(続き)と一緒に聴く前に、二人とも「まる子の声は、少なくとも理科教室のお姉さんのような"ハキハキした活発タイプ”ではない」という見解で一致してはいたが、様々な声優さんの声に続き、TARAKOさんの声が流れた瞬間、心の深い部分がほぐれて細胞に染み入った。「この人しかいない」とお互い(続く)
(続き)うなづいた。我々が「原作のイメージと違いすぎるので、これならアニメ化しなくてよいです」とアニメ会社に返したのは、声優選びよりずっと前。最初の打診で渡された「パイロット版」VHSテープだった。まだ無音声でセリフは別紙に記されていた。この試作動画を作った方は、おそらく(続く)
原作の持つ「ナンセンスさ」「80年代サブカル的視座」「あるあるのミクロ的追求」を嗅ぎ取れておらず、それはおそらく「家庭を舞台にしたほのぼのとした漫画」としか捉えていないからだった。まるで「自動車教習所で見せられる教育的アニメ」的な世界観のそのパイロット版の全貌が下記だ。(続くかも)
(続き)私はさくら氏と「ドラえもんとか元祖天才バカボンとかど根性ガエルみたいな、原作と違和感ないアニメ化が実現したらいいのにね。日本昔ばなし的というか」と話していた。アニメ会社が次に「これでどうでしょう」と出してきたキャラデザインはまさにそういう仕上がりだった。かくして(続く)
(続き)私たちはアニメ化を許諾した。その監督(芝山努氏)と我々が引き合わされた時、実は最初のパイロット版があまりにイメージと違っており、私とさくら氏の間でこれこれこういう理想を語り合っていたのだと監督に明かすと「あ、それ全部俺がやったやつだ」と言われ、そのご縁に二人で驚いた。(続く)
(本題の続き)監督は隣にいた"アニメ会社のプロデューサー"氏に「パイロット版、誰がやったの?」と尋ね「…森康二さん」と答えが返って来た。芝山監督は「ええ! 森さんに悪い事しちゃったなあ」と恐縮していた。後でわかったがその方は私が生まれて初めて(3歳の時)見て圧倒され今なお影響大の(続く)
(続き)劇場用東映アニメ「わんぱく王子の大蛇退治」作画監督をはじめ、あの「わんわん忠臣蔵」「ガリバーの宇宙旅行」「太陽の王子 ホルスの大冒険」などで原画を担当し「長靴をはいた猫」では作監を務めていた方だった。思えばこの「まる子アニメ化」の企画が持ち上がった89年後半(続く)
(続き)森康二氏は65歳、芝山氏48歳。「まる子」の世界観の咀嚼力の差は年齢によるものか、芝山氏が浅草仲見世の老舗の息子さんゆえ笑いの造詣が深かったのか。とにかくパイロット版は「まる子が廊下を歩く描写」も「祖父・祖母・父の描写」も原作から乖離し単なる定型で流していたのは事実だ。(続く)