晋恵帝、「歴代の皇帝の中でも匹敵するものがない愚か者で、馬鹿すぎて国を潰した」と評される [489880318]
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恵帝(けいてい)は、西晋の第2代皇帝。諱は衷。武帝(司馬炎)の次男。母は楊艶。無能な人物として有名であり、後世の史家王夫之からは「歴代の皇帝の中でも匹敵するものがない愚か者で、馬鹿すぎて国を潰した」と評された。その治世には各地の諸王による八王の乱と呼ばれる権力闘争が相次ぎ、恵帝自身もこの乱に翻弄され続け、最終的には政争の中で不審死した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E5%B8%9D_%28%E8%A5%BF%E6%99%8B%29?wprov=sfla1 東晋の安帝
安帝(あんてい)は、東晋の第10代皇帝。孝武帝の長男。諱・字は徳宗。
重度の知的障害によりその治世においては国政を執り行う事ができず、臣下たちの権力闘争を許し、
安帝自身も翻弄され続けた末に、最後はのちの南朝宋の武帝劉裕の手に掛かって暗殺された。 これ好き
ある時、華林園で蛙の声を聞くと、司馬衷は側近の者へ「この蛙は公事のために鳴いているのか、それとも私事のために鳴いているのか」と尋ねた。すると、ある者がからかって「公有地にいるときは公のために、私有地にいるときは私のために鳴いているのですぞ」と返したという(『晋書』巻4、恵帝紀) このNTRエピソードすき
ある時、劉曜は羊献容へ「朕と司馬家の男を比べたらどうかね」と問うた。羊皇后は「陛下は開業の聖主ですが、彼(恵帝)は亡国の暗夫に過ぎないので、比べるまでもありません。彼は帝王でありながら、一婦一子どころか自分の身も守ることができませんでした。妾(私)は当時、天下の男とは全てこうであるのかと思い、生きる希望も失ったものです。陛下に嫁いでから始めて天下に大丈夫がいることを知りました」と語った。 恵帝の皇太子を産んだのが、恵帝の父・司馬炎の妃だったりと結構性的スキャンダルの逸話が多いと思う。 神童の息子に期待して跡継ぎにしたのにその息子もポンコツ化して終わり 周りの意見に流されやすいのはその通りなんだけど、
皇帝になってから即位に反対してた臣下に「お前は以前、朕が帝位を継ぐのに相応しくないと言ったが、今はどう思う?」と自分の治世を自慢したり、
息子に平然と死を与えたり、弟に兵を向けた臣下に「朕自ら軍を率いて逆臣を誅殺する」と激怒したりと、精神薄弱っぽくない、弟の八王たちとは似た者同士の激昂しやすい性格って感じもする。
まあその場合、激昂しやすく、かつ周りに流されやすいという、よりたちの悪い性格ということになるのだけど…。 「なんで肉粥食べないの🤔」
「嵆侍中の血は落とすな😡」
同一人物とは思えない >>13
パンがないなら…のエピソードは世界中にあるな >>13
嵆侍中の忠義に感銘したり、逆に帝位から引きずり下ろされるときに玉璽をもぎ取った臣下には復位したときに
「奴は無理矢理我の手指を開かせ璽綬を奪った。殺さずにはおれん」とぶっ殺した逸話とか見ると、感情激しい人なのではと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています