5世紀前半の百済の首都から倭人の埴輪が出土。ジャップ奴隷工人の痕跡か? [237216734]
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[単独]韓国ソウル付近の百済跡で1600年前の日本人居住痕跡が発見された
https://x.com/ise_hachiro/status/1765718804250906704?s=20 1500年余り前にソウルに日本から移ってきた技術者をはじめ倭の移住民が工房などの生産活動に従事していた事実が明らかになった。最近、彼らが暮らしながら墓に使う葬儀用品として使ったと推定される日本特産土器が相次いで確認されたためだ。
地中の文化遺産を発掘・調査する機関である大韓文化財研究院は6日、今日のソウルである漢城に百済王朝が都を置いた漢城百済時代(西暦18年~西暦475年)の京畿道城南市福井洞(ソンナムシ・ボクジョンドン)にある百済時代の官営土器窯関連遺跡から、古代日本権力層の大型墓を飾った土器装飾遺物「埴輪」を初めて発見したと明らかにした。
埴輪は5世紀前半の古代日本の典型的な装飾型土器で、主に円筒形のものと動植物形の象形造形物、家などの住宅造形物などに分けられる。今回発掘されたのは円筒形で外壁に穴を開けた5世紀の造形物だ。
>>186 今の日本も同じじゃないか
天皇伊勢神宮神社本庁日本会議なんて宗教用いた洗脳教育だろ
>>185 人口、何人からが国で何人から集落だ?
集落にも長がいて幹部がいる、国にも長がいるが国の基準はなんだ?
都市国家と集落の違いはなんだ?
どの時点から都市国家になる?
>>122 百済は白村江の前に滅亡してたし
任那日本府も(実在してたら)その頃には存在してないよ
>>195 宗教教育というより天皇伊勢神宮神道での刷り込み洗脳か
>>184 その通り紀元前4世紀頃からボチボチ鉄器を使い始めた倭は、鉄素材の100%を半島からの輸入に依存し続けていた。
漸く倭が国内での製鉄に着手するのは6世紀前半から。6世紀前半といえば金官加耶(任那の語源になった地域)が新羅に併合された時期である。おそらくは安全保障上の観点から高いコストを払ってでも鉄を国内生産しておこうという話になり、岡山や北部九州で鉄鉱石を掘り始めたのだろう。
>>5 >>178 明確に統治機関としての存在を認めた論文はない
>>197 あれれぇ?
「栄山江流域は百済地域じゃなくて任那地域」の根拠は神功皇后紀に登場する「任那四県」でしょ?
神功皇后って4世紀後半に活躍した人物だよ?それなのに470年からでいいの?www
>>177 実際征韓論はは神話の記述が根拠になってる
>>177 それ8世紀くらいのジャップも同じこと考えてたみたいで、『古事記』に「神功皇后の母方の祖先は新羅王子なんだよ~」という記述が唐突にぶっこまれている。
>>7 漢字の読み方すら大陸直輸入じゃなく半島経由だからな
>>202 ちがうよ
日本書紀の512年の「任那4県割譲事件」の任那4県だよ
例えば咸平新徳1号墳は4世紀末だから明らかに割譲前に存在したよね?
全羅南道の前方後円墳を任那四県(日本書紀)の証拠だとかほざいてるガイジは、両者の現れる時期に100年近くの乖離があるということをどう思っているんだろうね?馬鹿すぎて話にならんわ
>>206 日本書紀によるとその「任那4県」が誕生したのは神功皇后の御代だぞ
あと咸平新徳1号墳は4世紀末じゃなくて5世紀末だぞガイジ
>>209 いや同時代だよ
大伴金村がそれで失脚してるから任那4県が元々日本のものであったのは
昔からそこが大きな論証の起点となってるよ
>>179 そりゃ基礎語彙全然違うしな
>>204 いや
その前に、新羅王は神武天皇の兄弟と書いてあるが
つまり、アメノヒボコは神武天皇の兄弟の倭人系の王子
>>212 日本書紀が起点としているのは神功皇后紀だぞ
>>211 誕生なんか知らんしどうでもいいわ
割譲事件があったってことは古墳ができた時期に任那4県が存在してたのが論証できるわけで
おまえが何も知らんだけ
>>216 日本書紀の起点じゃなくて任那4県割譲の論拠の起点だ
>>215 暇だからレスしてるだけだぞ
それに連投というのは意味が違う
『任那四県』は第一義的に「史料(日本書紀)上の存在」である。
「史料上の存在」である『任那四県』について論証するなら、当然『任那四県』が現れる各種史料を「厳密に」「正確に」読み込む過程を経なければならない。
そして日本書紀上の存在である『任那四県』は神功皇后の時代に発生したということになっている。それを証明できない限り、任那四県の存在も証明できない。
>>182 イザナギイザナミはともかく神武天皇実在は特に問題無いだろ
初期天皇は寿命が長すぎ問題はあるが、古代史はどの国もそんなもんだ
非科学的な伝説は付き物
中国の三国志でも嘘みたいな話ばかりだからな
しかしこいつにとっては古代の朝鮮半島がアイデンティティなんだろうなぁってのが伝わってくる
かわいそうな人ですな
>>224 そうか?
まあ君にはそう思えるんだろうねとしか言いようがない
>>3 安倍晋三をこんな可愛らしくも、単純な形に模した造形師も凄いww
>>217 出来ないなぁ
単なる誇張かもしれないだろ。そもそも全羅南道の前方後円墳は九州系(筑紫君磐井とかその辺りな)のものであって、大和朝廷からの直接的影響を受けたものじゃないんだよなぁ
馬鹿だから知らないんだろうけど
>>230 もし前方後円墳が大和朝廷の象徴だったのなら邪馬台国論争は集結するけど。そんな単純じゃないんだよなぁ
>>222 困ったら念仏かw
事実古墳と同年代に任那4県割譲事件が起こってるのはどう説明すんの?
512年に日本の権臣だった大伴金村が責任とらされて失脚してるんだけど
>>225 普通に史料との整合性を語ってるだけやろ
>>234 いやなんかそれ以上のものを感じるけどね
>>235 むしろ史料にないことを妄想してる側が必死に見えるが
>>237 俺から見りゃ両方ともキチガイに見えるが
武士のルーツは滅ぼされれた高句麗の難民で
先に日本にきてた百済系が高句麗難民の西日本への入植を嫌がって
関東に追いやられたからだと思ってる
大陸由来の騎馬文化がなぜか日本で南下してくる理由ってこれしかない
稲飯命(神武天皇兄)
『新撰姓氏録』
右京皇別下新良貴条は、「是出於新良国 即為国主 稲飯命出於新羅国王者組合」とあり稲飯命は新羅王の祖である
『三国史記』新羅本紀・脱解尼師今紀
「脱解本多婆那國所生也 其國在倭國東北一千里」とあり新羅の4代目の王にして昔氏王統の初代である脱解尼師今は倭国の東北千里にある本多婆那國の出である
アメノヒボコは神武天皇兄の倭人系王の王子だった可能性が高く
だからこそ、アメノヒボコの伝承は丹波但馬に多くの残るのである
神功皇后の母方の話な
>>234 史料との整合性を考えるのなら、半島南部の前方後円墳は東城王即位と絡めて論じた方がいいわな。
百済ってのは西暦475年に一度滅亡してるんだが、そん時に倭国に滞在していた王子が倭兵五百人を引き連れて百済に帰国してんだわ。
そういう倭系傭兵の墓が全羅南道の前方後円墳だと考えれば全てが整合する。全羅南道の前方後円墳が築造され始めるのはまさに5世紀第4四半期からで、東城王即位と同時期の出現だからな
>>244 これ所沢が必死に書き込んでると思うと笑えるよな笑
あと全羅南道の前方後円墳から出てきた捩り環頭大刀は島根県や兵庫県からも出てきてるんだけど
これどうなってるの?
資料の整合性とやらを教えてくれよw
>>236 それについてちゃん書いてる歴史家が書いてる論文を探せば?
所沢中退が今頃顔真っ赤にして書き込んでるんやろうなあw
播磨風土記には新羅の王子がこの地を収めたって書いてるから
そこ生まれの俺は渡来人なんだなって思ってるわ
>>247 よくわからん
そんな事言ったら古墳時代中期以降に日本列島を席巻した「須恵器」は半島南部で誕生した陶質土器から派生した土器だけどどうすんの?
全ジャップが半島南部の文化真似てるんすけど
>>244 そんなの1年とかの間だろ
たかだか和平500人のために大規模な古墳が短期間にばんばか作られるはずないね
>>250 先祖は神武天皇の兄
稲飯命(神武天皇兄)
『新撰姓氏録』
右京皇別下新良貴条は、「是出於新良国 即為国主 稲飯命出於新羅国王者組合」とあり稲飯命は新羅王の祖である
『三国史記』新羅本紀・脱解尼師今紀
「脱解本多婆那國所生也 其國在倭國東北一千里」とあり新羅の4代目の王にして昔氏王統の初代である脱解尼師今は倭国の東北千里にある本多婆那國の出である
アメノヒボコは神武天皇兄の倭人系王の王子だった可能性が高く
だからこそ、アメノヒボコの伝承は丹波但馬に多くの残るのである
神功皇后の母方の話な
>>248文めちゃくちゃになった
それについて歴史家がちゃんと書いてる論文を探せば
大学教授の論文とか検索したらすぐ出てくる
>>193 3~4世紀の金官伽耶の王の名前が日本書紀崇神紀に現れるんだが、「于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき)」だぞ?
どう考えてもジャップじゃないだろ
ジャップは既に同化されて韓人になってんだよ。土器だって弁辰韓Ⅴ期いうて倭人とは別のもんだし、副葬文化も倭人とは違うし(倭人は鏡を多量副葬・韓人は鉄インゴットを多量副葬)、半島南部に倭人勢力が居残っていた形跡がほぼ無いんだよ。
>>240 その通り
高句麗移民が関東に入職し馬牛を育て始める
↓
東北エミシに騎馬、牧畜文化が伝搬
↓
臣籍降下した清和源氏の義経が合流
ちなみに古墳て書いてあるけど古墳群だからな
500人の中でも下位の兵卒のためにわざわざ大規模な古墳を作ったりすることなんか
なかっただろうしな
>>256 きゃー所沢中退が必死に長文書き込んでる😂
>>251 でも朝鮮半島からは任那4県の古墳からしか出てきてないねえ
一般利用された須恵器とは違うね
>>252 実際20基程度しか作られてないし
>>260 20基程度の古墳にしか影響を及ぼさなかったジャップ
ジャップ全員に影響を及ぼした金官加耶
もう完全に勝負ついただろw
>>261 日韓の言語についての動画
この人面白いから見てみて
任那日本府の話題はネットばかりでテレビやまともな書籍で触れられないのは何故やと思ってるんだ?教科書にもないし
証明するような歴史家によるちゃんとした論文がないからじゃね?
>>258 いや東城王即位の功臣だぞ
日本書紀によると倭兵は筑紫から派遣された集団だし、百済王の命令で全羅南道辺りに封土しておけば百済と筑紫の交易を上手く差配する役割を担えるわけだ
>>244 継体天皇の任那四県割譲がきっかけだろ
継体天皇はたぶん任那を意図的に滅ぼした
任那は九州系の豪族が独自に開拓経営してたんだろう
継体は百済と連携して任那を滅ぼした結果、任那は倭人支配から開放され、百済領になってしまった
>>256 その時代のジャップならありえる名前だよ
なにせ当時ジャップがどんな名前で呼ばれていたのか誰もわからないからな
>>271 ガイジ過ぎて話にならんな
『干岐(かんき)』は魏志韓伝に登場する典型的な韓人の尊称だぞ
つまりジャップではないということだ
>>262 未発見なだけだろ
それにしたって古墳20基が500人のためなわけがない
>>272 史料を研究した結果の現代の論文だと普通の日本語読解力あればわかるんやで
>>276 だから500人の中の特に優秀な人物の墓なんだろ
>>257 牛も馬も縄文時代から日本列島にいるっての
>>264 あと「捩り環頭大刀」は朝鮮半島では古墳からしか見つかってないんだけどそれどういうこと?
つまり「捩り環頭大刀」は朝鮮半島で生産されていないってことなんだけど
どっから持ってきたのかなあ?
ヤマトから任那を継続的に統治するなんて無理だから
実際は九州豪族に任那統治を任せてたら
九州豪族の力が強くなりすぎてヤマトと対抗するようになった
ヤマトは皇位継承のグダグダで継体天皇即位時にはかなり弱体化してた
そのタイミングで九州豪族は新羅と組み本格的にヤマトに対抗、独立の動きを見せた
ヤマトの継体は百済と手を組むことでそれに対抗した
その帰結として磐井の乱と任那四県割譲が起きたわけだ
メイクセンスでしょ?
>>276 歴史語るならあるものだけで判断せんと単なる妄想になってしまう
>>279 たかだか500人の援兵に数十人も大規模古墳作って祀るほどの上位者がいるわけねーだろ
朝鮮人にも天皇の血が流れてそう。だから最近の韓国が優秀なのか。
>>280 牛馬が日本列島に来たのは4世紀以後
魏志倭人伝に「倭に牛馬なし」と書かれてる
高天原神話で「スサノオが馬の死体を機織り場に投げ込んだ」ってあるけど
それこそまさに高天原が朝鮮半島にあったという評価なわけだ
だって古代日本に馬はいないわけだから
>>286 大陸は薄葬令が浸透してて、大規模古墳で喜ぶのって未開ジャップだけだったし
作りたいなら勝手に作ればって話
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