【悲報】スヌーピー「配られたカードで勝負するしかないのさ」 弱者男性「その通りだ!さて、僕に配られたカードは……」 [426633456]
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弱男に配られたカードなんて精々クイーンまでしか無いとかのレベルなのにこんなんじゃダメだってダメの理由にしてるだけだからな
俺達は騙されてたんだよ
努力すれば報われるなんて金持ちが奴隷作るために言ってたんだ
みんな気づいた
俺達はもう従わない!
ジョーカーカード(スキル)持ちって
正直、引く手数多では?
一部界隈では
工場とFXのコンボは逆転要素あるね🥺ボラリティの高い個別株でもOK
失敗したら政治家や上級ころがしまくって英雄として市ねば満足人生💪
チーズはプライド捨てて精神科へGO
知的障害の検査してもらえ
池沼と診断されれば障害年金もらえるぞ
それを元手にFXでもNISAでもやったらいい
>>779 工場って言うけど工場就職って普通にいい仕事だと思うがな
品質管理やら生産管理やらやり甲斐普通にありそうだが
良いカードだけ持ってても、使い方を理解できない阿呆だと悲惨になるよね
イチローや大谷翔平の身体能力が高いことを疑う人はいません。
その恵まれた能力ゆえに高い年俸を得ていると思われている。
では彼らの走力・動体視力・遠投距離などを調べればヒットやホームランが何本打てるかがわかるか?
わかりません。試合では相手がいるからです。
つまり、身体能力を調べてもどういう結果が出るかはわからない。
他の仕事も同様です。
他者との不確定な関係において成り立っているにもかかわらず、われわれが「あの人は能力が高い。
だから成功した」と思うときには、
実際に出した「結果」から逆算して言っているにすぎない。
特定の能力が測定可能かどうかと、実際に「その能力が高いからこの結果が出た」かどうかは別の話です。
――ある人が高い報酬を得て、別のある人が最低賃金で働いていることの根拠に特定の能力を持ち出しても、測定できる物差しで見たにすぎず、本当にそうかはわからない、と。
ただ「能力の違い、努力の違いが貧富の差を生む」という考え方に対して、教育社会学は「家庭の貧富の差によって能力の違いが生じる、再生産される」と批判してきたわけですよね。
小坂井 教育社会学は基本的に環境論です。
金持ちに生まれるだけで高偏差値の学校に行きやすくなる、だからその親ガチャは是正しないといけない、と。そこまではいい。
しかし、仮にすべての子どもの環境を一定に揃えられたとしても、残った能力の差――つまり遺伝と偶然が生み出す貧富の差については認めていいのかについては踏み込まない。
X(Twitter)でバズったネタをケンモで追いかけるのいいかげんやめようや
「格差が大きすぎる。縮小する必要がある」と言う人はいても
「完全になくせ」「みんな同じ所得にしろ」と言う人はほとんどいません。
なぜか。
「個人の持って生まれた能力差があるから、その差については認めないといけない」と。
しかし、この考え方は遺伝も外因であることに気づいていない。
すべての人間は、遺伝子を持った受精卵として始まり、遺伝と環境の相互作用を通して発達していきます。
生まれたあとどれだけ本人が努力するか次第だ、
などと言う人がいますが、
本人が努力できる能力を持つかかどうか自体が遺伝と環境によって決まる。
確かに遺伝子こそが「本当の自分」であるかのように語る論者もいるけれども、本人が自分の受精卵をコントロールできるわけではないのだからどこに誰として産まれくるかの遺伝も外因、偶然の産物です。
親から受け継いだものも、家庭や学校といった環境も、いずれも当人にはどうにもできない。
どちらもくじ引きの結果です。
なぜ同じ「本人にはどうにもできないこと」なのに環境要因の親ガチャは是正する必要があると言い、遺伝要因については触れないのか。
親が財閥商社の役員で中高バスケ部のレギュラーで一橋卒で大手メーカーに入社したけど
仕事できなすぎて肩身が狭いからやめてウーバーやってる
外は寒いね
「親ガチャ以外の遺伝による差に関しても是正せよ」となれば、
「個人の能力差を認め、それによって生じる格差を容認する」という努力や頑張りのメリトクラシー功績・実績主義の前提が崩壊します。
結局、どのくらい何をすればいいのか?
そうした「正しい格差」「あるべき格差」について教育社会学は踏み込めません。
格差是正はキリがない?
――ある格差や不平等が解消されても人間は別の差を見つけ出して苦しむからキリがない、と小坂井さんは書かれていましたが、
そうした主観的な「実存」レベルの生き苦しさの話ではない、
そもそもの生きるか死ぬかの「生存」レベルの貧困対策をして経済環境、生活を社会全体としてよくしていこうと考えるのに越したことはないのでは?
小坂井 私ももともと左翼でしたから、そういう考えについてはよくわかります。
ただ、そうした戦いと私が考えていることは別の次元の話です。
私は格差を
「埋めてはいけない」と言いたいわけではない。
「埋めても不満はなくならない」と言っている。
このことはフランスの思想家トクヴィルが19世紀半ばにすでに指摘しています。
近代になって身分制度がなくなり、生活が改善されて人々はかつてよりも平等になった。
客観的には中世、近世よりも差は小さくなった。フランス革命により貴族制が打倒され、客観的に見れば苦しみが軽減された。
にもかかわらず人々は「平等ではない」と文句を言う、と。
一体この生き辛さは何なのかと
格差は世界全体で見れば、100年前と比べても減っています。
しかし、格差が減れば減るほど人々は小さな差を気にして苦しむ。
なぜ平等化が進んでいるのに「不平等だ」と怒るのか。
その理由を違う視点から考えなければいけない。
格差は経済問題ではなく、根本的には心理や気持ちの問題であり、人間のアイデンティティや尊敬のあり方に関係している。
これは差別と同じです。
差別もなくならない。形態や対象は変わるけれども、差別自体はどこの社会にもある。
悪やイジメについてもそうです。
犯罪やイジメがなくなる社会はありえない。むろん、人間はそれをなくそうとする努力もせずにはいられない。
社会心理学の研究でこういうことはいくらでも言われている。
悪い現象は悪い原因から生まれるという思い込みがそもそもまちがいです。
人間として生きるということは、格差や差別、犯罪やイジメとともに生きるということです。
それらは社会に対して客観的になんらかの有効な機能を果たしているから存在し続けている。
ヤられた方は堪らないけど
こう言うと「格差や差別やイジメを肯定するのか」とすぐ誤解されます。
しかし、社会学や社会心理学は社会の機構や精神の仕組みを明らかにするものであって「こうあるべき」という規範や正しさを語るものではない。
人間の意思で勝手に変えられない社会の客観的な法則、心理メカニズムを研究している。
私は「人間はどのように物事を認知するのか。錯覚はどうして起こるのか」
という話をしているのであって、
「錯覚はいけない」「錯覚をなくすべきだ」という話がしたいのではありません。
この言葉って上級に悪用されやすいから嫌いだわ
正確にはこの言葉を曲解して現状に甘んじさせようとしている言説が嫌い
平等を求めて行動するから社会を変えられる、という訳ではない
――格差是正というときには「平等をめざす」とされますが、政治哲学では平等の根拠を普遍的な価値に求めるロールズやサンデル、ところが今日では普遍的価値なるものが存在しない。
したがってどんな分配が正しいのかは各社会・時代の恣意にゆだねられてしまう、と小坂井さんは書かれていました。
しかし、その時代の社会の成員が、その時代の価値観に基づいた平等を目指して動くのは当然なのでは?
小坂井 いえ、現代では普遍的価値がなくなったのではありません。
普遍的価値は最初からもともと存在しないのです。
どんな社会でも人々はその時代に「正しい」とされる概念を追求しています。
ところが数百年単位で見れば「正しさ」は必ず変わっていく。
くわえて言えば、多くの人が今の価値観はかつての時代よりも正しく、完璧ではないにしてもこれからよくなっていくと考える。
しかし
「正しい社会がある」という考えも
「どんどん世界はよくなり、自分たちの力で変えられる」という楽観論も
いずれも誤りです。
いつの時代も人間同士が相談し、争いながら社会はできていく。
ではなぜそれが「進歩していく」とか「よくなっていく」と錯覚し勘違いするのか。
これは神をなくした近代社会の当然の帰結です。
神がいれば真理はある。
中世ヨーロッパでは人々はバイブルを読んで「こうすればいい」と考えた。
しかし、神がいなくなれば、何が正しいかわからなくなる。
そこで進歩史観が登場する。
自分たちを中心に考え、社会はどんどんよくなり、変えられると思い込んでしまった。
人間が「社会を変えられる」と思い始めたのは近代からです。
ところが人間の相互作用から生まれてくるものは、個々人が意識的に決められるものではない。
たとえば1989年のソ連崩壊は誰かが決めて起こったわけではない。
人間が自分たちで何かを決め、その通りに社会が動かせると思うのは錯覚です。
配牌が気に入らなくてもそれで勝負するしかないのさ
セリフをこう変えるとチャンタや純チャンなんなら国士もあるぞってワクワクしてくるだろ?
「格差が大きすぎる。縮小する必要がある」と言う人はいても「完全になくせ」「みんな同じ所得にしろ」と言う人はほとんどいません。
なぜか。
「個人の持って生まれた能力差・知能差があるから、その差については認めないといけない」と。
しかし、この考え方は遺伝も外因であることに気づいていない。
すべての人間は、遺伝子を持った受精卵として始まり、
遺伝による能力・知能と親ガチャ環境の相互作用を通して発達していきます。
生まれたあとどれだけ本人が努力するか次第だ、
などと言う人がいますが、
本人が努力できる能力を持つかかどうか自体が遺伝と環境によって決まる。
>>391 ジャップが失われた30年なのってその底辺が多すぎる問題じゃないですかね
これ思うんだけどカード引き当てようとする個人の努力完全に無視してるよな
初期配布だけで戦ったらそりゃ親ガチャ100%で勝負にすらならんだろ
小坂井 教育社会学は基本的に環境論です。
金持ちに生まれるだけで高偏差値の学校に行きやすくなる、だからその親ガチャは是正しないといけない、と。そこまではいい。
しかし、仮にすべての子どもの環境を一定に揃えられたとしても、残った能力の差――つまり遺伝と偶然が生み出す貧富の差については認めていいのかについては踏み込まない。
環境=親ガチャ
遺伝=知能や能力
偶然=運
確かに遺伝子こそが「本当の自分」であるかのように語る論者もいるけれども、本人が自分の受精卵をコントロールできるわけではないのだから
いつどこに誰として産まれくるかの遺伝も本人以外の外因、偶然の産物です。
親から受け継いだものも、家庭や学校といった環境も、いずれも当人にはどうにもできない。
遺伝子能力も親ガチャ環境もどちらもくじ引きの結果の運です。
なぜ同じ「本人にはどうにもできないこと」なのに環境要因の親ガチャは是正する必要があると言い、遺伝要因については触れないのか。
すべての人間は、遺伝子を持った受精卵として始まり、
遺伝による能力・知能と親ガチャ環境の相互作用を通して発達していきます。
生まれたあとどれだけ本人が努力するか次第だ、
などと言う人がいますが、
本人が努力できる能力を持つかかどうか自体が遺伝と環境によって決まる。
この「親ガチャ以外の遺伝による差に関しても是正せよ」となってしまうと、
「個人の能力差を認め、それによって生じる格差を努力や頑張りで正当化する」というメリトクラシー功績・実績主義の前提が崩壊します。
結局、どのくらい何をすればいいのか?
そうした「正しい格差」「あるべき格差」について教育社会学は踏み込めません。
カードが勝手に配られてると思ってる無能
口開けて一生そうしてろ
>>181 本人が努力できる能力を持つかかどうか自体が遺伝による能力と親ガチャ環境によって決まる。
この「親ガチャ以外の遺伝による差に関しても是正せよ」となってしまうと、
「個人の能力差を認め、それによって生じる格差を努力や頑張りという詭弁で正当化する」というメリトクラシー功績・実績主義の前提が崩壊します。
本人が努力できる能力を持つかかどうか自体が遺伝による能力と親ガチャ環境によって決まる。
この「親ガチャ以外の遺伝による差に関しても是正せよ」となってしまうと、
「個人の能力差を認め、それによって生じる格差を努力や頑張りで正当化する」というメリトクラシー功績・実績主義の前提が崩壊します。
自分の居場所を変えたいなら、「理解して」変えないとな 理解しないと、もがいて心身すり減らすだけです
学校で教えたほうがいいのがこれだ
「雇われ労働で高給稼ぐには相当優秀じゃなきゃならない」 あなたは優秀ですか?
世の中みたらいいです 優秀じゃなさそうな方が成功してますw そりゃそーだ
「優秀な人間を使えばいいだけので、自分が優秀じゃなくてもいいからだ」
でも、これでわかったかと思います 怠惰なやつは優秀でも無能でもだめですw
雇われ労働から抜け出すこと、怠惰が駄目、これで成功しない人はまあいない
成功するまで続けるからだw 俺みたいに失敗してもいいんだよ 月収300万程度でしかないです
完全に失敗ですよこれw 前澤さんなんて資産2000億だぞ 成功者は違うなあ
上級は配られたカード使いすぎだろ
イカサマレベルで
上級も自分のカードを見せろよ
でもこういうときは決まって俺は努力してきたって言って見せないんだけどね
>>181 このカードだとペアの場合しばらくカードを切れない
もういいんだよ
みんな疲れたよね
頑張るのやめよう
底辺でもネットがあれば楽しいだろ?
もう真面目に働かなくていいんだよ
プルゴリは確かカード良くないけど勝ち組になってんじゃん
さすが
他人を妬むことしかしない
それがケンモメン
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