
即位後、高殿から国を見渡した仁徳天皇は、民家のかまどに煙が立っていないのを見て、「これは民が貧しいからである。今、宮に3年分の備蓄があるから、今後3年は徴税を禁じる」と命じた。
そのため自身も衣服や履物は破れるまで使用し、屋根の茅が崩れても葺かなかった。3年後、再び高殿から見渡すと、人家の煙は盛んに上っていた。
そこで「我は富んだ。素晴らしきこと」と喜ぶと、皇后が「私たちはこんなに惨めな生活をしているのに、どうしてですか?」と聞き返した。
すると仁徳天皇は、「まつりごとの基本は民。民が富まねば天子である私も富んだことにはならぬ」と答えた。
民に力が戻るとようやく税を解禁し、課役を命じたが、民は大挙して都に集まり、自主的に御殿の造営や納税に励んだ。
この「民のかまど」の話は、仁徳天皇の仁政として知られ、「仁徳」の漢風諡(し)号もこれに由来する。
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