「竜とそばかすの姫」レビュー 危険すぎるメッセージと脚本の致命的な欠陥(ITmedia ねとらぼ)

そしてあろうことか、日常的に虐待を受けている14歳の少年に“僕も立ち向かわなきゃいけないって思った。だから、闘うよ”と言わせて、彼らの物語の幕は閉じ、以後彼らがどのような道を歩んだのか、一切明示されない。

“僕も闘う”とは、少年少女のひと夏の異世界アドベンチャーには似合うセリフだが、ここに登場しているのは現実世界で明確に親から危害を受けている少年だ。彼と近しい状況にある人間は、確実にこの社会に存在する。
保護されるべき存在である少年に、このようなセリフを「肯定的なこと」として言わせ、夢物語でしかない解決を与え、その責任を取らないというのは、一線を超えている。被虐待児童に必要なのは、闘う意志ではない。

これらを総合すると、どうひいき目に見ても、ストーリーラインとして「虐待の解決に社会福祉は期待できない」「周りの人間は身近な者も含め、力になってくれない傍観者」という残酷な結論が導き出されてしまう。
ここまでは「助ける助ける助ける! うんざりなんだよ!!」と恵がいう通りだ。ではそれに対して、この物語はどのような決着を与えるのか?

絵空事である。これらのストーリー展開にはどこにも論理がない。偶然と超自然的な力により、非力なお姫様は手も下さずに魔物を倒してしまうのである。そこにあるのはご都合主義ですらない、ただの夢物語である。

彼女たちはそもそもの立ち位置・行動が矛盾しており、またそれを正当化するほどの性格の描き込みが行われているわけでもない。残念ながら、物語上「すずを駅まで運ぶ」以外の要素が与えられていないのである。

そして、実のところ彼女たちがいなくても、舞台を田舎にせず、すずが自転車等で武蔵小杉に向かう、というようなシナリオにすれば、成り立ってしまう展開だ。
そもそも急いで向かわなければならない、という状況で悠長にバスに乗る、という演出上奇妙な点も解決する。
地域住民たちもすずのための道具にすぎず、それにより脚本が不整合を起こすのであれば、そもそも舞台が田舎である必要はない。
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