でもほぼ確定してることだけを列挙しても
・唐古鍵の弥生集落が衰退した後に、突然三輪山の山裾あたりに小型の纏向型前方後円墳が作られ始める
・急速に大型化し、その後全国に広がる前方後円墳の雛形になる。箸墓古墳。
・同時期に近くで大規模かつ方位を揃えた居館が建てられる(国内に例無し)
・そこから100年ほどは文字の記録がないが、近隣には巨大前方後円墳が建てられる続ける
・ほぼ実在が確実視される雄略の都と思われる居館が伝説通り三輪山の麓で発掘
・都はその後転々とするが、前方後円墳を作る文化は長く引き継がれる。

となると考えられるのは
血縁はともかく体制は発展継続された。クーデターはあったかもしれないが、文化的なつながりは保たれた


はっきり言って萬世一系を信じてるまともな学者なんて1人もいないが、纏向がその後のヤマト王権の始まりを否定するまともな学者も1人もいない。

箸墓が卑弥呼かどうかはわからんが、その時代で最も勢力をもった豪族の墓であることはどうやっても否定できない。