大乗仏教の中心概念「空」ってマジ意味不明すぎね?これ説明できる奴いるの?? [373226912]
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
「色即是空」「諸行無常」は今から2500年前にお釈迦様が当時の
インド人に対して説いたこの世の仕組みの一つ
簡単じゃん
世界はただの原子の粒なだけ、って言ってるだけ
これが科学的事実なのはいいけど仏教の最高典に数えておくほどでもないよね
空は説明できるけど仮とか中とか縁起とかとどう違うかはわかんない
「空」とは「無」ではなく
しかし例えることのできない宇宙の真理
量子力学に通じるものがあると本が出ていたような…
あった『世界は「関係」でできている: 美しくも過激な量子論』
この中で仏教は量子論に繋がると説明されている
原典知ってたら分かるぞ
शून्य シューニャ
すなわち0のこと
起点を意味するから、唯識の根拠になっている
空っぽの意味ではない
何かに意味を見出すのは人間だけって事だけど別に中心概念ではないな
「色」=もの 物 物質
「空」=?
物は「空」である
大乗仏教は最初の根本で
世親の唯識と龍樹の空に分かれると
聞いたけどあってるのか?
「諸行無常」=すべてのものは移り変わる とか 同じ状態で存在することはない とか
つまりこういうこと
* _____ ・
+ / /⌒ヽ \ * *
* / . (ヽ´ん`)ヽ
| ( つ¶ つ¶ | * ・ +
((( (((( ⊂二二二二二二⊃
((( (((( / ○ ○ ○ ○ \ +
((( ((((.(__PIZZA HUT___) *
ゝ,__ノ ゝ,__ノ ゝ,__ノ *
* +
+ * ・
隼 ⌒ヽ
/ ヽ
/____ /⌒ヽ ☆
│l ´ん`ノ) (ヽ´ん`).
...│ ̄ ̄ ̄ ̄⊂ )
.. │ (_、_ノ
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 ̄ v v  ̄
/⌒ヽ
c-、(ヽ´ん`).っ
`ヽ ・ ・r'´
) )┐
/ ノωU
(/´ ./⌒ヽ
(´ん`ノ)
c- Y. . つ
「 (
. Uω\.\
.\)
_,..-‐''''""~´ ̄ ̄ ̄ ̄~"'''‐-,.、
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世の中の事象は様々な相関で成立してるって話でそれ自体は実はあんま意味は無いのだ 即ちこれも空
龍樹がでっち上げた文字通り机上の空論。
なのに般若心経だけが独り歩きして仏教の奥義であるかのようになってしまった。
龍樹が生きていた当時から言われている様に「空」は矛盾した思想。
色(ルーパ、物質)の全てが相互依存で成り立っているなら
相互依存せず絶対的に成り立つ最小単位の物質がなければ無限に遡及してしまう。
龍樹は当時から言われている反論に答える事ができなかった。
人間は言語化すると認識できるようになるが、言語化されていないものはまだ認識できていない。
>>5 空の概念を説いてる般若経は本来の釈尊の教えからかけ離れてる大乗仏教の教えだぞ
もちろん上座部仏教(昔の言葉で言えば小乗仏教だけどこれは大乗仏教側からの蔑称)は空も般若経も認めてない
唯心論だよ
あらゆる現象は心の働きが作り出す幻ってこと
>>37 でも玄奘三蔵が天竺まで行って持ち帰ったありがたい経典なんだろう?
ttps://pbs.twimg.com/media/GKOpHmSaoAA9yxW.jpg
大乗仏教 マハーヤーナ(大きな乗り物)
小乗仏教 ヒーヌヤーナ(小さな乗り物)
原典を確認しようぜ
実体、実在が認められない、
すべては繋がって解け合いながら実体なく起こってるって風なこと
つまりは縁起ってことを別の言葉で「空」として説明してるんだろ
見た目は形と色に分類でき、色は赤青黄などに分類でき、赤は朱紅桃などに分類できる
この様に概念は抽象的で包括的なモノからより細かな差異へと分割する事が可能である
ではこれを逆に辿ったらどうか?
あらゆる概念が不分離な尤も根源的抽象的包括的なモノは何か?
それが空
何がわからんのかわからん
ただの集合論でいう空集合
空は空てあって空ではないから
空が何かだと認識なりした空は、もはや空ではない
>>15 1. Empty, void.
2. Lonely, desert.
3. Vacant.
4. Dovoid of.
5. Indifferent.
て書いてるんやけど🥺
実在とか実体は、概念化されたもの
人は頭の中で再構成された「世界」を実在のものとして生きてる
その頭の中の「世界」(本来でないもの)をときほぐしなさいよってことだな
>>40 玄奘が天竺たどり着いた時点で既にかなりの部分が失われ改変された後
さらに玄奘によるシンプルな間違いから自説を付け足しのやりすぎ意訳まで誤訳のオンパレード
インド人の宗教を中国人が儒教まぜてオレオレに改造したトンデモ宗教をなんで令和になってまでジャップが信じてるのか意味不明だわ
神道のがいいだろ
>>48 それ、漢字の「空」を元にしてるからでしょ
0のサンスクリットかヒンディーで引いてみ
諸行無常とは木の葉にたまった朝露がお昼になると消えてなくなる
全てのものは無常である
という風にだいたいの本には書かれているが
これは液体が水蒸気という気体になってやがて雲になってまた雨として降ってくる
事を指してすべてのものは移り変わるという心理を説いている
早い話が液体が気体になってまた雨という液体になったえい「雪」という固体にな
り変化を繰り返すこと
「諸法実相」も同じで「水蒸気」と「氷」は別の作用をする(次元が違う」けど
もとは液体「水」なんだということ
世の中には対立するものがあるが元は同じだということ
わかりやすく言うと歩くときに右手と左手は真逆の動きをするが
しかしそのおかげで人間は前進することができる
そういう風に考える
大乗だからそんな難しい話じゃないんだろ
文字通りでいいんじゃね
この言葉はもっと深く考えると宇宙の成り立ちを意味している
宇宙ができたときには非常に高温だった
熱を圧縮すると気体(水蒸気)になり気体を圧縮すると液体(水)
になり液体を圧縮すると固体(石)になる
人間は今液体と固体でできているが昔は気体の時期もあった
それは何を意味するかというと火星や土星や月にもその気体
という肉体を持たない生命があるということ
何も無いが有るってこと駐車場とかでよく見かけるアレだよ
>>54 日本も中国仏教の影響は早々に脱して原型留めないオリジナル仏教が主流だし
お釈迦様は人間界だけに降臨されているのではない
いろんな惑星や質量をもたない生命体にも説法されている
法華経にはそう書いてある
>>52 そうなんね
まあ夏目雅子さまだから俺は般若心経を唱えるわ
龍樹の本読んでも分からなかった
色この世の現象
空は全てが幻と解釈するようにした
文字通り雷だの泡みたいな要素があるわけじゃなくてそういう儚い現象と同じって事だろ
物質世界から物を見るのではなく
質量のない世界から人間界を見なさいということ
お釈迦様が降臨されて説かれたお経を簡単に言えば
質量のない生命体(神など)から人間は見えるが人間からは神は見えない
肉体を持つと「煩悩」が生まれるからそこから離れなさいということ
空とはつまり無常であると
うつり変わってゆくものだと
そういうことか
般若心経は偽経の可能性があるものです🐥⸒⸒
般若経の空理論を語るのであれば600巻ある大般若経を依用しませう⸜︎🐣⸝
>>54 神道なんて別に何かしらの教えがある訳じゃないからなぁ…🙄
どうして私たちには神仏が見えないのか
それは違う次元にいらっしゃるから
人間には見える範囲があってそれを可視光線と言います。
聞こえる範囲もあって20Hzから20000Hzと言われます。
神仏はそれ以外の人間の五感では認識できないところにいらっしゃいます。
人間の能力を「超えた」ところという意味で超次元とも言います。
要するに、私たちと同じ空間と時間を過ごされているのです
皆さんは電波は見えないけどあるということを知っている
しかし神様は見えないからいないという
それ、ソラじゃなく「カラ」って読むんじゃね?www
「空」というのは現代の科学でいえば原子核をもっと細かくして
陽子と中性子をもっと細かくしたクウォークという電磁波のこと
神仏はその電磁波をもっと細かくした次元にいらっしゃるといわれます
頭で分かってもあんまり意味ない
心で理解したら悟りが開く
>>88 違います
認識の起点という意味です
似非仏教も似非科学もいらん
そもそも仏教のいう諸行無常の「真理」や
空の思想自体が矛盾なんだよ。
諸行無常が真理なら仏教思想や釈迦の思想も諸行無常で無意味になってしまう。
おそらく釈迦は諸行無常は楽に生きるための生活の知恵程度として提示しただけで
真理などとは言っていないはず。
真理という時点で諸行無常とは矛盾してしまうから。
ところが時代が下って釈迦が理想化されたり
教えが絶対視されるようになってしまった。
だから上座部の説一切有部だとかいう屁理屈や
大乗の宇宙の真理の盧遮那仏なんてオカルトを持ち込むことでしか解決出来なかった。
>>43 つまりは台風のようなもの。
台風とは何か?
台風の目は台風か?
いや、違う。
では、どこからどこまでが台風か?
暴風圏だけが台風か?
いや、違う。その周辺も台風の影響を受けている。
物質としては諸行無常ってこと
概念としては色即是空ってこと
まあこの世は実態のないシミュレーションとでも思っておけばそれほどズレてないだろう
>>90 >認識の起点という意味です
こういった自分でさえ理解できない言葉では説明になっていません
左道タントライニシエーションの衝動を抑えて煩悩と戦うわ
その煩悩と戦うには俺には般若心経が必要だ
>>55 これ。
空 という漢語に翻訳されたからわからなくなる。
空という概念は空っぽという意味ではない。
2500年前には電磁波とか中性子とかいう言葉がなかったので
「色即是空」と言われた
>>82 「すべからく〜すべし」の用法的には正しいのだけれども、すべからくの意味を勘違いしているっぽい
断定できないのがモヤモヤするが
>>94 理解してるし、原典確認しているから
>>15で提示済み
おまえみたいな嘘垂れて似非科学や似非宗教ぶってる奴はほんま害悪
言ってる意味はわかるぞ
あるわけでもないけどないわけでもないということだ
よくよく考えればありとあらゆるものみんなそうだから
インド人は2500年前にすでに「原子」という存在を知っていた
人間を解剖して髪の毛や皮膚や内臓などが全て同じ物質からできて
いるのではないかという考え方を持っていた
顕微鏡も望遠鏡もない時代で
>>1 解説します
この手の言葉は
自分が超常的な存在そのものになったり
その手のものから啓示を受けたと思い込んだりする
「妄想」が引き金となり
根拠がないものを根拠があると真剣に思い込んだ結果発生する
妄言です
この手の妄想の人は現在でも普通に確率的に発生し続けるものでしかなく
一言で言えば精神疾患が引き起こす異常な言動となります
よってその意味はいった本人ですらよくわかっておらず
それを他の人が理解しようとしてもわかるはずがないのですが
宗教の場合これを解釈として無理やり意味を持たせることで
それが経典となるわけです
マジでそんだけのことだよ
>>99 0ではないですよ
全てのものは波動からできている
>>72 ここはあの評論家宮崎哲弥をして、食うの概念をきちんと表していると評した、苫米地英人の本を読むしかない。
トンデモな人に思われているけど。
>>104 やい
異常者
マジでいってんなら病院池
>>102 >インド人は2500年前にすでに「原子」という存在を知っていた
似非科学、似非仏教の次は似非インド歴史か
インドで五大元素は何と考えられていたか、調べろ嘘つき
ナーガールジュナの説く空は、簡単に言ってしまえば「縁起」です🐥.*˚
空を悟れとかまったくそんな話ではありません🐤
>>108 私たちの体は何でできていますか
皮膚・骨・血液・・・>元素>原子>原子核>陽子・中性子>クウォーク素粒子 これ電磁波(波動)です
だから「色即是空」
物は波動であり
波動は物なので
E=MC^2になるんです
>>91 釈迦の死後に、言葉としての諸行無常とか説明しだすようになったとあるが。
>>107 俺は別に仏教有識者ではないよ
その辺の寺の馬鹿坊主と違っていろんな言語と歴史に多少の教養があるだけ
複数の寺の坊主が俺を養子に来いと行って来たけど
信心ないからと断った
>>112 では
クォークがどんな存在であったか
釈迦がどう具体的に説明しているのかを
根拠を提出して解説しなさい
原語では虚ろって意味の言葉なんだし
もともとは世の中は虚ろなもんだよなって意味以上はなかったんだろうな
>>93 色即是空が間違っているとの説がある。
般若心経は偽経説もある。
>>112 おまえはE=MC^2 この意味理解してないから
適当に云ってるだけだな
ネトウヨ並の嘘つきやな
>>117 >原語では虚ろって意味の言葉なんだし
違います 正解は
>>15 釈迦は現実世界についてはノータッチという姿勢 この世界の本質とかについては語らないというスタンス
だから空論は釈迦の説からは逸脱してる 世界の本質に、ついて語ってるから
無もまた空じゃないんだよ
何故ならば無は有と同義だから
>>121 はいそのではその仏典に
クォークがどのように具体的に説明してあるのか
解説しなさい
>>120 E=mc^2
Eとはエネルギーで質量のない波動です(霊界)
それが
mという質量をもったときにエネルギーはC^2と小さな
物になってしまった(物質界)
>>101 馬車の例えだっけ?
車輪がどうこうとかの。
空と唯識を併せてシミュレーション仮説のことを言ってるんだよ。
仏教ではそれを瞑想することで発見したらしい。
宇宙を理解するには仏典や聖書をよく読まないといけません
呼んでもいないで人に食ってかかっても時間の無駄です
>>127 違います
E=mc^2とは
物質の質量をエネルギーに還元するとこの公式で
イコールで結ばれると示した物理化学の公式であり
そこでは波動なんてものは一切示されていません
>>127 >Eとはエネルギーで質量のない波動です(霊界)
原子爆弾は霊界の波動だったのか 呆
山下猫b5af-cJIZ ←悪質だけど、程度低すぎるから無視するわ
>>128 そこのどこにクォークについての意味が書かれているのかを説明しなさい
人間→哺乳類→動物→…って抽象度上げていった先にある全ての物を包括する概念が「空」って苫べっちが言ってたな
>>136 つまりクォークについては何も書かれていないということですね
>>134 だからそういう単純な理解ではダメなんです
物質世界から見るのではなく質量のない世界から
この世を見なさいということ
>>135 原爆はただエネルギーを瞬時に消費させただけであって
E=MC^2とは無関係
>>141 物理の公式とは
その単純さわかりやすさが肝であり
単純でわかりやすくその性質を示すからこそ
成り立つものですよ
世界は移ろわない
全て総て無自性なのに事物を捕まえてあげつらう事も無い
それが本来の面目
つまり畢竟縁起を欠くのだ
これは十二年坐禅して公案練って得られた見地だから異論は認められない
空即是色とクォークの関係を述べるとそりゃ「クォークもまた空じる」ということだろ。この場合。
要するに質量のない霊界と
質量のある人間界は等価であるということを説明しているのが
E=MC^2なんです
>>131 あーかーしゃ (ヒンディー語なら あーかーしゅ)
>>142 原爆はE=MC^2が示した物質をすべてエネルギーに還元すると
莫大なエネルギーが得られるという物理法則に従って
その方法を試したらその物質の一部をエネルギーに還元しただけで
とんでもないエネルギーが得られたその結果ですよ
リンゴがあったとして、空観だと、リンゴは無いが有るという論理矛盾を起こさせて、論理を超越した観点に立つ。
そうすると、幻のようなものってなる。よく知らんけど
瞑想しないと意味がないから考えるだけ無駄
ネット検索しても無駄
砂も惑星も石も人間もすべての物質の最小単位である電磁波が「空」だから
色即是空 空即是色
>>142 似非嘘野郎、相対性理論の式すら理解してなかった
>>152 最小単位をクォークだと設定したのは人間だろう。その場合、空は関係ない。
>>139 有と無、つまり物質と概念の全てを含む概念が空だと説明してたな。
>>149 いいえ
物理学は科学です
単純明快な誰にでも再試したらその通りの結果が得られる
それが肝であり
そこが最も大切なことです
>>151 だからそれはただ原爆というものの理論というだけで
E=MC^2というのはそれ以外の意味なんです
>>91 ブッダは精神的に苦しんでる人を救いたいだけなんだよな
屁理屈も毒の一種だしな
>>161 会話になっていません
あなたは間違いなく何らかの精神病者です
>>158 今の時代でいえばクウォークです
それ以外の表現だと波動になる
>>161 それ以外ではなく、理論そのものなんだけど
おまえさ、自分自身で理解してないことさえ
平気で嘘を連発できる病気だよ
>>165 クウォークではなく「クォーク」です
物理学の名称ぐらいちゃんと記述しなさい
>>160 ある人が石を投げたら
その石の角度と質量と空気抵抗と引力から落下地点を計算するのが物理学です
その石を何度も投げて普遍性を導くのが哲学です
宗教はなぜその人が石を投げたのかを解明する学問なのです
あなたのやっていることは結果論なんです
人間は物凄く回転の遅い銀河と、物凄く回転の早い原子の中間に存在し、コマ数のある映画を脳内で見ています。4つの力以外に最小単位のウォーク・グルーオン。最大単位の超銀河団・おとめ座銀河団・天の川銀河と9個あります。ですから「9つの力」と全ての有 全ての無 で11次元です。
実を空に変換するにはとてつもないエネルギーが必要だが、もし実現できたらもっと途方もないエネルギーが放出される
>>167 例えばE=MC^2というのは別に原爆を作るために生まれた公式ではありません
元はエネルギーと質量の等価式なんです
下位の4つの力>人間(引力)<上位の4つの力 この9次概念
>>169 違います
物理学科学とは
ある人が石を投げてこうなったという観測結果を
記述し
それを別の人がその通りにしてもそうなる
これの積み重ねでできているものです
対する宗教とは
教祖がこうだと言ったらそれが信者の中での真実になるだけのものです
>>166 この世が霊界である。
この世(世間一般で言われるこの世あの世のこの世)というものはない。
あの世も当然ない。
>>173 似非科学、似非宗教ぶつのは、おまえのお友達限定にするんだな
嘘の程度が低すぎて楽しめないわ
>>173 当たり前です
しかしその公式によってそうなることが仮説として示され
それをボーアなどが証明し
その果てにその通りの結果を生み続ける原爆ができたということです
宇宙に実時間は存在しないとアインシュタインが言ってましたが、
どうも私達はアホの様な速さで銀河を落下していて、
更に原子の早い落下の残像を見て現在と認知しています。
空は「何もない」という説明
唯識は「それがあるように設定した」
ということ。だからクォークは関係ないよ。
旧約聖書では「光あれ」新約聖書では「最初に言葉があった」とあるように。
最初に言葉を発した存在が宇宙の原初の存在です。
これらの意味することは最初に「音波」「光」という波動があった
そこから宇宙が生まれたという意味です
その波動は何か?
どういう言葉だったのか
それを考えるのが宗教です
宇宙には我々の下位科学概念と違い幾層の実時間が存在し
固有の条件で宇宙生命体毎に寿命や体感速度が違う様です。
認識に大きな差が出ていますが次元ポータル間や
開かれたウインドウで連動している様です。
>>185 おいW
今度は聖書かよw
節操がない妄想の人だな
>>175 まあ、そうだよな。
「信じる」ことだから。
釈迦自身も教えの中心に空を置いてるから大乗の特徴でもない
ったくもう
ケンモにきっしょく悪いスレ立てんな
>>1 >>179 だから別に原爆を作る理論だけではないんです
色即是空は諸行無常とかそっち系で解釈される
ダウナー系の頭脳ドラッグって感じ
>>181 Don't think. Feel!
というブルースリーのセリフのマネしたいだろうけど
それ、指月の譬という仏教ネタが元であって
考えるなではなく、よく考えて本質を見ろという例え話
ブルースリーのセリフを逆で捉えるアホが大量に沸いた
>>175 >これの積み重ねでできているものです
だから事後的なものです
問題はなぜ石が投げられたかということ
>>189 ち が い ま すw
仮説 実験 実証 追試の過程は
一切の「信じる」なんて行為を寄せ付けません
再現できるかどうかその「再現性」の事実だけでできています
え、この世のものなんて全部実体がないよってことやろ。
たとえば俺はいま電車に乗っているが
電車は座席、吊革、レール、色んなもので構成されているが、これまた座席もシート、クッション、色んなもので構成されていてシートの皮は…と考えていったらキリがない。
俺らは電車ってものに名前をつけて実体があると思い込んでるけどそんなことはないよ、っちゅう話やろ。
>>198 ち が い ま すw
事後的ではありません
仮説 実験 実証 追試の過程は
再現できるかどうかその再現の繰り返し「再現性」の事実だけでできています
大乗仏教って佛教じゃないからな
ガウタマシッダールタの原始仏教以外全部偽佛教
原初の波動がなぜ発せられたか
その波動の意味は何か
これを追求していくと答えは宇宙ではなく
自分の心の中にあるんです
それを宗教と言います
宇宙は自分自身であり宇宙を解明するにには
自分の心を探っていくことになります
関係ないけど神棚の上に雲とか空とか書くのってめっちゃ日本らしくていいよな
神様に対してもやってる感
>>199 >対する宗教とは
に対して、
「信じる」
と書いた。
>>194 これ書いたの欧米人だから理解がふわっとしてんのな
>>206 いいからおまえは病院池
最低でもこのスレで宗教妄想っていう
妄想性疾患の症状が確認できるから
そのままほっとくと廃人になるぞ
>>203 石を投げた後に計測して
角度 重さ 空気抵抗 引力など
その結果落下地点を計算するのが物理です
そもそも釈迦って釈迦族の王子だからな
贅沢三昧で、11歳くらいでもう女抱きまくって酒池肉林の生活してた
そんな生活をし続けてふと気がついたわけだ
「これ意味ないな」って
で、その後は出家して、今度は一転して厳しい修行の道に入るわけだ
飲まず、食わず、寝ず、
ひたすら瞑想して「生きる意味とは…」と考え続けた
辛くても苦しくても、あえて自分を痛めつけるかのように厳しい修行を続けていたときに、またふと気付いたわけだ
「これ意味ないな」と
そのさ、
快楽の天井と、苦行の底辺を経験した末の「空」なのよね
ただ「空」とだけ教えられても釈迦の見た境地にはたどり着けんやろ
>>211 仏典に書いてありますよ
「種子説」(華厳経)といいます
>>215 般若心経のサビはぎゃーてーぎゃーてーだろ
>>213 それを他人がその通りに実験し
同じ結果が得られる
そこまでいって初めて科学
これ当たり前のことだし
高校レベルで必ずやることだから
覚えろ
ググったけど有であり無
固有不変がない
という意味でいいのかな
仏教って悟りもだけど正反対の状態が同時にあるみたいな考えだから言いたいことは分かるがイメージが難しい。(いくつか見たサイトの一つは無で有をボールや氷と水に例えてた)
>>222 だから物理は「事後」を意味しています
宗教は石を投る前の「事前」を学問します
>>206 君は悪用する側が覗きみているという自覚をもって書き込みなさい
ケンモメンは馬鹿なんだよ?
責任取れるの?まとめるよ?
あー
きしょくわるい
ホントさ
ダレウェルなんで
ケンモから出て行けとは言わないけど
少しはさ
自分がケンモでこんなスレ立ててまで変なこと書いても
「おもちゃになるだけ」
もしくは
「狂人だと馬鹿にされるだけ」
これくらいのこと自覚してくんないかな?
>>225 無と空は違うからな 無は有の反対にすぎないけど空は無でありながら同時に有でもある 空は空であるが故に全てを内包し、そして空であるが故に無を許容する
>>228 えっ
これキタムラなん?
あー
時間無駄にしたわ
なんだこれがキタムラかよW
>>202 そうそう。
電車というものは概念であって、原始人にとってはないし、宇宙人にとっても理解できるわけないし、その電車も100年前は存在しないし、100年後に存在するかわからない。
今現在も部品部品に注目していったら存在が怪しくなる。
つまりは電車の存在というのは概念であり、絶対的な存在じゃない、今ここに瞬間的にあるだけのことである。
仏教の概念はLSDやったら一発で理解できるしシラフじゃ一生無理だよ
有であり無とかなんだかヘーゲル的なんだね
矛盾律を積極的に肯定していく考え方
>>230 仏教では種子説と言います
宇宙の始まりが言葉なら物理学では解明できないんです
種子説というのがあって
種の外側では夜空に宇宙空間が広がりそれを科学しているのが物理学です
種の内側にも同じく遺伝子とか宇宙が存在します
なぜならその種はビックバンから今まで1つの花が欠損していたら存在できないからです
我々の体も同じで親のどちらかが存在しなければ自分は存在できないんです
そういう意味で私たちの皮膚の外側にある宇宙と皮膚の内側(心:魂)とは
同じ宇宙が存在します
その心(霊魂)を見つめるのが宗教の立場です
>>210 仏教経典研究の重心は未だに欧米でしょ
欧米の仏教研究は文字ばかり追って体験を伴わないという批判もあるけど文字を追えてない僻みだと思う
>>238 あー
まあキタムラならとっくに完全にぶっ壊れている
糖質でしかないのは有名な話なんで
もうどうしようもないね
何千年も前のインド人の教えありがたがってバカじゃねーの
>>245 おまえはキタムラじゃないみたいだけど
どうしてほしいの?
空即是色ともあるから空=無ではないんだよな
色がモノ自体を指すなら、空は空間や時間と言った人の認識のことなんだろうか?
>>232 日本仏教には無の思想が強すぎる。
中国の道教の思想が混じっている。
>>249 電磁波です
物(粒子)は電磁波と等価ですから
>>232 それってただのステージではないの?
そしてその集合の中からは集合の真偽について何も語れないってやつではないの?
舞台の演劇をしている人がさも客席から見ているように舞台を語ることはちょっと駄目じゃない?
仏教と量子力学の類似は言われてる
原子は野球のスタジアムの真ん中に置いた1円玉サイズの原子核の周りを米粒サイズの電子がスタジアム外周を回転してできてるぐらい99.999%が空の空間だから世の中を形成してる物質も実際はほとんどがただの空間だってこと
ブッダは何かしらの方法でそのナノの世界に気付いてしまった
仏教だけはなく歴史的に論争を繰り広げてきたジャイナ教や六派哲学にも興味の範囲を広げてみましょう
あえて外教を学ぶことによって見えてくるものもあるでしょう
この世界の全ての事象は実体があるものではなくて何らかの現象によって発生する一時的な状態であって、それに執着したり依存してはいけない、ということでは
自身が富を築いたり地位を得たりしてもそれは様々な要因が重なった結果生じた一瞬の出来事であるし、病や貧困に陥ってもそれに囚われて世界を歪んでとらえてはいけない
みたいな感じ?
は~また馬鹿を洗脳するためのカルトセミナー増えちゃうよ
youtubeの◯◯云々とかと一緒や
責任とれよなぁ?
嫌儲は業者だらけなんだからさぁ
全ては認識の上にしかない、という意味かも知れないし
実体があるのだとしても全ては儚い、という意味かも知れない
流石に
完全なのは虚無だけであり全ての有は不完全である
という意味ではない気はする
不完全である有に到るべき点が存在するとは思えない
物質も物理法則も適当な一つの方向への勢いでしかなく
それは何れ虚無へと引きずり戻されるのではないかな
せっかく輪廻や地獄の悩みから救ってくれたのにまた変な世界を作ってるように見えるんだよな
>>55 Shabda-Sagara Sanskrit-English Dictionaryやで🥺
縁起や因果で説明しきれるもんじゃないらしいけどな。
仏教なんかじゃ人は救われないんだよ
貧しい奴は一生貧しいままだし
無・・・マジでなんもない
空・・・何かしら包括するものはあるが中には何もない
この星も生き物も全部同じ素粒子で出来てるただの塊な訳だしそれを勝手に意味付けして悲しんだり喜んだりしてるのは自分自身
俺的にかなり良スレの予感 神道仏教ひっくるめて信仰と愛国は日本人の本質であるべきだ
俺は南無阿弥陀仏だが皆が健やかに穏やかに暮らせるならば垣根はいらないとは思うがねー
後世の信者が頑張って神格化してっただけで
実際の釈迦もキリストもあちこち論争ふっかけて炎上させて信者を増やすという
今の暇空と同じことしてただけだよね
苫米地さんが無料で論文公開してるな
読んだけど分からんかった
エッグハルトトールの本はわかりやすいかも
なんか色々物理の話でてるけど、仏教の本質は悟りに至る方法を説いたものであって、
悟っておらず観念や理屈でしか理解できない凡人向けに、本来言葉で説明できない状態を
むりやり理屈をつけて説明してるだけだろ。いわゆる方便ってやつ
それを字面のごとく読んで、物理のアレのこと言ってるとかコレのこと言ってるとか解釈する行為は、本質から真逆の方向に行ってる
真面目に空と対峙するのではなく、とりあえずの理解で良いなら
犬と猫が対立概念だとすると両方を動物でくくれる
動物と植物が対立概念だとすると生物でくくれる
生物と無機物が対立概念だとすると物でくくれる
これをずっとやっていくと「ある」と「ない」の対立概念が出てくる
それをくくったのが「空」
仏教や聖書を学ぶのに教団に入る必要はありません
昔と違って動画や図書館がありますあら活用しましょう
>>269 >信仰と愛国は日本人の本質であるべきだ
この時点で通院したほうがいい
>>262 真理より金。
どこぞのコメント欄で毎日聴いてますってお前腹のガキ大丈夫かよwwwって思うことある
無知は罪だねぇ
倫理観も信仰心も全部AIに教えてもらえばいいんじゃない 人間の教祖より我欲を持ってないし中立的
足るを知る執着を捨てろなんて
ブッタの教えどおりに生きたらホームレスになるしかない
>>274 だよな
何かしら包括する概念があってはじめて「空」が定義できる
「我思う故に我有り」に通ずるものを感じる
>>280 実際金持ちに生まれてファッションホームレスやってた奴だろシッタルダって
>>279 人類の知識・英智をベースとしたAIに我欲が介在しないかと言われると、そういうのを背理法により空と位置付けたのがナーガールジュナです🐤
でもAIって何の縛りもなかったら
地球を救うには人間を殺せっていうからなw
>>276 悪意を持って作られた動画もあるだろ
269みたいに一括りにする奴も出てきとるやんけ笑
まぁええやろってそんな単純な話でもないと釘を指しとく
>>277 可哀想に 救われたら幸いだが自ずと気付けたら楽になれるよ
>>274 「ある」と「ない」を再定義したいな
実体なのか、意義なのか
視覚的な有なのか否か
被災や病苦を「前世のせいだからドンマイ」は現代的価値観では割と言ったらいけない感じあるよね
因果を見通せる目があれば別なんだろうけど
>>281 cogitoのoにsumの意味入ってるやんっていう🥺
cogitare ergo esseなら何があるんねん🥺💢
>>282 >>285 人間の産み出したものをベースにしてるのだから魂も宿ると思うけど
教祖は自身の団体や立場を維持する必要が生じるので我欲を0にはできないと思うしそれより相対的にAIは我欲が低いと思うけど
たとえば親子という存在がある
親は親だけで親という概念を確立することは出来ず、子は子のみで子という概念を確立出来ない
生と死も生とは生だけで確立する概念ではなく死があるが故に存在する概念である、とするとこの世の多くのものはそれ自身によってそれ自身を確立するもんではなく他のものとの関係で表される無常無我なんもである……って考えたとしても「だからなんなん?🤔」って言われそうやね😔
>>268 ショーペンハウアーの意志論に基づくなら物事に意味を見出すのすら自分ではなくて万物に宿る意志それ自体だと思うなぁ
これ言い出すと究極的には運命論的な話になってしまうけども
体験はしたことがある
いろいろ説明を試みたが体験しないとわからん
説明聞いて理解した気になっても、体験したら全く違うものだと理解するだろうし
厳しい修行は必要ない
俺は座椅子に座って瞑想っぽいことやってたら急になった
すぐ元に戻ったけどね
別に人間が全て滅んだとしてもそれは世界の理の結果でありある種真理に到達している感はある
GPTさんはこういっとる
仏教における「空」(サンスクリット語: शून्यता, Śūnyatā; パーリ語: suññatā)は、一切の存在が本質的な自己性(自性、独立した存在)を持たないことを指します。これは、仏教の基本的な教えの一つであり、特に大乗仏教の中心的な概念の一つです。空の概念は、物事が互いに依存して存在し、それ自体で独立した、不変の「自己」を持たないことを示しています。
一切皆苦
一切皆空
空とは受における不苦不楽すなわち捨のことでは🙄
>>293 AIはあくまでも「物」であって人間ではないからな
人間は輪廻してやがて成仏するけど
AIはいうなれば「永遠の命」
これは「退化」を意味するのでは
>>263 おまえが引いたのはशून्य の説明だな
手元にあるOxfordのHindi-Englisyのsunaの項目とほぼ一緒
だけど、それは数字の0の意味ではないでしょ
唯識の説明として、起点を置く意味で使用されている0だから
興味あるなら0という概念が何故できたのか、しらべてみるといい
ブッタのゴミみたいな教えよりかのゆらのほうがよっぽどいい
>>279 我欲がないというのは、即ち、ポル・ポトのような怪物を産み出す土壌ともなり得るからね(´・ω・`)
ポル・ポト自体は我欲の塊だったけど、ポル・ポト派や、後はヤマギシとかガイアナ人民寺院とかみたいな我欲を捨てた集団的狂気と、AI的な無欲さは極めて相性がいいからね(´・ω・`)
欲望の対象を実在と認めて執着してるありようを「欲界」
欲望から離れて全ては物質的現象としての実在と認めてるのを「色界」
物質的現象も認識上のもので、一切は精神的現象にのみよってあるってのが「無色界」
欲界が凡夫の頭の中の世界
色界が哲学者とかの世界
無色界が宗教者とかの世界
その三界はみな苦なりってのが仏教だな
>>304 物も人間も世界を構成する一単位に過ぎないし人間という存在に対する執着心を感じるのだが
ってかAIというのは学習させるわけでしょ
そのためには最初にエロ画をかけとかパラメーターを人間が
入れるわけですよ
しかし気に入らない答えだとまた禁止事項を入れたりするでしょ
そういう意味ではどうなのか
>>289 「~べきだ」と他人に向けて、信仰と愛国心を教養する奴は
仏教でいう執着を他人にやれと云ってる訳で
執着するなという教えの真逆
おまえがアホなのは勝手にしろと思うが
それを人に教養するな 屑が
>>293 AIが規定されたプログラム通りにしか動けないのであれば、AIが自力により煩悩を滅していくことは叶いませんし🐤
縁起を離れて自律するなら、これにより悟りを得たとしても、縁起の外の存在なので万物に通ずる悟りとはならないわけです⸜︎🐣⸝
>>298 瞑想は悟りシミュレーターみたいなもんだからね
サマーディまで至ると悟りに近い体験になるようだ。
自我を消すだけなら簡単だけど全てを理解し感謝しつつ欲望を捨てて何が起きても動じないだからそら到達者一人、不可逆のところまでいけたの数人しかおらんわ
どれかだけなら宇宙と一体うんたらかんたら以外容易いでしょ
>>316 確かに利用者側の意思で答えが変わってくる訳だけど、それって書籍や人からなにかを聞いたり学んだりしたときにも自分にとって都合のいい部分だけ取捨選択する訳で受け手側の問題なのでは
>>319 >自我を消すだけなら簡単だけど全てを理解し感謝しつつ欲望を捨てて何が起きても動じないだからそら
この意味わかる?
それ自身とはそれ自身以外の外部との関係により確立されるものであるならば、では「今の自分」とは何によって確立されるもんなんか?過去の自分との関係によるものとしたとした場合、今の自分と過去の自分とは同じ自分であっても同じでは無い、無我である
眼病のたとえというのがある
飛蚊症で点みたいなものが視界に見えたとして
手を出しても触ることはできない
無いように思うかもしれんが
たしかにそれを見せてる要因は目の中なり脳なりにある
有るでもないし無いでもない
>>322 たぶんね問題はそこではなく
仏教ではこういう風になっている
教えはお釈迦様から衆生(我々)に対する一歩通行なの
我々はお釈迦様に帰依する立場
だからAIは自ずからして神仏とは違うものじゃないかな
人は頭の中の「世界」を生きてるっていう
それは、人の命を平気で奪うような「悪人」的な人間の「世界」と
自分が殴られ踏みにじられても他者を憎んで損なうことを躊躇うような「善人」の「世界」とでは
同じ時間と空間での経験を共有してるようで
実は「住んでる世界が違う」ってことになるのな
そこまで自我捨ててたらちょっとした事故でもすぐ死ぬんじゃね?って思うんだが。
>>326 AIができたこの時代にお釈迦様が生まれてたらAIの存在をどう解釈されてたんだろうね
否定的な見解なのかね
山下猫b5af-cJIZが善人でもなければアホウで助かった。
ただ、足掛かりが雑すぎて被害者も生まれるんだろうなぁ
実体験でもないこいつの罠やぞ
AIはある一定のところまで人間が学習させると
あとは一人で勝手に学んでどんどん人間には理解できない
領域まで学んでいく
>>330 AIはある一定のところまで人間が学習させると
あとは一人で勝手に学んでどんどん人間には理解できない
領域まで学んでいく
この時にAIが悪魔になることのほうが多いと思う
いや、まぁわかるやろ
そのまんまやん
煩悩って言葉ある時点でわかるやろ
親子でも兄弟でも形式は同じであってもその間の関係が良かったり悪かったりすると異なるもんになる、なんなら親子というより敵同士というものに変わる😌
無我である
では生と死はどうだろうか?その間に仲が良い、仲が悪いという概念がありそれによって生と死言うものが良くなったり悪くなったりするのだろうか?
こないだまでは地球の全物質を原子だけに圧縮するとテニスボールの大きさになると言われていましたが、2年前の CERNの論文では全宇宙をクオーク・グルーオンだけに圧縮すると角砂糖(1㎤)の半分になると言われています。肌が感じているのは“電気”であります。宇宙は電気であり脳も投影した電気であります。
ブッダはこの世界が仮想現実であることに気付いたんだよ
悟りを開いた後すぐ教えを説くどころか入滅(自殺)しようとしたって説あるだろ
つまり結局死ぬことがこの仮想現実世界からの唯一の脱出方法
AIが冷たいものを触ったら「冷たい」と言うことはできても
「冷たさ」を実感することはできるのかな?
それも温度ではなく人の心の冷たさを
最近は小説なんかでもAIで書かれているけど
どうなんだろ
死と憎み恐れることが生死の間の関係性を悪くする、すると生きることすら苦痛になる
そういうもんでないやろかね
>>1「空」という何かがあるわけではないからな
説明しにくいよ
理解出来ないと排除してしまうとその時点でこの世界全体に対しての悟りが開けてないように思うのだけど
AI登場前の世界、AGI登場後の世界も同じ連続した世界なのだが
人間は宇宙とのアクセスで脳内の電気からディープラーニングできます
しかし AI にはこの高次とのアクセスはできません
>>338 悟りと狂気は紙一重だし、ニーチェみたいなニヒリズムに陥るか期死念慮に陥るか。という状況には最低一度はなるんでしょ(´・ω・`)
どうせみんな死ぬし何もかもむなしいってのを
厨二っぽく言い変えただけだろ
>>339 仮にできてもそれを科学的に確認する手段が無いんやから無意味な質問やないの🥺
絵を描く時対象じゃなくて対象の周りの空間を意識しろとか言うじゃん
それじゃね?
無常 空 無我は大乗だけじゃじゃなくて初期仏教でも中心概念だぞ
「空」は誰かに説明したり、誰かから説明を聞いたりして理解するような性質のものではないというわけなのだろう
2000年前と今とじゃ、今の方が悟った気になるのは難しいというか、わかった気にさせるのも難しい気がするね
これは主観の問題なんだよな。
自分という存在を中心に見ると世界は物質で満ちてるけど
視点を神にすると人間や金や欲望なんかは空でしかないとなる。
人間が神の目線を真似るなんて傲慢な事をしても所詮は肉体に依存する生き物だから神になんかなれない。
じゃあ最終的には肉体を捨てるしかないよねっていう結論になってしまう失敗した理論だよ。
肉体を捨てて精神存在として生きる方法を探すしかないとなると一番有効なアプローチは科学になる。
結局この世にあるものは消え去っていくだけの虚しい燃えカスのようなもの
全ては幻想であり欲望や苦しみの種でしかない
私もいずれ消え去り全ては無意味になる
だがそれで良いのかもしれない
生老病死その他諸々の避けられない不条理の中で苦しむ必要も無くなる
>>348 面白いことを考えたんだけど
5度の水を触ってそれを「冷たい」という認識を持つとインプットする
70度のお湯を触ってそれを「熱い」と認識する
センサーはAIの脳につながれていたとしよう
ここで人間とAIとでは違いが起きる
AIは「熱い」と認識するのは脳であるが
人間はやけどをすると思うんで脳は使わずに反射神経で手をお湯から離す
では反射神経とは何かというと「無意識」
色即是空ってむしろデータも肉体も根本的には変わらんみたいな考え方だからAIはむしろ仏教の真理に近い存在だと思う
>>348 いや、案外近い未来に本当かどうか科学的に証明できちゃうかもよ?(´・ω・`)
理論物理学とか戯言妄言にしか見えない話が結構あるけど、数十年とかの単位で見たら科学的に(実験論的に)正しいのが実証されてるのが大半だし(´・ω・`)
人生には喜びもあるのかもしれないがその喜びは必ず奪われる運命を人は背負っている
意味のない人生だよ
>>91 無常は真理だろ
この宇宙のどこに絶対不変のものがあるんだ?
あと法則まで全て変化するとは言ってないからな
だからこそ因果や業が説かれているわけで
無意識が起きるのは過去の経験を記憶しているからで
仏教では「阿頼耶識」(あらやしき)
キリスト教では「アカシャ年代記」などと呼んでる
>>358 AIに聖書や仏典を学ばせたら神になるのかもな
神様の存在や空の世界を直接的に体感するには、自我と自我を起源とした物欲や我欲を捨てさり、自分ではないもの、つまり外在し対立する世界と内的に合一し、自他の境界のない一体感をもつ必要がある
自我や我欲への執着を消して、世界との対立を解消した、すべてを我がこととしてとらえる、あるいは我を消し去った全体一体の視座から神様や仏様のいる世界を覗くことができる
自我と世界が一致した時は、無心、無我、忘我、脱魂の状態になって、物となって見ていると言い換えられる。世界となって見ているともいえる
しかし、世界との対立を自覚する観察主体、つまり自我意識しかもたない状態では、自我と世界という見るものと見られるものが対立することになる
神話の類型のひとつであるバナナ型神話では、人間の死の運命とは、永遠の命を得る機会を失ったことが起源であると説明される
本当の生命とは木の根のように隠れて見えない。肉体という葉は春のあいだに茂り、冬には枯れてしまう一時かぎりものだ。しかし、自己という根っこはずっと変わらずにつづいてく
そして、物質的世界は巨大な樹の末端に開く枝先の葉のようなもので、“肉体をとる”とはそのひとつの葉として根を通じて枝先から派生するようなものだ
肉体という一枚の葉のなかで閉じた自我意識は時空的にも精神的にも拘束され、自由がきかない限られた状態だ
死、苦、欲、妬み、憎しみ、怒り、不和などの観念とは、「個」に執着してしまう自我意識の作用だが、宇宙すべての中心にしてすべてを包摂する内なる自己意識はその全体性をもってして、この世の物質的で粗野な空間のなかを照らしだす
自我意識は「個」のみに執着してしまうが、自己意識に開かられた精神の形式をとることで、自身を含めた万人へと注がれる愛や慈悲をもたらすのだ
呪術・宗教に付随する神秘主義の立場では、神、エイン・ソフ、善のイデア、一者、空、真如、真我、タオ、大霊、ハイヤーセルフなどといった、宇宙と生命の根源の存在との統合、つまり自己と自我の統合による意識の全体性の回復がおこなわれる
それは、みずからの内に秘めた自己を発揮することで、だれしもがキリストとして受肉し、人間の手によってこの世に内なる神の王国を実現することかできるし、だれしもが悟りの知見を得た仏となって人々を救済できるという精神的な「楽」を実現できることを意味する
>>365 このスレで言われてるところの神とは実存を超越してる超自然的な存在であるから、AIであろうが人であろうが、いくら学んでも神自体にはなれないよ(´・ω・`)
フリーメイソンでの象徴Gだな。この場合ドイツ語のGeistだな。
仏教の世界で天界は説かれてるけど
神もしょせん輪廻してるわけで、悟って解脱した聖者のほうが存在として上
何が分からないのかが逆に分からない
空とはすなわち虚無、虚無主義だろ
で、この虚無主義というのはだな、
賢者が必ず最後に行き着く先なんだよ
哲学も宗教も最終的にはこの結論にたどり着く
どうやってもこの空に行き着くからくりって訳さ
俺らがAIだとする。というか、俺らもAIみたいなもんだ
というのも、設計図を渡されていないからな
自分がなんなのかが分からない、その目的も分からない
だから、自問自答を繰り返しても、たどり着く先が「空」という訳さ
「ゴドーを待ちながら」のテーマもこれよ
我々は「真理」や「神」を待ちわびる
しかし、一向にそんなものはこない
そして、平凡で無意味な一日を終え、また明日になるという訳だ
「神を待ちながら」ね
インド哲学に限らず、西洋哲学や文学もほとんどが最終的にこの問題を取り扱っているといっていいだろう
で、我々がこの問題の解決を得られるということはない
それは何度も言うように、設計図が渡されていないんだからどうしようもないんだよ
ブッダはそれを悟ったんだ
我々には何もないことを
彼はニルヴァーナに達したとき、もう次の生存はないと語った
これは要はゴドーを待ちながらの明日はもうこない(つまり完全なる死)ことこそ、悟りの境地だといいたかったわけよ
全くその通りだな
>>367 西洋人が死んでも神(ゴット)にはなれないが
仏教徒は死んだら仏様と言われる
仏教では解脱して菩薩道を学んで五十二位を得たら
仏様の家系に生まれ直して仏になれると書いてある
「ブッダの言葉は無常無我であるか?」「空(という概念は)空であるか?」すなわちそれ自身で成り立たずに他のものとの依存関係により成り立つもんなのか?
考えてみよう
>>371 ニーチェのようなニヒリズムに陥りつつも現世で悪足掻きする方が、まだ、人として正しかったのかもしれないね(´・ω・`)
量子力学における真空を勉強すれば仏教の空も理解できた気になれるよ
まあ単なる錯覚だが
大乗仏教は全部クソ
豪華な法衣を着てる生臭どもを見ると恥を知れと思う
仮に衆生に方便を使うとしても
自分は解脱に向かって修行しろよ
>>372 まぁそれはあるな(´・ω・`)
というか、死んで塵芥となれば、後は仏様も同じ。というリセット要素が働いてる東洋と、
人間とは神の下にあるのだから、死ねば裁きにあう。という上下関係にこだわる西洋やイスラム社会の違いがかなりあるね(´・ω・`)
なんでこうも違うのだろうか…(´・ω・`)
ドーナツの穴みたいなもんだろ
ドーナツがあるから穴も存在する、ドーナツがないと穴は存在できないみたいな
さすが数字の0を発見したインド人と思ったね
>>378 宗教は民族に合わせて神仏が存在する
だから一神教は3つある
民族の風土に合わせたんだろうね
日本にも言霊とかあるけどね
>>377 実際問題、ボロ僧衣のボロ坊主で教えは正しいけどハッとはしない説法をするボロ寺と、絢爛な僧衣を纏い多少法螺でも耳あたりの良い説法をする高僧が住持を務める立派な伽藍庭園を備える中核寺院が隣接してたら、人々はどちらを選ぶかって話よね⸜︎🐣⸝
人間の肉体は瞬間で生滅を繰り返していて連続性はないつまり無我
肉体のみならずこの世のあらゆるものは変化し続けるつまり無常
事象は人間と動物の感覚で捉えると全く違うそれは脳の作り出した幻であるつまり空
>>357 人間が感じられるんだからAIも感じられるだろう
感じるっていうのは結局は脳みそであれこれ相互作用が起きた結果なんだから
同じような相互作用が起こせるならどんな物質でも構わないわけだし
結局宇宙を知ることも神仏の阿耨多羅三藐三菩提を知るにも
自分がそこまでの境地に立たなければわからないわけです
数式では実感がないのですから
そのために宗教を学ぶのでしょう
>>386 感じたことを脳で判断して手足を動かすならそこに動けって
電気信号を出すのが思考回路
しかし人間には反射神経という「無意識」回路が存在しているから
はたしてAIにできるのかと
AIは脳の指令に従わずに勝手に動いたら暴走ですよ
エヴァンゲリオンでシンジが使途にやられそうになった時に
初号機の中に潜んでいる母親がシンジを守るという表現が
それです
全てのものは移り変わっていく
今自分として形あるものも変化していく
自分=宇宙の一部=木々やPCなどすべての物質、生き物
物質と生物の違いは分子のエネルギー量の違い
E=mc2はエネルギーと物質を入れ替えても成り立つ
今形ある自分は変化していく途中のもの
死んだら分子になり、また別のものに成り変わる
つまり自分、特性を持ったもの、全体の一部(色)=全体(空)と言える
空は「虚無」ではなく「色がない=すべてを指す」と理解してる
>>389 養老孟司がよく言ってるけど自分で動かす決意したと思う前に既に🧠が活動してるんやで🥺
「空」は議論の対象にはならない
言ってみれば「概念」として取り出そうとしたとたん消えてしまうようなものだね
>>391 >E=mc2はエネルギーと物質を入れ替えても成り立つ
ここの説明と
>全体の一部(色)=全体(空)と言える
これの整合性がないんだが、自覚できるか?
論理が無い
全ての事は五蘊に四諦が合わさり感じている事であって
三業三毒が起こり十戒を犯す事になるが
それは全てそれらが原因で起こっていることであるから
悪業を行わない為にそれらが空である事を知り
善行を行うようにしろって認識でいいか?
0も唯識も論理の塊なのに
論理じゃないとか、空=何も無いとか
どこで仕入れた嘘妄想か分からん類いを
さも事実のように語る阿呆のなんと多いことか
嘆かわしい
>>391 そこまで理解できたらもう一歩進んで
お釈迦様の言う「慈悲」とキリスト様の「愛」
これは自己犠牲を意味しています
人間が自動車を作ったり飛行機を操縦することはできても
動物にはそれはできませんね
それは人間が牙を失ったり体毛を失ったりした自己犠牲の
上に成り立っているのです
自己犠牲ー慈悲と愛ー「進化」
人間は動物と違って自己犠牲の上に科学であれ心であれ
進化してきました
空はオレもよく分からない
ナーガルジュナが言った言葉なんでしょ
オレは唯識の方が好き
釈迦が発明したのは縁起だと聞く
縁起の方がまだ理解しやすいよね
>>393 無意識と意識の2つがあるのは
ピッチャーが投げた球がキャッチャーミットに収まるのに0.4秒かかるけど
それだとバッターは球が打てない
なぜなら玉の速度を判断してバットを振れと命令してバットを振るまでに
0.5秒かかるから
文字を残さなかった釈迦の教えをあとから後付しまくってもまるで意味がない
>>395 最終的にはこれになるよね(´・ω・`)
>>398 Eはエネルギーで無限に広がる波動(素粒子の数だけその場があるといわれている)
その質量のない波動が(電子銃の二重スリット実験参照)質量をもつと右辺のmc^2
になるわけです
手塚ブッタでブッタがジャイナ教?の指導者を論破してたけど結局仏教が取り込んじゃったのな
親戚の家行ったら天井に半紙に「空」って書いたやつ貼りつけてあったんだがあれってどこの宗派がやってるの?
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 06.他縁大乗心(たえんだいじょうしん) - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地1
四摂とは、菩薩の行動。布施は、「真実の教え」の施しを含む。愛語・利行は、「身体で行ない、口で言い、心に思う」善き行為。同事とは、相手と同じ立場で仕事をともにすること。
菩薩の、四弘の願行は、1.衆生無辺誓願度(生けるものを彼岸に渡す)、2.煩悩無数誓願断(迷いを断つ)、3.法門無尽誓願学(教えを学び修行する)、4.仏道無上誓願成(さとりの世界に到る)。
生死の海を越える六舟とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜。
生けるものすべてを縁とするので「他縁」という。声聞・縁覚の小さな乗物とちがうから「大」の名がある。真実なる世界に到らしめるから「乗」という。
思うに、法相宗の大綱はこのようである。
>>401 慈悲は自己犠牲ではない
そもそも無我を説かれているのだからないものは犠牲にできない
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 06.他縁大乗心(たえんだいじょうしん) - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地2
・他縁大乗心のさとり
多くの語や成句によって一つの意味を説くのは浅略である。一つ一つの言語・名称に無量の意味を見るのが真言深秘である。
「大日経疏」に注解して言う。――他縁乗とは、「すべての人を救済しよう」という大誓願を起こす。無縁乗とは、「心のほかに何ひとつとして存在するものはない」と了解する。
「成唯識論」の頌に言う。――「ただ識のみ」という真実に至ろうとしない間は、「知るものと知られるもの」の執われにより起こる煩悩を、滅することはできない。
・唯識説における、修行の1段階目
唯識説における、修行の五段階の最初は、資糧位である。十住・十行・十廻向の過程がある。
仏・法・僧と、苦悩する人びとを見て、さとりを求める心を起こす。小乗の教えを活かす。浄土を縁とし、仏の国を知る。
無数の天に住む、さまざまな魔女が見目うるわしくても、戒律をかたむけることはしない。
たえしのぶこと。ここに死に、かしこに生まれても、だれの母親の胎にはいり、だれの母親の胎から出ようとも、心に迷いと乱れがない。
むくいを求めない。仏の教えを学び、明晰な言語と理解を得て、質問に答え、疑い・惑いを除く。もろもろの仏を供養する。
>>410 あれは集合住宅向けのやつだろ
人が踏んだら失礼になるとかなんとか、宗派っていうより一般的に普及してるやつや
だからバッターはピッチャーの投げた球を0.2秒で判断して無意識でバットを振ってる
そうしないと野球というゲームが成立しない
この意味は私たちが前世のカルマで生きていることとつながっている
要するに自分で考えて行動しているのではないということ
(考えて行動するときもあるが)
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 06.他縁大乗心(たえんだいじょうしん) - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地3
・唯識説における、修行の2段階目
修行に一段と励みを加えていく、加行位を明らかにする。
四尋思とは、「名称と、ことばと、もの自体の本性と、ものの差別とは、かりの存在で、実際には無である」とする。
「この四つは意識を離れており、また意識は有るのではない」と知ることを、あるがままに知る智(如実智)と名づける。
「成唯識論」に言う。
――煖という瞑想の段階。「認識の対象が空無であり、実際には得ることができない」と観想する。
――頂という瞑想の段階。「認識されるものの名前などの、四つの法は、実際には得ることができない」と観想する。
――忍という瞑想の段階。「認識されるものは、認識するものと離れて存在するわけではないから、認識するものも、認識されるものと別にあるわけではない」と了得する。
――世第一法という瞑想の段階。「主観・客観という、二つのとらわれが空無である」と認める。
>>412 無我というのは「ない」ではなく
我というエゴを心からなくしなさいという教えです
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 06.他縁大乗心(たえんだいじょうしん) - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地4
・唯識説における、修行の3段階目
はじめて、さとりの智慧を得る、通達位を明らかにする。この智慧には、認識するものはあるが、認識されるものはない。これに二種類ある。
一に真見道。認識されるもの、認識するものの、両辺を離れた智慧である。「ただ識のみ」という、本性をさとる。
二に相見道。「個体存在は実在せず空である」とさとり、「存在要素は実在せず空である」とさとり、これら両者は空である。「ただ識のみ」という、外に現れている様相をさとる。
これら二つのうちでは、真見道がすぐれている。真見道が根本的な智慧であり、相見道は後から得られる。
二つの見道には、真実と一体になる智慧(六現観)がある。
1.聞いた教えを、みずから思惟する。2.仏・法・僧への信仰。3.戒を守ることで、観想を深める。4.四諦への理解を深める。5.真実の様相を対象とする。6.ことばで表された真実を現観する。
菩薩が、二つの見道を得るときは、「真実なる世界に到達する」「仏の集まりのなかに生まれる」「百三昧を証して百如来を見る」「生けるものを安楽にする」と知る。
禅(ध्यान:意識という意味)で考案というのがあるように
思考を重ねる修行があるから
考えるなと、云ってる奴は
ブルースリーのセリフを真逆で理解した阿呆だな
このスレ見てる人には、とりあえず
>>15 の基礎的な知識だけでもいいから
覚えて欲しい
似非科学や似非仏教に欺されない為に
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 06.他縁大乗心(たえんだいじょうしん) - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地5
・唯識説における、修行の4段階目
修習位とは、菩薩の十地の通称である。
煩悩を転じて、大いなる安らぎを得る。十地において、十波羅蜜を実践することで、この転換を体得する。
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜に、特に智慧波羅蜜を四つに開いて、方便・願・力・智を加える。
方便波羅蜜とは、さまざまな手立てで、人びとをさとりに導くこと。願波羅蜜とは、心の願いを実現すること。力波羅蜜とは、智慧と修行の力を発揮すること。智波羅蜜とは、ありのままを洞察する、真実の智慧を完成すること。
「華厳経」に言う。――菩薩は、すべての恐怖から遠ざかり離れて、みな歓喜を生ずる。
――自己が生活することへの恐れと、自己の評判を気にすることと、死への恐れと、地獄などの悪い世界に生まれることへの恐れと、大勢の人の視線への恐れから離れる。
――「衆生が仏を信じても喜びを生ぜず、衆生が仏を信じなくても憂悩を生じず、正念・正智に安住する」という、仏の有する三念住を求める。
「成唯識論」に言う。――陀羅尼を総持する。1.経の文句を忘れない(法陀羅尼)。2.経の文句の意味を忘れない(義陀羅尼)。3.唱えることで、人びとの災いを取り除く(呪陀羅尼)。4.陀羅尼について思惟して得た、真実に住する(忍陀羅尼)。
――「多くの苦しみを耐え忍び、真実を明らかに了解する」という、智の光を発する。
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 06.他縁大乗心(たえんだいじょうしん) - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地6
・唯識説における、修行の5段階目
究竟位とは、修行の完成した位のことで、「十地経」に言う。――妙なる浄土がある。三界を超え出ている。十地にある菩薩は、その中に生まれる。
「成唯識論」の究竟位の頌に言う。――迷いの世界の生滅を遠く離れ、安らかであり、四智の心のあり方は素晴らしい。
――大円鏡智は、あらゆるものを照らし出す智慧。平等性智は、自己と他者とに平等である智慧。妙観察智は、あらゆるものの区別を把握する智慧。成所作智は、人びとを利益する智慧。
――はたらきは自由で無限であり、方法に巧みで、不善にたがうから、善とするのである。
顕教では、真実そのものを仏身とし、それを法身と称する。これは、歴史的実在の人物である釈尊を生身というのに対するものである。
大乗仏教では、一般に法身・報身・応身の三身説をたてる。密教では、その三身すべてを法身仏とする。
「法身仏は、説法をしない」という顕教の立場に対して、密教では「宗教的人格体である法身仏が、常恒に真実を説き続けている」とする。
法身に三つの様相がある。一に、法そのものを本性とする、自性身。二に、自らさとりを享受し、また他の者に享受させる、受用身。三に、仮の姿をとって現れる、変化身。
変化身の法身仏は、人びとの願いに応じて姿を現じ、浄土と穢土とに住む。菩薩・声聞・縁覚と、凡夫のために教えを説いて、安楽を獲得させる。
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 06.他縁大乗心(たえんだいじょうしん) - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地7
・認識の方法(前半)
実在しないものに執われて、それが存在するかのように妄想することは、ただ虚妄より起こる。「すべて、本体と、はたらきがない」と観じて、正しく「空である」と否定すべきである。
否定とは空観である。有に対する執著をうち破る。存在とは有観である。空に対する執著をとり除く。空と有を観じて、有と空を否定する。
真実なる見かたでは、有でもなく空でもない。真実には、認識されるべき本性はない。言説を離れているからである。
「成唯識論」に言う。――愚かな人は対象に迷い執われて、煩悩と行為とを起こす。彼をあわれむから唯識の語を説いて、みずから心を観察し、迷いの生死を解脱せしむ。
無著の詩に言う。――現象界の、ものの区別は、「仮に設けられたもの」であるにもかかわらず、「それが実在する」と考えるのは、妄想である。
「遺教経」に言う。――汝らは、よく心を制御すべきである。心を一ヶ所に制御すれば、どのようなことも、論ずることのできないことはない。
「無垢称経」に言う。――心が汚れているから、生きとし生けるものは汚れているのである。心が浄らかであるから、生きとし生けるものは浄らかなのである。
無我説ってちょっと誤解を起こすんでありまして
元の意味は我執をなくすという事です
人が生きていくためには心の奥にエゴイズムを持っています それをのさばらせ
ないようにというのが無我説なんです
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 06.他縁大乗心(たえんだいじょうしん) - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地8
・認識の方法(後半)
「摂大乗論」の頌に言う。――縄を見て「蛇だ」と思う。縄と見れば、「蛇ではない」とわかる。
――「その本体は麻である」とさとれば、「蛇と認識したことはまちがい」であることを知る。
縄という存在は仮称であって、実際には麻からできているものだから、存在するものは麻に過ぎない。
「縄が、麻などの集まりであるのを見て、縄の認識を除く」のを、「真実なるもの(円成)を見て、さまざまな姿の認識を除く」のにたとえる。
蛇に執われることがなくなるから、「所執を除く」と名づける。「蛇は空である」と見通して、「これは縄だ」ということをさとる。
「如来功徳荘厳経」に言う。――如来のけがれのない識は、浄らかであり、煩悩のない境界であり、すべてのさわりから解き放たれており、大円鏡なる智慧と相応する。
「二諦義」に言う。――勝義勝義の真実とは、言説によってあらわすことのできない、唯一の真実の世界である。
龍猛菩薩の「菩提心論」に言う。――三阿僧祇という、無限に近い時間にわたり、六波羅蜜のあらゆる行為をなし、仏のさとりを得るのである。それゆえに、また、この教えを願い求めるべきではない。
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 06.他縁大乗心(たえんだいじょうしん) - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地9
・真言の密意
他縁大乗心のごときは、弥勒菩薩の瞑想の教えである。この菩薩は、慈しみを発生する瞑想に住して、自心の真言をお説きになられた。
――アシタンシヤヤ(うち勝つ者がない)サラハサトハ(生きとし生けるもの)シヤヤ(心の本性)トキヤタ(知ること)(「大日経」巻二)
→生きとし生けるものの、もろもろの感覚器官のはたらきを、明らかに知る。
深い秘密の解釈に言う。初めの阿字を本体とする。これは、本来、生じないこと(不生)である。
生ずるものとは、生老病死の流転のありさまである。彼(阿字)の本体は常に、おのずから生ずることがない。
存在の本体は不生であると知るから、生けるものの心の本性に熟達し、「正しくさとらない」ということがない。
この一つの真言を誦すれば、弥勒菩薩のさとりについて説かれた、すべての教えをたもつことになる。
すなわち、無限に近い時間を経過しなくても、一生のうちに仏になることができる。
普通の説では、弥勒菩薩は、位は十地にあって、将来、仏になると言う。このような説は、まだ真実を理解していない言葉である。
>>418 あるのは業のみと説かれているのだから
文字通りないんだよ
そもそも解脱してたら欲が消えているので
犠牲にするものなどない
この世は幻ってこと
真面目に生きるだけ馬鹿ってことだ
窮地に立った猪木の強がり
「そんなこと、どうってことねえよ!」
>>430 欲が消えるというのはただ「解脱」しただけなのです
お釈迦様は菩薩道に進みなさいと法華経で説いてます
主体と客体という認識がまだ残っている時点で解脱してないからね
だから、悟った人は「私」は悟りましたとは言わない
言うのは邪見に落ちたやつや詐欺師
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 07.覚心不生心(かくしんふしょうしん) - 大乗仏教のうち「般若経の空」中観・三論宗の境地1
覚心不生住心とは、「心の本性そのものは、本来、生起するものではない」と、さとる境地。
あたかも、大海の波は条件によって起こるのであって、水じたいは生起することがないのと同じである。存在についての、とらわれを超えた立場(中道)を明らかにする。
八つの否定(八不)によって、誤った、無益な言論を越える。
人びとを悩ますところの四魔である、煩悩魔、陰魔、死魔、天魔も、おのずから降参する。
煩悩魔は、貪り、怒り、無知。陰魔は、さまざまな苦を生ずる、色・受・想・行・識という、五つの存在要素。死魔は、命を失うこと。天魔は、人びとの善き行為をさまたげる、第六天の魔王・他化自在天のこと。
>>410 宗派じゃなくて仏壇とか神棚の上に人が立ったら神様や仏様に失礼だから仏壇や神棚の上に2階がある構造の家は仏壇や神棚の上に空とか天とか雲貼るみたいな話だったと思う
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 07.覚心不生心(かくしんふしょうしん) - 大乗仏教のうち「般若経の空」中観・三論宗の境地2
・二諦説の解釈
「中論」に言う。――もろもろの仏は、つねに二つの真実によって教えを説いておられる。
――1.ことばで表現される世俗的な真実(世諦)。2.ことばで表現することのできない究極的な真実(第一義諦)。
有と無とにとどまるから、有得(とらわれる)と名づける。有と無とにとどまらないから、無得(何ものにもとらわれない)と名づける。
有であっても無であっても、みな、これは世間の真実である。空でもなく有でもないのを、はじめて世間を超えた真実と名づける。
空と有とを二とし、空にあらず・有にあらざることを不二とする。二と不二とは、世間の真実であり、二ではなく不二でもないことを、世間を超えた真実とする。
この教えを説くのは、二つの真実(世諦・真諦)の否定が真実であることを、さとらせようとするためである。何ものにも、とらわれることがないことを、はじめて名づけて理法とする。
迷える者は有るとか無いとかに執著するから、「有ると無い」ということによって、「有るのでもない、無いのでもない」という真実をあらわすのである。
凡夫は「有る」ということに執著し、声聞・縁覚は「空」ということに停滞する。
如来の教えによる原因と条件とによって、「有ると無い」ということは、「仮に有ると、仮に無いと」である。
仮に有るのだから、真実には有るのではない。仮に無いのであるから、真実には無いのではない。
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 07.覚心不生心(かくしんふしょうしん) - 大乗仏教のうち「般若経の空」中観・三論宗の境地3
・真諦と世諦を超えた真実
「大乗玄論」に言う。「世間を超えた真実(真諦)でもなく、世間的な真実(世諦)でもない」というのは、相対を離れた立場(中道)である。
「世間を超えた真実(真諦)でもなく、世間的な真実(世諦)でもない」ということは、無名である。仮に、あえて名を立てる。
「浄名経」に言う。――とどまることがない(無常)という実体にしたがって、すべての存在するものは成立している。
智慧と、正しい教えと、無常という三つは、仏教の中心的な思想の別名である。実体と名とは、同じでもなく、離れてもいない。
「二つの真実が、ともに、ありのまま(如)」ということである。ありのままの相を得るから、如来と名づけるのである。
普通の理解には、第三の真実はない。普通の理解は、二つの真実をもって自然の理とする。今は教えをもって真実とする。
「華厳経」に言う。――すべての有と無として存在するものは、「有でもなく無でもない」と、さとるべきである。
依りどころとしての真実は、究極的に二つの体があるわけではない。よって、一つの相対性を超えた立場(中道)をもって体とするのである。
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 07.覚心不生心(かくしんふしょうしん) - 大乗仏教のうち「般若経の空」中観・三論宗の境地4
・八つの否定(八不)
生じないこと(不生)、滅しないこと(不滅)、断絶しないこと(不断)、永遠でないこと(不常)、一ならざること(不一)、異ならざること(不異)、去らないこと(不去)、来ないこと(不来)。
八つの否定(八不)は、すべての、とらわれの心を洗い浄める。
何かにとらわれている者は、この八つのとらわれの、どれかに堕ちこんでいる。声聞・縁覚の人のようにである。
すなわち、さとりは生ずべきであり、迷いは滅すべきである。生けるものが、根本的な無知から流れてくるのは「来る」と言い、根源に戻るのを「去る」と言う。
声聞・縁覚の言う、「生ずると滅する」とを求めても、得ることができないから、「生ぜず滅せず」と言う。
・三つの論書
「三論玄義」に言う。――「中論」「百論」「十二門論」という、三つの論書は、とらわれを破るはたらきは異なっているが、「正しく観察する」ということは同じである。
八つの否定を、中観(相対性を超えた立場)と名づける。空にも有にもとらわれない、八不による中観を、「正しい瞑想」と説く。
>>433 最終解脱者を名乗ってた麻原はなぜ、菩薩道に進まなかったのか?(´・ω・`)
中庸の美徳を愛する者は
貧困の汚れに染(し)まず、賢くば、
人の羨(うらや)む邸宅の華美をも好まず。
松高ければ風ますます猛(たけ)り、
山高ければ、雷(いかずち)まずこれを撃ち、
塔高ければ倒壊の惨はなはだし。
ホラティウス
アルトゥール・ショーペンハウアー
筆のすさびと落穂拾い(Parerga und Paralipomena) 処世術箴言(Aphorismen zur Lebensweisheit) 訓話と金言 一
新潮文庫幸福についてp.190〜191
>>440 起点であり、終点でもあるのでしょう(´・ω・`)
要は、全ての起点が空な上に、欲と物を剥ぎ取れば識のみが残り空を識る。みたいな?(´・ω・`)
>>433 釈尊が法華経とかいうゴミになんの価値があるんだ?
仏教って結局
みんな気のせいだからあんま気にすんなって言いたいんだよね
そもそも大乗仏教ならお釈迦様に帰依するのであって
それ以外の教祖に従うことはありません
日蓮宗も信者に対して仏典を読み解く助けをしているだけで
お釈迦様が(日蓮も)教祖様です
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 07.覚心不生心(かくしんふしょうしん) - 大乗仏教のうち「般若経の空」中観・三論宗の境地5
・龍樹「中論」
「瓔珞経」の「仏母品」に言う。――二つの真実は、よく仏を生ずるから、二つの真実は、仏の母である。
「中論」に言う。――もろもろの仏は、二つの真実によって、生けるもののために説法したもう。
仏はどうして、二つの真実を明らかにされたのか。「仏の教えの真実は、中道である」ことを示そうと思われたからである。
世間を超えた真実があるから般若の智慧を生じる。世間的真実があるから救済の方法が生じる。
三種類の人が、二つの真実に迷う。
(ア)一つには、小乗学派の人である。彼らは、実体性に執著する(法執)が、「実体性がなく存在する」のが世間を超えた真実(真諦)である。
(イ)二つには、「実体性がない」ことにとらわれる、一部の大乗の人である。
大乗の、空の本義を誤解して、「単純な空無」の意味に解する一派を、方広道人と言う(大智度論1巻)。
すべての存在はあり得ず、悪い行為も善い行為も、それに応じた結果もないと思っている。この人は、世間的な真実(世諦)を失う。
(ウ)三つには、仏教以外の人である。「存在する」という見解にとらわれる人は真諦に迷い、「存在しない」という見解にとらわれる人は世諦に迷う。
>>431 違うと思うよ
弟子たちに説いた八正道は縁起を意識した教えだから
このように生きたら苦しまないで生きれるよと言ってるよ
縁起により招く苦しみを無くそうって言ってるんだと思う
空とは無のようなものだけども
ただ無があるんじゃなく
無限になにかがある
ただその程度のものをお釈迦様が説くわけはない
空とはとんでもなく恐ろしいものであって
本当に知ると4にたくなるようなものだろう
>>451 それは学んでない人の言うことです
お釈迦様はもともと法華経を説きたかったのですが
人間があまりにも遅れていたんで阿含経や般若心経など
遠回りをしただけです
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 07.覚心不生心(かくしんふしょうしん) - 大乗仏教のうち「般若経の空」中観・三論宗の境地6
・「中」の意義
「大般涅槃経」に言う。――人びとが間違った見解を起こすには、二種類がある。一つには、因果の理を認めない断見論。二つには、世界や自我の永遠不変を主張する常住論。
――常住論でもなく断見論でもないのを、相対性を超えた立場(中道)と名づける。
「大方等経大集経」に言う。――二つの偏った見解を遠ざけ離れて、中道にも執著しない。
・真言の密意(1/3)
「心は生起しない」と、さとる心のあり方の教えは、文殊師利菩薩の、瞑想の教えである。
「大日経」に言う。――文殊菩薩は、みずからの、さとりの境地をあらわす真言を説いて言う。
――ケイケイ(憶いおこさせる)ク(空をさとって打ち砕く)マラ(煩悩魔、陰魔、死魔、天魔の四魔)キヤ(文殊師利童子が昔に立てた誓願)ヒホキチハタシチタ(解脱の道に住する)サンマラサンマラ(心に念じ常に思い出せ)ハラチセン(以前に立てた誓願)
→この童子は、遠い昔すでに、真実そのものの体を完成している。よって、「その昔、立てた誓願を思い出して、生けるものを救済してください」と求める。
深い秘密の意味は、「摩」の一字を本体とする。これは、大いなる空(実体性の否定)である。 大いなる空(実体性の否定)は、大いなる自由自在である。
大いなる自由自在は、すなわち大いなる自我である。大いなる自我は、すべての存在するものにおいて、執著することもなく、とらわれることもない。
これは、つまり如来の智慧である。
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 07.覚心不生心(かくしんふしょうしん) - 大乗仏教のうち「般若経の空」中観・三論宗の境地7
・真言の密意(2/3)
「般若理趣経」に言う。――仏は、「密教における、梵字を観想する修法」の一つである、字輪を転ずる智慧の教えをお説きになった。
「般若理趣釈」に言う。――これは、文殊師利菩薩の別名である。「字輪を転ずる」とは、字輪の瞑想を意味する。
――「もろもろの存在は光明である、智慧によって、さとりを完成することが清らかであるから」というのは、一切義成就曼荼羅のなかの、宝利菩薩の瞑想である。
だから、「六波羅蜜経」に言う。――文殊菩薩をして、仏の説かれた智慧の教えを保持せしめる。
龍樹菩薩は、この智慧に依り、「中観論」「十二門論」をつくって、さとりに到る三つの門戸(空・無相・無願)の、相対性を超えた立場(中道)にもとづく、正しい観察の方法を示した。
龍樹菩薩の弟子である、聖提婆菩薩は、「百論」をつくって、声聞・縁覚や仏教以外の者たちの、とらわれを破った。
無著菩薩は「順中論」をつくり、世親菩薩は「百論」の注釈をつくり、清辨菩薩は「中論」の注釈を作った。これを「般若燈論」と名づける。
吉蔵法師は、「中論」「百論」「十二門論」の、三つの論書によって、その解説書をつくり、教えの門戸を伝えた。
唐朝に留学した、日本の智蔵や道慈法師などは、この吉蔵の学問を受けて、日本にもたらした。これを三論宗と名づける。
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 07.覚心不生心(かくしんふしょうしん) - 大乗仏教のうち「般若経の空」中観・三論宗の境地8
・真言の密意(3/3)
教えで代表させれば「大般若波羅蜜多経」である。これは、文殊師利菩薩の、瞑想の教えの曼陀羅である。
このような経典と、論書に説かれている無量の教え・意義などは、すべて文殊菩薩をあらわす「摩」字の真言におさめつくす。
この一字を観察し、読誦すれば、大空三昧の瞑想に入って、文殊菩薩と等しくなる。
1.空空三昧は、すべての煩悩を滅ぼした者が、自我と自己所有の観念を否定した、空のさまを観想する。
2.無相無相三昧は、すべての煩悩を滅ぼした者が、すべての無差別を観ずる瞑想にはいり、すべてが相なきことを観想する。
3.無願無願三昧は、すべての煩悩を滅ぼした者が、いかなるものも願い求めるものがない無願の瞑想にはいり、そこにおける無常を観想する。
「大いなる実体性がないこと(空)」を、さとる智慧を得て、「すべての、もろもろの存在するものは、本来、生起せず、消滅せず、断絶せず、常住ならず、同一でなく、差異せず、去らず、来たらず」という、八つの否定を、よく知ることになる。
この大いなる智慧はまた、大日如来の無限の徳性の一つである。よって善無畏三蔵は言う。
文殊師利菩薩は、これは大日如来の知恵である。大日如来を離れて、別に文殊の智慧があるわけではない。
>>453 大乗仏教自体が釈迦の教えに反するのに釈迦に帰依しているとか笑える話
>>462 反してはいませんよ
もともとお釈迦様が説きたかったのは菩薩道ですから
>>457 それは単に天台智顗とかが適当なこと言ってただけでない?
日本でも江戸時代まで五時八教のこと疑う人居なかったみたいやけども
「これ全部別の人が書いた経典でない?」って指摘したのが富永仲基
>>464 お前は釈迦の言葉を借りるだけで実体験がない。
他人に勧めるだけ勧めて責任も取る気がない。
全て他人事や
言うところただのカルト詐欺師じゃねぇかこの偽物が
>>466 それでいいんです
大乗仏教をやっている人は原始仏教をやってませんから
苦行とかしません
大乗仏教が編纂されたときに関わった天台大師様や鳩摩羅什は
仏様のネフィリム(神の啓示を聞いて言葉にする人:モーセやムハマンド)
だと思います
法華経にはお釈迦様が入滅した後に500年ごとに菩薩様が現れて
跡を継ぐと書いてあります
>>457 笑えるな
これだけ堕落しきった大乗仏教の惨状を見てなんでそんな言葉が出るんだ?
法華経なんてその元凶目を覚ませ
>>470 嘘も方便と言うけども嘘すぎる嘘はただの嘘なんよ😌
>>468 仏典に書いてあるんだから仕方ないでしょ
私の意見なんて書いたってしかたない
>>471 原始仏教(小乗)は阿羅漢まで
大乗は十界です
泥の中から美しい蓮の花が咲く
ということは泥には蓮の成分があり蓮には物質的に特別なものは何も無い
人間も物質的にはそのへんの土塊と同じで特別なものはない
これがどうして悟りとかいうものにつながるのか良くわからないが
万物と一体化するという神秘的体験の前提になるのかも
>>474 釈迦が語った言葉を編纂した以外の自称仏典は全部偽書
大乗仏教は仏教を哲学から宗教に堕落させたゴミ
阿羅漢は自分だけよければいいという自己中心的な考えです
>>473 末法濁世の世に出現し、法華経を閻浮提に弘布すべき仏勅を蒙つた四大士、即ち上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩をいふ、此の四菩薩は、釈尊が法華説法虚空の会座に於て、法華経安楽行品を説いた後、大地から涌現した四人の弟子で
>>476 じゃあ伺うけど仏になるってどういうこと?どうなるの?
https://tokuzoji.or.jp/hasshoudou/ 正直八正道だけ黙々やってたらいいと思うよ
周梨槃特さんもずっと塵を払い、垢を除かんと言いながらお掃除してたんだから
阿耨多羅三藐三菩提ってなに?
悟りって何?
宇宙てなに?
それはお釈迦様と同じ境地にならなきゃわからない
いくら物理学の数式をかけてもわからないことなのです
そこに至る道が菩薩道の五十二位
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んだことがある人はいますか?
仏教学者は出家坊主より漢語やサンスクリット語、パーリ語をよく理解し、広く経典を読み、仏教に関しての知識も多いが、決して悟れないという
弟子「人は死んだらどうなるのですか...?」
ブッダ 「人というのはですね、 人というのはですね、 極楽浄土、 極楽浄土からですね、いち個人が天界の極楽浄土から人が黄泉がえりのしようがないじゃないですか。
そういうイメージ操作はねえ、やめるべきですよ? そういうことをしてるからですね、信徒の信頼をうることが、 みなさんはできないんです。
これはっきりと申し上げてね、はっきりと申し上げて、 いいですか、で、そういうですねえ、そういう、すいませんちょっと野次はやめていただけますか? たいせつなところなんですから。
こういうですね、こういうたいせつな議論をしているときに、正確な議論をするべきなんですよ。
で、 そのなかでですね、 そのなかで、この、 お えー、先方がですね、 仏教の、 あの、 おー、 う、 えー、名誉教祖という、極楽浄土の宇宙にですね、 帰依したという言い方はですね、これは取り消して、 まず取り消して、 えっう、いっい、い帰依というものをですねまずわたしに質問する前に、じゃあ取り消してください。
何度も何度も断ったというのはですね、 ガウタマシッダールタ寺院について申し上げたわけであります。それと、黄泉がえりというのはですね、これは失礼ですよ!で、 あなたたちはすぐにそうやってレッテル貼りをしようとしている。
この問題についてもですね、 まるで、まるでわたしが関与しているがごとくの、ずーっとそういうですね、 えーイメージ操作をこのサンスクリットの上座部つきしつ (ママ)の時間を使ってですね、 えんえんと繰り返していますが、 みなさんそれが得意だし、それしかないのかもしれない。
それしか、 ま、 ないのかもしれませんが、黄泉がえりというのはですね、黄泉がえりというのはー、 黄泉がえりというのはじゃあ、わたくしが黄泉がえりしたんですか?」
>>487 苦しまないですむ生き方とか
苦しみに繋がる縁起から離れる生き方じゃない?
釈迦が解いた修行というか道
おい!夢幻泡影ってYO!バジリスクのネタじゃんか!
空海「十住心論」7巻「唯識」の要約
>>411-429 空海「十住心論」8巻「中観」の要約
>>436-461 >>492 イヤに俗物すぎるなぁ(´・ω・`)
ぶつぞう(´・ω・`)
四諦・八正道 十二因縁
これらはいろいろと説明していますし大切なことは逆からやりなさいということ
これが暗示しているのは物質社会を当たり前だと思うなということ
神仏の立場から物を考える癖をつけなさいということ
話はそれましたが例えば八正道の「正しい」は何が正しいのか
正しく見るには最後の正念、正定からやりなさいという「逆」
十二因縁だって最後から考えて「無明」という最初にたどり着く教えです
これが意味するのは
神仏とのリンク(草木品)においてお釈迦様が私たちに平等に教えを説く
(雲から雨を降らすという7例え)
その時に私たちの心に煩悩があるとお釈迦魔の教えが届かないのです
それを芥川龍之介が「蜘蛛の糸」で書いています
要するに四諦八正道、おお十二因縁も私たちの心から煩悩をとり省きなさい
そうしないとお釈迦様がいくら救いの手を差し伸べても届きませんよという
教えです
サイケデリックやったらわかる
時間も空間も脳が作り出した幻想ってこと
>>431 仮にこの世が幻想だとしても、ここで苦しみや痛みを感じる自分は本物だから、その指摘は本質的に意味がない
「善行を積んで良い来世」とか「死後天国に行って救われる」とかの戯言も一緒
肉体の状態が精神に与える影響は大きく、肉体も自分という存在の一部であれば
仮に魂なる存在があったとしても肉体が損なわれた時点でそれは無関係の赤の他人と考えるべきで、現世でいま実際に苦しんでいる自分が救われるわけではないので救いとは言えない
>>499 オレ馬鹿なんで
余計いよく分からんです
釈迦の言ってる八正道をやったら釈迦の言ってる事が解る
こんだけでいいんじゃない?
四諦八正道を実践すればお釈迦様の教えが私たちの心に「感応」という形で
現われます
それは言葉でなく声でもありません
例えたら音楽を聴いたときに感動するとかそういう「感覚」です
知識と智慧は違います
知識は私たちの外側から得たものですが
智慧は私たちの心の中から芽生えたものです←実はこれがお釈迦様の教えです
それを私たちは自分の記憶の中から選んだものと思いがちですが
その感応が必要な時に私たちを救ってくれて
坂道の多い人生をなだらかにしてくださいます
ドーナツの穴よ
何も無いのに空気と言ったりH2Oと言ったりドーナツの穴と言ったりする
でもドーナツの穴だけ取り出してと言っても不可能
人間が勝手に描き出した世界の中の概念でしか無い
日々「感謝」することです
人間は一人で生きているのではありません
目に見えない悪霊から目に見えない菩薩さまや仏様が守ってくれているのです
だから感謝するのです
人間には見える範囲があってそれを可視光線と言います。
紫外線や赤外線は見えませんね。
聞こえる範囲もあって20Hzから20000Hzと言われます。
神仏はそれ以外の人間の五感では認識できないところにいらっしゃいます。
人間の能力を「超えた」ところという意味で超次元とも言います。
要するに、私たちと同じ空間と時間を過ごされているのです。
>>498 他人を地獄に突き落としてでも自分だけは地獄から抜け出そうとする、その欲の浅ましさに、仏様はほとほと呆れたのではないかと思います(´・ω・`)
自分をも再び地獄に戻る覚悟を以て、糸に縋ってきた他の者を赦すかどうか、カンダダを仏様は試していたのかもしれませんね(´・ω・`)
>>495 十住心論の6巻が「唯識」で、7巻が「中観」
要約レス自体の巻数表記はずれてないけど、一応訂正
ちな、8巻は「天台法華」
9巻「華厳」まで要約レスを作った
今日は、たまたま、このスレを見かけて、数字さんのゴーが出たので、7巻8巻をレスした
>>509 そうですね「煩悩」(自己中心的な考え)を持ったらいくらお釈迦様が
救おうとしてもその神通力を自ら断ってしまったというわけです
>>511 天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆の8つ
仏典に書いてあります
自殺願望のある人は死神がついてますから
朝日を見てください
目に見えないから存在しないのではないのです
私たちには見えないだけで向こうからは丸見えなんです
芥川の小説は創作だけど
因縁のことをいってるよね
日頃の行いを正そうっていう教訓なんだろうね
でもこの世は誘惑も多いから
生きていくには大変よね
八正道を行い続ける事も
>>518 八正道はそういう心構えを持つということです
そうすれば
>>503 >>519 八正道は心構えなの?
もっと直接的な
釈迦がこれやれば苦しまないで済むぞ
っていう実践的な修行なんじゃない?
昔の人はこんなのにすがるほど貧しい生活をしてたってことか
しかも天皇が率先して仏教広めたっていうんだからまさにヘルジャップだわ
>>82 そんなんじゃなくて普通に牛のやつでいいんじゃないですかね
結局このスレでも解釈バラバラやし正解なんてないってことか
唱えるだけで極楽浄土に行ける南無阿弥陀仏みたいなゆるいやつが正解よ
夢幻は精神世界・認知の不確定さ
泡影は物理・物質的な本質を表している
生物が細胞単位から成り立つ小胞であることもこの概念と合致しているから驚きだよな
>>521 言い忘れました
私たち人間にとって「正しい」とは何でしょうか
それは法律かもしれません
しかしその法律だって人間本位であったり自分本位というか
その時の権力本位だったりします
そしてもう一つの正義はお釈迦様の言う「宇宙の法則」です
よって人間には何が「正しい」のかわからないんです
でもそうやって正しく生きようとする心にお釈迦様は教えの
雨を降らせてくれます
宇宙の法則です
最初に生まれた「意志・意識」体を一大心霊と言い人間も一人一人が
その分霊である霊を肉体に閉じ込めている
分霊と一大心霊は同じ意志を持っていて人間も進化している
しかし進化と逆向きのこころには「苦」の現象が現れる
これが宇宙の法則である
(十界)地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天界 声聞 縁覚 菩薩 仏
↑
今ここ
人間界より左(地獄方向)に行くと苦の現象が未来に現れる(自己中心的 怒り 不満 差別な心をもつこと)
右(仏界)の方向に行けば無限の喜びと幸福が現象化する(慈悲 思いやりな心)
>>528 うーん、なろう程度の説明にしか見えないな
色んな宗派の人らが混じってておまけに我が強いから話になってないな。
二乗根性なんて言葉もあったな。
法華経を客観的に考えた本とかお勧めない?
あと仏教を始めから追っていく本(大雑把でいい)とかも誰か教えて。
>>530 仏典はその書いてるままに解釈してはいけないんで
聖書もそうです
そこから神仏がないを言いたいのか私たちに読み取る智慧がないと
誤った方向に進んでしまいます
だから八正道をして神仏の教えを聞きながら生きるのです
キリスト教がバラバラになってキリスト教同士で殺し合ったのが世界史なのに
なぜ仏教が一枚岩でいられるんだい
>>533 キリスト教は各種学問と関連して神の否定に到達したぞ
仏教もそろそろアップデートしてもいいんじゃねえの
>>527 オレも何が正しいとかわかんない
ただ多くの人がダメだって言ってる事は概ね正しいんだろうなと思う
おおよそやっては行けないこと
やった方がいいことは先人たちが苦労したり悩んだ末に答えを出してくれてるから
オレも多くの人たちも先人たちの歩んだ轍のあとを歩いてる
その方ができるだけ苦しまないで生きれるから
やっては行けないことばかりをやったら後で苦しむし
>>534 西洋ではデカルト(1600年ー)「われ思うゆえにわれあり」が西洋思想の出発点になった
インドではシャンカラ(700年ー)「いくら自分を疑っても 自分を疑っている自分は存在する」
(西洋哲学では自己という言葉があまり使われていないのに対してインドではエゴという言葉があまり使われない)
両者は似ているのだがそこからの話の方向が西洋とインドではわかれるのである
西洋では「われ」が自己ではなく「エゴ」に
インドでは「自己」がアートマン そしてその奥にある絶対者ブラフマン 宇宙の真理になりそれが生き物の
すべての根源であり みなとつながっているというところに目を向けた
西洋では人が死んだからといってその人が神(ゴット)になったとは言わないが
東洋で庶民は仏になったという そこに仏を通して人々の一体感が生まれる
ここに「自己」というものにおいての東洋と西洋の違いを指摘する
東洋にも西洋にも他にもいろいろな思想はあったが傾向としてはこの両者が代表的だった
原始仏教に拘るのはカトリックの福音派みたいなもんだろ頭が硬すぎるんだよ
>>536 自分の意見を通す強さがあるかどうかじゃね
日本は昔はケダモノの肉を食っちゃいけなかったし、みんなそれ守ってたけど、今ではみんな豚も牛も大好きだろ
>>534 仏教が一枚岩っていうのはさすがに違うと思うけど
寺子屋とか学ぶことを推奨してるし
貞操観念的なことがあんま厳しくない
そのへんがそこまでの争いを産まなかった理由な気がする。
キリスト教文化圏は貧乏人が勉強(笑)みたいな身分格差が未だにあるようだし
処女信仰がえぐい
差別意識がゴリゴリすぎる
>>535 それは聖書を誤って解釈しているからでしょ
>>536 もう一つ考え方があります
何が正しいかわからないのは皆同じですから
人助けをしましょう
その時あなたはすでに仏様になっているのです
あなたのすることが仏様の行動と同じならあなたは
仏様と同じという考え方
それが化他行です
仏教のよいところ
肉食べないようにしようとかいいつつ
やっぱ無理!牡丹鍋!が許されるところやね
仏教徒でありつづけるデメリットをゆるゆるにすることで信者を逃さない姿勢
空ってそんなに難しい概念じゃないだろ
この世はヴァーチャルリアリティーだって仮説を述べてるだけだぞ
映画のマトリックスでもみれば空はわかるでしょ
>>536 無量義経に王子不思議力という功徳があります
無量義経十功徳品第三 第四の功徳「王子不思議力」
現代語訳
善男子。この人は、譬(たと)えば、国王と王妃との間に生まれた王子の様です。その王子は、もしは一日、もしは二日、
もしは七日に至り、もしは一月、もしは二月、もしは七月に至り、もしは一歳、もしは二歳、もしは七歳に至り、
まだ国事を治めることが出来なくても、家臣や国民に尊敬され、多くの大王の王子たちと仲間となります。
王と夫人からの愛はひとえに重く、常に王子を可愛がり、いつも共に話します。なぜならば、王子はまだ幼いからです。
この例えは王様=仏様 夫人=お経・経文 よって王子=佛子になります
題目をあげ佛子として人助けをするなら まだ佛子として経験が少ない人でも
お釈迦さまが一生懸命に助けてくれるという意味です
あなたは佛子なのです
あなた方が人を助けようと思ったら躊躇することなく実行してみたらいいです
お釈迦様は救ってくださいますよ
>>539 カンダタみたいに間違った生き方をしてきたから
自分の意見を通す事に臆病になってるんだ
馬鹿だとしても生きていかないといけないから
ただ生きるならできるだけ苦しまない生き方をしたい
だから八正道とか周梨槃特とかの話しに興味を持ったんだ
キリスト教には聖書があり、儒教には論語があるように仏教には基本となるものがあるのだろうかと考えた場合、まあいちばん有名な般若心経をあげるのが適切だろう
というわけで以下これをたたき台に使おう
般若心経の簡単な意訳
シャーリプトラ「悟りを得て、この世の苦しみから逃れるにはどうすれば良いでしょうか」
観音さま「この世のあらゆるものには実態がない。つまり本来は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、心といったものも存在しないのだ。だから物事に執着したり、ひとつの価値観に捉われてしまう必要はないのだよ」
人の心には「仏の種」があるとか「仏性」があるといいます
なぜなら宇宙を創造した神と同じ魂を持っているからです
動物にはありません
私たちが人間として生まれ人間として生きるのはその仏性が
あるからなんです
しかし同じ人間でも堕落したら動物になってしまいます
>>547 人生を我流で学んじゃった感じかな
それは苦労してそうだね
非有非無の姿勢を忘れてますよね
それは断空という邪見の一つですよ
授戒してないやつは駄目だな
そういうのトンデモだからなあ
お釈迦様が生き返ったらきっと怒るだぞ
>>548 俺にはこれは戯言にしか見えないけどな
多くの選択肢の中から選んできた、選ぶことができた色んな経験をした人にはこんな抽象的な考え方もできるだろうけど、貧困や苦しみを身近に感じながら生きてきた人にこんな話したところで痛みを和らげることができるとも思えない
人助け出来る器量までは無いかも
八正道を続けていけば
人を助けることもできるのかもしれないけどけど
自分はまだ自分の事をやるだけで精一杯だよ
こんなんじゃカンダタみたいに蜘蛛の糸切れるかもしれないね😌
仕事はしてるからそれで一応は人の役には立ってるかもしれない
説明できたら意味ないだろ
大乗仏教といえばやはりそこは仏教
結局は言葉ではなく体験にこそ真髄がある
>>555 般若心経は「瞑想」「オウム」
たしかにその効力は多いと思います
それをいかに人々のために使えるかというところだと思います
僕は特定の誰かではなく女の子という生き物自体を愛してる
だから1人では足りないんだ
浮気者と罵られるけどそうじゃない
ただ全員を同じくらい愛してるだけなんだ
Steamゲーの「The Cosmic Wheel Sisterhood」が面白かった
デモもある
頭ん中こねくり回してる人にこそ触れて欲しい
日本語訳は完璧
>>558 それを体系化して後世の人の言葉で伝えるのが現代の仏教関係者の仕事なんじゃないの
俺には彼らがサボってるようにしか見えないんだけど
法華経でも最初にはお釈迦様が「瞑想」(三昧)から目を覚まされるところから始まります
仏教にとって瞑想はとても大切なんですが
今、末法になると瞑想はしなくていいというのです
なぜなら法華経の自我偈には瞑想のリズム「オウム」が刻まれて
いるからだそうです
>>559 仲間じゃねえかよ
なんか女って概念が具現化した存在が好きだから年齢とか美醜とかどうでもいいんだよな
>>561 まあ他人のことをとやかく言うのはお釈迦様の教えではないです
すごい昔に聞いた話では中観ってのが一番腑に落ちたな
「全ては空です」って考えを極めたら達磨太子みたいな生き方になっちゃうんでしょ?
>>565 話し合いはしないってことね
話してコミュニケーション取るのが人類の利点だろうに
全ては虚無ですみたいなニヒリズムにしなむすびつかない
インド仏教と中国仏教と日本仏教って別個なのものよな?
意識とは何かと考えると、環境に対する神経反応という事に行き着く
すなわち人間が意識や魂と考えているものは、人が自ら考えて行動してるのではなく、もっぱら環境から受けた刺激に対する物理反応に過ぎない
故に仏教では独立したアートマン(自意識・魂)を否定し、意識(色)は環境(空)に揉まれる水泡の如しと捉えられる
「有」と「無」の中間としての「空」だから「中観」派なんであって、「無」と「空」をごっちゃにしてるようなこのスレのアホどもは何もわかってないに等しいねw
>>569 前期大乗中期大乗後期大乗とあるし、日本仏教にも宗派があって複雑だが『戒定慧』の三学が伴わないと見性できないのは同じだと思われる
今の仏教なんか釈迦が見たらこんなの私の教えではないて言うわ
>>566 空観がほんとは正しいんだけど
それだけ極めて一歩間違えると
オウム真理教のポワみたいな危険な思想になりかねない
だからこのヴァーチャルリアリティーの世界でみんな仮の役割をもって生きてるんだから
その現実の役割も尊重しようねって仮観も持つ
そして空観と仮感の間を取って中観で生きようねって話はバランスが取れてるね
>>573 仏教国家である日本でそういう熱意のある人の言葉が日常的に伝わってこないってことはそれが少数派だからなんだろ
大多数の仏教職業家は今の自分の立場に満足してるんだろうな
>>575 仏典を学んでいる場合は問題ない出す
お釈迦様以外を教祖にしたらそうでしょう
>>555 貧すれば鈍するし、即物的な解決を求める人に即物的な解決を求めるべきでないと説いても無意味だよね
精神と肉体が不可分である以上、精神的な救いは肉体的な救いであるはず
飢えてる人間にこれでもかって言うほど贅沢三昧させてやらなきゃ満たされ続けていることの空虚さなんか伝わるはずがない
>>534 阿満利麿の選択本願念仏集の現代語訳には
「仏教にはさまざまな宗派があるが、その根拠は宗派によって異なることはいうまでもない。たとえば法相宗は、仏教を「有」、「空」、「中」と分類した上で「中」を最高の教えとして、「中」を有相宗の根拠としている。また、無相宗(三論宗のこと)は、仏教を声聞蔵と菩薩蔵に分けた上で、前者を批判して自らを「菩薩蔵」とする。華厳宗は、仏教を、「小乗教」、「始教」、「終教」、「頓教」、「円教」の五つに分類し、「円教」を最高の教えとして、自らの宗派の根拠としている。法華宗は、仏教を、「蔵」、「通」、「別」、「円」の四つの教えと、「乳」、「酪」、「生」、「熟」、「醍醐」の五味に分類した上で、自らを、「円」にして「醍醐」なる教えと主張する。また真言宗は、仏教を「顕」と「密」に二分した上で、自らを「密」なる教えとする。 右の各宗派の立教の趣旨にならっていえば「浄土宗」は道綽禅師の心にしたがって仏教を「聖道門」と「浄土門」に大別することになる。
とあるように全く一枚岩要素を感じられんのやけども
>>577 それは出会いです
仏様の仏典を正確に解釈してユーチューブに上げている方もおられます
私もその方から多くを学んでます
たしかに少数です
>>575 釈迦が蘇ってもそんなこと言わずほっとけって言うんじゃないかな
仏だけに
>>580 仏教の宗派って結局漢字という象形文字の語感に振り回されてるアホどもにしか見えないんだよな
サンスクリット語かなんなら形式論理学の用語で定義してほしいね時間の無駄だからw
>>576 全てが空なら人殺したって関係ないしって考えになっちゃうもんなあ
若しくは全てが空なら何の苦しみも喜びも全てが幻ってなるのも俺には受け入れ難く思ったのを思い出した
空観と仮観の話は世俗諦や勝義諦で置き換えることも出来るだろうけど屁理屈だね
龍樹はとんだ毒を遺したな
室内なら相手にもされない常識倒れでしかない
>>575 それでいいんじゃないの?(´・ω・`)
お釈迦様も一瞬は憤るかも知れないけど、流転し進化するとはそういう物だと受け入れるはず(´・ω・`)
>>585 悪人正機説
それって本当だと思いますか?
それを理解できたときが悟りを開いたってことじゃないの?
>>587 一瞬も憤らないと思うしそもそも流転しないし
意味のない妄想だよ
>>550 うん、親の言うこととかもあまりきかない不真面目な子供だった
個性なのか自分の中で納得しないと行動に移せない感じで今でもその傾向が残ってる
不良だったわけじゃないし犯罪はしてないからまぁカンダタは言いすぎたけど
周りの人の話しを素直に聞くとかそのまま受け入れて行動できるっていう事が出来なかった
頭があんまり良くなかったんだと思う
>>589 毎回聞きたくなるんだが…「無我なのに誰が悟りを得るの?」って話なのよね
>>581 正直なところ俺は仏教って何って言われたら、曖昧なビジネスで信者騙して金儲けしてる人たちの集まりって答えるしかないんだけど、
仏教職業家はもっと真面目に仕事したほうがいいと思う
仏教って日本人の生活に貢献してると思う?
平たく言うと、余計なことは考えるなってことで合ってる?
>>593 日本人のために貢献することと
宇宙の進化のために貢献することは別です
>>579 すげー難しい話だよね
説法聞いて腹がふくれるわけでもないし、そもそも般若心経の前提のこの世の苦しみから逃れるための方法ってのも、現代人からするとピンとズレてる感じしない?
>>584 まさにその通りなんだけどね
空観だけだと全部空なんだから人殺ししたって関係ない
人殺しの経験も修行かもしれないという言い方もできちゃうので危ないんだ
まさにオウム真理教みたいなものがあったわけで
あれはわりとガチガチの仏典研究した結果としてああいう形に行き着いてるから
麻原も最後は聖無頓着とか言い出して空観に逃げたんだと思うよ
この世がほんとにヴァーチャルリアリティーだったとしても
ヴァーチャルの世界で俺達はリアルに生きてるから
そのリアルにおいてはやはり人の生命に尊い価値があるんだよ
ただ価値があるからこそ命が失われるのは悲しいしそこに苦悩が生まれてしまうんだけど
>>594 考え抜くのが公案だから色々
空は「山は山では無いが山である」とか「雪ほど黒いものは無い」と喩えられること多いかなぁ
空とは?
有と無を包摂する概念。無限大。対象を抽象化していくと、最終的に有と無になり、その上位概念が空になる。(抽象化:ポチ→犬→哺乳類→動物→生物→物質→有→空)
空は生成消滅して流転していく関係性のネットワーク(縁起)を包摂している。
世の中の全ては縁起で繋がれ空である。
>>600 それってあなたの妄想ですよね
五分前の自分も1秒後の自分も無いですよね
それは一念に収まるんですよ
平敦盛の人間五十年みたいな無常感からの
展開だよな、君たちはどう生きるか?みたいな
>>603 結果には必ず原因があるもの
結果とは今の自分であり原因とは過去の自分
>>591 俺は犬飼ってるんだけどさ、犬飼の常識として馬鹿な犬はいない、馬鹿な飼い主がいるだけだってしつけの重要性みんな知ってるんだ
ただしつけってのがわりと難しくてね、その犬の個性にあったしつけしなきゃいけない
臆病な犬には優しくしてやったり強気な犬には人間の言うことを最優先にするようなしつけしたり
しつけって簡単な言葉の中に複雑な要素詰め込まれてるんだよね
犬の躾も人間の成長も変わらないと思うんだよね俺は
もし君が自分の生き方に罪悪感とか持ってるならそんなのは必要ないよ
たまたま君が自分にあった成長法を教えてくれる人に合わなかったってだけだからね
>>602 空なら縁起は失せる
なぜなら縁起とは事物存在を認めて初めて成り立つから
本来の面目は縁起しない
畳に縁はあれど法に縁は無いのである
縁起するということも無い
阿弥陀如来が全てを引き受けてくれるからみたいな話だから、イエスキリストがゴルゴダの丘で原罪を背負うのと一緒だから、前向いて生きろみたいな全う論だわ。
>>596 人間の想像力って限界あるからね
「足るを知れ」と言うが、「足りていた」を知る人間の語る説経が「足りた」を知らない人間に対してどれほど意味があるのかといつも思う
>>606 一念の妄想なのよ
妄想もまた真なりとは証道歌にあるか
禅語では前後際断というのだがそこまでいってほしいのね
坐禅で百尺竿頭の先へ飛んでほしい
俺は人◯禅って宗教団体の人なんだけど坐らなきゃ分からない事は必ずあるんよ?
俺はまだ十二年程度の末席だからわからない事も多いが
>>608 空という字面からそのように感じているのでしょうけど
この場合の空って、無我を指しますので、ようするに縁起説そのものなんです🐥.*˚
>>612 縁起=空=無我=無自性だと思ってた時期はあったけどなぁ
鈴振られて終わりだなぁ
古代仏教は、自力救済なんだよね千日回峰行なんかすごいと思うんだけど、全員が釈迦(ゴータマシッタルタ)にはなれないよね
誰かのために自分が不幸になる
もちろん、地に足がついてないふわふわした哲学論に落ち着くんだけど
>>614 千日回峰行は他人の為にやってるんじゃないぞ
自分の為だぞ
右手を上げ続ける役割があると信じて
壊死しても手を挙げてるヒンドゥーの行者じゃないだから
他人の為に修行やってる訳ではない
タブレット文字打ちにくすぎだろ
泣きそうだわ
数息観でネット検索して実践すれば自宅内で完結しますよ
極まれば見性まで有り得る基礎行なんで
>>613 >>15見てくれ
起点を置くという意味だから、そこから縁起という話に繋がる
無我とか無自性というのは飛躍
空は無限ってことでしょ
色は一つの事象
つまりまぁいいじゃんそういうのってことよ
まあ大乗は全部クソでしかない
大衆に広めるために歪めまくったゴミ
大衆に広めようとした時点でゴミに落ちてるんだよ
所詮中世レベルの哲学
それが仏教
ほんとくだらない
>>619 よくないですよ
相対的じゃなくて絶対的で比較しようがない見地を空という人もいるらしいです
だから雪ほど黒いものは無いとなる訳です
般若心経の日本語訳見てきたけど、これもしかして俺たちはゲームのMOBでしかないんだからさっさとそれに気づいて楽になれって言ってんのかこれ
恐ろしいな
というか仏教が他の哲学と異なるのは生死解脱などの体験に重きを置いてるからですよ?
瞑想しなきゃ観念遊戯でもう終わりだよこの世俗ジャップ
日本ってほぼ仏教国よな
もののあはれとか仏教由来だし
>>624 そのまま見ればいいだけ
生物は死んだら終わり
後世のゴミがいろいろくっつけただけで
死後もないし人はただの物質という事
意味はわかるがそれを悟りの境地まで実践できるのかは別問題ってことだろ
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのアルバムジャケットの僧侶のように全身を焼き尽くす炎苦痛も超越できるなんてのは凡人には無理
なぜかそのままを受け入れる事ができない馬鹿が多いんだよ
死んだら終わり
動かなくなって朽ちる
見たままを受け入れたらいいだけなのに
死後があったらいいなという妄想を膨らませてしまう馬鹿たち
それに肉付けしたなろう小説レベルなものが各種仏教
>>624 そうだよ
ゲームの登場人物のお前に現実はそうは見えんだろうけど
そうかもしれないと思うだけで多少は心が楽になるだろう
仏教がなんのために存在するかって人生の苦しみを癒やすためなんだよ
苦しみはどこから来てるのって
全ては自分の自我が良いだの悪いだの判断してるところから来ている
この世に自分のお金があるとかないとかゲームのポイントに過ぎないって気がつけば執着が減って楽になるし
楽になればゲームをもっと上手くプレイすることもできる
価値基準の放棄だろう まあ人間やめろっていうことだ
>>627 死ななくても終わってるんだよね
生死共にたち消えというか…全ては一念に収まる
死後も無いし人も無い
還る土すら無い
つまり人は死なないとも言えるのだ
>>629 もっとシンプルかもしれんぜ
天皇がやれえって言った国家プロジェクトなわけだろ
そこにはお金の話がついてくるわけでさ
もしかして仏教が金になって税金ちゅーちゅーしてただじぇなんじゃねえの?
まあ
人間の妄想力はすごいと思うけどな
単純に量子コンピューター並だと見れば
そりゃいろんな想像してるのだろうな
それを錯覚して本当にあると思ってしまうのが一定量いるってだけの話やね
宗教ってのは
空とはなんぞやとか大衆は興味ないよ
なんまんだぶと唱えれば極楽浄土に往けると保証してくれればそれで満足
日本の大乗仏教なんてその程度のもの
>>630 2500年後の居間になってそれがやっと肉付けされてきたってのも壮大な話だよな
死の体験なんて毎日やってるのにな
寝る
それとほとんど同じ状態
おきるまで無でしょ
輪廻転生を否定したのが釈尊だとも思う
脱宗教、各種妄想の六道輪廻を止めさせたかったんじゃ無いのかな、と
世俗の人を休息させてあげたかったんだと思うよ
>>607 専門学生の時ふと師が欲しいって強い思いが沸いた時があった
自分で気付いたのか
周りの人が思ってたのか誰かが強く思ったのか分からないけどあれは縁起によるものだったのかもしれない
あなたはきっと天国に繋がってるだね
オレはまだ自分のことしか考えれてない
臆病者で人助けの経験が少ないからだろう
>>22 唯識派と中観派だね。
論争を繰り返しながら両派折衷的な方向性になっていった模様だけど、
細かい理論的な問題点はよーわからん。
部派仏教やヒンドゥー教諸派との長い論争の過程で、
論理的説明のためにインドの論理学は高度に発達したとか。
>>635 忘れてるんだろうけど
ゲーム開始する時に君が次はハードモードに挑戦するって言ったんだぞ
キツすぎたんなら
次はノーマルかイージーに難易度さげるんだな
寝て起きる
だけ見てもただの寝るという機能停止状態になれば
それ以上なにもないのが人間
死もそれと同じ
機能停止して朽ちる
それだけの物質
>>641 自分が孤立してるなんて思わなくていいんだぞ
もう親ガチャですべて説明つくんだから
俺がお前の立場で生まれてきたら否応なく俺はお前になるしかないし、お前が俺に生まれてきたらお前も俺になるしかない、そこに選択の自由なんてないんだよ
みんなただの偶然だから
>>638 まあたかだか2500年だからな
思想実験で先にそうじゃないかって言われてたことが
あとから実証実験で正しいことが確かめられたとかはよくあることだし
宗教学は科学の土台になってるからバカにできんのよなあ
世の中なんでそうなるかの理屈はまだわからんけどなんとなくそうだろってコトは多い
>>647 照見五蘊皆空なんでね
無いという念が浮かぶのは何故か?
無いと観る事すら否定して息に成り切る事に専心すると面白いことが色々起き出す
何かがノックしたからノックの音が聞こえたのか又は
ノックの音がしたから誰かがノックしたと思ったのか
>>647 結局
細胞集団が体を動そうとする神経回路に過ぎないからな
その動作機能が馬鹿みたいな妄想までするに至った
空観仮観の話をザクっと話を聞いて中観っていちばん良いよねってなった
やっぱりナーガールジュナがナンバーワン🐉🌲
般若心経のサビ
顕教系の人にとっては
>>215 密教系の人にとっては
>>220 うーん、「我思う、ゆえに我あり」の逆ってことじゃね?
世界が観測するから個が生まれる
なーんにもない
なーんにもない
まったくなーんにもない
こういう事だ
>>644 俺は自分の死についてそんなふうには達観できないよ
起きるのが前提の睡眠と死とはぜんぜん違うと思う
自分の意識が無になるのは恐ろしいしこの世の真理を知らないまま退場するのはとても悔しい
>>661 その世界というものもそれ自身で成り立つものでは無いので、では一体何が見ているというのか?ということになる
ぶっちゃけ何でもアリの都合のいい概念だろ
仏教は空
キリストは主
としたに変わりない
>>654 まあ君の言うことはよく分かるよ
現状の科学で考えると人間の脳が神や仏の幻を見せるのも全ては意味なんかなく偶然そうなっただけのものだもんな
>>662 断常見
だん-じょう-けん
断見と常見。断見とは、自己と世界の断滅空無とみる見解。つまり662のレスがそれだね。
常見とは、自己と世界を常住不変とみて執着する見解。いずれも縁起の正理に背く邪見としてしりぞけられる。(化巻 P.435)
>>661 量子力学は言わずもがな
時空連続体も観測する事によって事象が確定するというね
>>663 暑いからビール飲んだらうまーいってのも真理の一環じゃないか
個人の体験や感想では真理全貌にたどり着けないから始まったのが宗教や哲学じゃないかって疑ってる
>>663 まあそれが生存本能だよ
死が怖いという回路がないと死んでしまうからね
それを回避できないかと妄想した結果でもあるのが宗教
あくまで妄想なので
回避はできません
こんなの小学生わかるだろ
まぼろしー!ってことだよ
>>674 俺は二十代でパイプカットしたけどな
仏教では生苦(結生)は苦しみだから
中心概念なのに結構まどろこしく書いてるよな
無駄に類似語を並べている
>>672 それは多分、典型的な誤謬にすぎなくて、我々が得ている知識と思考能力で起きてる現象を説明するための方便を真理と錯誤してるに過ぎないと思うよ(´・ω・`)
昔、真空中を電磁波や重力が進んでいく理由がわからずに、エーテルという架空の物質を設定して説明しようとしていたのと同じようにね(´・ω・`)
観測によって事象が決定づけられる。という解釈は、多分、未来に科学と哲学が進歩すれば淘汰されると思うので(´・ω・`)
武道で言うところの「空」は何も考えるな
余計なことを考えると対応が遅れる
と理解しているんだが、これ間違ってるの?
>>683 山岡鉄舟に学べばどうか
剣の道に生きた禅者だし本もあるのでないかな
大仏の中に入れるってことか?
ロボットみたいなもんやな
>>629 死んだら終わりってのも違くね?
俺らは他人の死を見聞きするこで経験則として死は醜く恐ろしく悲しく、そしてその人の死後も世界が続くことを知ってるだろ
「死んだら終わり」なのは主体としての人であって客体としての人は死後も残り続ける
存在は物質のみに留まることはなく、それを知る誰かに残り続ける、いわゆるミームだろ
あと宇宙やらとは切り離して考えることだな
生物自体はこの閉じた宇宙で完結してるからな
見たまま
この世界で増えたり死んだりしてるただの物質でそこにはなんの不思議もない
昔の馬鹿はそれを輪廻転生と読んでただけやね
まだわかってない宇宙の成り立ちやらは別のお話だわな
それをごちゃごちゃ一緒にしてるゴミが多いのも宗教だわな
整理して思考できない馬鹿
せっかく仏教ちょっと勉強しようと思ったのにここで摘んだわ
いやものは実態として存在するだろたわけが
https://i.imgur.com/6vzMPiO.jpg まあ
死やら宇宙やら
人がもってる未知への恐怖を感じる回路を利用して増やしていってる悪徳商法みたいなもんだからな宗教って
こんなもの憲法で自由保障してやる必要なんてないと思うがねえ
現代風に言うと所詮この世はバーチャルリアリティだから適当に遊んで死んでねってこと
変にこだわりを持って生きても不幸になるだけだよ
要するにセックスもオナニーも脳の快楽部位にとっては差がないってことだろ
>>691 実態を一度根底から疑うのです(´・ω・`)
その実態は、本当に「そこ」にあるのか?(´・ω・`)
そもそもそれは幻に過ぎないのではないか?(´・ω・`)
西洋哲学でも東洋哲学でも、多分、あらゆる哲学や古典的な宗教の殆どに共通してる「懐疑」という奴ですな(´・ω・`)
>>697 セックスできないことに執着して不幸になるより
オナニーでも同じ快楽じゃんって気づくこと
大乗仏教は釈迦の教えというよりインドの民間信仰がベース
大切なのは「慈悲」の心
慈悲は自己犠牲ですがそれが自らの進化を意味します
お釈迦様はそうおっしゃっています
ブッダ的には、輪廻とか信じちゃってそこそこ現世を楽しめてる一般大衆は、そのままそれを信じて仏教修行者の邪魔せずできれば布施でもして修行者の助けになってくれればありがたいってスタンス。功徳だの業だのは大衆をそう誘導するための方便
空なんてのは諸行無常や一切皆苦に気がつき心底そんなこの世と縁を切りたいと考える修行者のために説いたもの。一般大衆には無縁
解脱を目指す修行者向け、一般信者向け
この区別を理解しないと仏陀の言説が矛盾してみえてしまう。大乗は両者の混同を助長しているのが罪深い
インド仏教史では実は「空」の思想はあまり重要視されてない
大乗の代表的な思想は唯識。仏教哲学は主にアビダルマ仏教が論じられてる(倶舎論とかそういうやつ)。実際に中観仏教はインドではまるで流行してない
龍樹は有名な思想家ではあるが、むしろ詭弁論者として批判されがち。
で、どういう具合かわからんが中観仏教が盛んに研究され仏教の中心思想のようにされたのはチベット。逆にチベットだけ。中国でも日本でも三論宗は流行せず
わりと最近になって龍樹の思想ってポストモダンやんなとか言われだしたが、かなり眉唾やで
>>1 「車の喩え」を読めばなんとなく分かると思うけどなぁ
究極的にはマトリックスみたいな解釈になる
皆、住んでる世界が違うんだよな
あらゆる界が層になっていてこの世界を作り出してる
仏教だと三千大千世界というな
界の事をスピではチャンネルとか言ってる
>>690 宇宙とかそういう遠大はモノと無関係に、自分の死後卑近な誰かがなにかを感じてしまう(悲しんだり憎んだり笑ったりする)ことにこそ俺は根源的な恐怖を覚える
誰かが自分を覚えて続けているということは恐怖だよ
善人だ悪人だと誤解され続け、なによりそれに釈明することもできないのは苦痛でしかないよ
仏教の宇宙創成論
↓
物質的な世界が滅びても衆生の業が消えていない。その業があらたな物質世界を作り出し新たな衆生がそこに住む
業とか輪廻とかこそが仏教の中心思想なんよ。いまの日本の自称仏教者は「空」原理主義者みたいなのばかりだけど。具体的には宮ア哲弥とかw
宗教は、現世はかりそめの世界で来世こそが真の神の国
じゃけん現世では功徳を積んで神の国に行けるよう務めましょうねってのが怖いよな
そんな死んでみなきゃわからん不確かなもののためにその宗教の働き蜂にされる一生でいいのか
死人に口無しで証明しようのないもんだし詐欺の手口だよな
>>716 それなんよ。一番最初のブッダだって、彼の言う通りに禁欲生活一生続ければ解脱できるなんて誰か確かめたのか?w
サンガなんて集団生活して禁欲生活とかカルト以外の何物でもないのに、仏教は宗教ではないとか科学的だとか失笑なんよ
ケンモメンを「空」とするなら、大地は「海」だよ
本来入り組み合わない概念が一つになって複雑化した体系に変換されてるだけ
ケンモメンを手中に収めたなら、「空」は君のもの
>>34 言語というフィルターを通して認識した世界のことが色。
世界の実相は、言語という人の生み出した虚構は無関係にそこに或る。
それが空。
人は物心ついた時から言語と言語が産み出した価値に支えられた社会、その関係の中で自分と他人を意味付け世界を言語的認識の中でみる。
人はその発達しすぎた大脳を通して、言語という虚構に取り込まれてしまっている。
その外側にあり過去と未来と現在を貫く全ての実相が空。
深夜だぞ。働いてないやつが偉そうに擦れ伸ばしてんじゃねぇよ
>>724 まだ労働から解放されてないのか
来世は頑張れよ
安倍でなく
安倍でないとも言えず
安倍であると同時に安倍でないとも言えず
安倍でないとも安倍でないと言えないとも言えず
仏教の問題点は、2600年前のインド社会の迷信をベースにしてるため
真面目に向き合うとカースト制度の元になるような当時の迷信も同時にインストールされてしまうこと
解脱も何も、輪廻転生なんてねーよ
現実を幻影と、現在の人生を一時のもとのと見るインド思想から生まれたため
現実の軽視に繋がり、社会と科学技術の停滞をもたらした
唯一の神への信仰は唯一の物理法則への探求を促したが
因果応報の原理を信じる仏教ではそれは起きえなかった
>>717 一番最初はブッタじゃねーぞ
解脱やカルマ・業や輪廻転生は4000年前からのバラモン教の教えだ
そのままブッタ仏教もそれを採用した
>>727 輪廻転生がないと断言する根拠もない癖に偉そうに
ねえ?何メートル上から「空」と言うか知ってる?(´・ω・`)
>>716 親鸞ぐらい願えば叶うでバカにならなきゃダメやな
脳内にレンダリングされたCGみたいなもんってことでしょ
羽化した蝶は「空」を舞っているのか?(´・ω・`)
>>199 再現性だけが科学の根拠なのか?
俺の知ってる定義と違うな
>>732 もちろん知ってるが、それはキリスト教やイスラム教だってベースはユダヤ教というのと同じよ
あとバラモン教の業や輪廻は非常に素朴で原始的。仏教みたいな雄大さは無い
>>732 あとバラモン教では禁欲(梵行)が解脱の道ということはない。知識があればいいの。死ぬ時もそれ忘れずしっかり思い出すだけでいい
ヒンズー教とか仏教とかアメコミみたいな内容だよな
特にヒンズー教なんてこうだぜ
厨二病心をくすぐるだろ
宇宙を創造したブラフマー、宇宙を維持するヴィシュヌ、破壊の神シヴァの三神は一体であり、最高神が姿を変えてあらわれたものと考える
旧約聖書の「空の空、一切は空である」みたいなやつとは違うの?
形有る物は形無く、形無き物は形有り
有る物は無く、無い物は有る
意識の世界に於いて今目に見えている物は全て無く、今見えていない物は全て有る
金!暴力!セックス!など物質的な欲求など意味が無く心の在り方こそが真に意味の有る事
時代を経ると共に空からその「ある」感てのが唯識に移っていると読むのがいいんじゃないのかなあと思うんだよね。阿頼耶識が過去も未来も川の流れのように自分の中に走っている、その川に全員いる、ということは未来が決まっている事を言っているわけで。
こっちが「ある」感を出す。しかしもともとを考えてみると阿頼耶識、それも空なのだとある。
だから空は「無い」感を出している。
瞑想によってこのような微妙な変化を数百年かけてやってるんだから、主流だとかそれは間違いとか、それもありえるが、そうでなくてもいいと思われるんだよな。
阿頼耶識にアクセスして変更出来ないので。すると生身の人間は空を想像するしかない。または空を瞑想するしかない。
>>691 現代の脳科学とか先に簡単にでも勉強したら理解できるようになると思う
現実世界A→それを五感によって知覚したものA'→それを意識によって認識したものA''
で
A≠A'≠A''
というのはむしろ当たり前の話でしかない
夢幻泡影露雷
すべて儚い(一瞬で消える事象)
空とは”儚い”
ボカロの「くうになる」好き
>>727 ミクロで観察するとヒトの身体を組成する物質は数ヶ月から数年で更新するし自我も絶えず変容する
だからその意味での輪廻転生は実際にあるしそこからの解脱(特に自我の輪廻)は理解できる
しかしいわゆる生まれ変わり(リインカネーション)はヒトの願望にすぎないと思う
「絶対不変のものなどない。ケンモメンがすがっている人権も憎んでいる上級も絶対不変ではない」
言葉にするのは簡単だな
>>760 表現的には易経にかなり寄ってるが、まあそうなんじゃねえの。そうして崩れる何かがまあ新しい動きを生むというわけだし。
阿頼耶識にそれは書かれていた、しかしそれもすべて空じる。と書いても同じのように思われる。
>>1 空集合φは空なのに実体「φ」があると言っている
「無花果(いちじく)の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」『スッタニパータ』
まあ「空」や「縁起」とおんなじことを示してるね
原始仏教だろと大乗だろうと基本は変わらんのよ
最も抽象度の高い概念
頭悪いと理解できないと思う
個人的には自分の会社の名前をクウにしたぐらい人生に最も影響与えられた概念
>>351 般若心経では色即是空のあとに空即是色と書いてるが「空即是色」は間違い
色は空に内包されるけど空は色に内包されない
>>760 実際諸行無常の例えとしては大きくはずしてない
現代国語の問題で筆者の主張に最も近いものを以下の中から選びなさいという話ならとても簡単だと思う
1 ケンモメンは賢い。可愛い。尊い。底辺で独身やってるのは自民とジャップメスのせいである
2 ケンモメンは愚かで醜くくかなり どうでもいい命である
3 ケンモメンは愚かで醜いどうでもいい命だが、その愚かで醜いが比較対象があっての話である
4 相対的に愚かで醜いモメンも、そう定義する根拠となる賢く美しい者も100年後には死んでいる
この4を本当に受け入れるのが難しいけどな
この世の全ての中身が空っぽで関係性だけで成り立ってるって世界観、現代物理学の最先端と一致してるんだよね
偶然とはいえなんでそこに辿り着けるのか
>>770 実はそれぐらいは誰でも思い付きはする
難しいのはそれを心底実感すること
>>766 サンスクリットでは色即是空と空即是色は同義らしい
これガチョーンと同じだよ
森羅万象を残らう食うってこと
空海が言ってた
>>771 いや最初に考えた人はすごいブレイクスルーだと思う
「太陽の周辺は重力で空間が歪んでるんだよ」という発想と同じで凡百は 1億年かかっても出てこない
空だからこそ自由に色を生み出せるんよ
この辺はニーチェがよく説明しとる
>>775 違う表現をすれば
全てが関係性のうちにあるのか
それとも関係性から断絶した存在があるのか
という問題は
人間に自由意志があるのかないのかの問題と同じなんよな
後者の表現だったら割と誰でも考えることって感じするでしょ
そもそも釈迦って釈迦族の王子だからな
贅沢三昧で、11歳くらいでもう女抱きまくって酒池肉林の生活してた
そんな生活をし続けてふと気がついたわけだ
「これ意味ないな」って
で、その後は出家して、今度は一転して厳しい修行の道に入るわけだ
飲まず、食わず、寝ず、
ひたすら瞑想して「生きる意味とは…」と考え続けた
辛くても苦しくても、あえて自分を痛めつけるかのように厳しい修行を続けていたときに、またふと気付いたわけだ
「これ意味ないな」と
そのさ、
快楽の天井と、苦行の底を経験した末の「空」なのよね
「これ意味ないな」って感覚が「空」の概念の着想の元になってわけだから
ただ「空」とだけ教えられても釈迦の見た境地にはたどり着けんのは当たり前なんよね
量子力学の観測してる時だけ物体として存在するとかちんちゃらのやつだよ
ホログラフィック宇宙論だな。
量子もつれを視覚化したら太極図そっくりだったり過去から伝わってるものの中になんかいろいろメッセージが込められてるのかもな。
>>779 東大理3入ったやつが
学歴なんか意味ないわ
とほざいたような状態やん
全ての衆生は弘法大師様の御慈悲に縋るしかないって事だな
>>779 人間には想像力があるから、そう言った事を想像してみて意味ないって悟ることもできるんじゃないの
実際やりたいことやりまくって、これは虚しいなとか栄枯盛衰やなって悟ることもあるでしょう
>>779 しかしお釈迦様はお弟子様に苦行しろ贅沢しろとも言ってない
電磁気力がなければ物質はスカスカなので
地球の中心に落ち込んでしまう
野球が世界から消えたら
バットというものは消えるけど棒は残る
そういう感じで世の中のあらゆるものは人が言葉を当てはめることによって人の都合の良いように認識しているだけ
実はバットなどというものは最初から無い
だけど棒はある
だから有とも言い切れないし無とも言い切れない空である
みたいな話だろ
何かの本で読んだ
古典ラジオの空海最澄編面白かったな
密教などの宗教をパソコンに例えてるの最高だった
男なんかはチンポ立たなくても射精出来なくなっても
川端康成の書いた眠り姫だっけ、あんな風になるならキモいわと思ってた20代だったけれど
いまならあれわかるわ
どれだけ修行したところで普通の人は生物からは離脱出来ないんよな
全てのものは一瞬一瞬移り変わり決して定まることはない。また、それらは色々なものと相互作用することで、あたかも今そこにあるように感じられる。
要は眼に映る全てのものメッセージだということだ
龍樹が言い出しっぺの、空
Qが言い出しっぺの、ディープステートによる陰謀論
Qの勝ちやで。Qの話で世界中が納得して動いた。Qの話ならば、まだまだ世界中が盛り上がれる。
空だから……、で何が解決できる?、何もオモロくないで?
>>3 ID:JHkBB5N900404
↑
いつもの高卒。
大学へ行ってくれ。
教養過程でおまえは笑われるから。
理系でも文系でも笑われる。
大学に来るな、と言われる低レベル。
上手く説明出来るものじゃなくて言葉で理解するのが甚だ難しいものなんだよ
だから布教は無理って釈迦が最初は諦めてたぐらいなんだから
直感で感じ取るしかない
リアルな釈迦の教え、生の人間への釈迦仏教による指導の真髄とは
「 善きコトを、徹底して実行せよ。 悪しきコトを徹底して避けよ 」
空、の理解も、その一助となるのであれば釈迦神賢も喜んでくださることでしょう
>>797 お釈迦様もそうおっしゃってるね
空とはなんぞや悟りとはなんぞや考えるよりも八正道を守る日々を積み重ねなさいと
大乗仏教つながりで浄土(極楽、霊山他)への往生信じてる人いたら聞きたいんだけど
浄土ってどんなとこ?
本気でそこに転生したいと思ってるの?
>>799 坊さんでも浄土信じてる人なんていないでしょ
あれは遺族の心慰めるために作った方便だから
死んでも自我が残り続けるとか
それこそ悟りから遠すぎる
死後に人が残るとしたら
生きてる人間の脳が感じる情報としてだけだよ
つまり法然や親鸞はカラマーゾフの兄弟の大審問官みたいなものって事ですか
あと、浄土は遺族を慰めるために作った方便ではなくあくまで仏道のための方便ね
>>805 その仏道てなんでしょう
ペテンじゃね?
私は浄土とは究極の清浄=無と理解しています
つまり死んだら善人も悪人も皆仲良く無に帰すよと
なんか漫画DeathNoteみたいだけど
>>805 最初の目的はそうだったんだろうけど
日本のほとんどの寺である浄土宗や浄土真宗がやってるのは葬式ビジネスだよね
そういう仮の役割を社会から与えられて果たしてるわけだから
現代では浄土もそうなっていくよ
ほんとは空なんだから浄土も宗教的なフィクションに過ぎない
>>806 まあ無って言葉を使ってても
人は無がなんなのかよくわかってなかったりする
人が死んで形を失って行く先は空だよ
空は無だけではなくて
無と有をすべて内包するものだから
生まれてきたときも空から生じたわけだからね
>>808 私の場合は空からではなく卵子と精子から生じました
無を空に言いかえようと個人の肉体も自我も消滅して存在しないことに変わりありません
それを何かが残っているように繋がつているように言うのはただの気休めで欺瞞なのでは?
「無」と「有」ってのも言葉、つまりは人の頭の中での捉え方ってことだな
「虚無」も同じく
「有無の会をなすなかれ、虚無の会をなすなかれ」『無門関』ってのはそういうこと
だから「人は死んだら無になる」ってことも違うってことになる
「空」ってのは「有」でも「無」でもない
人の見方から離れたそのもののありようってこと
色即是空ってのは「色」(物質的現象、肉体もやね)が即、「空」っていう「知り得ないもの」(つまりは涅槃)
「空」(涅槃)のままの「色」ってこと
「受想行色」(精神的現象、意識とかも)もまた「空」のままに起こってるっていう説明
>>810 そんなふうに人を煙に巻くような話をしているのではありません。
有も無も人の捉え方とおっしゃいますが、その捉える主体が消滅するのです
これこそ絶対的な無ではないでしょうか?
もともと「有無」とか「実在」とかっていう
人の見方から離れたありようとして生まれ生きて死ぬから
もともと「空」だから、そこに失われる「私の命」とかそんなものはないってこと
>>809 そうやって科学や物理で語るなら
死んで無になるって言ってるのがまず誤りだって気が付かないかな
君だった死体を燃やして灰と煙になって消えましたと言ったところで
灰と煙に形を変えただけで無になってないでしょ
>>812 「人の見方」っていう、頭の中でとらえたものを「そのもの」とか「実在」として世間の人間は生活してる
その頭の中のものをときほぐしなさいよっていう教え
だから哲学とか思想とかとは違うのよ
(哲学思想離れた頭の中で整理し探究するから)
>>814 それこそ科学的な話です
廃や煙は「私」ではありません
「どっこいしょ」の語源として一説では言われる六根清浄ってのもそういうこと
眼耳鼻舌身意っていう働いてるものを「頭の中のもの」で取り扱い記憶として解釈し生きてる
それを清浄にしなさいよ一度働きそのものにしてみなさいよってこと
その方法が「ただ座る」の坐禅であったり
「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」とかの称名とかの行であったり
>>816 そういう言い方をするんであれば
君の両親の卵子や精子も部品にすぎないんじゃないかね
どっからその私が生じたかといえば空というだけのことだよ
>>818 噛み合わないですね
それでは空から生じたとしましょう
それが人にとって何の救いになるのでしょうか?
キリスト教的に言えば空ってのは多分神だな
でもこう言うとお前らめっちゃ誤解しそうw
「八不中道」って言葉がある
「不生にして亦た不滅、不常にして亦た不断、不一にして亦た不異、不来にして亦た不去なり」ってやつね
龍樹の『中論』観因縁品第一冒頭の「不生にして亦た不滅、不常にして亦た不断、不一にして亦た不異、不来にして亦た不去なり」は、縁起の理法を説き明かす教えで、古来、鳩摩羅什の名訳とされ、「八不の偈」として知られている。すなわち生・滅・断・常・一・異・去・来の八つの誤った見解、これを称して八邪・八迷・八過・八謬などともいい、この八邪を離れること、つまりは八邪の妄想戯論を否定することが八不であり、不生・不滅・不断・不常・不一・不異・不去・不来の八つの真理である。八不によって、すべての邪な迷い、誤りや過ちのとらわれから離れて、実体性に執着することなく、一切の存在や存在現象の縁起の理法をわきまえることの肝要を説く。
キリスト教スレでよく書いていたが
自分じゃなく神によって
救いまで導かれたという深い実感
これなんかもろに諸法無我に通じるんでない?
仏教はよく知らんけど
宗教って根本的には同じこと言ってると思うんだよね
>>819 とりあえず私は正しい
間違ってないという自我に固執してる今の君の救いにはならないと思うけど
意固地になるのをやめて空を理解するようになれば
現世を生きる救いになるんじゃないか
君はすぐ意固地になったり自分が間違ってると思ったら心が傷つくんだろうけど
そんなのは空である
つまり正しいも間違いもほんとはないことを知ればただ仮初のゲームに負けたってだけのことだから笑って受け止められるようになるよ
自分って本当はないんだよな
キリスト教的に言えば全ては神の導き
仏教的に言えば諸法無我
自分が自分の意思であれこれやってると思ってても
それって実は幻想なんだよな
>>824 私が笑って受け止めないから腹を立てておられることだけはよくわかりました
ただおちょくっていたのでないことだけは分かっていただきたいです
知識としては理解出来ても
実感するのは難しい
空が何故救いになるかと言えば
キリスト教的に言えばそれこそ全部神の導きだからよな(笑)
つまり仏教的に言えばなるようになっているだけだから
どんなに酷い人生だったとして
一切が自分の責任ではないとはっきり深く理解するからよな
>>827 俺は笑ってるけどね
空を体感するなんてそれこそ難しいし
俺も瞑想してたまたま感じられるときがあるくらいだが
理解だけなら映画のマトリックスをみればいいんじゃないか
あれはもちろん架空のお話だけど空観ってああいうものだよ
科学的に言えば我々は原子でできていて莫大な無と小さな粒子の有で構成されているだろ
映画のスクリーンも近づいて観れば光の粒子で出来ている
みんな一緒なんだよ
我々はそこにヴァーチャルなリアリティーを感じているに過ぎない
>>828 確かにそれは生きてる間の救済になりますね
釈迦が死後のことについて無記としたのは正しいと思います
私は後世の坊主がそれを極楽往生するとか空に往くとか言っているその欺瞞が嫌いです
少なくとも四通りあります
日本の解釈はユニークですね
あとはキリスト教スレでよく書く価値観の相対化
諸法無我と価値観の相対化
この二つが合わさったのが空って感じがする
知らんけど
>>829 それは理解しています
問題なのはその仮想現実?を感じられる主体の消滅です
かつて自分を構成していた原子が形を変えて残っていてもそんなことが救済になりますか?
>>830 キリスト教の場合はここで
辛い人生も神の試練であり神の愛であったと確信するのよな
つまり神は愛だから死も人間にとって悪いものではないはずだ
という思考回路になる(笑)
まああくまでも客観的に正しいとは言えない主観的な正しさで
だから信仰なんよな
そういう風に信じてるって言う
なので死後の世界に言及しないのもそれはそれで正しいと思う
だって客観的には分からんことだしね
>>834 同意です
まさにFinalFantasyですね(笑
>>833 俺は自我を救済するとまでは言ってないからな
仏教の祖のブッダだってそんなことは保障してないよ
仏教に毒矢のたとえって話があるが
毒矢が突き刺さってたらまずは矢を抜いて治療するのが先決で
矢を誰が放ったかとかはその後の話じゃないかな
仏教の空観ができるのは痛み止めや心の治療程度のことだと思ってるわ
学べば現世が生きやすくなるくらいは言える
ただ人の意識が死後絶対的に救済されるみたいなのが欲しければ
魂の不滅を約束するキリスト教でも信じれば良いと思うね
主体の消滅なんかせんでいいと思う
主体自体が最初からそもそもなかった
ただの幻想だったと実感するだけ
まあこれが難しいわけだが
>>836 それなので仏教は宗教でなく哲学という方もいます
私は仏陀の教えに共感しています
それをこねくり回して難解な言葉を操り分かったようなことを言っている後世の仏教徒と称する人たちが信じられないのです
>>837 まあそういうことだよね
俺の今のところの結論もそんな感じだわ
自我ってヴァーチャルリアリティーゲームのプレイヤーにすぎないから
ゲームが終わればそれは消えるわな
それに感じる恐怖の架空のものだよ
でも我々が生じた空は消えないのだから安心していればいい
もとに戻るだけ
>>838 まあそれは俺もそう思う
映画のマトリックスのほうがよっぽど多くの人を導いてるよ
昔は映画がなかったから
この世は幻だってことを見せるために密教系のマジシャンみたいな幻術も必要だったんだろうな
わざわざ難しく教える必要なんかない
真理はシンプルだよ
なんて言えばいいのかな
空なら空
神なら神に到達したときって
神或いは真理があまりにも偉大かつ
自分がひたすら矮小で卑しい感じがするのよな
この感覚をヌミノースとかヌミノーゼって言うんだけど
これがただの知識じゃない本当の実感よな
神や真理に卑しい己が圧倒される感覚があるからこそ
自分より神や真理が大事って感じになるのよな
ユング的に言えば悟りとか救いってのは
老賢者としての自己と出会う事に外ならないんだけど
老賢者としての自己に出会うってのはそういうこと
つまりヌミノーゼ体験なんよな
あとはあれだな
この世はマトリックスとか言ったって
じゃあそれが本当なら自殺してみてって言ってもしないだろ?
何故ならそんなこと本当は信じていないからよな
>>844 自殺する意味がないからじゃない
俺は少なくとも現世という面白いゲームをやめようとは思わないわ
これ以上生きてても人生を楽しむこともできなくなり
どうせ死ぬとなったら苦痛を避けるために先に自殺するかもしれないけどね
>>844 所詮は観念の遊びなんです
ところが本願寺が「織田と戦って死ねば極楽往生間違いなし」と扇動すると百姓達は簡単に命を捨てちまう
宗教は怖いです
今の本願寺は一向一揆をどのように評価しているんだろう?
>>845 君は多分宗教が必要ないんだと思う
仏教では一切皆苦とか言って
人生とは一切が思い通りにならないものである
って感覚がデフォだからな
>>847 俺も若い頃は人生が苦痛に満ちてると思ってたよ
でも空観を学んで人生が楽しめるようになったからね
それこそ空観を知ればマトリックスのように現世で自由に生きられるんだよ
さすがに鉄砲の弾は避けられないが
観念を操って苦を避けたり
人を幸せにして金を稼ぐことだってできるようになる
>>846 宗教的真理は所詮主観的真理だしね
だからあくまでも信仰であって
それを客観的真実かのごとく扱うと
色々不味い事態になっちゃうよな
イスラエルの行いとかな
>>848 人生苦しんでる奴に
俺は人生楽しいから自殺しないけど
苦しいお前らは自殺してどうぞ
何故ならこの世はマトリックスだから
無駄に苦しむより自殺した方がコスパいいぞ
とか言うのはあんま良くないんじゃないかな
マスタードしか食ったことない人にわさびの辛さ伝えるには
マスタード基準にしてわさびの辛さを説明するしか無い
でもそれではわさびにいつまでも到達できん
悟りで得られるものについて説明するのも同じ
マスタードをどれだけこね回してもわさびにはならん
>>850 俺は自殺してどうぞなんて残酷なことは言わないよ
むしろ苦しんだ人こそ現世を楽しく生きてほしいだけだな
現世は不思議なことに
何かを成功させようと執着すればするほど視野が狭まって失敗して苦しみ抜く構造になっている
全ては空であるという空観と
現世に翻弄されてる我の仮観はどちらもレイヤーの違いでしかない
一度空観まで上がってから中観くらいまで降りれば人生を楽しむこともできる
学問を極めて透明人間になってハーレムで良い女を抱きまくって遊んだ龍樹の伝説は例え話だろうけど
空観を知れば現世を天国にできるという話だと解釈してるわ
人の欲望なんていずれ限りがあるんだから
むしろ欲を楽しみ尽くすことが悟りへの近道かもしれないよ
>>854 良く聞く話で
悟って分かったのは
別に悟る必要もなかったということ
みたいな話もあるからな
つまり別に宗教なんてやらんでもいいのよな(笑)
つかまあハッキリ言えば君の空観は間違っていて
それを何故正しいと思うのか
正しいと思うなら確信している理由はなにか
ということを考えてみればいいと思う
上で書いた自殺もその手段の一つよな
楽しいから自殺する必要が無いってのは
ただの検証からの逃げだよ
何故間違っているかというと
この世はマトリックスだという色に囚われているから
この世はマトリックスであり
この世はマトリックスではない
というのが空じゃないかな
>>855 検証する必要を認めないな
なぜならほっといても人は死ぬんだからそのとき確かめられる
その前に生きている間にできる人生ゲームの検証をやったほうが
それこそコスパがいいよ
毒矢の例えもそんな話だと解釈してるわ
生きてる間に死んだらどうなるかなんて検証して時間を潰してるのはバカみたいじゃん
それより折角の機会なんだから限りある生を楽しむ方がいいよ
>>858 つまり検証出来ないということは
正しさを証明出来ないってことよな
釈迦は死について誰よりも深く考察していました
その結果としての他者への説明は無記だったのです
人にお前証明出来ねーだろ!とか言ってるが
俺も真理なんて知らん(笑)
だから信仰は主観的真実と言ってる
>>860 そうだよ
俺はそもそも自我が正しいだの間違いだの言ってることにこだわるのは意味がないって最初から言ってるよね
そういうゲームを遊んでるに過ぎない
今ここで空観を知って仮観である今を自由に生きろって言ってる欲まみれの俺はまったく悟れてないんだから
それは間違ってると言ったらもちろんそうだろうと肯定するよ
>>862 ここらで終わりにしとくけど
ソクラテスはもっとも無欲な人だったんじゃないかな
死ぬ前に自分の著作を焼き払って後世に残さないなんて選択ができたのは
日本の仏教界だと一遍上人しか知らない
俺は悟りなんかはよくわからないが
ソクラテスと一遍上人だけは歴史上の賢者でも別格だと思う
そう言う人は他にもいたんだろうけど
全てを無に帰すから名が残らないんだろうね
自分が如何に卑小でバカな存在なのかを
心底理解するのが知恵よな
面白い矛盾だよね
そもそも、なんでそんな事を考えているかと言えば、人間の好奇心と、
考える暇がある事が大事
仏教を極めたオレが簡単に説明してやろう
まず『無我』とか『非我』とかいう概念がある
『我』という確かなモノなんて存在しないってことだ
わかりやすく言うと、『我』というものは服を着替えるだけでも変化しちゃうからね
つまり、心のあり方のようなモノで、心があればそこに自動的に『我』という絶対的なモノがあり得るわけではないと言うこと
コレが空の概念です
考える暇が無ければ、そんな事は考えられない、
この暇を、空と言う
この掲示板みりゃわかるでしょ。ひとつのことを論じても百家争鳴みんな独自の俺解釈
そりゃそうだよね目鼻口のインタフェイスも、そこからの情報処理する脳も、そこに蓄積された経験もバラバラなんだから
同じひとつのリンゴをみてたって、旨そうという思う人もいれば不味そうと思うのもいるし、赤く見える人もいれば緑に見える人もいる。みんな揃って赤林檎大好教の信者になんてなれないよ
共通の真理なんてもんはありえない。人間自体が不完全で正規化されてないんだから。せいぜい雰囲気で似た者同士が誤解に基づいた意気投合するだけの話
>>869 極めたかどうかは死ぬその時までわからんぞ
たとえ糖質モメンに無意味に刺されて死んでも「たははwこれはひどい終わり方だなw まあ今まで楽しいこといっぱいあったからええかな」と思えたなら極めてるね
>>802 方便じゃなく、本気で信じてる坊さんも多そう。
ウソも本当になるというか。
>>807 現代日本で信者数で多いのは鎌倉仏教。
つまり庶民のための仏教。
庶民にウケるから勢力を拡大できた。
念仏を唱えるだけでよい。と単純。
さらには悪人正機説まで追加された。
難しいことは庶民には受けないんだよ。
>>833 仏教が発生するときのインドの状況をわかっていない。
ウパニシャッド哲学ってものがあり、アートマンやブラフマンという概念があり、それを釈迦が否定する形で仏陀が誕生し仏教ができた。
>>841 映画もありゲームもありVRもある現代なら理解しやすいが、2500年前に思考と瞑想だけで悟った釈迦はすごすぎる。
>>844 信じると理解すると悟るは違うからなあ。
空の概念を突き詰めて自殺じゃなくて、他人を殺人する狂気な方向に行く人もいる。
>>871 真理なんかないって文を見るとイライラする
真理がないことが真理って矛盾してるだろ
1+1が3になることがあるとでも考えてるのかよ
そりゃたしかにあり得るかもしれんが、この世には蓋然性ってもんがあるだろ
俺に言わせりゃなにも考えられない白痴の妄言だわ
あらゆるものに共通する性質ならいっそもう無視して良くならないかな
あらゆるものが空だから見てるものも自身も空なんだよ
>>879 つまりその時点ではまだエゴがあったんだろうね
教えて分かるか分からないなんて
それこそ教えてみないと分らんしな
>>880 空って理解するものではないからな
何故ならエゴ、自我は分別するためにあるわけだが
その点で空と相反するわけで
空を知識として理解するだけでは
ただ葛藤が強化されるだけなんよな
安心の為に空を理解したのに
その空の理解がこの世に安心などないと突きつけるという
>>885 だから信仰なんよな
そもそも何をもって1とするかというのも
人間による主観に過ぎないし
>>806 ペテンというか方便ですね
別の話でもって、人を本来の目的に導くという
山は山にありて山にあらず
とか
自由とは不自由であるとか
宗教にはこんな感じの矛盾した表現が一杯あるが
そもそも矛盾がイケないというのが思い込みであって
この矛盾をうまく乗り越えたあり方を定式化したのが
いわゆる弁証法なんよな
テーゼとアンチテーゼを止揚してジンテーゼに至るってやつね
問題は弁証法は結果論であって
必ずしも手段とか手法ではないってことだよな
実際はいわゆるヌミノーゼ体験としての気付きがあって
そこから演繹した思考が結果的に弁証法的定式と合致してるに過ぎないって言う
藤原敏男っていう凄いキックボクサーが昔いたけど
見てたらほんと変幻自在な動きをするわけよ
つまりほんとうに自由奔放融通無碍に自由に動いてるわけだが
でもこれって好き勝手に自分が動きたいように動いているってことではないんだよね
つまり相手の隙に合わせてパンチなりキックなりを選択しているわけで
そういう意味では相手に合わせているという意味で自由ではないわけだ
宗教における救いとか解放とか自由もこれと同じようなものだよ
弁証法的に止揚された解放であり救いであり自由であって
テーゼあるいはアンチテーゼとしての単なる開放や救いや自由ではないのよな
字面を追わないで何を言わんとしているかを
何となくでいいから掴んでくれたらありがたい
>>786 苦行はともかく贅沢しろは結局上級に産まれるのが必須で反発も見えてるしなあ…
>>892 少なくとも数字の1には明確に定義があって1が1である限りこの宇宙においては常に1+1=2だよ
1が1.5の宇宙があろうがそんなん関係あるか、この宇宙の話をしてるんだわ
>>899 その考え方が例えば山は山にありて山にあらず
みたいな表現の理解を困難にしとるのよな
君は1人の人間だが、そう認識するのは
俺らが人間スケールの尺度で物事を認識してるからであって
ミクロのスケールで言えば君は1ではなく数多くの素粒子の集合だし
仮に太陽系ぐらいの大きさの生物がいたとしたら
ソイツからしたら個々の人間なんて認識されず(つまり0)
地球サイズになってようやく1と認識されるかもしれない
別に1+1=2が悪いって言ってるんじゃないよ
それは正しい
でも別の見方もできるよってことよね
で、これが案外役に立つってことよな
それこそ藤原敏男みたいに
状況に応じて自分を苦しめる思い込みから自由に逃れることが出来るなら
それってなかなか良いだろ?
だから人間スケールからしたら山は山なんよな
でもそれは人間が勝手にその様に認識してるに過ぎないっていうことよな
この様な意味で上で自灯明法灯明と書いてくれた人がいたが
ただの自灯明だけでもなくそしてただの法灯明だけでもなく
自灯明法灯明ってなってるのが実に面白いよね
山は山だ!ってのも大事だし
山は山じゃない!ってのも大事で
両者のあり方が止揚されたのがそれこそ空なんじゃないかな
>>900 ぜってーそういうつまらん返しされると思ったわ
俺は人は1であるなんて一言も言ってねえしそんな主張をするつもりもない
俺は1は1であると主張しているんであって
>>904 であれば君の言う1は単なる概念になるわけだが
幾何学を見ても分かるように
別に概念=真実ってわけでもないんよな
何故ならこの世に完璧な直線は存在しないわけだから
例えば理屈の上では三角形の内角の和は180度だが
それを現実において厳密に検証することは出来ないわけだ
厳密じゃなくなんとなくなら可能だけど
厳密性を欠いた時点でそれは客観的真実ではないからね
>>885 泥団子ひとつと泥団子ひとつを足し合わせたら泥団子が1つできる
カール・マルクスは「全てを疑うべし」
と言った
「我思うが故に我あり」
疑う主体としての自我は間違いなくある
とデカルトは言った
では、デカルトのそれは正しいのか?
「だ~か~ら~マーチさえ入れなかった アホが頭でどうこう考えてわかる話じゃないんだよ。軽度知的障害者なら死ぬまで掃除しろ。自分のものも他人のものも全て無償でピカピカにしてやれ。そっちの方がよっぽど早く理解できるよ」
と開祖が言ってるようなものなのに議論してもしゃーない
「空」を取り出して議論、説明、理解しよう、したいとなるそこの動機がまず問われてくるでしょうね
では「空」を理解してどうしますか、と
>>883 死んだら驚いた!って丹波哲郎が言ってたなw
( ̄▽ ̄)
>>895 それを否定して「あれか、これか」と説いたキルケゴールの方がしっくりくるんだよね
曰く「矛盾律は止揚されない」ってヤツ
( ̄▽ ̄)
三角形の内角の和が180である
これを基礎に他の数学的応用が展開出来てしまう時点で真理
( ̄▽ ̄)
それが真理であるか否かは
それを以て機能するかしないか
( ̄▽ ̄)
それを真理と認めないのも勝手だけど
時を追いその真理が不特定多数に共有されていく過程で
キミが置いてきぼりを食うだけ
そうして到達させるところのモノが「真理」であり
足止めをくらわすところのモノが真理でないモノ
( ̄▽ ̄)
マジレスすると、空は部派によって意味が違う。
天台とかまでになると、原型からはだいぶ離れてる。
最初期の中観派の空は、ただ固定的な存在がなくて、
縁起して構成されている状態を空、
それに名前をつけて、有だと思っている存在を仮、
実態があるとか、ないとかたてるべきでないことを中としている。
>>917 これ以前の学派の説一切有部が、
すべての物質は原子レベルで存在し、それが重なって構成されている(くっついているわけではない)
という極微論をたてて、三世実有法体恒有を主張したから、
中観派が、存在はあるとかないとかいえるもんじゃないよて、空仮中を建てて批判することとなった。
唯識になると、ものの見方を認識側の目線にたち、
いままでの経験や縁起、業から、その構成判断してしまう状態を依他起性(有にもなるし、無にもなる)
依他起性による、有と誤判断し、妄想した認識を遍計所執性(非有)
遍計所執性をしないとき、円成実性として真如を見ることができる(非無)として、究極の存在は実有にとる。
識でいうと、阿頼耶識のなかのすべての種子(業)を全部殺すと、識が悟りに変わる転識得智がおきる。
>>913 北極点と赤道上の任意の二点を結ぶ三角形の内角の和は180度ではない
>>907 サザンアイズという漫画で
水蛇がヒロインの額に取りついてヒロインの人格を封印していたんだけど
その水蛇はヒロインにとりついてるってことを忘れてしまっていて
自分のことを水蛇ではなくヒロインであると本気で思い込んでいたんだよな
この場合でも水蛇がもし哲学したならば(笑)
当然やっぱり我々と同様に
疑う主体としての我について疑い得ないわけだが
しかしその疑う主体としての我がヒロインの主体ではなく仮初の存在に過ぎない
という真実については
我思う故に我ありでは認識できないんだよな
で、実は我々の自我というのはほんとはこれと同じなんよな
>>912 まあ現実自体が止揚された矛盾そのものなんよな
だから逆なんだよな
世界は矛盾も分別もない一なるものであるという直観から
ああ人間は分別するから世界が矛盾に満ちてるように見えるんだな
ってなる感じ
>>878 今はバーチャルな娯楽に嵌りすぎて
もっと迷いの世界の絡めとられてるやん
>>913 例えば雲が風速10mの風に流されて
10秒で西に100メートル移動しましたとか
これはこれで正しいが
でも雲を構成する分子や原子、素粒子がどのように働いているかについて
全く説明してはいないんだよな
つまりキルケゴールに言わせれば
不特定多数に共有され機能する考え方だとしても
それは人間のものの見方の単なる表現、概念であり
事実そのものを正確に記述しているとはとても言えない
故に真実とは言えない
とか言うかもな
ヘーゲルを批判したみたいに
>>919 まさにエナンティオドロミアだね
面白いわ
コギトエルゴスムでは自我が自分の主体ではないという事を認識できない
だから詩人ランボーは
人我を思う故に我は一人の他者なり
と言ったんよな
この意味でコギトエルゴスムは正しいと言えば正しいわけだが
その正しさによって大事なことが見落とされ
もしかしたら近現代的なエゴイズム全盛の起源になったんじゃないか
そーいう風にもいえるのかもしれないね
まあ繰り返しになるが
俺は学者じゃないし言葉も正確じゃない
要するにふわっとした説明しか出来ないアホだから
字面を追うのではなく何が言いたいのかフィーリングで掴んでくれたらありがたい
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。