように思う >>689
「国境 1939」(しかたしん原作)と言うシナリオのみの高畑勲の未制作作があるんだよ
火垂るの墓直後に高畑勲が本格的に戦争をテーマにしようとして立ち上げロケハンとしたけど、採算が取れないと言う鈴木敏夫達の反対で頓挫した
https://www.nhk.or.jp/nagoya-blog/1000/477242.html
「国境」が実際に映画化すれば戦争を高畑勲がどう扱うか興味深い作品になっていたと思うな
高畑勲展に展示していなかったのが悔しい >>691
現代バンザイとはいいこと言うね
俺は火垂るは当時の「現代バンザイ映画」だと指摘してるのさ
その上で現代から見てどう見えるかが清太叩きに表れてるわけで
清太叩きへの安易な批判も清太叩きと同様にしっかり見てくべきだという話よ
念のため言っとくけど俺は「清太はクズ」論者ではないしそうだった事もない となりの山田くんでまず親ガチャ論に答えられない父親
娘をデパート置き去りにして忘れるくせに本当はヒーローになりたかった俺という哀愁オナニーを見せつけ
それでも一家の父親として家庭という城を築き幸せに暮らしてるんだって自己肯定で終わる
急に作画がリアルになる暴走族パートでは
お前らイキるなら正義マンやれやってばあさんに説教代弁させるが
現実は私人逮捕系YouTuberや昨今のへずま、コロアキの金儲けのダシとされる
SNS評価社会になってしまったのは本当に皮肉だわ
上っ面の理想が目を曇らせ人間本来の醜さ、原理を捉えられなかった
未来少年コナンに登場するレジスタンスなんてまさに上っ面だよ >>693
現代バンザイではまるでないと思うよ。そこらへん何を見てるんだと思うんだがなあ
うーん。最初に言ってた全共闘世代論もよーわからんし、
ニート無職を主人公にしたから失敗、有功でない、みたいなこと言ってるのとそれほど変わらないように見える 鳥山明が宮崎駿の未来少年コナンのファンで
明らかに悟空の反応とか性格とか
影響受けてるよな まあ高畑作品っていうのはそういう
無様でみっともない理想を半ば自覚的に観客に見せてるのかもしれないな
それでも理想に殉じる自分が正しく美しいと言い張りたかったのだろう
かぐや姫の演説で強制終了させられるのは高畑勲が人生を賭けた最期のギャグだったのかもしれない >>695
そこは真っ向反論せざるを得ないな
「現代っ子(当時の)が戦中戦後状況で自分らしく振る舞ったら死ぬ」
という映画について高畑は主人公に寄って
「清太が叩かれる時代になったら恐ろしい」と言った
これは過去の戦争時代の忌避と未来の「恐ろしい時代」到来への危惧なんだから
翻って言えば「現代(当時の)バンザイ」だろ 赤毛のアンもそういうフシがあるよなあ
発達障害のアンが周りに迷惑かけまくるも我を曲げず
苦難に遭いながらも運良く周りに助けられああ神様感謝しますって
クソみたいなみっともない人生を視聴者に見せつけ信念と信仰と運で乗り切るお花畑 >>698
普通、そこから読み取るのは「そのような時代社会にしないようにしよう」であって、
現代をそのまま肯定するのとは意味が違うと思われる
というか、あなたが1988年当時、バブル真っ最中だった日本社会における「見方」をしてるだけではなかろうか?
高畑や作品ではなく、「その時代の人々はそう受け取った」と勝手に邪推して批判してるだけじゃないすかね
トー横キッズなんかが現出してしまった2024年現在から見ると、高畑の問題意識はかなり正確だったように見える
見方が変わるというならこのように見るべきで、だから無効、なんて感想ではないんだな
ザ・イデオロギー批評だ、と言ったように、あなたは自分の「社会」に対する感想を述べてるに過ぎない
現代の問題がわかりやすくなった時代から観れば、それもまた変わるんだよ 当時の宮崎はカリオストロになんのテーマも込めてない
要は自分の実力を世間に知らしめたい承認欲求の塊で
だから最初から原作者どころか観客の事も考えてない
だけどその極端なまでの個人的欲望があってこその傑作 >>508
うーん、引き篭もりだなんて一言も言ってなくね?
高畑勲は「私たち」と言ってるようだが >>700
むしろ貴方の方が火垂るの墓について画一的な意味付け価値付けを誘導してないか?
俺は基本的に
「火垂るの墓は時代の流れとともに見られ方が変わった」という事実を指摘してるので
俺個人としての「火垂るの普遍的な意味」なんか述べてるつもりはないんだが
もちろんそれ以前に高畑の制作意図を推測してるが
観客がそう受けとるべきだと言う気もない(だからこそ「清太はクズ」論を一概に否定しない) >>705
当時とレスしたけど
まあ、その通りですw >>704
批評は、作品からちゃんと中身やキャラクタの足掻きを受け取るべきだという話で
>ぶっちゃけこの作品は全共闘世代に対してしか「反戦映画」として機能しない
みたいな切り捨てはよせ、って話だけどね
時代的変化で言うなら、たぶん現代のほうが有効性高いよ。高畑の問題意識は正確だとあらためて思い知らされる >>701
要は「自分に作れる最高のものを作った(制約の中で)」ってわけよな
それは本当にそうね >>707
小学生に清太と節子はなぜ死んだのでしょうかと問題出してみろよ
今の子はみんなおばさんの家から出てったからと答えるぞ
子どもたちのほうが現実を見てる >>707
あーなるほど
俺はそういう「映画批評」をする気ははじめから無いんよ
それやると映画そのものの有効性を疑いにくくなるからな
そういう立場だからこそ「映画が機能しない」みたいな事を平然と言えるわけだ 宮崎駿が監督だし
日テレ的には視聴率が今でも取れるから&他の長編ルパンの大部分と違っておっぱいポロリンみたいなのがなくて今の時代でも流せるからジブリ永久ローテにも入れやすい(´・ω・`) >>709
それネットの中だけだからw 普通に多くの人らは泣きながら見とるよ
よほど冷笑的なイデオロギー的に目が曇ってない限り
ネタにマジレスでモノ言うなよ、みたいなこと上でも言ったけど、
それが高まるならますます高畑の問題意識は正確だったって話でしかないし、
より作品の有効性って高まるんじゃないすかね
作品はそもそも有効無効で観るもんでもないけどさ 複製人間って昔はここまで評価高くなかったよな
風魔一族なんて口に出すのもはばかられるような存在だった >>714
じゃあどれがおもしろいの?
個人的には小池のLUPIN THE VRDシリーズがおもしろく
30年ぶりにカリオストロの呪縛が解けた >>711
いうてそのままじゃとても流せないから色々雑カットされてるマモーが次点で
意外にも三回しか差がない(18回と15回)から
単に宮崎駿な効果込みでの人気順感
この二つ以外の長編が人気なさすぎるのでこの二つにしかならんとも言えるが 嫌儲がマモーって言うから見たけど退屈
どこがおもしろいのかよく分からない そう言えば千と千尋の神隠しで宮崎は
「現代っ子が異世界に放り込まれて順応し子供本来の活性を取り戻す」
という話を作ったが
これ火垂るのアンチテーゼなのかも知れんなー
>>699
赤毛のアンはアニメ見る前に原作読んでたけど
アニメは高畑色はきわめて希薄
あれは基本的にスラップスティックホームコメディなので主人公はヒロインというより
ルパンみたいなトリックスターとして見るのが一応正解
高畑もヒロインとして見られないために声優に島本須美を使わなかったし
初期のキャラデザも敢えて拘って不細工気味に造形した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています