唯識になると、ものの見方を認識側の目線にたち、
いままでの経験や縁起、業から、その構成判断してしまう状態を依他起性(有にもなるし、無にもなる)
依他起性による、有と誤判断し、妄想した認識を遍計所執性(非有)
遍計所執性をしないとき、円成実性として真如を見ることができる(非無)として、究極の存在は実有にとる。

識でいうと、阿頼耶識のなかのすべての種子(業)を全部殺すと、識が悟りに変わる転識得智がおきる。