「シン・ウルトラマン」の人類がポカポカした理由 「エヴァ」フィルターで完全理解する“百合の波動”

ウルトラマン=綾波レイ説
「シン・ウルトラマン」で斎藤工演じるウルトラマンこと神永新二は、社交性がなく感情の表出に
乏しい存在として描かれている。人の姿形をしているが実は人ならざる存在であり、
だからこその孤独を深めていることも含め、綾波レイらしさが存分にあるキャラクターと言えるではないか。
 もちろんウルトラマンと同化する前の神永は人間の男性であり、キャラ名やシャツの着こなしから碇シンジに重ね合わせる方もいるだろう。
だがシンジは内向的であっても社交性がないわけではないし、ウルトラマンの種族も(ウルトラの母はいるが)ジェンダーをあまり感じさせない
存在であるので、やはりより近いのは綾波レイだと思うのだ。
 本作の批判的な意見に「ウルトラマンが人間および禍特対のメンバーを好きになる描写が不足している」ことがあるが、その“好き”を
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」における綾波レイの「碇君と一緒にいるとポカポカする。私も碇君にポカポカしてほしい」に近いものと考えれば納得がいく。

浅見=アスカ+ミサト説
 長澤まさみ演じる浅見弘子は、「エヴァ」で言うところのアスカに近い印象も持つ。声を荒げて命令する高飛車な印象はもちろん、
自身の意図に反してバディを組ませられる過程も似ている。
 実際の本編ではほとんどバディ関係を築けておらず、「瞬間、心、重ねて」的な訓練シーンもほぼなかったのは残念だが、
シンジ以上に心を開きにくい綾波レイとバディを組むとなれば、一本の映画で打ち解けるには時間が足りなかったのだと納得もできる。
はたまた、浅見には葛城ミサト的な「残念な美人」ぶりも見て取れる。彼女の「自分以外のぶんのコーヒーを入れないなんて気が利かない」という物言いや、
「同僚の尻を2度もパンッと叩く」セクハラ行動には批判も多いが、表向きは立派な大人だが「中身はオヤジ」な美人像は、
おそらく庵野の女性の好みがものすごく反映された結果ではないだろうか。

セクハラ描写が生まれた理由
 観客からの批判が集中した「斎藤工が長澤まさみの匂いを執拗に嗅ぐ」シーンも、「:破」「シン」でのマリがシンジの匂いを嗅ぐ場面を筆頭に、
「エヴァ」における隠喩的な要素をほうふつとさせる。
 過去にもウルトラシリーズにおいてウルトラマンへの憧れや恋愛に近い感情を抱く女性キャラクターはいたが、今回の「シン・ウルトラマン」では
それを少し超えた、エヴァのように性をほのめかすシーンをあえて入れ込もうとしたようにも思える。

 「エヴァ」新劇場版シリーズにおいても「女性キャラの胸がやたらと揺れる」様などはしばしば批判の対象となっていたが、
アニメーションである「エヴァ」に比べ、今回のような実写作品では生々しさが悪目立ちしすぎていると思う。「エヴァ」では性的なシーンも
思春期の少年の鬱積した心情とシンクロしていたのだが、対して「シン・ウルトラマン」では作劇上もほとんど必要のないものになっていたし、
どのような理由であれウルトラマンという作品でセクハラ、あるいはそれに類するシーンを入れてほしくなかったというのが正直なところだ。

「シェイプ・オブ・ウォーター」をやりたかった説
 今回の「シン・ウルトラマン」が、ギレルモ・デル・トロ監督作「シェイプ・オブ・ウォーター」のような内容を、ウルトラマンという題材で
やりたかったのではないか、という説もある。「シェイプ・オブ・ウォーター」は童話「人魚姫」の男女を入れ替えた
、映画「大アマゾンの半魚人」の二次創作のような内容で、異なる種族間の愛を、性的な関係も含めはっきり描いた作品だ。
 ただ、そちらは日本ではR15+指定されたことからも分かる通り、比較的大人向けの内容であり、観客が生理的な拒否反応を
覚えてしまうことも見越した上で、それでもなお人間と異なる存在への思いを描くことに主眼を置いた作品であった。

適当に端折ってるから詳しくはソースで
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2205/21/news025.html