邪馬台国と大和国って読み方が同じなのは偶然なの🗾 [509981292]
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古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る
初回放送日: 2024年3月17日
私たちの国のルーツを解き明かす壮大なミステリー!古代史の空白に迫るシリーズ第1弾。謎の女王・卑弥呼の邪馬台国はどこにあった?発掘調査と最新科学が突き止めた新事実を紹介。人骨やDNA分析から見えてきた激動の東アジア。「三国志」に秘められた卑弥呼のグローバル戦略とは?最強の宿敵・狗奴国とのし烈な争いの結末は?未知の古墳のAI調査や大規模実験で徹底検証!日本の歴史を変えた卑弥呼の波乱万丈のドラマを描く!
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/2Z8RVKV3G7/ 昔の「大和」の発音が沖縄の方言の「ヤマトゥ」みたいな感じだったなら
「邪馬台(ヤマタィ)」って音写に近いと思う ヤマタイ
ヤマト
読み方違うけど…江戸時代から来た人なの? 邪馬台国
やまたいこく/やまとこく
旧字:邪󠄂馬臺國
江戸時代に新井白石がやまたいこくって広めたんだよ >>51
委という漢字を見ればわかるが
女が付いてる
そこに禾、つまりイネやアワがついてる
イネやアワというのは実るとゆらゆらクネクネするだろ
そこから女がゆらゆらくねくね他人に判断を任せる様を表してる
要するに弱々しいとかそういう印象の漢字なの >>45
狗奴国が関東、東北ってことにされていたな
暴論過ぎると思うわ 「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読むヤツはいろいろと馬鹿。
まず原資料の表記は、邪馬「台」国じゃなくて 邪馬「壹」国。「一」の難しい漢字。
で、これは中国の史書に出てきた用語。当時の中国語で読むのが当然。
だから例の国の名前が「ヤマタイコク」である可能性はほぼゼロ。ゼロ。
こんな基本事実をいつまで無視してたジャップのバカぶりは無限大w
だから「邪馬台国」という名前を勝手にジャップ語で
「ヤマタイコク」と呼んで、
ヤマトに似てるから「邪馬台国」は畿内に違いない!
とか言ってる奴は白痴オブ白痴の大馬鹿野郎。
「ヤマタイコク」(笑)よりまともな推測音はこんなかんじ。
邪
・z-a, ia, ua (1) ザ、ズィア、ズア のどれか
・j-a, ia, ua (1) ジャ、ジア、ジュア のどれか
馬
・m-a, ia, ua (2) マ、ミア、ムア のどれか
壹
・?-in, it(4)イン、イト のどれか
いっとくが j-a, ia, ua は、ヤ、イア、ユア とは読めないからな。 魏志倭人伝より
倭国
卑弥呼が鬼道を使い統治する
魏志韓伝より
馬韓
卑弥国があり、鬼神を祭っている
はははジャップw
卑弥国:三国志魏志で朝鮮西南部馬韓にある小国
邪馬国:三国志魏志で朝鮮南部弁辰にある小国 ジャップの支配層はいまだに日帝主義者だから、
「ジャップは最初から天皇に統一的に支配されていた」
という妄想を維持したい。
しかし『魏史』倭人伝の邪馬台国の記述は、
明らかにそれに都合が悪い。
どうみても九州のほうにいたと思われる
卑弥呼が「倭女王」だとはっきり書かれてる。
そこで、ジャップの支配層は「邪馬台国は近畿にあった」
という無理な主張をして、自分たちの妄想を守ろうと悪あがきをする。
「とっくの昔から近畿説が学会の総意」というような嘘を書き連ねる。
邪馬台国ネタは、
ジャップの支配層、天皇を頂点とする上流国民が、
いかに幼稚で愚かか、ということを暴露してくれる話題。
だからネットでもどこでも 繰り返し蒸し返される。
ネトウヨは性懲りもなくバカをさらしに集まってくる。 1 卑弥呼の墓は奴婢100人とともに殉葬
こんな墓は日本列島には一基たりともない
2 邪馬台国では鉄器使用(製鉄技術もあった)
砂鉄を用いたたたら製鉄ができるのは6世紀以降
3 撰者陳寿は洛陽以北へは一歩出てない(伝聞)
呉を牽制するための作り話がほとんど
いい加減にしろ池沼ども 鉄器使用(製鉄技術を擁していた)
卑弥呼の墓は殉葬
日本列島にはそんな遺構はない 富雄丸山古墳がアツすぎて邪馬台国への興味が薄れていた今日この頃 >>88
現状、邪馬台国の諸学説に伴(ってしまっ)ているイデオロギー的には実は右派が九州説を好んでいるんだよなぁこれが >>1
紀伊半島と九州の地名配置の一致性も偶然なの >>13
>大和
倭の字を疎んで和の字に変えて自尊心から大もつけたのだと思う >>94
安房は阿波からの漂流民が黒潮乗って流れついたから的な? >>1
原文は邪馬壱国だろ
勝手にヤマタイ国と読めるように「訂正」してある 朝鮮半島に日本のより
新しい古墳が出てきたのはビビったわ 大和は地名だ
国号とは違う
国の名前は、倭→日本となった
大和という国名はない >>14
人名ないし人を呼ぶ名称だから
姫御子か日巫女かそんなとこでは >>89
1.祇園山古墳群
2.2〜3世紀の鉄器は発掘されまくっているが
3.あがってきていた報告書をまとめただけだろ
戸数を中心に誇張が大きいことは同意だが 福岡の山門(ヤマト)は門(ト)が万葉仮名的に見ると甲類のトでいわゆる大和は夜麻登で登(ト)は乙類のトという話 >>14
当時の日本にh音はないからk音に置き換えてるだけで
中国側が「呼」の字を当ててるならカ行ではありえないんだよなあ 卑弥呼→卑(いやしい)
邪馬台国→邪(よこしま)
倭人→倭(いわれるままに従う者)
ひでえ言葉だな >>98
半島の前方後円墳は1代で終わってるらしいから亡命した北九州政権だろうな スミダ川は「大川」だったのにスミダ川にされたんだよ ヤマトはそもそもは奈良県天理市付近の地域名だったはず
だったはずというか一応有力説がそうなっている
ミワ山の麓から北にズレているのは不思議だが >>111
語源はヤマ(山)+ト(戸、入り口)で普通に日本全国にあるんで・・ 卑弥呼(日向)の召喚魔法によって天孫が降臨したのだ >>108
奈良はたぶん「新しい(×××)国(ナラ)」みたいな名前を付けたんだろうけど二字制限で奈良になったんだろうな 当時の伊都国には魏の役人が常駐していたとの記載が
あるので少なくとも伊都国の住民は漢字の存在を知っていた
はずだから卑弥呼も漢字が読めたはず、魏から卑弥呼に檄文を
送ったと倭人伝には記載がある 魏「どこからきたの?」
九州人「山たい」
邪馬台国誕生の瞬間であった 巻向や磯城じゃなくてなぜ大和なのか
>>112
その地名にいつその漢字が当てられたかによって見解が変わるけど大和のトは記紀において登や等の字を当てられていてこれは乙類のト
都、戸、門のトは甲類のトで万葉仮名的には別であることは抑えておきたい >>85
前方後方墳の分布から見て文化的に同質性はあったんじゃない?
関東・東北 >>117
「山たい」(yama tai)は「山たり」(yama tari)の変化じゃねーの? ヤマダイとヤマトは似てないだろ
それだったら山田のほうがまだ似てる ヤマト読みがおそらく正しいのだろう
地名でしかなさそう なぜ1000年以上前も今も文字に対して読みは変わってないという思い込みからスタートするんだろ? あったのは倭国造であって倭県主は存在しないんだよな
国造より県主の方が身分としては古い
倭国造初代椎根津彦が記紀では奈良盆地外から来た神武の仲間として描かれている事実
磯城県主が間違いなく先住
ただしこの辺の事情は加上に次ぐ加上でぐちゃぐちゃになってそう 漢字のほうの大和は
「倭→和」にしてそれに大を付けただけだ
元明天皇の700年くらいの時だ
ヤマトを言うのはヤマト政権からきてる
ヤマト政権だから「大和」をヤマトと読むようになった
じゃあヤマト政権のヤマトはどこから来てるかというと
山の門で
山門(ヤマト)だったわけだ
奈良(ナラ)は半島後の「我々」だけど
奈良は山門とも呼ばれてたそこから「ヤマト」の呼称がきてる
邪馬台国は山の台地の場所だったんだろ
山門国は山の門のある奈良の地にあったわけだ
「ヤマ」が同じなだけだ。 >>107
そりゃ当時の中国人からしたら化外の民だしな
中国で三国志やってる時代に
倭の連中は、靴もはいてない、布ももってない、文字もない
顔に入れ墨して石器をメイン武器にふるってたんだぞ
中国では農民も農具に鉄使ってるのに 結局崇神(イニエ)がどこで何をしていたかが分からないと何も明らかにならないなという印象
個人的には欠史八代の奈良盆地西寄りにあったとされる宮・陵が怪しく思えて仕方ない
記紀の中で加上により出来事の時系列を逆転させた(少なくとも一度は必ずやっているはず)回数と範囲を探すのは本当に難しい 九州追われた邪馬台国の生き残りが奈良盆地に住み着く
↓
邪馬台国(ヤマトゥ)って国名にすんべぇー >>100
首都の地名が国家政府そのものの名前になることはよくある >>92
九州説の発端が江戸時代の国学者が「天皇の先祖が中国に朝貢していたはずはない、卑弥呼は九州の少数派の酋長にすぎない」って言い出したことだしな
なお、日本書紀では神功皇后の記事の注釈に卑弥呼の話があり、どうやら神功=卑弥呼と推測されていた模様 昨日のNHKの番組だともう箸墓古墳でケテーイみたいな流れだったな >>128
三国志の時代は劉備ですら青銅の双剣じゃなかったか
卑弥呼辺りの倭は風俗見ると黄巾の残党っぽいんだけどな五斗米道繋がりの ヤマタイとヤマトが同一であるという考えは無理があるのではないだろうか 昨日NHKでやってたけどさあ変な芸能人が出てきてドラマ仕立てにしてそういうのいらないからもっと普通の番組作ってよ
あれがNHKが言うところの「上質」な番組なんか 邪馬台(後漢発音:ヤマダ)と大和(現代日本語:ヤマト)で同じ読み方なのは
現代日本人が「邪馬台はヤマトと読むに違いない」と決めつけて勝手にそう読んでるだけだよ
古代中国では台(臺)をダもしくはダイとは読んでもトなんて読まない 別にどっちでもいいよな
どうせヤマト王朝は奈良なんだもの 邪馬臺国ってもしかして台灣、琉球だったりしてなw
だったら九州幾内説どちらでもない 纏向は邪馬台国と同時代の建物だったから纏向は邪馬台国だは無理があるだろ >>140
https://www.tnm.jp/modules/rblog/1/2019/08/15/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97%E3%81%AE%E8%BE%B2%E5%85%B7/
武器に関しては青銅と鉄の移行期には
青銅のほうが優れてたとかもあるから青銅の剣もあったんだろ
重くて丈夫な鉄は農具として普及してた
あと卑弥呼が五斗米道や黄巾の原始道教のもとになってる
神仙思想とかを学んでた可能性は0ではないけど
流石に直接の関係はないだろ
田舎シャーマンなんだから >>149
科学的なドキュメンタリーやりたいのか妄想垂れ流したいのか分からんな
卑弥呼が大河ドラマの武家の棟梁みたいな感じで評定開いてたが魏志倭人伝の記述と思いっきり違うだろと思ったわ 魏志倭人伝曰く、卑弥呼は公孫氏だぞ
遼東から朝鮮半島北部を支配した公孫度・公孫淵らが倭国支配のために送り込んだんだよ >>152
台湾は琉球って呼ばれてた琉球はオキナハ島 昔の中国人の東の島々に関する地理感覚はかなりごちゃごちゃだからな
魏志倭人伝にも明らかに日本では無い常夏な描写が混じったりしてる NHKスペシャルであんなトンデモやるとは思わなかったわ
あんなの歴史秘話ヒストリアだけにしとけよ >>158
それと関係あるかは分からないけど沖縄の方言で北のことをニシというんだよね(西のことはイリ)
ニシという言葉は季節風絡みの語という説があるので地域によってニシの方角が違っていたかもしれず、これが邪馬台国の方角に関する記述における諸々の矛盾を生んだ可能性がある 台湾は夷州って呼ばれていて孫呉が住民拉致目的で出兵した記録残っているとかなんとか >>158
海に潜って漁していたのと冬も生野菜食ってたってぐらいじゃね
今の福岡や畿内の冬の平均気温見ても普通に温暖な地域だろう >>4
逆だ
奈良は均すから
朝鮮はそれを見てああ大きな集まりはナラというのかと思い
国をナラと言うようになった 九州弁で山たい、は流石にない(面白いが)けど、
お前らなに人?ときかれて、
わ?(俺?)
ってのは十分あり得る話だと思う
まだ国という概念がない時代だから、自分たちの国を呼称する習慣がなかったかも 倭って漢字あるでしょ これ実は日本人の種族名称だけの漢字じゃないんです 中国の人名にたまに使ったりするし地名にも倭が入ってたりする
穏やかで従順とかひだやしわががはいってるとか云う意味らしい そこで日本列島に住んでる人たちをなんで倭人と呼ぶことになったのかということだが自分は倭面からきていると思う 倭面、すなわちひだの入った顔ですね 顔に入れ墨入れてたから細かいひだが入ってるように見える、つまり倭面なわけです >>168
邪馬台国の後継は蘇我氏だぞ
そして蘇我氏は渡来人 >>21
大和の大は大日本帝国や大韓民国の大と同じ
倭国→和国になって大和国に変化した 倭人「大倭(ダイイ)」
中原の人「じゃあおまえなんか俀(ダイ 弱いという意味)だwww」 倭国の「わ」は一人称の「我」「吾」「私」の「わ」じゃないかな?
ただ漢籍から見るに、「倭人」は朝鮮半島南部とから南の島々の住人まで含んでいそうだが >>172
そうだと思うんだけどそういう意味なら中国側が倭国(ワコク)なんて呼ぶはずが無いんだよな
やっぱり金印に記されてたのは委奴(イド)国じゃなかったのかと 魯国の国王である宣公は倭(わ)と名乗っている
さらに中国史上において漢語以外の地名・物産名などの音訳として,倭はよく使われている。例えば,河川名としての倭肯河(わこうが)(吉林(きつりん)省宝清(ほうせい)県に源を発する)と倭西們河(わせいもんが)(黒竜江省呼瑪(こま)県を経由して黒竜江に注ぐ河),地名としての倭赤(わせき)(新疆ウイグル自治区の県),物産名としての倭瓜(わか)(まくわうり),などである。
http://salon.gooside.com/wakao.htm
というわけで倭は別に種族名の漢字じゃないんですね 敷衍しました >>173
>中国側が倭国(ワコク)なんて呼ぶはずが無いんだよな
これはよく分からん
自分のことを「わ」という人間の集団を「倭人」と言うことに何の不自然があるんだ?
漢人が「お前なんて言うんだ?」ってジェスチャーして、倭人が「我だ」って答えるようなシチュエーションは十分ありうる
ちなみに他の民族だと匈奴(ふんぬ)はモンゴル語で人間(ふん)の複数形
漢人が古代モンゴル人の集団を指さして「あんた達なんて言うんだ?」ってしたら匈奴人が「人々だ」って答えたんだろう そもそもヤマタイなんて言い始めたのは新井白石からだろ
それまではヤマト しかも卑字と貴字を混合して使うわけねーんだよな
臺(台)じゃなくて壹(壱)のほう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています