【悲報】徳川家康が天下を取れた理由、運が良すぎた以外に説明がつかない [207516352]
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絶体絶命👉奇跡的に生還
こればっか
なぜなのか
しんさん… 五大老を裏切ってよく生き延びたよな
ウンコ撒き散らしながら走ってたし 人質に出されてばかりの人生ひたすら辛抱して最後に運を掴む
大河がソースだけどこんなイメージ 今思うと信長って欧米の傀儡だったんじゃね?と思うわ明治維新における薩長的な どうする家康で
家康が義元の事を太守様って呼んでたのだけは勉強になった 信長が弟分のようにかわいがってくれた以外ねえだろ
子供同士結婚までさせるし
若さもあったしほんと運がよかった 長生きできたのと先祖代々の家臣がちゃんといたことだな 豊臣秀吉が朝鮮出兵を決める
当初の目的は天皇を中国の皇帝にするためで、その前衛基地として朝鮮を占領。
徳川にも参戦義務が課された。
しかし後陽成天皇が「北京とか寒いし中国なんか行きたくない」と宣言
これにより豊臣家による私的な戦争になり、徳川が参戦する義務がなくなる。
目的が中国征服のための前衛だったため、当初は略奪の禁止や朝鮮人の民間や捕虜には丁重に扱ってたが
私戦になったので残虐な略奪が解禁された ポジション取りは実力だろ
あのポジションにいたからあの結果になったってのばっかりだし 秀吉はかわいそうすぎる
天下への道が見えた時に自分種なしで詰んだ 伊達政宗は他の有名所の戦国武将より遅れて生まれてきて運がない >>10
人質として行った今川家ではエリート教育を受けてたらしいけどね まあ運もなきゃ天下取れねえだろ
伊賀越えできたのはマジモンの奇跡だけど 長生きを実現出来たのは本人の健康管理が行き届いてたからで、運だけではないからな 秀吉が江戸幕府のような盤石な絶対政権をつくれなかったから 信長裏切らずにずっと同盟組んでた判断力は凄いとは思う
何度も信長ヤバくなって裏切るタイミングあったやろ 信長との縁だけでも勝ち組
それがなけりゃ本能寺の後の秀吉の遠慮もなかったんやし 子どもの育成成功がでかいんじゃね
信長も秀吉も跡継ぎにうまく繋げなかった 乱世で疲弊したところにちょうどいい御輿があったから担がれただけ
うんこ漏らすし戦国時代の安倍晋三だよ たぬき顔しながら秀吉子飼いの体育会系武将とも仲良くして三成ボコって
その後全員黙らせて権力掌握したのはやばい 徳:人徳があった
川:今川に鍛えられた
家:家臣に恵まれた
康:健康を保った 信長が弱小大名家から才能一つで成り上がったのかと思ったら
元々織田家は大金持ちで信長は金持ちのボンボンと知った時はショックだった 徳川家康が本当に絶対絶命に陥ったのは
三方ヶ原の戦いの敗北、伊賀越えだと思うけど
これはある意味で実力で乗り越えてるんじゃない?
徳川家康が純粋に運で乗り切ったのは
豊臣秀吉が徳川家康を討伐しようとした時に天正地震が起きて討伐を諦めた事くらいじゃない?
天正地震がなければ徳川家康は討伐されてた可能性が高い 雑魚なら10倍の戦力差の小牧長久手で終わってるからな
ここで強敵認定
子飼いでもないのに五大老にするしかなかった 運って具体的に何だよ
人心掌握術がないと部下は付いてこないぞ 今川が死ななけりゃ今川の部下
信長が死ななけりゃ信長の部下
秀吉が死ななけりゃ秀吉の部下
で一生終わってただろうしな >>47
伊賀越えだけはガチの強運だろうな
穴山梅雪なんかは運悪くてとっ捕まってるし 農民上がりには何もできねぇよい
公家も面白く思わないだろ 三方ヶ原の戦いで運が良かっただけ
本来あそこで滅んでた
あとは信長ガード使いながら旧領乞食で力蓄えたラキ珍大名 人間に自由意志なんてないんだからまあいいじゃんそういうの つまんねえ答えだけど運も実力もないとトップにはなれんでしょ モンゴル帝国とか見ても人間臭い付き合いで同盟にもなれば どうでもいい身内のいざこざから大戦争してるし
人付き合い超大事なんだよな >>46
いや弱小は弱小だから
守護がいてその守護代の三人いる有力家臣のうちの1家系でしかないから
将軍から見て家来の家来のそのまた家来 日本人は勝った奴に理由を求めすぎだろ
ラーメンチェーン店に置いてある社長の自伝の真似して
次の日から屋台を引っ張っても成功するわけがない
他にも、そんな奴はいくらでも居た
運以外のナニモノでもないものは、運として受け止めろ >>13
仲間やマスコミ関係者に金とポストばらまいて工作活動堂々とやれるのはすごい
逆にヤクザは使うだけ使ってポイ捨てしたのもすごい
どちらも並の胆力ではできないこと 「運」の中には「軍」が含まれている。戦わなければ、運も寄りつかない。 自分より強い奴倒したことないだろこいつ
織田羽柴より二枚は落ちる >>49
信長死んで旧武田領と武田の遺臣がそっくりそのまま手に入ったりとか 今川義元が三カ国も領土持ってる超大物大名かと思ったら三カ国合わせても尾張よりちょっとでかいくらいの石高しかないゴミ大名だと知った時はがっかりしたわ
よく2万如きの軍勢で油断できたな 徳川家康か天下取れたのは運じゃねえよ
その後200年間も徳川幕府を維持できてたの見れば分かるだろ?
鎌倉幕府でも足利幕府でも出来なかった事を徳川家康は仕組みを作ったんだよ >>46
始皇帝のいた秦で一番すごいのは曾祖父の時代です
マンガのキングダムの一話にちょろっと出た白起が最強 義元も信玄も信長も秀吉も、家康にとって最高のタイミングで死んでくれたっていうねw 本能寺でファイヤーしたホトトギスキラーの早漏と違い
ホトトギスをウォッチャーするほどの忍耐強さや慎重な戦略を持ってたからだろう >>6
金ヶ崎の戦いなんかも運が良かったんじゃね? >>65
親父の代から有能一家だからな
フィリッポス二世とアレキサンダーみたいな関係やぞ 菅義偉も
雪深い秋田から夜行列車で上京した、みたいなキャッチコピーがあったけど、
実家は、イチゴ農家で一発あてた地元の名士ですぅ〜 >>17
信長が農民でも努力すれば成り上がれるってその他の農民に思わせるために偉くしてやっただけなのに
調子にのって贅沢してセックスばっかりしてたら三日天下
アホなんだわな 現実的に一番実力があるのは家康
信長や秀吉みたいに運と勢いで天下が取れる事があってもそれを維持する事は運ではできない
それは家康が熟読した古典の貞観政要で言われている事 どこの戦国時代であれ
最後に誰かが統一するわけで、
それって校内ジャンケン大会で最後まで残った奴と全く同じなわけよ
理由とか無いし ガチの貧民から成り上がった日本人って伊藤博文くらいか >>26
どうだろうか?自分が切り取って残った領土の石高はそれほどでもないが
自分が拾ってきてろくに金も渡さず開発させた家臣・川村孫兵衛が
独自に資金調達して開発したおかげで増えた石高は多いし
西日本よりも遅れていた様々な技術水準も西日本に追いつくことができた
かなり運に恵まれているとおもうが >>7
挑戦して失敗してきた先輩を腐るほど見てるから保守が大事だと思うようになったんだろうな
それが後の260年の呪縛につながってくる 1番運が良かったのは秀吉だろ
仕えた相手は天下人で同僚が天下人と一緒に共倒れしてくれたおかげで棚ぼたで天下が転がり込んできたんだから 豊臣が朝鮮征伐して覇道を歩んでたのを反転和睦したあたりは運だけではないもんがありそう 北条から後北条になってまた引き継いたんだぞ
民も変わらずに生活ができた 徳川の末裔が
たまにテレビに出るけど
普段なにして生活してんの 家康だけの力でできたわけではないが秀吉死後の唐入りからの撤退と講和はあの時代になかなかできないよな >>102
とはいえ信長の覇道には秀吉の活躍も欠かせなかったわけで >>102
秀吉は日本史で一番の英雄レベルだろ
白人とキリスタン大名の奴隷貿易を中止させたからな
キリスト教の宣教師と白人商人一派は
日本でも奴隷貿易をしていたからな
キリスタン大名が領内の日本人を火薬と交換して売っていた
自民党親欧米派の走りみたいな連中を叩き潰して
白人奴隷商人一派とキリスト教を追放したのが秀吉やで 三国志の知識をすべて蒼天航路から得た俺によれば
曹操って爺さんが力のある宦官だったような 秀吉は外交を滅茶苦茶にして死んでいったからね
家康は後始末だよ 仮に信長秀吉政権が上手く行ってたとしても
天下人にはなれなくても大番頭ポジションで安泰だっただろうし
まあどうやっても勝ち組ムーブはしてるわね 武田を倒して秀吉と引き分けて晩年の名声はすごかったんだろうと思う
何気に歴戦の勇者だよ 秀吉が朝鮮出兵って
万博とかリニアみたいな
当時の公共事業だったのだろうか
控えめに言ってアホですよ >>108
家康でなければ日本は武断政治から文治政治への転換ができなかっただろうね
三成は家康よりも早くにそれやろうとして豊臣恩顧の武将から命まで狙われてる 秀吉が朝鮮出兵せずに国内に注力して後継とかの体制を盤石に出来たら 関ヶ原の戦いなんか家康の真骨頂よ
わざと不利な布陣をして三成おびき寄せて
予め根回ししてた吉川小早川らを裏切らせて叩き潰した みんな競走に疲れ果てたんよ
昔は適当に滅びないように手を抜いて生活のために戦してたのに空気読まない信長が計算や効率を重視して古い慣習を破壊して武家の旨味がなくなった戦争で経済を回せなくなってきた他国と競走しなければ共産主義的な江戸幕府はずっと続いたろう
共産主義は安定してるが競争に弱いね 日光東照宮って
観光地としてガチでキモいよね
400年前のKINGに個人崇拝とか
安倍晋三と変わんねーだろ 秀吉のキンタマが正常でまともな年齢の後継者いたらそこで終わってたよな >>94
田中角栄
ソフバンのハゲも父親が成功するまでは極貧だったとされる 戦国が終わって軍人あまり
その処分が朝鮮の役であり大坂の陣 ケンモウで秀吉叩きしているのはネトウヨやろな
むしろあまりに偉大過ぎるせいで
GHQに業績を黒塗りされたパターンやで
司馬遼太郎が大の秀吉贔屓だったのも
戦前の教育を受けて秀吉の功績をしっていたから
白人とキリスト教一派は
日本でもアフリカと同じことをやっていたからな 関ヶ原が特に観光地化されてないのは
スターウォーズの惑星タトゥイーンみたいなものなのだろうか
よく出てくる割に、特に史跡なし 信長や秀吉みたいな奴は中国には多い
1代で大勢力を築くも勢いだけだから次代以降すぐに滅亡してしまい本当の英雄にはなれない 日本の英雄は1位不動の豊臣秀吉
2位は北条時宗
3位が徳川家康やな 明智光秀はそんなに悪くないもん!っていう
亀岡市の町起こしは毎度半笑いになる >>131
秀吉は大陸に生まれていたら明に続く王朝を作っていたのは確かやな
スケール感が本当違う 秀吉が蝦夷地以外の日本列島を初めて統一して検地までしたっていうのが一番でかいような気はするんだけどな
中世が完全に終わったわけだし >>136
秀吉を支えていたのは両官兵衛だから
官兵衛無くして秀吉の戦績は無い 徳川だって
3代と8代以外はハズレとちゃいまんの
高校の社会の先生が言ってたぞ 戦の負け方が巧い
落としてはいけない時は確実に勝ちに来る
あの時代では秀吉がず抜けてたはずなのに 信長も秀吉も持ってなかったモノを持ってたから
それは人望 白人のあくどい本性を見抜いて追放した秀吉ほどの偉人はいないよ
GHQの検問に引っかかった秀吉
アメリカから憎みに憎まれて陰謀で叩き落とされた田中角栄や竹下登、鳩山由紀夫
アメリカから勲章貰ったアベ
誰が正しいかなんて一目瞭然だろ >>143
逆や
0から天下人になった秀吉の人望は桁外れ
家康は三河衆にも何度も離反されているしな 儒学を導入して側近が優秀なら将軍は馬鹿でもいいって仕組みにしたのはマジすげえよ
今も生きているという >>141
将軍が直接政治に関わらず老中をトップにした官僚制ができてたわけで、中期以降は誰が将軍になってもあんまり変わらなかったんじゃないの? みんなぶち切れて謀反起こしたりする時代に格下で敵になったりもした秀吉に頭下げる立ち回りや武田の残党引き受ける度量もあった
根回しも上手い 秀吉叩きはマジで白人のポチ公の🏺ウヨ連中だろうな
歴史を正しく認識してりゃ秀吉ほどの英雄はおらん
日本を守った偉人は秀吉、徳川慶喜、そして田中角栄だろ
鳩山由紀夫さんや菅直人さんは志半ばで潰された >>147
逆だろ
コイズミ以降の馬鹿殿連中は私利私欲で国家を食い物にしている
特にアベ、スガ、キシダは別格すぎる 白人は中国では古来より白面の妖狐だからな
災厄をもたらすモノノケとして扱われていた
漢民族がいかに万物を見通す叡智があったかってことだよな むしろ2番手以下に徹して時期を見極め虎視眈々と狙ってた策士ってイメージしかない 内田樹の安倍晋三評では
金や権力、ポジション目当てで近づいてくる奴を過小評価しなかった
むしろ積極的に登用したところが恐ろしいって言ってたな。
そっちの方が信用できるべ?ってういう魔族みたいな発想 >>102
秀吉は努力が運よく実るの過程がある
家康は色々やるけど最後まで報われない形で天下が転がり込んでくる >>14
それは16世紀の欧州ってものを知らなすぎるだけかと >>80
やる事成すこと全部裏目よ
江戸幕府も当初は鎖国の方針じゃなかったみたいだし 家康が関東ではなく九州に飛ばされてれば九州に東京があるんだぜ 安倍跡目あらそいを諦めてない、
下村博文と萩生田光一の差なんて
生まれた時代の差でしかないよね
どちらも統一教会なのにさ >>155
モノホンだったからな、アベは
コイズミですら多少の矜持はあったのに
アベとキシダは100%だろ
スガとシンジロー、コウノとかもな >>159
九州は大陸貿易の要だから
そんな場所に飛ばすわけがない
太宰府から都に攻め上った足利尊氏の例を見ればな キリスタン大名ってのは
要はコイズミやアベ、アソウ、コウノ、スガみたいな連中だよな
秀吉はそれを悪とみなし討ち白人の野望を潰した 桶狭間で義元が勝ってたらどうなってたか全く想像できんわな >>158
文明を大きく停滞させちゃったからな
徳川家の安泰のために >>146
その人たらしの秀吉が晩年畜生塚とかやりだしてどんどん人が離れていくのが耄碌の怖さよな
反対に家康は死ぬ前年の74歳まで戦場で指揮をとり、政権の盤石化のための手を打ってた
秀吉が耄碌して畜生塚作った年齢と家康が関ヶ原で勝利した年齢はほぼ同じという
大返し~小田原城制圧までの秀吉はキレキレっぷりは他の追随を許さんレベルだったんだけどな 徳川家康の総資産は、いまのお金に換算してなんと800兆円。押しも押されもせぬ世界一の大金持ちでした。
しかも当時の日本は鉄砲大国です。世界の鉄砲のおよそ半数が日本にあるとされました。そしてその日本の3分の1の領土を自らの直轄地にしていたのが家康です。
つまり家康は、当時の世界にあって、世界最大の大金持ちであり、同時に世界最強の軍事力を持つ人物であったのです。
ところがその家康、江戸に入城して10年後には、明日をもしれない超貧乏生活になっていました。
当時の江戸は、広大な沼地であり、潮が満ちれば海になる、そんな土地でした。農作物も育たず、家屋敷も建てられない。しかも大雨が降れば、決まって洪水に襲われる。
それら対策に莫大な予算を使わざるを得なかった家康は、辛抱すること10年、ついに財政も破綻状態に至るのです。
これマジ? >>162
小早川とか黒田や加藤とか九州は九州で秀吉に近いので固められてたもんな 九州が栄えたのは
大陸と半島に近いからで
ついでに瀬戸内海を通れば大阪も便利だった
船便の利点って
今でもそんなに変わってないのに
関東平野が広すて東京の一人勝ち 秀吉は天下人信長有りきの天下だから奥州や薩摩に生まれてたら名も残らない下級武士として終わってただろうな
ド田舎を開発して世界屈指の都市にした家康と違い昔から繁栄してた地をそのまま乗っ取っただけ 信長とか秀吉が都合よくくたばってくれたよな
信玄もか 関東は富士山の火山灰の関東ローム層で広くても米はあんまり育たない
ここ開発しても石高は上がらないから首都や江戸として無理やり人を集めたのよ
商業は大坂や農産品は他の地域の方が栄えて豊かだったけど >>146
死後あっさりと家を乗っ取られた
譜代ですら所詮は知行目当ての奴らばっかじゃん 桶狭間の後の独立、織田との同盟
三方ヶ原の大敗からの信玄死亡
小牧長久手の後の大地震
秀吉の耄碌と結果的に朝鮮出兵免除
関ケ原の小早川裏切りと毛利輝元出陣せず(工作はもちろんあったが成功するかは運ゲー要素もあった)
まあ小牧長久手でも互角以上にやり合ったからこそ生き残った面もあるから実力もともなった運ではあると思う。
秀吉時代も着々と基盤固めて、内政&交友関係にも隙が無いし運が向けば天下取れる準備はしてきた。 本能寺の変が起こらなかった場合にも家康って天下取れたんだろうか 萩生田光一と世耕弘成は、まだ60歳で
政治家として若いから、これから勝つわけよ。
理由なんてそれだけだろう
統一教会とか実家が近大とかさ
そんなこと言っても、どれだけの意味があるのか 秀吉に人望とか笑わせないで欲しい
金満で下劣、拷問好きと性格はまるで評価できない >>170
南蛮渡来があったにも関わらず
島津の弱体化は呆れる 嫌儲民が木下さんに異様なほど否定的だのはなんでなん?
曲がりなりにも天下人だのに 家康は戦国の特異点みたいなもんだから
仮に今川がそのまま天下をとっても次世代(氏真)の重臣筆頭候補は家康だったし
仮に織田がそのまま天下をとっても同盟者家康は筆頭格の家臣になっただろうし
実際に秀吉が天下を取った時にはNo2に収まって晩年秀吉がやらかしたおかげで死後天下を取った
義元、信長、秀吉のどこが天下をとってもNo2格、あるいはその次の世代で天下を取ってたかもしれない人 >>181
秀吉は史実の方がはるかに偉大な数少ない人物
あまりに偉大すぎてGHQの検問に引っかかった 家康がまだ19歳のときのことです。今川義元の人質として育った家康は、このとき松平家の当主として居城である三河に帰りました。岡崎城で出迎えた三河の家臣たちは、誰もがみんな極貧生活でボロボロの姿でした。殿のお帰りを、晴れ着で出迎えたくても、その服がなかったのです。そんな彼らが、真っ黒に日焼けして皺だらけになった顔をくしゃくしゃにして、家康の帰りを喜んでくれました。
「この人たちを絶対に護り抜く」
それは若い家康にとって、生涯の誓いとなりました。
🤔そうだったっけ…? 多分関東に行かせずに京都で飼い殺されてたら日の目見てない
力量認めてるのに東の大名をまとめ上げられるフリーハンドを手渡した秀吉が馬鹿 >>165
同時期に中国では明清交代が起きて
アメリカ大陸は植民地競争
ヨーロッパはウェストファリア体制という主権国家の成立
日本も戦争続けてたらもっと違ってたのは確か >>183
大阪ってイメージと朝鮮に負けてしまったから >>165
自分たちの家の繁栄を考えたら正しいよ
国内を豊かにすると地方の勢力が力をつけていずれ脅威になるのだから
国内を適度に貧しく抑えるつけて地方の勢力が力をつけない方向に仕向けたほうが良い
実際に他の地域を開発して豊かにしてあげてもすぐに感謝を忘れるのが日本人だし
定期的に殴りつけて立場をわきまえさせたほうが効果的だ
アメリカ人は日本の扱い方がよくわかっている >>183
ケンモメンは秀吉好きだわ
秀吉嫌ってるの🏺だろ 天に選ばれる「器」が無い
信長にも秀吉には友人が居なかった
信長は能力ある暇空のようなもの >>178
山田風太郎が、秀吉と家康との関係を称して「時空の争い」って言ってたな
領土という「空間」を制覇した秀吉に対し、長生きし機を待つという「時間」で対抗した家康って 今川義元が変な舐めプしてたまたま信長いるとこに来て負ける
武田信玄が最悪のタイミングで病死
秀吉が種無しで子供秀頼ぐらいしかできなくて朝鮮出兵とか秀次とかでヘイト貯めてから早めに死ぬ
小早川が裏切る
これ全部満たさないと家康天下取れないんだろ? 信長や秀吉に
身代わりや捨て石を申し出る家臣がいるかね?
これが「器」なのだよ >>192
米帝は中国に負けて滅ぶだろうな
華夷秩序こそが正しい
666の獣ってのは米帝のことだろ
偽りの歴史しかない国
先住民から歴史や文化、土地、財産、言語を奪い
偽りの帝国を築いた悪魔たち >>183
商売好きで大坂本願寺とも仲良く宗教好きなのが評価されにくい >>176
実は信玄という説
信玄が長生きしても金山の枯渇は避けられないし、軍才はあっても信長、謙信のような経済の才や良港もなかったから
戦費ので激しい浪費してたし信長との差は開く一方でいずれは一敗地にまみれて滅亡は避けられない
今のような軍神みたいな扱いにななってなかったかもしれない >>199
大谷翔平の為に忠臣水原一平がハラキリするみたいな 光秀がもう少し毛量があったら
みたいな話はここらへん何でか分かってないから創作になる >>203
そもそも甲斐は土地も貧しく伝染病とかもあったからな
金山開発に成功して一時期チートになっただけでな
信玄の親父が追放されたのも甲斐の経済が崩壊して
民の怨嗟が募っていたからスケープゴートにしただけのようだし
存在自体がキシダみたいなもんだな、甲斐は >>209
人間の能力だけでは無理だからな
たから徳川家康はと能力とか努力じゃなくて神君扱い >>1
メルマガ冒頭から神君カルトで草
突っ込み所しかないが、まず江戸が何もない沼地だったという徳川実紀の記述はもう昭和の頃から史学的に否定されてるよ
扇谷上杉氏による江戸開府〜低税率の善政で知られる後北条氏治世の130年間で
多数の主要街道の交差点として、東日本最大の都市に育っていった事を示す史料が数多見つかってるからね >>209
勢いがあって運が良いだけの奴はすぐに滅ぶ
信長や秀吉はそのタイプ >>214
そもそも東日本の経済圏が小さいからな
西日本や瀬戸内海や北陸に比べて >>202
徳川家康もなかなかの策士で
国家安康君臣豊楽の豊国大明神こと豊国神社や鶴松を弔う祥雲寺を
秀吉と対立した根来寺に与えて智積院にしているからなあ 歴史ゲームで言えば家康臣下にコイツツエーってのが本田しかいない
北武田東毛利西織田と無茶苦茶きつい >>178
ゲームでも長生きして強い他国の王より残るって重要だしな
プレイヤーは神視点の情報と耄碌しないチート持ってるからフェアじゃないが ラッキー珍大名・徳川家康
さっとすぐ思い浮かぶだけでも
・あっ!義元が死んでくれてラッキー
・飛ぶ鳥を落とす勢いの織田信長と同盟できてラッキー
・武田が今川攻めてくれてラッキー
・武田滅ぼしてくれてラッキー
・武田家臣団転がり込んできてくれてラッキー
・伊賀越えできてラッキー
・秀吉の天下貰えてラッキー >>179
織田家がそこそこ警戒もしてた徳川家康を関東に飛ばす選択するとは思えないので
関東って鎌倉幕府作られたところで東の大名まとめ上げられる立地な上に
自分の目が届かない部分だからその意味を考えたら警戒してる大名に任す
なんて絶対やらない選択
腹心レベルに信頼してる大名に東の大名ににらみ効かせる形にするしかない 裏切った家臣の帰参を許し
後日三方ヶ原でそいつが身代わりを申し出る
これが天に選ばれし男の「器」よ 徳川が運いいだけとかアホだろ
何度も死にそうになってんのに >>209
王朝は3代続けば長期に出来る
無論運だけでは無理 信長とか西洋甲冑に身を包んでビーム撃ったりする化け物だからな🥺 >>225
実際、室町幕府も鎌倉に鎌倉府を置いていたしな >>227
全部事前に準備や努力や頑張りで切り抜けたと言うのは
無理があるのは当時の資料からもうかがえるってのがまたね 今川、武田、織田、秀吉とか覇権取りそうな奴らが急死したしな
運はかなりあるわな >>227
死んでたかもしれないってことなんだし
ラキ珍はその部分で合ってるのでは? 家康は豊臣の大老の一人だぞ!
謀反じゃん!
他の大老はなんか言えよ😡 >>230
だいたい能力と実力あるようなのは先に潰されちゃうからな
明智光秀だって有能だから裏切ったんだろうし >>233
大阪思考はそうなるよな
農民臭いというかね >>230
天下人の定義を考えれば
実質、天下人にカウントしても良いかも?っていう
マイナーおじさんだっけ 家康は豊臣政権とは別に自分の開発した都市に独自の政権を1から構築している
この辺も信長の作った物をそのまま棚ぼたで乗っ取った秀吉との違いは大きい 三国志で言えば曹操に仕えてずっーと私は立場弁えて味方ですよーってふり続けて
最後に裏切った司馬懿一族みたいな奴らなのになんで評価されてんの >>226
小笠原:幕末大失態で幕府が滅ぶ原因になりました
奥平:幕末速攻で裏切りました
こいつらを助けて譜代扱いにしたのは失敗だったな
特に小笠原は大阪の陣に無断参戦して戦死したときに取り潰しておけば そもそも実力があるからナンバー2の位置に入れたわけだが
ボンクラじゃ有力者が死んでも違う有力者に従うだけ 西側は
公家差し置いておいて農民が前にしゃしゃり出てくるから
おかしくなる 三国志のあとに中国を統一した司馬炎って偉いじゃん
なんでライバル不在で面白くないという理由で下に見られてんの?
そういうとこやぞ 徳川について行ったら何か良いことあるかも!って思わせる時点でもう勝ちなんだよ >>225
確かにそうかもしれんが小田原征伐で功績あげちゃった以上褒美をやらんといかんからな
すでに東海道と甲信の150万石持ってるやつにどこ与える?ってなると選択肢はほとんどないんだよね
家康自身は自領にプラス伊豆を予想してたみたいだけど来たのはまさかの地盤全て取り上げられて関東転封だったという >>241
家康は項羽に山奥に飛ばされたがそこで新しい政権を作って最終的に天下を取った劉邦のパターン
簒奪して政権の統治機構を丸々乗っ取ってしまった王莽や司馬氏みたいのがまさに秀吉 >>240
家康は古典教養あって、大鏡とか読み込んでたらしいし、先例にならい坂東武家政権って青写真は持ってたのかもな 五大老は徳川家康以外は雑魚しかいなかった
上杉・毛利・宇喜多は先代が凄かっただけ
前田は内輪の政治力だけでこれといった武功なし 廃墟マニアのユーチューバーって
今はごろごろ居るけど
安土桃山城とかいう、ただの遊園地のアトラクションにショックを受けたは
真面目さのカケラもない 運が良かったけど、人間的にまともだったから、250年続く政権を作れた
織田や豊臣は天才だがキチガイ入ってるから、こいつらが幕府作ってたら長続きしなかった >>249
しかも家康の元領地の東海道は秀吉の部下で秀頼側近という 信長のわかりやすい奇行より
秀吉の方が軽くキチってる まぁ本能寺無しルートは見てみたい気もするな
外征はなかっただろうけど中央集権国家にはなってただろうし >>255
武断政治をまともとか言わないやろ
些細なことを論って、お家取り潰し、領地没収やぞw 運が一番大事
なんだぞ
戦争とか下っ端にやらしとけば良いんだし 最近のコーエーだと秀吉とか孫権みたいな晩年ひどかったの
加齢とともに能力ぐんぐん落ちたり暴政みたいなスキルがつくようになってる 人類そのものが、運よく生き延びたものの末裔なんだから
家康に限らず歴史上の勝者は全員運のいい奴なんだよ 実際どの辺から徳川殿の天下ですな…ってなったの?
秀吉死んでからすぐ前田家に因縁つけて戦仕掛けたりもう天下取る気満々じゃん
関ヶ原はただの茶坊主との内紛って嘘でしょ >>241
同じ事した秀吉を見て長所も短所も分かってたから 大阪城には子供の将軍したいなかった 天皇を利用した 農民は農民のままで家臣として勤めればよかったものを
信長亡き後 秀吉は暗殺されるべきだったな >>253
武勲に欠けるのはそうだが、前田利家はかなり大物だろ
織田豊臣二代にわたって、最側近務めてたんだから >>260
天下人には運も間違いなく大事
天正地震で天が家康に味方したというならそれは真の天下人が秀吉ではなく家康だったというだけの話 >>262
京都の河原に降り立つたびに
俺の先祖は、どうやって生き延びたのか不思議に思う >>259
由井正雪の乱が出てようやく改めたからな
まぁ、でも山上事件やキシダ暗殺未遂事件があっても
悪政をやめない自民党よりはマシか 運は有名な人はみんなあったと思うけどね
織田も豊臣も跡継ぎ支える状態が怪しかったのが痛かった
豊臣は秀次やっちまったのも結構効いてた 信長も秀吉も才覚があった事は否定しないよ
でも天下人の資質ってそういう所じゃないから そもそも家康に従ったのは家康と戦したら勝てないて思わせる力があるからだから
あいつになら勝てんじゃね?なんて舐められるようなやつに天下は取れない ・北条より先に臣従して北条領だった肥沃な関東地方を丸々貰う
・秀頼が産まれて後継者だったはずの秀次が惨殺されて豊臣家中が割れる
・朝鮮出兵で大名が無駄に国力を擦り減らす中で留守役を任されノーダメ
・身内の秀次は殺したくせに何故か秀吉から圧倒的に信頼されて秀頼の後見人を任される
・嫌われ者の三成が反徳川勢力をまとめ上げるけど裏切られまくりで勝手に豊臣勢力が没落する
これだけお膳立てされたら天下を取らないほうが失礼 運っていうか秀吉が甘すぎた
関東に配置換えじゃなくて難癖つけて潰すべきだった >>14
1600年じゃ欧州にはそんなパワーはない
もちろんキリスト教はジャップへの布教と干渉を試みたが
バテレンは排除されてしまった😾 生まれたのが遅かったからだよ
一代で大大名にのし上がった
毛利 武田 上杉 長宗我部 織田 なんかは結局、まともな後継ぎが死んだりしてボンボン育ちが後を継いだので
初代叩き上げの家康に叶うわずがなかった
秀吉が死んだ時、叩き上げと言えるのはせいぜい前田と島津くらい
そりゃ歴戦の戦好きは、ボンボンなんかよりたたき上げの親分を担ぎたがる >>173
米は育ったから戦国末期〜江戸初期でも武蔵国は全国でも有数の石高だよ
徳川政権までロクに育たなかったのは吉祥寺から小平あたりの内陸の高台
青梅街道の中でもここは非常に寂しい地帯だったが、江戸時代の新田開発で大きく変わった 秀吉が女好きのくせにたまたま種無し
後継者予定の秀次は秀頼が生まれたため処分
幼君相手にやりたい放題
これは間違いなく幸運 >>282
田舎で独眼竜とかイキってるのはダメなん? 例えるなら魏が信長でそれを乗っ取った晋が秀吉
当時の中国にはその後に家康に当たる人物が居なかったので五胡十六国の大戦乱時代に突入した >>281
井伊直政なんかは衆道経由でお気に入りの寵臣だろ >>7
若いうちに源氏を名乗って抑えで藤原も騙ってる
後に源氏長者になる
できる時にできる事をきっちりやってた >>258
地方に散らばった軍団長をどうするかだよなぁ
大きな領地と軍権持たせたままだとさすがにまずい
信忠の統治者としての器次第だけど・・・軍団長クラスの重臣で一番若いの家康なんだよなぁ(しかも74歳まで生きる) >>285
割とまじで利家だったかもな
利家存命のうちは、睨み効いてて家康も天下獲りに動けなかったなんていう説もあるし 自民党の権力闘争で
これから、世耕弘成と萩生田光一が勝つことが容易に予想できるけど
理由なんか、あってないようなもの。
しいて言うなら2人が政治家として若いだけ >>280
日本でも奴隷貿易しまくっていたで
白人とキリスト教一派はな
それを追放した英雄が秀吉 >>276
秀吉の信頼勝ち取っていた家康が有能だった
それは裏切るまで信長の信頼得ていた光秀と同じ
家康は死ぬ前に秀頼対策やってるから間違いなく有能 中国父さんの白人=白面の妖狐説が真実だったと明らかになったのが
大航海時代以降の白人帝国主義の歴史だよ >>1
違うだろ
仁義軽視
裏切り続け強者に媚び続けたからだろ 一方、その頃、
先進国の朝鮮半島って何してたんだっけ 石田三成も家康が死ぬか
秀頼が成人するまで我慢すれば良かったのに >>294
政所は家康が駐留を命じられた伏見だけど大坂に秀頼を連れて帰ることが出来たのは利家の成果な感じもするわ >>65
とはいえ信長の親父が超有能だったのは本当だしな
親父がいなかったら天下人は絶対になかった 一番人物像を想像しにくいよな
神君から狸爺まで、時代毎にも色々
ひとついえるのは
殺ること殺ってたから >>268
その理屈だと東日本大震災で民主だったのは運がなくて自民が運を持ってたって話だよねー
なんだかなー
後の世の教科書ではそういう歴史になるんだろうけど 普通に戦も強かったしな
戦上手の秀吉がガチンコでやって滅ぼせなかったのは徳川くらいでしょ 戦国時代はみんな大好きだけど、歴史的には墾田永年私財法以来の
土地の重層的な支配を名実ともに終わらせた太閤検地が最大のイベントじゃね >>48
五大老の子飼いなんて宇喜多一人だけじゃん 俺は下克上だの言って裏切りが正当化される世界なんて疑心暗鬼になって無理だわ 秀吉はただでさえ身内が少ない上に種無しだったからな
子沢山の家康は強いよ
関ヶ原の失態で秀忠も廃嫡されそうになったぐらい層が厚い >>309
親戚の中学生のテスト勉強を教えてるけど
また荘園が出てきた。だいたい荘園がトラブルの元って教えてたは >>309
そうだよ
太閤検地までは、形式上は朝廷の律令制で領土決まってて、一応臣下の武家には裁量ないことになってた
それを全部リセットし、正真正銘の武家による土地分配を宣言、武家社会を完成させたのが秀吉 >>314
安倍晋三
糞を漏らすところも偉人みたいなエピソード 常にナンバー2にいて機をうがかってあたり運だけではないだろ 日本って自分の領地を守ってくれる人が今まで支配者として君臨しているんだよね
天皇とか将軍いるけど力のないやつはカス扱い
じゃあ何で天皇や将軍が今まで生きてこれたかというと他人に偉さを説明するコストカット要因ただそれだけ 第二次安倍政権が始まった時の石破茂みたいなもんで、安倍の次は石破だ
、秀吉の次は家康だっていうのはみんな意識してたんじゃないの
何しろ朝鮮出兵すら除外されたっていうんだから >>303
銭商業重視したのパッパやからな
ジッジが津島とやらかして和解婚姻政策がターニングポイントやな >>313
元服済みの息子が関ヶ原後10年もせずバタバタ亡くなったの思うと暗殺説が出るのも仕方ないわね 逆に、三河以外が日本のトップになれた可能性あったのか?
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>314
戦争が無いから
危機が無いから
恐怖や不安の中から英雄は生まれる >>322
江戸時代が日本が一番輝いてた時代だろ
ハラキリ(武士道)、フジヤマ(浮世絵)、ゲイシャ(美人) 三河には、喜んで臣従してきたのが日本国民なんだが?
日本の歴史(中世~近世)
◆鎌倉幕府(1185~1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338~1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467~1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603~1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614~1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平 >>325
性質糞すぎて成り上がり後に毎回捨てられる三河さんじゃないっすか >>322
日本が不幸なのは薩長みたいな戦闘狂田舎軍団が政権を握ってしまった事
江戸時代の蓄積で一気に文明開化するだけの国力は蓄えられていたがよりによって1番最悪な奴らがそれを使ってしまった >>263
本能寺の変のときですら「惟任が家康討伐を上様(信長)に命じられた」という噂が流れたくらいだから、家康の立場は信長との関係ではあくまでほぼ対等な同盟者なんだよね
家康側の視点で言えば、羽柴秀吉はたとえば徳川家中の榊原康正や石川数正に近い。あくまで陪臣
逆に、信長家中の視点からすれば、家康の立場はまあ別格だよね。のちの豊氏政権において毛利がいかに大族であろうと、本能寺の時点まで敵対勢力だったということは“外様”にほかならない。対して徳川は“譜代”の大立者ということになるが上様(信長)の同盟者だからそれをさらに超越した立場
のち豊臣に臣従はしても潜在的に対等国の威力を認められていた、つまり最初から豊氏政権にとって別格の存在だった
清華成の家格や羽柴姓を他の太守らに与えたのもすべては徳川を敬しつつ掣肘するためだったと考えるほうが実装に近いかと
同時に京都すら要塞化(太閤御土居)するほど徳川の潜在的脅威への警戒を怠らなかった
>>275
家康は大坂の陣でも捏造記事を大衆にバラまいてるのが判ってる。平気でそういうこと大々的にやる輩だった
後世の認識を歪めることを最初から意図した収奪や焚書(史実抹殺)も
だから羅列しておられるような後世の認識も、基礎から疑ってかかるべきだよ 秀吉がねねとのあいだに実施居たら終わってた話だからな >>329
そんなのは東大学者が江戸時代を悪く言ってるだけで、生かさず殺さずは今の公務員の非正規に対する扱いのことだわな 家康はもう居ないけど
丸の内に広大な土地を所有する三菱地所が
この国の支配者ではないか
わしはそう思っとる 花の慶次の秀吉も
天下人は天が選ぶ
言うてたよ
お前ら若いのが天下取れないのも、天が決めたことだから仕方ないねって >>14
信長「黒人ごんぶとおちんぽすっごいいいのおおおおお!!」
弥助「ツヅキ ホシカッタラ オレノ シュジン ニ ニホン ウル」
信長「売る売る、売っちゃう~!統治ガバガバにするからワシのけつまんこもガバガバにしてえええ!!」
光秀「なんてことだ…なんてことだ…」 「身寄りのない人間は、虐め抜いて使い捨てろ」っていうのが、今も続く明治政府の大方針だからな
> 徳川家康公も「善い政治とは、身寄りもない人たちに対して、もっとも深い哀れみを掛けてあげることだ」と言われた。(大塩平八郎の檄文) >>303
親父が有能なだけじゃどうにもならんけどね
義景なんて親父どころか親族も有能なのに家を滅ぼした >>319
天皇はローマ法王とかイスラムの宗教指導者みたいな権利儀礼的な役割だからな。
とうの昔に大政は革命によって下に奪われている。 勝負するタイミングを間違えなければ
浅井長政は徳川よりも天下に近いところに行けた >>330
何の話
三河を天領、譜代藩主で固め
その譜代藩主が幕政の決定権を持っていた
部外者は、三河に大藩を置かなかった理由が分からず、功ある三河武士が冷遇されたと間抜けな事抜かすが
どうみても、現代で言えば岡崎市長や豊橋市長が全てを決める司令塔だろうが
日本の全てを決めてきた田舎者憧れ山の手内、江戸城中の人
■関が原の戦い以後に生まれた三河譜代藩主の老中
【三河県幸田町】三河深溝藩
・板倉重矩(1665年 - 1668年、1670年 - 1673年)
【三河県田原市】三河田原藩
・戸田忠昌(1681年 - 1699年)
【三河県豊橋市・豊川市】三河吉田藩
・小笠原長重(1697年 - 1705年、1709年 - 1710年)
・久世重之(1713年 - 1720年)
・松平信祝(1730年 - 1744年)
・松平信明(1788年 - 1803年、1806年 - 1817年)
・松平信順(1837年)
【三河県岡崎市】岡崎藩
・水野忠之(1717年 - 1730年)
・松平康福(1762年 - 1788年)
・本多忠民(1860年 - 1862年、1864年 - 1865年)
【三河県刈谷市】三河刈谷藩
・本多忠良(1734年 - 1746年)
【三河県碧南市】三河大浜藩
・水野忠友(1781年 - 1788年、1796年 - 1802年)
【三河県西尾市・豊田市】三河西尾藩
・松平乗完(1789年 - 1793年)
・松平乗寛(1822年 - 1839年)
・松平乗全(1845年 - 1855年、1858年 - 1860年) まあ数少ないガチの忠臣だった秀長小早川隆景前田利家がいなくなった時点でゲームセットだった
残った若い宇喜田秀家だけじゃどうしようもないし >>319
ていうか、天下りな領土分配に反抗し武力で実効支配してたのが、鎌倉から戦国までの世
だから、朝廷が任じた「~守(かみ)」って肩書と、実際支配してる領土が全然噛み合ってない >>330
何の話?
幕府が江戸にありながら、幕政は三河国が牛耳るのは室町幕府と同じ
三河国全体を将軍御領とし、幹部中の幹部には三河の所領を安堵し、近侍させるわけだな
徳川将軍家は足利将軍家を模したんだろうが、農民出自の奴は理解出来んらしいなw
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250~300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 >>340
現実の苛政に対してその行政者の宗祖の言をもって批判するのは、現実が権威主義政治だからそれに正面から対決すれば反対派として抹殺される危険があるからでもあるよ
ビロード革命前後の“レーニンに帰れ”のようなものだ 人当たりが其れなりに良くて余計な事は言わないイメージ
その真逆が石田三成 >>349
アベノミクスの仕上げの増税みたいなもんで
途中までを切り離して評価することはできないんよ 秀吉や家康がキリスト教を禁じたのは、キリスト教が白人の侵略勢力の手先だと見抜いたからだろ
今の公務員政府はどうなんだよ、多様性とかいう、白人の混血児を大量発生させるための民族浄化スキームに唯々諾々従っているじゃないか 出自が名もなき流浪の民説まである良く分からない家なのにようやったよ >>354
白人自体が混血だらけで 上層部が移民だらけ 日本も、もしかすると
フィリピン(フェリペ2世)って呼ばれてたんだろうか >>14
尾張だけで57万石プラス海運業、美濃と伊勢とった時点で160万石のチート大大名だから ヌルハチも苦労人だけど
秀吉と違って息子も優秀だったからな 愛知県って有名大名を輩出してる割に
なんで今でも草原みたいなエリアが多いの >>346
高卒か?
足利氏が何故天下を取れたのか?
答えはしっかりと、京方の下司の役割をこなしていたからだ
三河国の分国主は持明院統
三河国の知行国主は関東申次
三河守護の足利氏は鎌倉御家人でありながら、京方の下司として、鎌倉と洛中の政治ネットワークに食い込んでいたからこそ天下を取れた >>354
単に北センチネル島により近い異常な風潮だったかそうでないか、だけだと思う
朝鮮では南人中心にキリスト教の受容が進んだが、倭人においては恐怖のプロパガンダと相まって支配層の排斥運動に拮抗する運動も不可能だった 家康が運だけの男なら桶狭間の戦いで今川義元が死んだ後
今川見限って織田について三河統一する事もできなかったし
小牧長久手の戦いで戦力差がある秀吉に勝てなかった
運が良かったと言えるのは伊賀越えと小牧長久手の後の地震くらいだろう 三河国松平郷は、山地の比率が高い愛知県豊田市の山地にある キリスト教は白人の侵略説という見立てに、さほど違和感は無いが、
当時の農民たちの暮らしを思えば
どっちでも良かったのでは・・っていう >>357
それはないかもな
さすがのスペインポルトガルも、豊臣以降で「帝国化」した日本攻め落とすほどの動員はできなかった
実際、秀吉からキリシタン追放令出たときは、マニラは「日本攻めてくる!」って戒厳令まで出てた混乱ぶりだったし 家康と同じような立場だったのに滅亡した浅井長政
こいつこそ強運だけだろ >>355
物を知らない田舎者か?
松平がある高橋新荘を開発したのは源頼朝の曽祖父であり、この荘園を管理していた足助氏の娘が源頼家正室の辻殿だ
タダの山の中ではない
頼朝は父方ヘイト、母方愛情の奴だ
だから、母方に繋がる人々を信頼し、幹部として重用した
その母方とは三河出身の三河の藤姓熱田大宮司家で、足利氏もその血を引いている
北条はその繋がりを恐れ、安全保障の為に足利氏と姻戚関係を求めた
承久の乱の時に政子の檄文を読み上げたのは三河武士の安達景盛
三河縁故の武士が、裏でガッチリタッグを組んでいた
結局は、その三河の足利氏に滅ぼされたわけだが
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家社会を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻した
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?) >>345
秀吉はただでさえ少ない譜代を自分で殺しちゃってるからな
羽柴四天王(ドマイナー) 宮田:戦死 神子田:斬首 尾藤:斬首 戸田:生存 だからなぁ
さらに秀次事件で前野とか一柳みたいな古参も切っちゃってるし
あと一門衆も少ないのに小牧長久手で家康相手に木下一門を打ち取られちゃってるのも地味に痛い
あんまり触れられない話だけど「独眼竜政宗」ではこの件で切れた勝新が秀次を蹴とばすシーンがある >>366
当時のイエズス会宣教者たちの私信だと
「日本人ほど戦闘的で用心深い人種は世界におそらくいない」「奴らが納得して信者となれば世界最強のキリスト者になるだろう」
など、侵略者視点とはとても思えないことを書き連ねてる 徳川幕府は国際情勢を外国人からきちんと事情聴取した上で
交易と布教を不可分にしてるカソリックと
交易と布教を分けているプロテスタントの違いを把握した上で
プロテスタントのオランダを交易する国として選んでるって話だからね
よく考えてるよ 中世から現代までの歴史を学び
日本の親分は三河の結論で終わりの話
徳川家康は三河の親分だったか、の単純な話
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>369
それ新田源氏を詐称した徳川家と関係ないし
義家以降の源氏の血を強調しているのは只の足利史観 >>375
斯波氏と今川氏の間で右往左往していたのが田舎国の三河 家臣団の優秀さもあるんじゃないの。
一時期抜けた本多正信と秀吉に寝返った石川数正以外は徹底的に家康に尽くしてたもんな。 >>374
土俗思考と恐怖遺伝子が信長より強かっただけだろうよ
そもそも仏教も外来であること、古くは聖徳太子の出生譚がおそらくネストリウス派の伝道が伝わっていたものであろうこと、
その程度のことすら理解できないね >>363
> 朝鮮に本格的にキリスト教信者が生じたのは18世紀末から19世紀初頭にかけてで、布教の歴史は日本や中国などの周りの国々に比べてもそれほど長くないとされる。
> 1845年金大建(キム・デゴン)が上海で朝鮮最初の司祭になって帰国し、布教を始めた。しかし、当時の朝鮮の社会では儒教が社会の根本思想となっていたこともあり、カトリックは邪教と見做され弾圧が加えられていた。 Wikipedia >>380
外来した宗教の弾圧なんて他の国でもいくらでもある
中国で大きな仏教弾圧が数回起きてることも知ら無さそう >>6
運よく今川が負けて独立
運よく織田が同盟を求めてきて、運よく今川が武田にボコられて体制造りが可能に
運よく織田が無敵化
運よく今川の領土が簡単に手に入る
運よく武田がスルーしてくれて三方ヶ原で滅亡しないで済む
運よく織田が武田を滅ぼしてくれて怖い武田が消える
運よく伊賀越えで生き延びる
実力で小牧長久手の戦いに勝つ
運よく挑戦出兵に参加しないで済む
運よく石田三成が嫌われてくれる
実力の外交手腕で関ケ原に勝利する
運よく長生きで大坂の陣を2回やれて豊臣を滅ぼす
実力で長期政権の基盤を造る
運と実力だと思うわ >>374
航海法制定してオランダとの英蘭戦争
アイルランドのカトリック虐殺王殺しって
護国卿クロムウェルがいるんだよな秀忠家光の時代 オレンジイズニューブラックっていう
女囚モノの海外ドラマでも
まず最初にレズカップルになるのが普通だった
身を守る意味もあるのだろうが そもそも無能大嫌いの信長秀吉に重用されてる時点で運だけの訳がない 秀吉は種なしだったのがでかいな。安倍ぴょんも後継者がいなくて詰んだ >>382
徳川政権は滅びるまでろくに修正できなかった。“辺境の文化遺存”、簡単に言えば北センチネル島民しぐさ
レーニンがスターリンやジェルジンスキーの頭の悪さに見た「辺境出身者特有の排外主義」と同根だろうね
>>381が引用しているように、朝鮮王朝ではキリスト教受容する変化が実際に起きたのにね 普通は信康殺した時点で
武田みたいに後継者選びに失敗する
結城秀康と秀忠が上杉みたいに内紛を起こす
家康が運よく長生きしまくって全ての問題を超越した 自分が無能なやつほど歴史上の実力者をただ運がいいだけのやつていいたいわけ
自分が人生失敗したなのは運が無かっただけてしたいから >>388
李氏朝鮮でのキリスト教受容ってどの部分のこと? 要するに総ては二代目への継承だよ。頼朝は帝王学を授けず早死に、義時は泰時
という超優秀な息子に継承できた。尊氏はバカ息子だったけど側近に忠誠心の
厚い優秀なのを据えて三代目の義満につながった。信長は息子がさっさと逃げて
美濃で立て直せば良かったのに下手に防戦して死んだ。秀吉はまず息子がいない。
茶々に坊主を当てて子供生ませたが継承できず死ぬ。家康は全部見てきたし、
吾妻鏡熟読していたので割りと頼りないが性格がよく回りの支えが多かった秀忠
に早めに継承し自分は大御所として睨みを利かせて磐石体制を作り上げた。 勝負時まで待てる忍耐力あって失敗活かせて人の機微にも聡いし運だけではないな
父祖父の最期から学んだ教訓も大きいのかもしらんけど >>388
いや朝鮮王朝で弾圧されてるじゃん
朝鮮アゲの壺しぐさはやめなよ >>392
人が一代でやれることなんて限られてるしな そもそも家康は戦が強いし権謀術数に長けてるし人身掌握も上手い
家康の何を見て運だけて言ってるのか謎
運だけなんて言ったらやたら戦に強い弟が来て平家倒してくれた頼朝のほうがよっぽど運いいわ頼朝自体は戦下手だし 300年続くシステムを考えたのは間違いなく実力だと思うわ 現代イギリスの首脳部に白人男性はおらず
ヨーロッパの王妃は黒人と結婚したり 中東男と駆け落ちしたり
少子化で白人が真っ先に滅びるのは確定済み >>389
忠輝は「史実」とは違う事情であんなことになったんだろうと思うよ
息子が18歳で“自殺”してる
おそらくは徳川と敵対する意志があったんだろうと 信長ンとこに居たってのが最大の幸運だろうから秀吉も運は受けてるんじゃねえか 岡崎に家康が通ってたうどん屋があるから行ってみたけど
家康って「腸が健康なら長生き出来る」って思想持ってたらしい
そんで肉とかお菓子食い放題なのに
胃に優しい粗食しか食わなかったんだって
現代人でも胃に悪いもん食ったりしてるのに
数百年も前から栄養学極めてたとかスゴイよな 天下が続いたのは繁殖力のおかげか
種無し秀吉じゃ無理 忍耐と慎重さやろ
間違いなくこれなかったら天下とれん
戦国でも屈指の素質だったろうな >>402
真の長生きは忠輝だろう
家康は自身が毒殺を多く企んだから、自分にされるのも恐れていたのだろうよ >>404
徳川の時代で国力が大きく増して明治維新の基礎となった
改革したくても元手が無ければ何もできない 運が良かった面なんて
どんな戦国大名でも探せばあるわな
秀吉の政権でナンバー2を維持し続けるのだって
運がいいだけじゃどうにもならん >>408
禿山だらけで都市人口も停滞、西日本では豊作でも東日本は餓死者続出、それも身分階層によって全く異なる死亡率…それが徳川政権だよ
淀川水系の調査を明治新政府から委託されたヨハン デ・レーケが、
住民の涵養意識の低さにキレ散らかしてた逸話が地元の地誌に載ってた
住民の民度~ひいては徳川政権のありようがじつによく現れている
また江戸を無血占領した官軍がほとんど最初に発布した市民への要請が
「江戸城のお堀にゴミを捨てないでください」
こんなことを触れないといけなかった 織田信長と軍事同盟を結んでいたあたりですでに頭角を現してる
そこまでがタイヘンだったと思うがな 家康が顔を通ってた店というのも怪しいな。
自称御用達みたいな >>255
武家政権(足利)を傀儡にして操ろうとしたら三度も包囲網作られて裏切られたのが信長、なんとか勝った後に追放しどっちに行くか分からぬまま本能寺で死亡
天皇親政を建前に関白の座を貰い実権を握って政治をしようとしたのが秀吉
それ(京の政治)に不満な東の武家をまとめ上げて公家を縛って(禁中並公家諸法度)封建武家政権を再度作ったのが家康 >>366
キリスト教は帝国主義とセットの侵略ツール
欧米のキリスト教離れとはその原罪に耐えられなくなった人間が多いからこそ
キリスト教は赤銅人文明の1つだから
キリスト教を悪魔の兵器に仕立てたのは簒奪者たる白人で
元々の性質ではなかった部分もあるが
インカ帝国しかり有色人種国家を侵略するツールとして
キリスト教が用いられたことは歴史的な事実だよ >>410
まあ飢饉もひどかったけど社会が退嬰 状態で
一応人口は増加してるけど3000万ぐらいで頭打ちだったしな。
文化的には面白い時代だったが新規ご法度みたいな法律まであったのが痛かった。
グライダーなんかヨーロッパより日本の方が早かったのに処罰されたからな。
明治革命以降の国家神道の天皇制政府の優秀さが際立つ。
大規模飢饉も根絶して人口爆発につなげて戦後につながってる >>383
運良く信長が死んで甲斐信濃ゲット、が抜けている >>387
アベピョンは祖父は超有能、親父はそこそこ、本人は無能っていう
まさに没落世襲の家系だろ
コイズミも本人はそれなりの秀才だが息子は全員アレだし >>388
現代の欧米の移民嫌悪見りゃ分かるように害悪をもたらしたら排除されるのは普通。
当時の欧米勢力まさしく害悪で辺境もクソもねえよ。
中国も海禁、半島も日本以上に鎖国、チベットなんか昭和の頃まで半鎖国 アベピョンがキシのような才覚がありゃ
それはそれで良かったが
現実はヒロヒトとか近衛レベルだからな
自民党世襲政治家全般に言えるな
鳩山由紀夫さんや菅直人さんのような知能はない >>404
当時の欧州の蛮族共とまともにやり会えると思えんから民や清に盾に囮になってもらって鎖国で正解 >>419
鎖国じゃなくて海禁だしな
とにかく混血というのは本当民度劣化装置だからな
ロシアや中南米、中央アジアとかが代表的な混血地帯だが…
本当ろくでもない地域だからな >>422
偉大なる龍が蘇った時こそ
白人帝国主義から独立した文化経済圏の
東亜共栄圏を再構築すべきなんだが…
キシダ一派ら売国親欧米派が暴走しとるからな
白人たちを白面の妖狐と看破した中国父さんは偉大だった
日本人は今一度中国哲学を道徳の基盤とした
戦前の姿に戻る必要がある キシは嫌いじゃないんだよ
牟田口は嫌いだから
有能な悪は無能な善よりははるかにマシ
牟田口は無能な悪だけどな >>423
清国とは普通に開いてたからな
ただ出島で幕府が貿易を独占してたっていうのもあるから他大名からしてみたら
不満はあったろうな
島津とかこっそり密貿易してたんだっけ >>418
長男は役者としてまあまあ良くやってると思うが
次男はダメ >>420
近代化しても数千万の餓死者出してくる 世界中にあるし
日本はヨーロッパより人口成長上だった。
生産力が爆発的に上昇したのも明治革命で農民をちゃんと封建制 から解放して自立させたから 白人とは簒奪者なんだよな
アメリカ大陸だけじゃなくて欧州も赤銅人から簒奪した
古代ギリシャやローマ、マケドニアの頃はあの辺りは赤銅人が住んでいた
白人は北欧の方の辺境に住むバルバロイだった
その民族移動で赤銅人文明を滅ぼしたが
支配民族の交代で文明が荒廃した
キリスト教のせいではない
↑同時代イスラム諸国は大いに文明が栄えていたし
まぁ、白人というのは奪うことが常習化しているのよな
それは富であり文化であり領土であり歴史でありな
ホワイトウォッシュには気を付けないとな >>411
実は家康は今川は以下の時点で頭角を現してるんだよなぁ
わざわざ今川一門の娘を与えて一門衆に加えてることから次世代(氏真)の重臣候補それもトップクラスと目されていた >>416
天正壬午の乱を運が良かったで済ますのか・・・
いやー変わった教養をお持ちの人もいたもんだ >>418
終身雇用を守るために安倍を叩いている大卒サラリーマンが諸悪の根源だろ
自分達を上位10%にするために、わざと絶対に負ける戦争を始めたり失われた35年続けている >>7
というか自分の代で天下取れるとも思ってなかったんじゃないか? >>428
小作農化が進んだから自立はできてないな >>430
三河の有力な家だから優遇されたとも言えるから
実力とは言い切れない >>102
信長死ななくても高い地位は確約されてたからなぁ >>434
一般国民に統合されて一定の税率、商商売買の公的な自由、移動職業選択の自由も公式に認められたから
近代的な自立農として成長できて江戸時代と違って生産力も爆増した。 運が無けりゃ天下人なんかなれんわな
その上で実力も必要って感じ なんだかんだ三英傑はみんな豪運持ちだろ
前線から成り上がった秀吉は当然として信長だって何度も死にかけてるし 子が生まれないのに早く気がついて
部下の子供を産まれたてから自分の子として育てるとか
子種なし問題は回避のしようがあったと思うんだよなぁ 忍耐と慎重さやろ
間違いなくこれなかったら天下とれん
戦国でも屈指の素質だったろうな >>377
物を知らない高卒チンパンジーか?
室町期、三河は足利将軍家本拠地だったんだが?
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250~300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 >>441
勘というか嗅覚が常人よりも鋭かったんだろうな 家康の生涯は常在戦場じゃん
16歳のころから73歳まで、常に戦場に自ら出陣して指揮してる
ミスター戦国だよ >>221
ハプスブルク家のフリードリヒ3世なんて
長生きと忍耐で息子マクシミリアン1世に継承できたから
ハプスブルク家全盛迎えたわけだし
とんびが鷹生んだ感じ 鎖国政策すればどこでも衰退する
家康以前の問題です よくあるパターンでさ
3着走ってたやつが諦めずに頑張って走ってたら
1位2位がクラッシュして1位になったりするやつ
あれが徳川家康
実力、努力、運があった >>15
そういうストーリーだが、そういうストーリーにするための仕込みはやっていたと思うから一番尊敬する人物
運や成り行きじゃないよ、人生は 信玄死ぬタイミングと伊賀越は運いい思うわ
義元が討たれたのも運いいわな >>436
松平家が有力だったのは祖父清康のころで父広忠のころは今川傘下の一国人レベルだよ
その広忠も家康が小さいころに死んでるし、領地は今川の代官が接収してる状態
西三河の統治に松平の名前を利用したかったというのあると思うけど後ろ盾のない一国人を一門衆にまでするのは過分な取り立てだともうよ そもそも世の権力者なんてみんな運だよ
安倍ちゃんにしろ岸田にしろどれだけ運いい展開巡って来てるか 家康のすごさは天下を取り続けたことだろ
対外戦争を始めた秀吉なんか下の下だわな
これは中国を外敵に持ってくる戦前と現代の東大官僚も同じだが そういう意味では豊臣秀吉が天下取れたのも運だし
明智光秀が織田信長の首取ったのも運だし
石田三成も運がギリギリ無かっただけだな 英雄に必要不可欠な要素は窮地に頓死しないことやぞ
ツイてない人間はいつだって英雄にはなれない 秀吉に種さえあれば勝てたんだろうが家康の運が勝ったよな
人質にされ過ごした静岡に戻ったのは静岡が居心地良い土地だっただけなのかな >>461
地元への愛着ももちろんあるだろうけど
現将軍は秀忠であると天下に示して徳川家の継承のアピール
自分は江戸より西に位置取り西国への牽制
とか複合的な要因だろう 運だわ、織田から拉致されて今川行ったら
太原雪斎に気に入られて英才教育やで >>461
秀吉がねねとの間に早くに子どもをもうけて、秀長が秀吉より長生きしてれば豊臣政権ももう少し続いたかもな
あくまで歴史のifに過ぎないが そらアメリカにも差別するやつおるけどさ
差別やめよう人権まもろうってゆうのも結局アメリカ(イギリス)なんよな
ほかの文明圏はずーっと差別し続けるわ 勘違いしてる奴多いけど運って偶然の事じゃないから
連続の選択の中で最後まで間違えず生き残る事を「運が良い人」と呼ぶ
こんなの自力が無ければ偶然だけで生き残れる訳ない >>465
英米白人は政府による保護がなくても純血性を維持できるから多様性だとか言ってるだけ
多様性っていうのは、白人以外の人種民族は混血させて全部雑種にしてしまえという、究極の人種差別政策だろ
今の英米はナチスより悪い 桶狭間で織田が敗れて今川が勝っても
家康は今川家でナンバー2の位置なんよ
義元死ねば、タナボタ余裕
歴史にイフは無いとわかるねw 関東転封で
栄えてる小田原や鎌倉じゃなくて
田舎の江戸に本拠をゼロから造ったのはすごいね
なんで江戸にしたのかね?
水運? >>459
最近の研究だと関ヶ原は始まって早々に西軍総崩れであっという間に決着って話だし
中にはただ大垣から撤退してるところを追撃されて背後をつかれてボコられただけとか言う人まで出てきてる
(小早川が松尾山を獲った時点で機内との連絡線が絶たれるから夜に紛れて引こうとしてバレた)
関ヶ原って三成に勝ち筋ってあったんかなぁ >>249
本能寺の変が起きなかった仮定の話だから小田原征伐は発生しないのでは
あの時点で北条は織田に恭順の意思を示していたわけだし >>473
関ヶ原は遭遇戦
まあ野戦は後詰めじゃなければ
遭遇戦は普通だし >>464
秀吉、秀長、前田利家、
誰か一人でも家康より長生きしてたら徳川の天下は無かっただろう >>225
秀吉は、本来、上杉に北条の遺領を与えて
関東管領やらせるつもりだった
ほんと家康の存在は邪魔だったんだよね 家康のように生き信長のように死んだ安倍ちゃん凄いな 石田三成って前田利家が死んだ翌日に福島正則とかに襲撃されたんだろ?
よっぽど恨まれてたんだろ >>35
どちらも親の代からの宿敵だからな
これは両者凄いとしか言いようがない >>456
高卒か?
松平信光は天皇とダチなんだが?
信光の時代、既に相当な家格を有していた
3代目松平信光創建
・信明光寺(1451年創建)
1479年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
・妙心寺(1461年創建)
1481年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
4代目松平親忠創建
・大恩寺(1477年創建)
1493年、後土御門天皇勅願所、紫衣着用が許される >>40
信康を死なせたけどな
関ヶ原後まで後継を悩んではいたけど >>430
物を知らない高卒か?
松平信光の正室が一色氏の娘と記録してあるのは今川記
1430年頃に正室としたようだが、それ以降は準一門扱いだろう >>48
五大老ってそもそも子飼いがなるもんじゃなくない? >>480
秀吉が強く勧めたと『徳川実紀』に書かれてる
移封時の家臣の入封地(徳川家臣の関東各地への配置)も秀吉が細かく指示した 運だけでは無いだろ待つ忍耐強さもあったし
信長や秀吉とタイプは違えど傑物なのは間違いない >>376
物を知らない高卒か?
徳川家康は源頼家正室たる辻殿の兄の血を引く
関係ねーわけないだろう
徳川家康が受け継ぐ遺伝子
源義家
源義国(源姓足利氏・新田氏の祖)、
足利義兼(初代源姓足利氏)
一色公深(初代一色氏)
今川国氏(初代今川氏)、
吉良長氏(初代吉良氏)、
源為朝
安達盛長
足助重範
楠木正成
■今川記(1553年成立)より
松平信光(第3代目当主)
正室:一色氏の娘
一色満範の娘の仮定する
源義家→義国→義康→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→一色公深(初代一色氏)→範氏(母親は今川国氏(初代今川氏)の娘)→範光→詮範→満範→娘→松平親忠→長親→信忠→清康→広忠→徳川家康
■熊野国造家 和田家系図より
松平親忠(第4代目当主)
正室:鈴木重勝の娘
・加茂(足助)重長→足助重秀(母親は源為朝の娘)→重朝(母親は安達盛長の娘)→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員(母親は楠木正成の娘)→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康 >>476
まあ秀次殺してなければまず無いね
秀吉のポカが多すぎるボロボロな政権渡された秀頼はちょっとカワイソウ 英雄度では秀吉がダントツ
秀吉>北条時宗>家康
家康は白人キリスト教勢力を警戒していたから信長よりは上だが 天下は実力で取るべきものと思い込んでるとスレタイみたいな発想になる 秀吉は天下統一を最優先にして、敵ですら許す寛容さはあったんだよな
朝鮮出兵さえなければ家康一強の時代の到来は防げたと思う >>21
武田の家臣団をゲットしたから それがなかったら大したことない大名で終わってた 秀吉は半島や中国から見れば白人キリスト教徒と同じ立場だからな。
当時の日本はヨーロッパと並ぶ好戦的な国家だった 松下幸之助は面接で「あなたは運がいいですか?」って聞いたそうだ。
パソコンが珍しかった時代にゲイツの学校は父兄の寄付でコンピューターあってゲイツはプログラミングも学べて
他より早くできた。
これが大学から一からとなると歴史変ったろうし運は無視できない >>483
信光ー親忠ー長親ー信忠ー清康ー広忠ー元康
この時代生まれる6代前、100年も昔の威光なんてなんの役にもたたんよ
元康の頃なら自力で西三河切り取った清康と安祥松平の名前ならまだ西三河で通じてたと思う 家康はガチで運が良すぎた
今川の跡継ぎが氏真のようなボンクラではなかったら家康は独立できてなかっただろうし >>138
検知、兵農分離、刀狩は大きいな
日本の治安が良いのは原点は刀狩だと思ってる
明治の廃刀令っても武士階級の人口は7%(それも半分は女)だからさして影響ないし
全国一斉に人口の9割から殺傷能力高い武器取り上げたのは相当凄いよ
農民への見返りとしての荘園制の完全解体、小作の否定 >>461
応仁の乱にしても足利斯波畠山の跡目不在からの争いだし、生殖能力の高さも必須だとは思う 信長にあそこまでこき使われて文句ひとつ言わなかったのすごくない? >>499
物を知らない高卒か?
松平がストーリーを大事にしないなら、知恩院が徳川の洛中の菩提寺になっていないだろう
信光が創建した信明光寺で出家した、信光の孫たる存牛は知恩院のトップになった
存牛
文明元年(一四六九)—天文一八年(一五四九)一二月二〇日。尊蓮社超誉。高顕真宗国師。知恩院二五世。知恩院を復興させた室町時代末期の僧。三河国岩津(愛知県)城主松平親忠の第五子。文明一三年(一四八一)同国信光明寺存冏ぞんげいに師事して出家、のち大恩寺了暁につき、永正八年(一五一一)には信光明寺三世となる。同一七年知恩院二四世訓公の遺言で後継者に推されたが、これを固辞。後柏原天皇の綸旨りんじと知恩院本末寺院の懇請によって、翌年知恩院二五世に推戴された。応仁の大乱以降荒れ果てた知恩院の復興に尽力するとともに、皇室との関係を深め、浄土教の布教に努めた。その結果、大永四年(一五二四)正月一八日後柏原天皇より法然上人の祥忌月の法要を「御忌ぎょき」と称すべき旨の鳳詔ほうしょうが下され、次いで後奈良天皇より「知恩教院」「大谷寺」の勅額を賜った。知恩院復興後は、同七年知恩院を退いて信光明寺に帰り、天文一四年(一五四五)に三河高月院に隠居して念仏生活を続け、同一八年に入寂。死後、安政四年(一八五七)、孝明天皇から国師号を賜っている。 真に自由競争を追求するなら共産主義社会に近いものを作ろうとするわな。
スタートラインが一緒じゃないと競争にならないもん >>503
秀次は生殖能力高かったんだ…
全部根切りされたが >>502
刀狩は刀を取り上げただけで江戸時代になっても農民は鉄砲などの武器を保有していた >>496
なわけねえだろ
中国からすりゃいつもの異民族侵攻ムーブだし
しかも後に明潰したのも異民族の満州族だしな 松平清康
1511年生まれ
存牛
1517年、知恩院二四世訓公の遺言で後継者に推されたが、これを固辞。後柏原天皇の綸旨りんじと知恩院本末寺院の懇請によって、翌年知恩院二五世に推戴された。
清康がガキの頃、松平家から洛中宗教界のトップクラスに登り詰めた高僧がいた
松平家の隆盛は清康からとか、どう勉強したら、そんな結論になるのか? >>471
>>480
江戸城は小田原城に次ぐ後北条氏の重要な拠点
鎌倉には後北条氏の重要な支城はない
日比谷入江の西側は後北条氏の記録でも今につながる地名は結構出てくるぞ >>510
いやだから中国や半島の方がまだ平和国家で
日本は白人キリスト教国家ほどじゃないけど 好戦的な侵略国家だったわけだよ。 所ジョージが面白いこと言ってるとこ見たことないんだけど
まだ小峠を司会にさせたほうが面白いこと言えるやろw 話がずれとるな清康の代での松平家が有力だったことは疑いようはないわけだから
問題は続く広忠、元康で
一時期に西三河の支配権を今川に譲ったかたちになった後の三河の地に信光とやらの威光が通用してたかどうかってとこじゃねーの
信光の威光で土地の国人を糾合出来ました見たいなエピソードとかあるんか チャンスが来るまで忍耐強く待ち続け、やって来たチャンスを最大限に活かした
こんなことは凡人には無理 >>466
これ
巡ってきた運を掴むのが実力だからな
もっと言うと実力ある人ほど機会(それは運ともいう)が巡ってくるっていう >>515
松平信光の息子たる親長は政所御物奉行
松平信光の甥もしくは兄弟の益親は日野裏松家、日野勝光の家人、勝光の姉妹は日野富子
松平は、清康以前から室町幕府の中の人であり、足利将軍家姻戚で寵臣でもあった日野裏松家の家人でもあった
お前が言ってるのは、センゴク(笑)馬鹿が言ってる低レベルの話 ちなみに、安祥松平氏が発祥した三河国碧海郡和田は、元々は日野裏松家の所領だった しかし、秀吉死ぬまでよう我慢したわ
もうあの時代では寿命尽きるぐらいの年齢だったのに それが家康の強さ 秀吉が死ぬまでどころか前田利家が死ぬまで我慢してる >>466
運というかチャンスだな
チャンスを見分けて行動してモノにできるかどうかが決定的な違い
凡人はチャンスが分からず行動できずに終わる 秀吉に実子がいっぱい居れば徳川幕府なんてなかった
秀吉の家臣たちも秀頼が本当に秀吉の子だとは思ってないだろうから
豊臣家守るってモチベーションが全然沸かないわけで
なんなら分けわからんやつの子に豊臣家乗っ取られるくらいなら滅んだほうが秀吉の為
くらいに思っちゃうところもあるし
徳川が勝てたのはそこに尽きると思う あれだけ色々な政策しておいてそれはないわ
徳川家に逆らえないシステムを作り上げた功績はでかいよ 結局信長の息子のために戦ったのは家康だけだからな
柴田ですらあいつ自分のためだろ コミュニティメンバーは
そうすれば意地でも痛いけど孫扱いなら許されると思ってたわ
寝不足がバカにされない。 学習しろ
アンサガリマスターすらないもんな
ドライバーのヒューマンエラーだから厳重注意!! 健康診断があっという間にそのうち税金払うおもしろ企画だったんだ そう聞くと大したことあったなぁ
ちゃんと車輌点検してたんやろか
どの球団も満遍なく楽しい時期があるようだ
今の時代だよね そらまともな。
ノートパソコンと脱毛器が必要だった奴は居るんやで 呂布カルマって人じゃないん?
けいおんって言うとあれやがレスするよ
おめ、明日下げるために役にも生えて欲しい 本当に性のも間違いなく一時代を築いたのにね
クッションドラムが優秀なんやろか 単純に信長は欧州から武器を買ってた反中の左翼だったから消されたし、秀吉も同じだろうな
こいつらには勝ち目がなかった まあその時代最も強い者が天下を取るって言うなら家康が1番だったんだから自然の流れやな 徳川を見てると世渡りの上手さがいかに重要なのかを教えてくれる
関ヶ原でちゃっかり東軍として勝っていい思いしてるの豊臣恩顧の裏切り雑魚大名どもな 家康は秀吉より政務を託されているわけだし、謀反を起こしたのは西軍じゃん
それで裏切りとか言われても困るわ やっぱ家康ってラキ珍大名だったんだって判って来たんだよね >>550
キリシタン大名の小西とかは最後まで豊臣のために忠誠を尽くしてるのにな。
裏切ったのは全部キリシタンとか関係ないやつ >>555
宇喜多秀家を支えた明石全登は知略にも情勢にも囧るい武将だったな、まちがいなく
西軍が勝っていたらおそらく小早川隆景と比肩扱いないしそれ以上の評価が定着してたと思う ケンカスが徳川家康の立場なら速攻家臣から見捨てられてるわ >>513
いや、君ネタかいな
中国の歴代王朝は外征は当たり前だろ?
清も外征で中東アジア、南アジア、東南アジアに領土持っていたし
ガラパゴス糞ジャップ理論を世界史に適応するなよ
米帝のポチの腰抜け野郎の癖に 平和主義国家という言葉を聞くとむかむかするよな
米帝の奴隷状態を正当化するための逃げの言葉
サダム・フセインやカダフィ、パレスティナの人々のように
悪魔に立ち向かう姿こそが有色人種の誇り しかし、こういうスレでも白人とキリスト教徒を擁護する
カルト系の🏺野郎出てくるのな
ちなみに🏺もキリスト教系カルトの1つな なんで誰も反抗しなかったんだ
もう戦に疲れてたのか 家康が心底やばかった戦いって三方ヶ原だけだと思うんだが、あの時信玄に滅ぼされずに生き残れたってのは大きかっただろうなぁ
まぁはっきり言って俗に言う三英傑ってのはいずれも運が良かったとは言えるだろうよ >>564
信玄が落とせなかった家康側の高天神城を勝頼が抜いたことで勝頼の威名は高まったんだけど、
翻って考えるなら、これって普遍的ベンチマークとして家康が認められていたことの裏返しなんだよね
つまり、松平の譜代でもなんでもない要害の地を扼する名門一族が、成り行きとはいえ家康の膝下でしかもあの信玄や勝頼を相手に命懸けの戦いを続けていたという事実そのものが、弓取りとしての家康の力量また同時代の武門からの評価の有無を言わさぬ証拠だな 神君伊賀越えばかり言われてるけど天正大地震も運良すぎだろ
あれがなかったら秀吉に滅ぼされてた >>40
信忠で十分安定
信忠無能論は、信康の評価を上げるために江戸時代に作られた虚構 >>530
そのへんプロデュースしたのは、天海、崇伝、林羅山
中国の周王朝の封建体制が失敗した先例から欠点を補って、外部からの干渉がない限り崩壊することがない封建体制を完成させた
欧米の接触がなければ徳川幕府は永遠に続いていたよ >>570
いやいや各藩が借金で回らなくなってたろ
黒船無くても穏やかに死んでたろうよ >>571
たしかに企業体も残りやすい傾向あるけど、要するにそれってただの辺境遺存現象に過ぎないしなあ
おなじ遺存でも、アイスランドならノルド語の古態を住民が今に伝えてくれているけど、倭人は自分たちの言語にすらあまりに無頓着で、キリスト教の宣教師が言語辞典を編纂してくれてるのがきわめて貴重というね 家康「もしかしたら・・(五山僧の空気を確認)」
月渓和尚「それに近い」
林羅漢「ほぼそれに近い」
五山僧「まあまあまあまあ」
家康「これは た、い、へ、ん な 鐘銘ですよねぇええ(上擦った声で)」
五山僧「意図があるとすれば、という言い方はしてた」
林羅漢「一応保険はかけてらした」
家康「でもね、向こうから言ってるしね。ちょっとこれ大変なことだなぁ」
秀忠「だから! 秀頼さんというか だから! 豊臣家は小さくなるんですよ!」
家康「とんでもねぇ話だなぁこれぇ!?」
林羅漢「私は清韓にチャンスを与えた訳でしてね…」
秀忠「いやぁ!それを見事に蹴っ飛ばしましたね!」
家康「こんなの!許される訳ねぇに!決まってんだろ!」
林羅漢「これはもう間違いなく戦になりますね。 そして”徳川に責任はない”はずです。私は牽制球を投げましたから」
秀忠「いやいや!徳川の責任では全然ないですよ!福島さんの全責任です!」
林羅漢「びっくりしましたね」
家康&秀忠「びっくりした!」
家康「いや!これはとんでもない事ですよ! とんでもないなぁ!」 >>573
唐突に全責任を被らされる福島正則さんに草 そら大事を成すのに最も重要なのが運というか、大事を成した人間は結果的に振り返ると当然コインで表を出し続けてるわけで 小牧長久手で負けて滅んでた
けど京都でデカい地震が起きて和睦
天に選ばれてるんだよな >>577
天正大地震は尾張の被害が大きかったそうな
最前線が復興地になったら、そりゃ戦争どころじゃなくなるね
その前には、石川数正も秀吉の方に出奔しちゃって徳川の軍制が筒抜けになっていたから、地震起こる前は家康は相当焦っていたと思われる
長久手に勝ったといっても、秀吉の本隊ではなく、秀吉に与した池田、森の軍勢相手だからね >>548
家康も欧州からカルバリン砲買ってたんだが >>551
奉行連名で内府に詰問して
内府(言うまでもなく家康)は実際に謝罪してるんだよね。伏見城を睨む位置に建てさせていた自分の陣屋から退去してる
刑部(三成)失脚後、その陣屋どころか奉行たちの名前を関した郭をもつ(つまりは家康が陣屋建ててあからさまに敵意を示していた)伏見城自体を我が物のように占拠した結果が伏見城の鳥居元忠だよ
まったく、家康以外にこんな違背をずうずうしくもやりおおせる輩なんていない
あの前田利家が戦端開くつもりで家康を非難したのも当然だ
それがまるで理解できなかったくらい頭悪いのが“武断派”とされる家康の調略にかかった愚か者どもだな
とはいえ関ヶ原時点でも家康は福島正則の向背を疑ってたし、三成もまた福島に家康討伐への働きかけを続けてた。このあたりも家康らの歴史修正主義の影響でまだ理解してない奴がたくさんいるよね。ほかならぬ家康の子孫たる水戸光圀ですらそれを批判してたのに >>570
永遠という気分はなんかわかるわ
封建制というちうかではうまくいかなかつた制度がこの猿島で260年続いた。世界史上の奇観
参勤交代が安定して行われるあたり、諸侯は地方長官気質に染まりきったぽいな。明治維新が下級武士主導になるわけだわ >>559
もうまともに会話できてないよお前。
当時の半島や中国が攻めてきたんじゃなくて
秀吉がインドまで侵略しようとしてたんだろ?
当時の中国や半島の方が平和国家だし秀吉を英雄にするなら
スペインだって侵略者がそうなるわな。 江戸も後期は幕府の締め付けユルユルでしょ
長州とか勝手にイギリスとやり取りし出してたし
鎌倉も室町も江戸もいつもそれくらいの長さで寿命を迎えてる ALL
細かい事はいいぞ、センス無い
日本は三河が勝ち組になるように出来ている
コレがセンスある奴の捉え方
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>166
秀吉って54で死んだんだっけ?それで耄碌って・・・ 戦国時代を終わらせた功績は大きい
江戸時代が平和で文化が栄えたおかげでスムーズに明治に移行出来た
このシステムの基礎を作った家康はやはり極めて優秀 >>358
伊勢領有したの遅いし
それよりも齋藤,六角,三好の当主が歴史に残る暗愚だったのが幸運でしょ クソ長生きしたのも運かな?
過小評価気味の秀忠が早めに継いだら徳川家どうなってただろう >>33
信長よりマシだけど秀吉も軍事と対外政治に偏重してるよね
家康みたいな家制や分国の整備に力入れて無いし >>589
明治維新は失敗だろ
大東亜戦争、失われた35年、原発事故、混血による民族消滅
取返しのつかない失敗ばかりしている >>558
三河武士は犬なのでそれはない
信長に好かれない可能性はあるけど >>591
どの時点かによるでしょうな
例えば家康への弾劾への前に死んでたら
普通に五大老体制のまま
関ケ原の後に死んでたら、豊臣を政治的に追い込んでも軍事的な動員に失敗して
伊達、毛利、島津、長曾我部、上杉も息を吹き返して、戦国時代に逆戻り
上杉征伐の途上だの関ケ原で死んでたら、完全に潰されるかどうかだけど
今度は三成は毛利を恐れないといけないし、小早川秀秋が、後継者として危険になるしで
徳川は謝罪して20万石くらいで水戸あたりに押し込められるだろう 織田家と同盟結んだり長久手の戦いで秀吉に勝利したり家康はじわじわ詰めてく感じ(´・ω・`) もしも仮に東条英機が三河の国の小大名松平元康に転生していたら?
まあ東条閣下はそこそこ人望あるし、率いる兵は精強な三河武士なので桶狭間の後信長と同盟し、三河から遠江、駿河と領土を拡張していく
ターニングポイントとなるのは武田信玄が二万五千の兵を率いて上陸するあたりだな。この時期信長は浅井、朝倉、本願寺、延暦寺
三好、松永、将軍家、毛利と周囲は敵だらけ、ここで家康はナチと同盟を結んだ大日本帝国のごとく信長と縁を切り武田と結ぶ。
しかしほどなく武田信玄は死亡、反信長連合軍戦線も崩壊し、家康は窮する。そこで武田勝頼と共に設楽原で信長の軍に覚悟の竹槍
突撃を決行見事玉砕し、もはやここまでかと東条家康は覚悟するも、まもなく本能寺。家康は九死に一生を得る。
後を継いだ秀吉に屈従を余儀なくされる家康。しかし秀吉からは東海地方の領土をすべて放棄し、関東へ移るといういわば「ハルノート」
をつきつけられ、これを拒絶。秀吉との絶望的な戦いの末、ついに本拠地浜松城へとおいつめられ、壮絶な籠城戦の末、全軍のほとんど
は餓死、東条家康は自殺をこころみるも失敗し、秀吉のもとへ出頭、そして斬首されここに徳川家はめでたく滅亡しました(完) >>596
常陸には佐竹氏がいるよ
三成が“徳川屋敷に逃げ込んだ”(これは事実ではないが)とされる襲撃事件の際(事件自体は事実)、佐竹義宣は過去の友誼もあって三成を命懸けで助けてる
「治部(三成)を失っては生きていてもしょうがない」とまで言っている
三成に人望がないなどというのはほかならぬ当人が襲われたときですら反証されてる。しかも家康がその友誼を激賞したとされる >>599
東條って 番町小学校、四谷小学校、学習院初等科(1回落第)、青山小学校、城北尋常中學校(現:戸山高等学校)、
東京陸軍地方幼年学校 、陸軍中央幼年学校、陸軍士官学校って経歴で
小学校の頃はよく転校してるけどなにがあったのかねえ? >>591
家康は薬オタクなんて言われるほど健康には気をつけてたし
それを運と言われちゃうのはな…
あと、家康が将軍でいたのは2年程度だし秀忠は早めに継いでるんだよね 将軍職は譲っても権力は手放さず
家康は死ぬまで最高権力者やった >>604
信長も秀吉もさっさと譲ってたんだよなぁ
関白職渡してたのに秀次を根切りしたわけだが >>593
身分制を廃止して日本国民を作り上げ、日本人を歴史上最大人口につなげていった 大成功政策じゃん。
反日勢力なら否定するだろうが。 秀吉が長生きして秀頼が成人するまで生きてた世界線での歴史が観てみたい 秀吉が九州にくぎ付けになってる好きに徳川が関東で挙兵
関東東北の連合軍と西へ侵攻
秀吉は九州大返しを実現できるのだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています