米留学後、安倍氏は神戸製鋼に就職、本社輸出部に配属されて「仕事の喜び」を見出すようになった。
そして、1982年、父・晋太郎氏が外務大臣に就任、秘書官になるよう命じられた。
だが、安倍氏はこれに激しく反発した。

安倍の“退職拒否”で神戸製鋼所は大混乱に陥った。
最後に安倍を動かしたのは、直属上司の言葉だった。その課長は「ちょっと飯食いに行こう」と安倍を食事に誘った。

「上からは、なんとかならんかと言ってくるし、安倍さんも落ち込んでいた。だから食事に誘って、『あんたの気持ちはどうなんだ。将来は政治家になりたいのか』と尋ねたんです。
すると『なりたい』と言う。政治家になるのが嫌だと悩んでいるなら別だが、そうじゃないなら、とこう言ったんです。

『人間というものは、何か失敗すると、あの時にああしていたらと過去のせいにする。政治家だって例外じゃない。あんたが政治家になると決めているのなら、なるべく過去に理由を残さない方がいい。来週の月曜日にスパッと辞めたらどうか』と。

そしたら、安倍さんは『会社に迷惑がかからないならいいですけど』と言う。仕事のことをそんなに考えていてくれたのかと嬉しくなりました。
だから『この迷惑は“良い迷惑”や。同僚も課の連中もみんな喜んであんたがいなくなった後をサポートするよ。だから心おきなく、今晩お父ちゃんに秘書になると言うてこいや』って」

その言葉に安倍は、人目をはばからずポロポロ涙を流したという。その夜、父に「秘書官になる」と伝えた。
課長は「安倍落城」を上層部に報告し、机の引き出しにあった領収証を全部経理に回し送別会の費用をつくった。
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