誕生秘話…あのファンタに秘められた黒歴史とは

■ 炭酸飲料「ファンタ」の誕生ストーリーを知る人は少ない。
実はファンタは、第二次世界大戦中のナチス・ドイツで誕生した代替飲料だった。ミラー紙(電子版)が報じた。

 「神と祖国とコカ・コーラのために」の著者、マーク・ペンダーグラスト氏は言う。
「コカ・コーラは1886年にジョン・スティス・ペンバートン博士によって考案され、米アトランタの薬局で1杯5セントで売られていた。
南軍兵士として南北戦争を戦った博士は、戦後も刀傷に苦しんでいた。
療養中に彼はモルヒネ中毒になり、コカの葉とコーラの実で作ったコカ・コーラが鎮痛剤の代わりとなった」。
コカの葉は、中毒性の高い薬物「コカイン」の原料としても使われていた。
1895年、コカ・コーラは全米に浸透。1929年にはドイツでも生産されるようになった。

 1933年、ナチスが政権を握りつつあった頃、ドイツ人のマックス・カイト(Max Keith)が、コカ・コーラ社ドイツ法人を引き継いだ。
しかし日本の真珠湾奇襲により、米国が第二次世界大戦に参戦。米国企業はドイツとの商取引を停止した。
コカ・コーラの原材料が手に入らなくなったため、カイトと研究チームは国内で手に入る材料を使って、代替商品となる清涼飲料作りに没頭。
そしてリンゴジャム製造時の搾りかす、てんさい糖、ホエー(チーズを作る際に出る乳清)などの残り物を使って、何とか新しいレシピを完成させた。
現代のファンタとは随分異なるものだった。

 カイトは、会議で新商品の名前を募った。営業マンの一人が「ファンタジー」を意味する「ファンタ」を提案し、採用された。
ファンタは順調に売り上げを伸ばしていった。敗戦後、ドイツにやって来た米兵が、破壊された工場でファンタを製造し続けているカイトを見つけた。
同社のハリソン・ジョーンズ副社長は、カイトを「偉大な人物」と称賛し、コカ・コーラ・ヨーロッパの責任者に任命した。

 1955年4月、コカ・コーラ社はオレンジ風味のファンタを復活させた。イタリアで開発され、1958年に米国に渡った。
「Fizz」の著者、トリスタン・ドノヴァン氏は「カイトがナチスの協力者であったことは間違いない。
しかし、ナチ党員ではなかった。彼の忠誠心はヒトラーではなく、コカ・コーラ社にあったのだ」と語っているが、真相はファンタのみが知る。
By 週刊ジャーニー (Japan Journals Ltd London)

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