昼ごはんは、パン2つ。出費を180円に抑えています。もし、仕事が決まらず露頭に迷えば、生きて苦しむより死を選んだほうがいい」――非正規雇用で低収入の状況が続く木村武さん(仮名、53歳)は、約4年前の取材で安楽死を望んでいた。

その後に襲ったコロナ・ショックや物価高。今や平均年収を得ていたとしても、「ちょっとスタバでお茶しよう、ランチしよう」という、それぞれが思う“普通”の生活ができにくくなっている。非正規雇用で収入の不安があれば、一層と生活は苦しくなる(『年収443万円 安すぎる国の絶望的な生活』)。

給料日だけ「600~700円の弁当」
九州地方に住む木村さんは1993年に地方の国立大を卒業。新卒採用ではスーパーを運営する会社に正社員採用された。

店長になって売り上げを伸ばしたが、30代前半の月給は手取り20万円程度。不景気の煽りを受けた会社全体の業績が下がり、ボーナスがカットされた。

長時間労働は常態化し、木村さんは休みなく働いて体調まで崩した。これ以上は収入が増える見込みがないと悟り、転職を決めた。

派遣社員として働きながら転職活動を続け、ある会社に正社員採用されたが会社は2年で倒産。40代後半になっていた木村さんは、就職活動の厳しさを肌で感じるようになった。正社員の求人があったとしても介護、建設、運送業が多い。事務系の仕事は非正規しかなく、非正規の職を転々とせざるを得なかった。

それでも2年前に働いていた職場は契約社員でも月給30万円が出て、交通費が月6000円支給された。ボーナスは月給の4ヵ月分以上の支給で、木村さんには十分な条件だと思え、意気揚々と、同僚の嫌がる仕事は自ら代わって何でもこなした。

ただ、正社員ではないため、「給与が上がっても、地味な生活をしとかんと」と、昼食はパン2つだけの生活。給料日だけは600~700円の弁当を買って食べることが、唯一といっていい贅沢だった。できるだけ節約して月10万円を貯金に回した。

これからの生活に期待したが、次年度の採用枠がなくなり契約は更新されなかった。https://news.livedoor.com/article/detail/26268735/