東京裁判の結果に不服だと表意するために靖国神社の当時の宮司、松平永芳らが1978年頃に合祀。

A級戦犯合祀に関して

最高裁判所元長官で英霊にこたえる会初代会長・石田和外の強い勧めで、宮司に就任した。

松平は「東京裁判を否定しなければ、日本の精神復興は出来ないと思うから、いわゆるA級戦犯者の方々も祀るべきだ」と云う意見を、石田に言った。

それに対して石田は、「これは国際法その他から考えて、祀ってしかるべきものだ」と明言したが故に、命がけで神社を創建の趣旨に違わない本来の姿で守ろうと決意したと云う。松平が宮司になって考えたのは、何か決断を要する場合、祭神の意に沿うか沿わないか、遺族の心に適うか適わないか、それを第一にして行くとの方針の下に、次の三原則を定めた。
1.日本の伝統の神道による祭式で、御霊をお慰めする。
2.鳥居や神殿などの神社のたたずまいを、絶対に変えない。
3.明治天皇が命名した社名を変えない。
A級戦犯14柱の合祀についての松平の考えは、
「国際法的に認められない東京裁判で戦犯とされ処刑された方々を、国内法によって戦死者と同じ扱いをすると、政府が公文書で通達しているから、合祀するのに何の不都合もない。
むしろ祀らなければ、靖国神社は僭越にも祭神の人物評価を行って祀ったり祀らなかったりするのか、となる」であった。
故に靖国神社の記録では、戦犯とか法務死亡と云う言葉を一切使わないで、「昭和殉難者」とすべし、という「宮司通達」を出し、これを徹底させた。

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だから政治家がそれに乗ると東京裁判を否定する意思表示となり問題になる