5世紀前半の百済の首都から倭人の埴輪が出土。ジャップ奴隷工人の痕跡か? [237216734]
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[単独]韓国ソウル付近の百済跡で1600年前の日本人居住痕跡が発見された
https://x.com/ise_hachiro/status/1765718804250906704?s=20 1500年余り前にソウルに日本から移ってきた技術者をはじめ倭の移住民が工房などの生産活動に従事していた事実が明らかになった。最近、彼らが暮らしながら墓に使う葬儀用品として使ったと推定される日本特産土器が相次いで確認されたためだ。
地中の文化遺産を発掘・調査する機関である大韓文化財研究院は6日、今日のソウルである漢城に百済王朝が都を置いた漢城百済時代(西暦18年~西暦475年)の京畿道城南市福井洞(ソンナムシ・ボクジョンドン)にある百済時代の官営土器窯関連遺跡から、古代日本権力層の大型墓を飾った土器装飾遺物「埴輪」を初めて発見したと明らかにした。
埴輪は5世紀前半の古代日本の典型的な装飾型土器で、主に円筒形のものと動植物形の象形造形物、家などの住宅造形物などに分けられる。今回発掘されたのは円筒形で外壁に穴を開けた5世紀の造形物だ。
任那日本府の存在証明だよ
半島南端は日本固有の領土
古墳が大和王権とのつながりを示すシンボル
な時点で
朝鮮半島に古墳がある時点で
朝鮮は属国
そのくらいの時代だと韓国語と日本語ってかなり似てそうだよな
そりゃその頃は日本がソノアタリヲ支配してましたからね
記紀神話だとどう見ても朝鮮から日本にやってきたとしか読めないしな
そして縄文人を蹂躙支配していった
日本に来た人にも言えるけど単に行きの船旅大変すぎて帰る気失せただけでは
だから言ったじゃん日本人が朝鮮半島にも住んでたって
余裕で倭人が末裔なんだからあって当たり前とか言うからなあいつら
古墳の大きさとか完全に無視するスキル持ってるから
>>11 同時に西日本は朝鮮だったてことなんだろうよ
まぁネトウヨは「日本が朝鮮だった」は絶対に嫌で「朝鮮が日本だった」にしたいんだろうけどさ。
でも馬具とか両方で同じのが出るけど
馬は朝鮮半島にしかいなかったからねぇ
親鸞聖人とか海渡って技術持ち帰ってるし
そういう事だろ
>>14 高天原は新羅かな
日本に新羅神社たくさんあって主神がスサノオは無視できないな
>>15 日韓祖語があったんじゃないかって説はあるでしょ
>>20 広開土王の碑文には倭が南朝鮮に進出していたとあるやろ
九州中国地方と朝鮮半島でゴチャゴチャ混ぜ混ぜだったんだろ
古墳時代以前は、朝鮮半島南部・対馬・壱岐・九州北部は一つの文化圏で行き来してたと本で読んだぞ
豪族「古墳造営に参加しねーと生口として外国へ売り飛ばすぞコノヤロー」(´・ω・`)
輪郭 目鼻立ちはキルギスの人達の方が日本人とソックリだな
百済=日本人の国
チョンモメンには受け入れ難いかな?
>>26 その「倭」てのも朝鮮文明圏の一部ってことだろ
日本と朝鮮半島の行き来って当時はそんなに大変だったのか。
木造船では海流が厳しいのかね
>>33 それだともう朝鮮って概念がわけわからんものになるな
一時的に朝鮮南部を支配してたのはほぼ確定だろ
まあもっと前から分かってたことだが
『日本書紀』読んでたら、日本の主要な豪族が大体朝鮮系でワロタ [177316839]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1699767310/ https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_241101.html アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスター(注2)に属することも分かった
韓国人と同じ人種だって遺伝子調査で判明している
向こうで作ってた人達が戦乱で日本に来たんじゃねーのか
魏志倭人伝より
倭国
卑弥呼が鬼道を使い統治する
魏志韓伝より
馬韓
卑弥国があり、鬼神を祭っている
卑弥国:三国志魏志で朝鮮西南部馬韓にある小国
邪馬国:三国志魏志で朝鮮南部弁辰にある小国
>>35 根拠なんていくらでもあるだろ
https://kusagusa.cocolog-nifty.com/dairy/images/img_7839.jpg >>28の読んだ本に書いてあっただろう、言語、道具だってそうだろうし
俺の描いた馬具もそうだし
ネトウヨの描いてる百済大和の同王朝説もそうだしな
>>20 そうそう西日本が朝鮮。
日本列島人ってのは東日本にいたアイヌや縄文人
あと南九州にも土着の日本人がいた
>>41 日本て概念もそもそも
天武天皇が始めたもんだしなぁ
>>14 チンチャこれ
っていうかこれ一般常識ちゃうの?
https://i.imgur.com/mHWKFWY.jpg ゲノムによる縄文人度合い
これによると鹿児島と東日本が本来の列島人の血統だと分かる
弥生人というのは朝鮮に拠点があってそこから長い時間、古墳時代までをかけて縄文人のいる列島に入植していった
日本人というのは弥生人9割縄文1割の混血で弥生人が主体の民族
この弥生人というのは日本列島植民地化するために朝鮮に拠点があったわけだが植民地化完了したからと言ってその拠点を完全放棄したわけではない
朝鮮に残って貿易やらをしていた人がいる、それが証明されたに過ぎない
>>51 まずもって
>>18の「日本人が」の「日本てなんなのか」「日本人て誰なのか」とか
から考えたほうがいんじゃね?
>>46 日本語と朝鮮語は言語属違うのでは?
民族的に同じだったとする根拠にはなり得ないでしょ
>>48 それで天武天皇以前が朝鮮になるって理屈はわからんし
倭が朝鮮だったらそもそも朝鮮って何だよって話になるじゃん
そもそも昔から倭と韓(朝鮮)は別の物だっただろ
日本会議「私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」」
北海道沖縄関東東北は日本から独立しよう
>>56 それって朝鮮北部と大和の言葉でしょ?
そもそも日本語の地名は朝鮮由来とアイヌ由来の発音で形成されてて
それにあとから漢字あてたんだぜ?
>>56 あと、言語以外の論拠への反論は0てことね
そこは確定と
>>56 少なくとも言語的距離は5000年あるみたいだしな
同じ言語喋ってたのは少なくとも9000年前のシベリアまでさかのぼるらしいし
百済の王子が日本にいた時点で属国レベルの関係になってたと察せられるわ
朝鮮半島からやってきた朝鮮族が近畿から北上と南下をして日本列島を侵略した
そして倭人が形成されたというのが正しい
天皇家と関西の人たちの顔つきを見ればそのルーツを否定することはできないはず
その時代は恐らくだけど日本に拠点を移した朝鮮の豪族が凱旋侵略してたんだろうな
その豪族が今の日本人の元でもあるんだろうから日本人といえば日本人
パンゲア 大陸移動ってのが重要視されてるから
日本の場合はどっかとどっかがくっついてる
しかしなんで朝鮮半島の文化を日本と紐づけしたがるのかわからんね
そんなに日本人になりたいんか?
まず日本の歴史書に日本は朝鮮人からあらゆる文明をもらったと書いてある 字も鉄も養蚕も馬も全て朝鮮人からもらったけど日本が朝鮮を支配してたなんて信じてるのは頭の悪い人間だけだろ
>>59 「日本語の地名は朝鮮由来とアイヌ由来の発音で形成されてて」これは初耳だわ
普通に考えて日本列島の土着の言語由来の物の方が多いと思うけど
>>57 別じゃないんじゃね?
ただの三韓の1つみたいなもんだろ
それから天武天皇以前は「朝鮮半島・西日本文化」てことだろ
名前を「朝鮮」が嫌なら「朝日文化」でも「日朝文化」でもいんじゃね?
>>46 ちなみに俺の読んだ本は加治将一の「舞い降りた天皇」
でもこの人の本、胡散臭いのもたくさんあるんだよな
記紀以前の書物燃やしたのはしょうがないにしろ朝鮮や中国にも残ってないのか?
今でも宮内庁隠してるだろ
なんとなく稲作する人と漁をする人で分かれてた気がするわ
国や人種というより
古代日本では鉄は朝鮮製であり日本では生産していない
その鉄の入手のために朝鮮と貿易をしている
貿易従事者が後進国の日本列島側でなく先進国朝鮮側に住居を構えていたとしても何もおかしいことは無い
>>60 道具だけなら同じ民族とは断定できないでしょ
交易で入ってきただけかもしれない
>>63 稲作が日本に入って来たのは3000年前だが
その頃に朝鮮族という概念は多分無いと思うよ
>>68 当然、アイヌ由来も多いよ
初めて知れて良かったねん
>>76 当然、馬具以外もたくさんあるわな
でもって天皇の即位装束も半島式
>>69 そもそも中国の史書に倭は別種って書かれてるんだが
>>77 日本という概念も無いって言えないのがお前も問題点だよ
>>78 アイヌ由来のものが北海道や東北にあるのは知ってるけど
朝鮮語とアイヌ語由来のものだけで構成されているわけではないやろ
>>80 そんなもん
高句麗と百済と新羅をわけるのと同じやん
アイヌ由来の地名が日本のそこかしこにあるのは常識レベルなんだが、ネトウヨってそんなことすら知らんのな
古代朝鮮語には関西弁の京阪式アクセントと同じ声調機能があったようだ
日本語の中で関西弁だけ特殊なアクセントが使われてるのはそれも関係しているはずだろう
近畿と朝鮮半島の関係は古墳をもっと自由に調べることが出来れば明らかにできるだろうが
宮内庁がそれを許さないだろうな
ただもう研究者の中では天皇家は朝鮮半島から来たってのは確定してる見解
日本と朝鮮が密接だったからこそ遣唐使やったんじゃないのか
朝鮮が先生ならわざわざ中国までいくこともなかろう
>>82 いや、その2つのうちにどっちかになる
アイヌのこと舐めてるけど
アイヌ言語圏てマジで普通に静岡あたりまであったよ
>>83 いや中国人から見て朝鮮半島までは同じ人達なんよ
倭だけ別種って書かれてる
関西だとクソ山奧の市にも渡来人の貴族が渡ってきて残した物とか渡来人の集団が住んでた遺跡とかあっからな
まだ古墳時代なのに気合い入れて集団で渡ってきてる連中が居たとかかなり密に交流してたんだろな
まあ日本海渡るの大変だったろうけど
日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは日本書紀などに詳しく記されています。
韓国から移住した人々や、招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。
宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、
今も折々に雅楽を演奏している人があります。
こうした文化や技術が日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、
幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています。
私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、
韓国とのゆかりを感じています。
しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。
このことを、私どもは忘れてはならないと思います。
平成13年12月18日 明 仁
寒い所ほど同種の生物が大型化するから
北の方で縄文人が生き残るのはわかるんよね
それだけ食料多いから
大谷くんみたいに人も巨大化するし
大体古代朝鮮語ってなんだよwww
全く解明されてないものをあたかも解明されたように語るなよな
朝鮮半島と倭の話で任那って単語が全く聞かなくなったんだがアレはイマジナリーカントリーだったのか?
例えばペリー来航で有名な横須賀の浦賀
これはアイヌ語が語源らしい
https://twitter.com/nagesida/status/687808051173175296 関東一帯はアイヌの土地だったことは否定できない。
東日本人の体毛が濃く鎌倉武士が毛人と呼ばれていた記録も残ってる
https://twitter.com/thejimwatkins 白村江の戦いまでは同盟関係はあったんだろうよ
じゃないと海渡ってまで戦う理由がない
>>94 任那日本府の話をすると発狂する人が一部にいるからだとおもわれ
そこまでして日本人と「縁」が欲しいか?wwチョーセンジン?
あさましいもんだwww
嫌っている民族名を名乗り、嘘ついてまでへばりついて他国へ住み着くとはwwダニみてぇなもんだな??ニダー🤏🏻
「渋谷」は渋い水の流れる谷という意味
アイヌ語で泉の岸という意味の「シンプイヤ」か、激流の岸という意味の「スプヤ」が語源という説
白村江で負けるまで朝鮮南部は日本の植民地だったんだよ
そら古代は交流があったからな
上皇陛下もそう言っとる
>>96 >>97 百済の東城王とか割と歴代の百済王が若い時は日本に人質として来てたからな
そして日本人の教育を受けて大人になると王位に就くために祖国に帰らされてたって事実がある
そのまま帰らずに百済の王位につかずに日本に帰化しちゃう場合もある
>>98 歴史学者の検証が微妙だから
ちゃんとした論文が少ない
当時の朝鮮半島にいる人種っていまの韓国人とは完全に別個体でしょ
植民地って概念も無いだろ
あれは貨幣経済の上の概念だし
>>37 遣唐使が生きて日本に返ってくる確率が5割だからその300年前に朝鮮行くってなったら結構覚悟いると思うぞ
マジレスすると、百済の『腆支王』って王様は王子時代に8年ほど倭国に滞在して外交活動をしていたりするんだが、彼は百済に帰国するとき護衛のために倭兵百人を侍らせてるんよ。
こういう倭人傭兵的な人、或いはその子ども達が埴輪を必要としていたのだろう。
>>109 十中八九そうだろ
「です・ます」系の敬語の発達と同じ概念がある言語は世界広しでも日本語と韓国語だけ
根本的な言語体系とシステムが完全一致してるし、日本人と韓国人が関係ないってのは無理がある
ウクライナ人とロシア人ぐらいの近さだと思うぞ
>>112 対馬を経由すればわりかし安全に行けるはず
現代韓国人と本土日本人のDNAがほぼ一緒な時点でわかってる話 日本にもともといた本当の日本人はアイヌでアイヌのDNAはあまり残ってない日本人の体に流れてるのは朝鮮人の血です。朝鮮民族の侵略で日本は生まれた 高天原から日本に降り立ったニニギがいった言葉が「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此地は甚吉き地。」
コリアンコンクエストの歴史は神話に書いてある
>>117 です、ますは古代にはないでしょ
近世に生まれた助動詞
任那日本府と百済は深い関係にあったからな
倭国が百済を助けるために朝鮮半島に派兵したのもそのため
しかし結局大敗して百済は滅び
多数の百済人が日本に亡命してきて混血が進んだ
>>37 対馬or金海の海人が船頭になってくれるなら余裕で往来できる
107年には倭国は既に奴隷100人以上を中国大陸まで運んでるし
>>119 否定も何も、根拠が全くないからしょうがない
>>120 コリアンコンクエストとかそういう言葉の端々に日本に対するコンプレックスを物凄く感じちゃうんだよね
そういう仕草やめたらいいのに
バカにされるだけなのになあ
>>107 いやちゃんとした論文あるけど
「任那日本府」に関しては末松氏が1949年にもう論争終わらせてんだよ。
その実態は「在安羅諸倭臣等」であって、総督府みたいな行政機関でも何でもないって論証されてんの。ネットのガイジが目を通してないだけ
そもそもクニって概念がなんで必要か?
そこから考えよう
だーから俺のいったとおりだろ
皇紀2600年なんか大嘘で
朝鮮人が日本に来ただけだっつうの
>>118 そうなん?じゃあなんでそっから歩いて唐まで行かんかったんや?
>>126 そら当時の倭は完全な氏族社会だったから総督府のような統治システムはなかったろうが
倭の直轄領だったことは否定できないのでは
>>129 新羅との関係が最悪だったから、朝鮮半島を通らずに東シナ海を突っ切った。
ジャップは単なる馬鹿ですよ
>>131 考古学的に直轄領要素が全く確認できてない
>>37 簡単だが
倭国大乱の影響かなんかで飢饉になった倭から、いとも簡単に朝鮮に渡っている
193年 六月、倭人が大飢饉となり、食を求める者が千余人も来た。
>>129 当時の満州は騎馬遊牧民がウヨウヨいるような地域だからでしょ
>>119 第二次世界大戦後古代史は教えない事になったので、たぶんアメリカが決めたんじゃね
>>132 ジャップとか言ってる時点で正体バレてんじゃん
1.朝鮮半島南部にいた弥生人が日本列島に入植開始
2.植民活動によって朝鮮本国での人口減少し朝鮮半島内での支配力低下
3.百済と同盟
4.白村江の戦いで新羅に敗北し弥生人の母国地域を完全喪失、植民地の日本列島へ百済とともに逃亡
これが日本史
>>113 これな
西暦364年に百済と倭は、伽耶の卓淳國を介して交流を始めて370年前後に軍事同盟締結って流れよ。史書に明確に書いてある
つまり聖明王が日本人の可能性もあるってことだよね?
>>133 その地域は倭の臣たちが治めていたとはれているわけで
国としては認められてないし直轄領だったんでは
朝鮮南部から埴輪も前方後円墳も出てるのに「考古学的に直轄領要素が全く確認できてない」
とは驚き!
>>141 支配力低下どころか朝鮮半島の南端にすら倭人系国家なんて無かったよ
>>126 GHQ統治下で劇的に歴史が書き換えられたのがこういうのでも分かるでしょ
>>145 治めているのは「安羅國」だぞ
倭臣は安羅の同盟者
>>141 なんで母国を捨てて大挙して日本に押し寄せたんや?
まあしかしこういう話題になるたびに
朝鮮の人って日本人になりたいんだなぁって思うようになったわ
なんかみすぼらしいよなそういうの
>>146 前方後円墳が分布しているのは現在の全羅南道、地理的には栄山江流域、つまり馬韓南部であって伽耶などのいわゆる「任那」とは違う場所なんだよなぁ
いや
武寧王が日本人の時点でもうねww
南鮮人が百済を騙るからややこしくなるんだわ
現代米国人、アングロサクソンがネイティブアメリカンの歴史が一万年あるからって、米国の歴史が一万年だとは言わんだろ?
新羅は日本に征服されて3代目以降の王様は日本からやってきた人物だからな。
百済なんかさらにその下のポジションの属国。
>>143 俺の立てたスレなんだけど
古代史と近現代史は思想が絡むから史学科学生はだいたい中近世に逃げるよね
新羅本紀に「倭人が東辺を侵し、夏六月にまた南辺を攻め百人を捕らえて連れ去った」
みたいな記述が何度もあるけど朝鮮部南部が倭と接してないならどうやって「倭」が新羅の境で戦うん?
>>157 思想が絡むとキチガイに絡まれやすくなるからな
そら普通の人は避けるわ
【百済と倭の馴れ初めエピソード】
340年代に慕容皝が高句麗を破ると、高句麗は西方への拡張が困難であることを悟り南方(百済)への関心を強める。
こうして百済は南下を試みる高句麗の脅威に晒されることになったわけだが、此時に百済が最も危惧していた事態は「新羅の参戦」─つまり「二正面作戦を強いられること」だった。
そこで百済は加耶の卓淳国を介して海の向こうの異国「倭」と外交接触を図り同盟を結び、そして倭と新羅を牽制させ合うことで〔遠交近攻〕その間に自らは対高句麗作戦に専念しようとした。
>>143 こいつ確か所沢やめたから早稲田ですらないのでは?
>>158 新羅本紀ちゃんと読めばわかると思うけど、倭人は海の向こう側からやって来るから追撃戦が出来ない。と新羅人が嘆いてるぞ
倭人は半島側に領土を持っておらず、それが故に繰り出される海賊的な一撃離脱戦法こそ新羅にとっての脅威だったんだよ
>>150 例えばギリシャというのは地中海中に植民地を築いたがアテネ本国はとても小さい
朝鮮=アテネ、日本列島の各弥生人集落=植民市
ギリシャ人の植民目的は戦火からの逃亡や貿易目的弥生人の進出目的もそうだろう
ところでギリシャは対ペルシア戦争で消滅の危機までいったが勝利してギリシャを維持した
だが弥生人は白村江の戦いで敗北し本国を喪失した、ギリシャの例は弥生人の歴史によく似ていると思う
>>50 それを言うのなら、沖縄人やアイヌのほうが
もっと濃い
>>7 百済は王族と庶民で使う言語が違ってた可能性があるらしい
古代朝鮮半島の資料って思ってるより少ないのよ
中国に近けりゃ資料が多いのかと思ったらそうでもない
>>163 任那って白村江の戦いより遥か昔に消滅してるんだけど知らないの?
>>163 人口が大幅に減少するほどの移民なんてギリシア諸都市はやってないやろ
>>166 二重言語仮説は最近下火ですよ
なんか全然根拠薄弱なんでね
>>153 当時の栄山江流域は百済地域じゃなくて任那地域だからおかしくない
>>150 ww
「里帰り」だよ
日本→半島→日本
だからこそその後の争い諍いも無かった
>>170 当時っていつ?
西暦で言ってみてよ
>>166 イギリスみたいだな
イギリスは最初は王族がフランス語話してて
庶民とは別の言葉話してたんだろ
つーことは百済の王族は日本語話してたんかな
>>174 二重言語仮説は
・王族の言語=扶余語
・一般庶民の言語=馬韓語
というもので、日本語の出る余地はないぞ
イスラエルの入植が許されるなら
百済王族の血縁にある天皇家が朝鮮半島南部に入植するのはセーフでは?
ユダヤ人と違って日本は任那を取り返そうとしないから安心だね
>>176 じゃあ日本語と朝鮮語は似てなかったって事で
>>168 ギリシャの土地を地図で見れば分かるが農業の開拓はあの古代の時点では不可能
これにより人口増加は見込めないよってこれも植民理由のひとつ
朝鮮も日本列島と比べれば農業向きではない
十分、日本列島に大移動する理由に値する
そもそも百済は馬韓でも北部の夢村・風納洞土城辺りで誕生した国邑だから、倭人との関係は4世紀後半まで【全く無い】
当初の百済は倭への海路が分からなくて加耶の卓淳国に仲介頼んでるくらいだし
>>148 終戦までの日本って神武実在したと教えてたしめちゃくちゃやぞ
いやね
日本人と百済人()では通訳は要らなかったんだ
韓国語てwww
韓国()が建国何年かご存知すか?
>>74 古代日本どころか近代に入るまで鉄は輸入品だと思う
たたら製鉄とかイデオロギーの産物じゃないの
あんなもんで鉄の国内需要を賄えるわけない
>>180 お前馬鹿すぎるから背伸びすんなよ
紀元前10世紀は寒冷期だったから南下しただけだわ
あと大移動して本国スッカラカンになったわけでもなく、半島に残った倭人は後からやってきた韓人に同化されて消滅したんだよ
>>182 まあ戦前は列強国でも宗教教育は一般的だったからな
いまでもアメリカの南部では行われてるけど
ID:nj1DZseFM
ネトウヨの考える歴史の中だと民族が総移動したり完全抹殺されたりするんだよな
古代の中国人と今の中国人は全く関係ないとか意味不明な妄言の根底にこの思考がある
まあ結局朝鮮半島は倭人と朝鮮人が混在する土地だったって事だろ
>>117 その割には語彙が離れすぎてる
地中海世界なんてみんなラテン語由来でだいたいわかるじゃん
>>188 チョーセンジンなんて発生したのは後代の事だよ
>>186 今の日本も同じじゃないか
天皇伊勢神宮神社本庁日本会議なんて宗教用いた洗脳教育だろ
>>185 人口、何人からが国で何人から集落だ?
集落にも長がいて幹部がいる、国にも長がいるが国の基準はなんだ?
都市国家と集落の違いはなんだ?
どの時点から都市国家になる?
>>122 百済は白村江の前に滅亡してたし
任那日本府も(実在してたら)その頃には存在してないよ
>>195 宗教教育というより天皇伊勢神宮神道での刷り込み洗脳か
>>184 その通り紀元前4世紀頃からボチボチ鉄器を使い始めた倭は、鉄素材の100%を半島からの輸入に依存し続けていた。
漸く倭が国内での製鉄に着手するのは6世紀前半から。6世紀前半といえば金官加耶(任那の語源になった地域)が新羅に併合された時期である。おそらくは安全保障上の観点から高いコストを払ってでも鉄を国内生産しておこうという話になり、岡山や北部九州で鉄鉱石を掘り始めたのだろう。
>>5 >>178 明確に統治機関としての存在を認めた論文はない
>>197 あれれぇ?
「栄山江流域は百済地域じゃなくて任那地域」の根拠は神功皇后紀に登場する「任那四県」でしょ?
神功皇后って4世紀後半に活躍した人物だよ?それなのに470年からでいいの?www
>>177 実際征韓論はは神話の記述が根拠になってる
>>177 それ8世紀くらいのジャップも同じこと考えてたみたいで、『古事記』に「神功皇后の母方の祖先は新羅王子なんだよ~」という記述が唐突にぶっこまれている。
>>7 漢字の読み方すら大陸直輸入じゃなく半島経由だからな
>>202 ちがうよ
日本書紀の512年の「任那4県割譲事件」の任那4県だよ
例えば咸平新徳1号墳は4世紀末だから明らかに割譲前に存在したよね?
全羅南道の前方後円墳を任那四県(日本書紀)の証拠だとかほざいてるガイジは、両者の現れる時期に100年近くの乖離があるということをどう思っているんだろうね?馬鹿すぎて話にならんわ
>>206 日本書紀によるとその「任那4県」が誕生したのは神功皇后の御代だぞ
あと咸平新徳1号墳は4世紀末じゃなくて5世紀末だぞガイジ
>>209 いや同時代だよ
大伴金村がそれで失脚してるから任那4県が元々日本のものであったのは
昔からそこが大きな論証の起点となってるよ
>>179 そりゃ基礎語彙全然違うしな
>>204 いや
その前に、新羅王は神武天皇の兄弟と書いてあるが
つまり、アメノヒボコは神武天皇の兄弟の倭人系の王子
>>212 日本書紀が起点としているのは神功皇后紀だぞ
>>211 誕生なんか知らんしどうでもいいわ
割譲事件があったってことは古墳ができた時期に任那4県が存在してたのが論証できるわけで
おまえが何も知らんだけ
>>216 日本書紀の起点じゃなくて任那4県割譲の論拠の起点だ
>>215 暇だからレスしてるだけだぞ
それに連投というのは意味が違う
『任那四県』は第一義的に「史料(日本書紀)上の存在」である。
「史料上の存在」である『任那四県』について論証するなら、当然『任那四県』が現れる各種史料を「厳密に」「正確に」読み込む過程を経なければならない。
そして日本書紀上の存在である『任那四県』は神功皇后の時代に発生したということになっている。それを証明できない限り、任那四県の存在も証明できない。
>>182 イザナギイザナミはともかく神武天皇実在は特に問題無いだろ
初期天皇は寿命が長すぎ問題はあるが、古代史はどの国もそんなもんだ
非科学的な伝説は付き物
中国の三国志でも嘘みたいな話ばかりだからな
しかしこいつにとっては古代の朝鮮半島がアイデンティティなんだろうなぁってのが伝わってくる
かわいそうな人ですな
>>224 そうか?
まあ君にはそう思えるんだろうねとしか言いようがない
>>3 安倍晋三をこんな可愛らしくも、単純な形に模した造形師も凄いww
>>217 出来ないなぁ
単なる誇張かもしれないだろ。そもそも全羅南道の前方後円墳は九州系(筑紫君磐井とかその辺りな)のものであって、大和朝廷からの直接的影響を受けたものじゃないんだよなぁ
馬鹿だから知らないんだろうけど
>>230 もし前方後円墳が大和朝廷の象徴だったのなら邪馬台国論争は集結するけど。そんな単純じゃないんだよなぁ
>>222 困ったら念仏かw
事実古墳と同年代に任那4県割譲事件が起こってるのはどう説明すんの?
512年に日本の権臣だった大伴金村が責任とらされて失脚してるんだけど
>>225 普通に史料との整合性を語ってるだけやろ
>>234 いやなんかそれ以上のものを感じるけどね
>>235 むしろ史料にないことを妄想してる側が必死に見えるが
>>237 俺から見りゃ両方ともキチガイに見えるが
武士のルーツは滅ぼされれた高句麗の難民で
先に日本にきてた百済系が高句麗難民の西日本への入植を嫌がって
関東に追いやられたからだと思ってる
大陸由来の騎馬文化がなぜか日本で南下してくる理由ってこれしかない
稲飯命(神武天皇兄)
『新撰姓氏録』
右京皇別下新良貴条は、「是出於新良国 即為国主 稲飯命出於新羅国王者組合」とあり稲飯命は新羅王の祖である
『三国史記』新羅本紀・脱解尼師今紀
「脱解本多婆那國所生也 其國在倭國東北一千里」とあり新羅の4代目の王にして昔氏王統の初代である脱解尼師今は倭国の東北千里にある本多婆那國の出である
アメノヒボコは神武天皇兄の倭人系王の王子だった可能性が高く
だからこそ、アメノヒボコの伝承は丹波但馬に多くの残るのである
神功皇后の母方の話な
>>234 史料との整合性を考えるのなら、半島南部の前方後円墳は東城王即位と絡めて論じた方がいいわな。
百済ってのは西暦475年に一度滅亡してるんだが、そん時に倭国に滞在していた王子が倭兵五百人を引き連れて百済に帰国してんだわ。
そういう倭系傭兵の墓が全羅南道の前方後円墳だと考えれば全てが整合する。全羅南道の前方後円墳が築造され始めるのはまさに5世紀第4四半期からで、東城王即位と同時期の出現だからな
>>244 これ所沢が必死に書き込んでると思うと笑えるよな笑
あと全羅南道の前方後円墳から出てきた捩り環頭大刀は島根県や兵庫県からも出てきてるんだけど
これどうなってるの?
資料の整合性とやらを教えてくれよw
>>236 それについてちゃん書いてる歴史家が書いてる論文を探せば?
所沢中退が今頃顔真っ赤にして書き込んでるんやろうなあw
播磨風土記には新羅の王子がこの地を収めたって書いてるから
そこ生まれの俺は渡来人なんだなって思ってるわ
>>247 よくわからん
そんな事言ったら古墳時代中期以降に日本列島を席巻した「須恵器」は半島南部で誕生した陶質土器から派生した土器だけどどうすんの?
全ジャップが半島南部の文化真似てるんすけど
>>244 そんなの1年とかの間だろ
たかだか和平500人のために大規模な古墳が短期間にばんばか作られるはずないね
>>250 先祖は神武天皇の兄
稲飯命(神武天皇兄)
『新撰姓氏録』
右京皇別下新良貴条は、「是出於新良国 即為国主 稲飯命出於新羅国王者組合」とあり稲飯命は新羅王の祖である
『三国史記』新羅本紀・脱解尼師今紀
「脱解本多婆那國所生也 其國在倭國東北一千里」とあり新羅の4代目の王にして昔氏王統の初代である脱解尼師今は倭国の東北千里にある本多婆那國の出である
アメノヒボコは神武天皇兄の倭人系王の王子だった可能性が高く
だからこそ、アメノヒボコの伝承は丹波但馬に多くの残るのである
神功皇后の母方の話な
>>248文めちゃくちゃになった
それについて歴史家がちゃんと書いてる論文を探せば
大学教授の論文とか検索したらすぐ出てくる
>>193 3~4世紀の金官伽耶の王の名前が日本書紀崇神紀に現れるんだが、「于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき)」だぞ?
どう考えてもジャップじゃないだろ
ジャップは既に同化されて韓人になってんだよ。土器だって弁辰韓Ⅴ期いうて倭人とは別のもんだし、副葬文化も倭人とは違うし(倭人は鏡を多量副葬・韓人は鉄インゴットを多量副葬)、半島南部に倭人勢力が居残っていた形跡がほぼ無いんだよ。
>>240 その通り
高句麗移民が関東に入職し馬牛を育て始める
↓
東北エミシに騎馬、牧畜文化が伝搬
↓
臣籍降下した清和源氏の義経が合流
ちなみに古墳て書いてあるけど古墳群だからな
500人の中でも下位の兵卒のためにわざわざ大規模な古墳を作ったりすることなんか
なかっただろうしな
>>256 きゃー所沢中退が必死に長文書き込んでる😂
>>251 でも朝鮮半島からは任那4県の古墳からしか出てきてないねえ
一般利用された須恵器とは違うね
>>252 実際20基程度しか作られてないし
>>260 20基程度の古墳にしか影響を及ぼさなかったジャップ
ジャップ全員に影響を及ぼした金官加耶
もう完全に勝負ついただろw
>>261 日韓の言語についての動画
この人面白いから見てみて
任那日本府の話題はネットばかりでテレビやまともな書籍で触れられないのは何故やと思ってるんだ?教科書にもないし
証明するような歴史家によるちゃんとした論文がないからじゃね?
>>258 いや東城王即位の功臣だぞ
日本書紀によると倭兵は筑紫から派遣された集団だし、百済王の命令で全羅南道辺りに封土しておけば百済と筑紫の交易を上手く差配する役割を担えるわけだ
>>244 継体天皇の任那四県割譲がきっかけだろ
継体天皇はたぶん任那を意図的に滅ぼした
任那は九州系の豪族が独自に開拓経営してたんだろう
継体は百済と連携して任那を滅ぼした結果、任那は倭人支配から開放され、百済領になってしまった
>>256 その時代のジャップならありえる名前だよ
なにせ当時ジャップがどんな名前で呼ばれていたのか誰もわからないからな
>>271 ガイジ過ぎて話にならんな
『干岐(かんき)』は魏志韓伝に登場する典型的な韓人の尊称だぞ
つまりジャップではないということだ
>>262 未発見なだけだろ
それにしたって古墳20基が500人のためなわけがない
>>272 史料を研究した結果の現代の論文だと普通の日本語読解力あればわかるんやで
>>276 だから500人の中の特に優秀な人物の墓なんだろ
>>257 牛も馬も縄文時代から日本列島にいるっての
>>264 あと「捩り環頭大刀」は朝鮮半島では古墳からしか見つかってないんだけどそれどういうこと?
つまり「捩り環頭大刀」は朝鮮半島で生産されていないってことなんだけど
どっから持ってきたのかなあ?
ヤマトから任那を継続的に統治するなんて無理だから
実際は九州豪族に任那統治を任せてたら
九州豪族の力が強くなりすぎてヤマトと対抗するようになった
ヤマトは皇位継承のグダグダで継体天皇即位時にはかなり弱体化してた
そのタイミングで九州豪族は新羅と組み本格的にヤマトに対抗、独立の動きを見せた
ヤマトの継体は百済と手を組むことでそれに対抗した
その帰結として磐井の乱と任那四県割譲が起きたわけだ
メイクセンスでしょ?
>>276 歴史語るならあるものだけで判断せんと単なる妄想になってしまう
>>279 たかだか500人の援兵に数十人も大規模古墳作って祀るほどの上位者がいるわけねーだろ
朝鮮人にも天皇の血が流れてそう。だから最近の韓国が優秀なのか。
>>280 牛馬が日本列島に来たのは4世紀以後
魏志倭人伝に「倭に牛馬なし」と書かれてる
高天原神話で「スサノオが馬の死体を機織り場に投げ込んだ」ってあるけど
それこそまさに高天原が朝鮮半島にあったという評価なわけだ
だって古代日本に馬はいないわけだから
>>286 大陸は薄葬令が浸透してて、大規模古墳で喜ぶのって未開ジャップだけだったし
作りたいなら勝手に作ればって話
>>288 日本(宗主国)と朝鮮(隷属国)の不都合な真実
3万8000年前、世界最古の海上交易、神津島産黒曜石が長野や伊勢まで流通
3万5000年前、世界最古の磨製石器を発明
1万7000年前、世界最古の土器、縄文土器を発明(大平山本遺跡)
1万3000年前、世界最古の外洋航海用の造船道具、丸ノミ石斧を発明(栫ノ原遺跡)
7000年前、世界最古の漆塗り、漆器の発明(渡遺跡)
6000年前、栽培種の稲作伝来(朝寝鼻貝塚ほか)
5500年前、翡翠などの外洋交易。瓢箪、荏胡麻、栗栽培による定住、農耕生活(三内丸山遺跡ほか)、ツルマメの品種改良により大豆を発明(世界初)、土器による長期備蓄
5000年前 岩屋岩陰遺跡(金山巨石群)にて大規模な天体観測(農耕が広まっていた根拠)
3000年前、中国江南を起源とする弥生人が移り住み、縄文人と融和を経て人口が爆発的に増加
紀元350年頃まで:
楽浪郡朝鮮→『5000年前まで無人の荒野』。人口流入後は中国の領土の一部。
日本では紀元前500年頃から中国江南、楚、燕より鉄器が伝来。北九州、出雲などで鉄の鍛錬加工が盛んに行われ、朝鮮半島へ鉄鉱石を求めて日本から技術と人が流出。
その結果、朝鮮南部に日本の支配が及ぶ(三国史記、後漢書)。朝鮮で大王(天皇)の臣民の墓である証「古墳」が盛んに作られる
日本は統治下の伽耶で半島唯一の鉄の錬鉄加工技術を用いて鉄鋌(薄い鉄板)を作成し、逆輸入
② 朝鮮三国時代:
日本が新羅・任那・伽耶・韓六諸国を実効支配(宋書倭国伝)。「古墳」の分布が朝鮮全土に広がる。
新羅(4世紀まで日本の支配下)、任那統治府(日本領)、伽耶(半島内日本統治領、鉄生産技術を朝鮮に伝達)、百済(日本の支配下から親交国へ)、高句麗(朱蒙の国。日本の支援を得て唐、新羅と敵対)。(広開土王碑)
日本は朝鮮半島での地位主張の為に中国皇帝に使者を送り「倭皇」として対等な国書を貰う
③ 統一神羅時代:
新羅が伽耶(日本の統治領)を急襲して得た鉄生産技術で高句麗を下し朝鮮統一。中国に朝貢。
④ 統一王朝時代:
後百済(日本の支援を仰ぐも滅亡)、後高句麗(高麗として中国に朝貢するも元に滅ぼされる)。
日本は元と戦争し、これを撃退
⑤ 李氏朝鮮時代:
中国王朝の冊封体制。秀吉の出兵により日本からソウルフード唐辛子が伝来。日本からの技術移転により半島でそれまでの直播栽培から本格的な稲作が始まる。1764年に第11回朝鮮通信使が対島からサツマイモを持ち帰り食糧事情が大幅に改善。
日本では平安時代に北宋より青磁は伝来していたが、中国、竜泉窯の流れを組む朝鮮陶工の奴隷を連れ帰り優遇した為、九州で磁器文化が花開く(朝鮮からの帰国要請にも帰って奴隷に戻る事を望むものは居なかった)
⑥ 大韓民国時代:
朝鮮を属国とする清から独立を望む一派を日本が支援。日清戦争勝利により韓国を自主独立国とする。日本の庇護下に欧米からの搾取を免れ大幅な発展を遂げる(ロックフェラー財団報告)
⑦ 日帝統治時代:
韓国併合反対派の伊藤博文を天皇信奉者安重根が暗殺。結果として韓国併合が加速。
日本は国費を朝鮮に投資し、厳しい身分制度の撤廃、識字率上昇、京城帝国大学(ソウル大)創建、インフラ整備、民主的選挙を実施。両班(リャンバン)による圧政、搾取により苦しんでいた農民の解放を進めた。また議員の8割以上が朝鮮人となり、日本の指導のもと近代化を果たす
第二次大戦では日本と共に枢軸国として戦う
⑧ 戦後朝鮮:
敗戦国かつ戦争加害国家である事を隠し被害者を自称。日本の残留インフラ、投資によって漢江の奇跡を達成するも親日狩りで経済停滞を招いた
>>257 マジレスすると上毛野(群馬)がいち早く騎馬技術を受容して、それが阿武隈川流域を通って仙台平野に流れてエミシに受容されたものと思われる。
上毛野の大首長って5世紀に半島へ軍隊組織して送るほどには強力な集団だったからな
>>287 日本の豪族の相続の形態は明らかに男女両系継承
それは古代天皇も同じだったはず
男女両系継承だと王位継承権が混ざるんだよ
つまり倭王家の男と新羅王家の女が婚姻するとその子供は両王家の王位継承権を持つ
こうやって倭国と新羅、倭国と百済の王統は限りなく近づいていったんだと思うぞ
そしてそれは平和よりも戦乱を生み出す原因になった
だから7世紀になって「男系継承」がルール化され、さらに「過去を遡って男系継承であった」という系譜の調整(捏造)をしたんだろう
>>294 だから百済王に封土されて全羅南道辺りで領主任されたんだろ
>>289 現代のソウルが首都だった時代の百済だから南部ではなくね?
>>293 牛馬の話だろ?俺に反論したきゃ3世紀以前の日本列島に牛馬がいた証拠を示せよ
つーか仙台平野って5世紀には須恵器工房が出来てるから、俺達が思ってる以上にエミシって文化的な生活してる。
「穴に籠もって狩猟採集で生きてる野蛮人」みたいなイメージは日本書紀の潤色。
古墳って稲作してる人と漁してる人の
公共事業だと思ってる
主に漁師の
任那4県割譲事件と同時代の古墳群が記録に残ってる限り
任那日本府の存在と任那4県の存在は覆すのは困難よね
あとは外交問題にして無かったことにしてくれとお願いするくらい
>>297 そんな資料は1つもないね
任那4県割譲事件は残ってるけどな
クニみたいなの作る理由って
税金あつめて分配することじゃん
稲作からは税とれるけど
漁師からは取れない
だから労務出資求めたんだと思うよ
>>302 それを書いてる歴史学者教えて
自称じゃなくて歴史学専門の大学教授ね
>>304 沿岸に住む人々にも、塩を作るという大変な仕事が課される
>>300 もののけ姫もエミシの非文明的なイメージの拡散を助長してるな
もともと稲作ってあったかい地域でしかできなかったんだよね
だから寒冷の東北では稲作が難しかった
それだけの話なわけよな
今は米が品種改良されてむしろ東北や北海道で稲作がさかんだけど昔は違った
古代朝鮮、古代日本のスレだと毎回同じ人物来てるだろ...
同窓会かこれ🙄
>>308 それは古墳より後の時代なんじゃないかなと思うわ
なんせ土木技術が発達しないと
薪を海辺まで持って来れん
>>311 節子、それは編纂者や
現代の歴史学者が認めないと史実にはならん
>>314 まず海藻に海水をたっぷり含ませ、それを村に持って行って焼いて、水に沈めて炭化物を沈殿させて塩水を作り、塩水を蒸発させて塩を取り出していたみたいだよ
>>310 そもそも、倭人の集団は大陸出身
今の中国南部から来たらしい
>>316 だからちょい味付けの為には使えるけど
完全に乾燥させんも税として機能せんと思う
今もそうだけど液体の運搬ってすげーエネルギーいるからな
そして塩水なんて日にちたったらクセーだろ
>>315 昔から大勢いるわ
小葉田淳 森川昌和廣嶋一良青木豊昭白崎昭一郎
森川昌和廣嶋一良門脇禎二櫛木謙周とかその辺
京大教授だそうだ
>>3 晋さんよりも和民のあれだろ
そもそも大伴金村任那4県割譲事件は高校の教科書に載るくらい有名な事件だからな
全国の日本史選択の日本人が全員学んでる
戦後は韓国の民族主義者と日本の左翼が必死に古代日本の朝鮮進出を否定してきたが
文献だけでなくこれだけ考古学的資料があるともう否定は無理じゃないか
>>299 馬と牛は別だな
馬は古墳時代に来たみたいだが、牛は弥生時代に稲作と一緒に持ち込まれたらしい
否定は無理だから出てきた前方後円墳をこれはマズイと思って埋め戻したりしてんのさ
牛って事は東南アジアみたいに
湿地帯で稲作やってたんかな?
鈴木克彦「考古学倫理を考える 前期旧石器捏造事件 考古学犯罪のデパート・三内丸山遺跡」
人類のコンクリートの歴史って古いのに
日本では近代になってからなんよな
>>324 法律のない時代に遠隔地を安定統治することなんかできるわけないのよなあ
当時は遠隔地統治は「血縁主義による人治主義的統治」でしかなかったはずで
じゃあ皇族の誰かが任那に派遣されてたの?っていうとそうでもないわけだ
(なぜなら皇位継承権をもったまま任那に土着、独立されるリスクがあるから)
>>332 九州や関東だって皇族の誰かが派遣されてたわけじゃないからな
その説には妥当性がない
>>110 正確にいうと朝鮮倭人だな
朝鮮半島南部は昔から倭人が住んでた
>>334 神話があるじゃん
すべての豪族はアマテラスかスサノオ、あるいはニギハヤヒに行き着くように設計されてる
ニギハヤヒもスサノオ系であるように匂わせながら記述されてる
>>28 実際、磨製石器の出土で朝鮮→日本への石器の伝達は確認されてるし、DNAでも朝鮮半島南部は縄文系と混血してることがわかってるんだよね
>>334 そしてその説は反論になってない
「法律のない時代にどうやって遠隔地を安定統治したのか」に答えられてないじゃん
俺の暫定解は「不可能」「だから白村江で領地を完全に失った」「その反省から律令を導入した」って流れだよ
当時朝鮮半島にいた民族と今の朝鮮人って同じ民族なの?
>>339 「血縁主義をベースにした人治」ってことじゃん
血縁を拡大したのが日本神話だろ?
>>341 法律なくったって遠隔地を安定統治なんか別に不思議な話は無いと思うけど?
奈良と九州だって島隔てた遠隔地だけど多少の反乱あった以外は統治できてたからね
一時的な反乱だったら法が定められた後の奈良や京都だって起こるわけだし
天皇が百済から来たならなんで韓国人は天皇嫌いなの?
>>246 完全論破されてんじゃんお前
見苦しすぎね?そういうの
>>344 九州を安定的に統治できたのは磐井の乱以後だろ
それまで何度も何度もヤマトは「クマソ討伐」とかいって九州出兵してんじゃん
何度も何度も討伐しにいかなきゃいけないのは、何度も独立されてるからだろ?
>>345 天皇陛下を神とした大日本帝国が侵略したから
ちなみに律令を日本に最初に取り入れたのは改新の詔(646)で白村江は663年な
律令取り入れてから唐新羅と戦った
>>347 400年代にはヤマトに服属してたよ
それ以前に鹿児島県東部くらいの小さな地域におしこめられてた
磐井の乱からてのはおかしい
磐井は一時職を任命されて反乱起こしただけに過ぎない
いや
マジで柿の種アリレスは在日韓国チョーセンジン&アカら反日界隈岸withチョンモメンだなww
もう一目瞭然ww
遠祖が同じだからといって侵略してくる連中を好意的に見れるのか
イスラエルとパレスチナ問題と同じだぞここ
皇位継承権を持った皇族が地方に下向する例は南北朝の動乱までないんじゃない❔
平安の親王が守をやる上野や上総とかあったけど遥任だったみたいだし
>>233 そこで「うわ~日本は朝鮮半島を支配してた凄い国なんだぁ」
てなるのが短絡ウヨなんだと思うわ。お前とは言ってないからな
大伴金村は任那割譲の交換条件として
百済から五経博士を渡来してもらってたり
倭はやっぱ文化後進国ではあったんだろうよ
>>350 お前の意見を仮に正しいとしても
邪馬台国の時代に九州とヤマトは一体だったはずなのに400年ごろまで安定できてなかったってことになるだろそれ
俺の反論になってない
い いちおう継体天皇が富山県に・・・
神武と血がつながってるかどうか知らんけど
>>50 鹿児島は桜島から黒曜石が取れるから生き残ったのかな?
>>354 そんなんゆったら物部守屋の変とか壬申の乱とか乙氏の変とかあった
奈良の方が不安定やんけ
お前の論で行けば京都なんか西暦1870年頃まで不安定だって話になる
だからといってその間統治できていたかといえば統治できているんじゃん?
血縁人治だと遠隔地統治ができないのは当たり前の話で
大王が旧知の部下や親戚に遠隔地の小国を任せたとして
大王が生きてるうちはその体制が成り立つんだけど
大王が死んで若い息子が「次の大王は私です。みんないうこと聞けよ」ってなったときに
地方の小王たちは「先代にはお世話になったけどお前は知らんぞ」って当然なるだろ、人治の世界ならって話
こうなると50年くらいの周期で反乱や独立が絶対に起きるのよ
>>358 別に反乱起こすかどうかが基準なら
血縁人治だろうとなかろうと代替わりだろうがなかろうが
普通に起こすぞ
土地(財産) 稲作 戦争 血縁
って繋がってる概念だと思うわ
>>50 四国ってめっちゃ古墳あって古代史的な謎の多いとこなんでしょ
九州は独立なんてせず比較的安定してたと思うぞ
そうじゃなきゃ誰がクマソと戦ったんだっていう問題が起こる
空海が土木技術を四国に持って帰ったのがデカそうだな
あとは遠隔地うんぬん論が正しいとするなら島隔てた四国が反乱もおこさず日本領だったからな
人治政治で遠隔地は支配できない論なら四国だってできんはず
四国ができて九州朝鮮はできないっておかしいね
そもそも古墳やその元になった文化って韓国から来た文化なんでしょ
まあ人の行き来は盛んよね
寒い所は獲物が大型化する(食料ゲット)
東北は黒曜石が取れる
から狩りで食えてたんだろうね
>>363 国産み神話でイザナミが2番めに産む島だからね
それだけヤマト王権にとっては重要な島だったんだよ
>>367 四国は反乱起こすだけの国力ないじゃん
九州は朝鮮半島との交易を仕切ってる
つまり金属輸入を仕切ってるってことで
ヤマトに対して強気に出られるパワーがある
www
やべ
やっぱ柿の種続けろや
判りやすくていいやwww
糞ウケるんすけどwwwwww
だからヤマトは宗像氏を優遇して博多湾勢力を牽制してたわけだ
分割統治の原則によってね
もし博多湾勢力と宗像氏が一枚岩になってヤマトに対抗してきたら朝鮮半島との貿易ルート止められてヤマトは首が締まる
>>358 そう考えると封建制で250年続いた江戸時代は凄いね
やっぱ参勤交代が効いたのかな
あと宗像三女神ってのは中国系の文化だなあれは
中国では観音菩薩って女神なのよ
で、その観音菩薩の像がよく港町に立ってる
海洋航海の安全を祈るためにね
ベトナムなんかも同じだね
海沿いの寺院に女神スタイルの観音菩薩像が立ってる
古墳は日本独自発展
墳丘墓から発展した
その墳丘墓はただの盛り土に毛が生えたのとかも入るので地域によっても違うし
何とも言えない
ひょっとしたら渡来人の墓を見たヤマトが真似してみたってのもあったかもしれんが
特に韓国式というのは確認できてない
支石墓って言って同時代(弥生時代)に石を組み合わせた韓国式墓はみつかったが
これと古墳の間に直接的な関連性はない
>>374 無駄に疲弊させるって統治の基本かもな
古墳作ってたらヘトヘトなるし笑笑
>>50 つまり、海洋民族だった弥生人がこっそり若狭湾に上陸して、南へ南へと進んでいって紀伊半島に落ち着き、
その後、未開の地だった四国に外洋伝いで上陸して弥生王国を密かに繁栄させてたってこと?
もしくは東日本(縄文人)vs西日本(弥生人)で、東北からチャレンジャーが山陰に辿り着いて一旦栄えて、
そのあとにさらにチャレンジャーたちが九州に渡って突き進み最終的に鹿児島で行き止まったって感じ?
>>377 いや、大名やその跡取りを江戸に住まわせて幕府や将軍との繋がりを強めるって意味で
>>344 大和朝廷が地方統治に本腰入れるのは継体天皇とか欽明天皇の時代になってからだよ
それ以前は同盟・擬制的同族関係を紐帯とした緩やかな連合なの。
例えば大和の大王Aが、地方大首長Bと同盟関係になったとするでしょ。その地方大首長Bは地元で地方中首長C1,C2,C3を支配しているわけだ。
となると、大和の大王AはC1を直接動かすことなんて出来ない。地方大首長Bに頼み込むことでようやく中首長を動かして兵を動員出来る。そういう重層的で不安定な連合だったんだよ。
稲作を持ち込んだ弥生人は中国北部起源らしいな
文字を持ち込んだ古墳人は中国南部起源らしい
逆だと思ってた
>>376 出雲の四隅突出型墳丘墓は高句麗積石塚の影響を受けているとの説が有力だが
>>381 古代豪族ってヤクザに似てるよな
あれも疑似血縁関係
>>377 外敵がいない場合はそれでいんだろ
中国は北方異民族いるしそうはいかないしな
ヒッタイトが出てくる前のエジプトなんかは外敵がいない状態だったんだろうけど
>>371 300年代には四国で鉄器生産が始まってて
400年代には朝鮮半島に鉄器を逆輸出してたくらいだから
磐井の乱が起こる500年代九州が鉄器生産輸入を独占してたわけじゃないのはあきらかなので
そこまで優位性があったかっていうと無かったんではないか
その証拠に反乱起こして1年で鎮圧されてるし
そうっすね
義兄弟の契りみたいのを交わすんですわ
豪族系譜の大元辿ったら大体高天原の神々に繋がるのは、擬制的同族関係結びまくって連合体を形成してきた痕跡。
皇別氏族とかも本当なのか怪しい。
>>385 起源としては、かつては朝鮮半島起源説[1]、方形周溝墓起源説[2]なども唱えられたが、
現在では貼石方形墓起源説[3]が定説となっている。
>>383 まぁ野党応援するような市民社会を貧困で崩壊させたり
政治参加する余暇や余裕がないくらい、市民生活を追い詰めれば
利権独占する自民が選挙でますます強くなるって構造ではあるなw
当然、国家の世界競争では埋没してくけどなw
鈴木克彦「考古学倫理を考える 前期旧石器捏造事件 考古学犯罪のデパート・三内丸山遺跡」
日本人の言うことは信じるな
>>341 その暫定解は修正した方がいいな
任那滅亡は562年ってのが日本書紀側の認識なんで、聖徳太子の時代までは新羅の伽耶併合を承認せずに任那復興に執着してたんだが、乙巳の変で蘇我宗家が権力失うと即座に新羅に要求していた「任那の調」を撤廃して事実上の新羅の任那支配を黙認してる。
白村江の戦いの時点で半島南部の領地なんか名目すら存在しない。
>>381 そんなの日本はほとんどの時代そんな感じじゃね
違うのって奈良後期から平安初期の100年弱くらいと明治維新以降じゃね
>>390 ソースはウィキペディアとか本当に病気の人なんだな
その記事の参考文献読んで見れば?人目でお前が間違ってるってわかるぞ
>>395 クソガイジジャップは「ミヤケ」を知らんのか。磐井の乱の後にも北部九州の重要地域はミヤケが置かれて直轄支配されただろ
>>396 そりゃネトウヨ脳ではこのニュースで「朝鮮は日本だった」にしかならんだろうけど
普通に考える知能があれば当時に「日本は朝鮮だった」になるし
北九州一体に、百済・任那・倭 という一つの朝日的な文化圏があったて結論しかならんからね
>>397 すまんがおまえよりはウィキペディア圧倒的に信じるわ
おまえさっきから間違ったことばかり言ってるし資料との整合性はないし
>>401 1970年代のソースで最近の定説だとか宣ってる記事を信用できるガイジと話すことは無いな
>>164 今ゲノムで分かってるのはアイヌは全然縄文人と違う人達だって事
むしろ後から北海道に来た人達
沖縄人は縄文人と中国大陸人の混血の人達
>>398 これらは貢進地系屯倉と呼ばれているが,その管理は貢進した豪族がそのまま行った。
これ磐井の乱のミヤケの話な
こんなん常識だろ
おまえ本当何も知らんのな驚くわ
まぁマジで30年後~50年後くらいには
「朝日文明」とか呼ばれてんじゃねーの?
こういう朝鮮から西日本の文明に関して
>>393 結局、言語体系や縄文時代の交流ネットワーク考えると
「アイヌ」と呼ぶのが一番なんだよ。縄文人全体は
>>403 アイヌは縄文人
縄文人とオホーツク人と混血したのがアイヌ
>>399 「ソウルに日本から移ってきた」と書いてあるじゃん。「ソウルから日本に移ってきた」とは書いてない。この記事は一方通行の記事。
>>405 アイヌは13世紀頃に北海道で成立した文化
縄文人の亜種がアイヌ
ミヤケググッたら面白いな
播磨風土記に飾磨というミヤケがあって
これそのまま地名になってるわ
古墳は兵庫県がダントツ多いんだな
たし蟹そこらじゅうにあるイメージだわ
>>404 那津屯倉設置の翌年に大伴磐が派遣されて筑紫執政になってるんだが
お前大伴磐を在地豪族だと思ってんの?
>>402 2009年にNPO法人国際文化財研究センター副理事長の藤田憲司が
「山陰の四隅突出型墳丘墓を高句麗の積石塚と直接結びつける必然性はない」
「四隅突出型墳丘墓+の系譜を朝鮮半島に求める伊藤の想定はかなり無理があろう」
といって朝鮮半島起源説を全否定してるぞ
>>412 より高名な橿考研の寺沢薫は四隅突出型墳丘墓が高句麗積石塚から影響を受けているとの説に肯定的だがなぁ
>>411 「那津官家に関しての記録も少なく、実態はよくわかりません」
支配と統治の違いなんて考えた事なかったが
けっこう重要だなこれ
支配っていうから変にイデオロギー拗らせた奴が沸くんであって
統治の仕組みが半島と日本で行き来してたって考えたら
もっとマイルドにならんか?
>>414 そいつ専門は邪馬台国近畿説とかの人じゃん
あんま方墳とか詳しいと思えないけどソース出してみろよ
おまえが曲解してる可能性大だし
>>417 してないからしゃーない
いやアイヌは全然縄文人と違うらしいよ
オレが見たゲノム分布図みたいなのでは、全然かけ離れた民族だった
元々沿海州辺りに住んでた民族が鎌倉時代にモンゴルから逃げて、北海道に入って来たらしい
邪馬台国近畿説とかの右寄りの学者が「日本の古墳は朝鮮半島の影響ウケテマース」
「しかも高句麗からワープシテキマシター」
とか本当に言ってるのかよw眉唾だなあw
>>421 お前の見たのはネトウヨ御用達のサイトだろ
古モンゴロイドの縄文人(擦文人)と新モンゴロイドのオホーツク人が融合したのがアイヌ
>>50 けた外れに値が大きいのは沖縄だけど
お前の論理だと沖縄の人々こそ真の列島人ということになるぞ
縄文系の血が濃く受け継がれてるかどうかは近代までその土地にシャーマニズムが息づいていたかどうかで簡単に分かるよ
列島の北と南とかけ離れた場所に女性が憑依術行うって共通点持った文化が存在してるもの
沖縄とかまで行かなくてもトカラ列島あたりにもゴロゴロいたんだわそういうの
まあ埴輪の土の分析が済まない事には、土師氏集団が現地に渡ってって作ったとは言えんな
>>405 やっぱお前バカだな
お前の言ってることはアラブ種をサラブレッドと言うのと一緒だ
ロットワイラーをドーベルマンと言うのと一緒だ
>>14 イギリスが色んな国の民族が混じり合ってるように日本だって島国とはいえ周辺諸国から色々来て混じりあってるに決まってるよな
顔真っ赤にして否定するネトウヨさんは日本国内で猿から人間に進化したとでも言うのかな?
>>423 違うぞ
むしろ右派の方がアイヌを先住民扱いする方が都合が良いだろ
後から来たツングースと認めてしまうと本当に他民族になってしまうからな
オレも先住民と思い込んでいたから、全く日本人と違う民族だったので驚いた
今後ウポポイが「縄文人とは別です」と広く喧伝するようになるんじゃないの
>>426 シャーマニズムや女シャーマンの存在は縄文系文化とは限らんよ
ただ単に国家制度が大きくなる前、男権優越が浸透する前の形態の残存に過ぎないから
>>14 これな
神々がやってきて侵略していった神話でしょ
古事記日本書紀は
最初の方の言語の話になるけど
やっぱ狩猟してた人と農耕してた人で
言語違ってたんじゃないかな
その橋渡し役がシャーマンな気がする
>>429 北京原人から中国民族が、黒山葡萄原人から朝鮮民族が生まれたように、
我らジャップ民族もまた奥秩父原人から独自に進化したのであつたのだ!
縄文人の遺伝子が多く残る沖縄人やアイヌ人が
一番差別されているのだから、
次に差別されるべきは東北などの東日本に住む人達だよな?
そう思うだろ、関東人よ?
当たり前だろ
そっちが本拠地なんだから
戦争で負けて列島しかなくなったんだろ
古代のことは好きに言えるから俺は全く信じる気にならない
>>421 金とか女真とかだろうな
アイヌはかなり混血してるよ
縄文倭人+弥生倭人+高句麗遺民+女真系
昔は日本も三つぐらいの大きな国に分かれてて半島の国とか列島の国とかでの人種(民族)分けでは無かったとかか話も聞くぞ
弥生人、弥生文化を現在の諸々の日本文化の基底を為すモノと規定すると、
琉球弧の住民はプレ弥生人の末裔となる
右翼的には嫌かも知れんけどw
現地で作ったってことなのかな?
だとしたら工人集団が海を渡ったことになるね
どこの古墳の埴輪と似てるのかとか研究していけば
どこの工人集団が海を渡ったのかとか見えてくるんだろうね
そうするとどこの地域の集団が日朝交流に関わってたかとかも見えてくるね
まず魏志倭人伝から見るに、古墳時代にはジャップから中国父さんへの奴隷献上があったとわかる
つまり簡単に言うとジャップは輸出されていた
5世紀の埴輪ってどれくらい研究が進んでるんだろう
宮内庁指定で未調査の古墳が多いから
工人集団別、釜別の詳細な編年とかは出来てなさそう
>>448 魏志倭人伝の生口云々は卑弥呼の時代だから弥生時代だよ
>>3 5世紀から2020年代に暗殺されるまでの千数百年の間、東アジアに君臨し続けた権力者A
5世紀前半というと
履中天皇、反正天皇、允恭天皇の頃か
記録のないくらい中国混乱期に邪馬台国かはわからん九州か福井あたりから攻めてきたのが日王の祖先か
>>456 >>458 これどっちも正しいのが日本の歴史の面白いところ
統治してたのかそれとも今で言う大使館みたいな出先機関だったのかそれともおたすけ外国人みたいな扱いだったのか
どの程度の頻度で交流があったんだろうな
元に戻る穴が壊されてそれっきりなんだからアレフガルドみたいなもんだな
現代と違って明確な国境の概念がないから
朝鮮半島と日本列島全体が一つの古代世界だったと考えるべきでは
>>20 前方後円墳が朝鮮の方が新しいから日本が百済を支配してたのは確定してるんだが
埋葬様式が倭国風だったのはいいとして半島ではどのような墳墓が造られていたのやら
興味無いけどな
白村江の戦い
チョン国がシナ・ジャップランドの奴隷国家でした
ま~~た朝からジャパンコンプレックスのBEが妄想発狂してるw
百済は伝統的な同盟国だし、人の交流も盛んだったんだろう
白村江以前は朝鮮半島にしょっちゅう介入してたんだし
百済滅亡後も日本で王族を受け入れて貴族として扱っている
【臭い獣カルト☆】
記者「熊谷知事はパラグアイの統一教会系団体に祝電をうちましたね?」
熊谷俊人「姉妹都市の関係です」
続けて「政治家は襟を正さなければならない」と一般論でドヤり、素早く会場を後にした
姉妹都市はパラグアイの首都アスンシオン。このレダは統一教会だけが入植した人のいない荒野湿地帯、
麻薬の栽培。、 最近パラグアイやブラジルの政府軍により麻薬運搬用の滑走路が空爆破壊された。
統一教会系の「愛の教会」をボランティア団体として市長認可するなど、
調べるほどに信じがたい密接ぶり
熊谷俊人氏は、それ自体は悪いことではないので書きますが被差〇部〇出身の方で確定ですね。 代々同和が盛んな天理土着の天理教徒。闇金「牛」島さん。天理の「熊」谷さん。
ご両親は謎の富裕層(天理市→神戸の中高一貫私立から早稲田、下宿)
同和政策で億単位の給付をもらい、就職は同和優遇の三公社系のNTTへ。
師事する立憲の田嶋要さんの戸籍も辿ると愛知部落。
k
なんと筆頭副市長の国交省から来た青柳太さんも流刑の島の佐渡の対岸の生まれ。長岡市の青柳部落民。 凄い同志愛閥ですね。
立憲の柏市の本庄さとし氏も仲間臭い。地元民排除カルト獣閥ですか :
Zc870
0193アフターコロナの名無しさん
870
0537アフターコロナの名無しさん
2024/03/08(金) 08:19:46.11ID:rLpsZc870
旧統一教会と関与した閣僚は名目的に外れた新内閣となりました。千葉県の熊谷知事は『旧統一教会とは関係ない』
『政治家は慎重であるべきだ』とおっしゃっていたのに、関連団体に祝電送っていました。この件について、明日の定例会見できちんと説明してください。#南北米福地開発協会
@kumagai_chiba
J
穢れ肉皮カルトは
☆
(^^♪
臭くてたまりません
結婚の際に気にするか? 気にする人は六割。
こういう人たちを見ると偏見が強まりそう。やはり穢いと。。危惧しますね jkgh
百済が日本の属国だったのか
日本が百済の属国だったのかは分からないが
2つはおそらくほぼ同じ国であったと考えていいだろう
白村江で当時の倭国が海を越えてまで
援軍を送ったのは、百済が同盟国というよりは
ほぼ自国みたいなもんだったからじゃないのか
>>14 じゃあなんで神功皇后の三韓征伐は教えるなぁ!って発狂してんの?
日本が軍事的に朝鮮半島に優位に立ってた証だから?w
>>465 もっと古くにはほぼ同一だったらしいよ、半島南西部と日本弥生文化圏
子宮に見立てたデカい甕に膝立て姿勢で納めてたらしい
もち弥生時代の話
沖縄の亀甲墓の原形らしい
>>466 日本も大陸の武器やら鏡やら出てくるもんな
>>14 具体的にどの部分だよ
都合よく解釈したら、だろ
>>14 同感
古事記日本書紀は、大化の改新以降に作成された
それ以前のは焚き書された
となると大化の改新で支配層になったのが朝鮮人ってことだから
この時代は彼らは朝鮮に住んでたのだろうよ
天智天皇の墓とかどう考えても朝鮮人みたいな話あったよな
>>478 炊き書wwwwwww
ふんしょ読めないのかw
広開土王碑にも書いてあるだろ
新羅と百済が倭に下って高句麗にも攻めてきたので、偉大な広開土王がそれをやっつけましたって
>>473 自国では無いよ
一応別々の国
その前後に何があったか歴史を紐解いてみればわかるでしょ
海を超えて援軍送る前にあったのが、大化の改新だよ
蘇我氏関係の娘を天智天皇は嫁にしてた
そして天智天皇は朝鮮人の可能性高い
この人多分百済の王子で人質として来日した
でも当時の王様だった蘇我氏はそれを拒否して、とりあえず疎開先としての滞在を許して自分達一族の娘を妻にさせた
でもそれでおさまりつかなくて、蘇我氏を殺して実権を握る
当時妻だった蘇我氏の娘との縁組を強調して、自分がこれから王だから従えってことで、無理矢理援軍ださせて大負けする
ってのが大化の改新の真相でないかと予想
負けて日本に逃げてくる百済人を保護して彼等の村を作ったりして、鬱々と過ごしてて、そんな時に実の妹と関係を持ったとみてる
それを知って、父親を殺された蘇我氏の娘は病むとかそんなところでないの
そう考えると大化の改新前後の辻褄あうから
>>480 その石碑さえ
支配されていた?段階を認めたくないから
韓国だけ捏造だ!と否定する始末w
>>482 高句麗最大の版図を築いた偉大なる王の功績すらも子孫に否定されるなんて哀れだよな
>>473 実際その通りなんだろう
なんで遣唐使が安全な対馬海峡→朝鮮半島沿岸→唐
ってルートを通らず台風の通り道の東シナ海を突っ切るしかなかったか?
新羅が百済を滅ぼした敵国だからが全て
もっと言えば大化の改新ですら壬申の乱で勝った大海人皇子からみれば自分の前に起こったクーデター
この国に残っている一番古い歴史書が大海人皇子の子孫が作ってからな
壬申の乱から逆算して都合良く安倍仕草してる可能性大
>>473 で、なぜそうなったかというと
当時は男女両系継承で、倭王家と百済王家は皇位継承権が重なっていたから
中大兄皇子は百済復興が成功したら両国の王位を継承した大王になるつもりだった
>>5 任那日本府は移住倭人やその子孫の寄合程度のもんだよ
別に倭国公式の統治機関じゃない
だから倭国の都合まる無視して新羅と仲良くしたりしてた
古代から朝鮮半島を日本人が支配してたんだよなあ
韓国で日本人の立派な古墳が見つかるとそっとじで埋め直すのは有名w
>>488 その記録は中国側の史料なんだけどな
倭の五王が、南朝から高句麗と百済を除いた半島の国家の支配権も認められていた
倭としては、百済の支配権も求めていたが、百済王も独自に南朝と関わりを持っていたので、それは認められなかった
倭の五王が即ち当時相当する天皇を指すのかは議論するところ
九州が大和だったのかはわからない
朝鮮=百済
九州=邪馬台国
本州(機内)=大和(天皇)
だったんじゃねーか
>>486 天智天皇が両国の王位を継承する大王になろうとしたのはあり得そう
でも白村江の戦いで負けて、実の妹と近親相姦して、天皇の資格あるの?みたいな気運が出てしまって大海人皇子派が増えて天智天皇亡き後、大友皇子につく人が減って壬申の乱で負ける
勝った大海人皇子が天皇に即位するという歴史だと思われる
>>495 推古天皇が「大大王」を名乗ってる資料があるんだよな聖徳太子関連の資料で
大大王って何か2つの王統を統一したかのような称号
>>494 天孫降臨の時に
「ここは韓国に向かうから良い土地である」
とか言ったって神話やろ
向かうから良い土地ってことは何かしら韓国に思い入れがあったんだろう
故地であったか、憧れの国であったかは知らんが
>>5 古代に自国の領土だったから現代も自分達に領有権があるとか主張するのはナチスやイスラエルの論理だろ
>>37 現代人の感覚では過酷だったろうけど
糸魚川の翡翠が朝鮮半島まで流通してるから
交易ルートは確保されて交流は活発だったんじゃないの
魏志倭人伝にも朝鮮半島から対馬経由で日本に行く航路が記録されてるし
日本神話でも古代から朝鮮半島の存在を認識してるし
国境の概念が今より希薄な時代であれば朝鮮半島と日本列島みたいに往来の手段が確保されてる場所同士はお互い外国とは認識されてないかも
>>499 流石に百済と和国では言葉も文化習俗も大幅に違うし外国として認識されてたんじゃね
百済っつか三韓みんなそうだよな
倭人が多く移住した加耶はある程度希薄になっただろうけどそれでも違いは厳然としてある
倭人と百済人は縁もゆかりもある関係だったのに
今の韓国朝鮮の人とはそうでないのは
まあ百済滅ぼした不倶戴天の敵だから
あと済州島の古名は耽羅(タンラ)だけど
これは田村皇子との関連が言われてる
朝鮮半島側の史書で「耽羅島には倭人が多く、耽羅では言葉が通じない」とある
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