文科省「国語の教科書に小説いらないぞ」出版社「は?芥川の小説載せるわ」 採用数トップに [469534301]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
https://news.infoseek.co.jp/article/mainichi_20211208k0000m040153000c/
文部科学省は8日、2022年度に全国の高校1年生が使う教科書の採択結果を公表した。実用的な国語力の養成を目的とする新科目「現代の国語」では、文科省の意向を酌んで、多くの教科書会社が小説の掲載を見送る中、芥川龍之介の「羅生門」など5点の小説を載せて物議を醸した「第一学習社」(広島市西区)の教科書が19万6493冊(シェア16・9%)と、採択数でトップとなった。
22年度の高1から実施される新学習指導要領では、国語の唯一の必修科目だった「国語総合」(4単位)が、「現代の国語」(2単位)と「言語文化」(2単位)に分けられる。近現代の文学作品を読む活動は、古文や漢文も扱う「言語文化」に集約。法律や契約書の読解といった実用的な国語力の養成を目的とする「現代の国語」では、原則として認められていない。
このため、第一学習社の教科書は、5点の小説は読むための素材ではなく「書く力を高めるための教材」と位置づけている。それでも人気を集めた今回の採択結果は、「現代の国語」でも小説を扱いたいという高校現場のニーズを示したものと言えそうだ。
現行の「国語総合」では、第一学習社は21年度、最も採択数が多い教科書でも8万7674冊(シェア7・2%)の2位だった。
文科省は「採択理由までは調査していないので、小説掲載の影響があったかどうかは分からない」としている。【大久保昂】
戸惑い隠せぬ競合他社
第一学習社が躍進した採択結果に、他の教科書会社は戸惑いを隠さない。
現場のニーズがあることを知りながら、多くの社が小説の掲載を見送ったのは、文科省が「『現代の国語』で小説を扱う余地はない」と説明してきたからだ。その意を酌んだために損をする格好となり、「文科省への信頼は失われた」といった厳しい声が上がる。
「現代の国語」の次回の教科書検定は2024年度。文科相の諮問機関「教科用図書検定調査審議会」の小委員会は8月、「今後は小説を扱うことについて、より一層厳正な審査を行う」との見解を示した。小説を載せた教科書を新たに検定に出しても、合格のハードルは上がったと言える。
一方、既に合格している第一学習社は、小説が載った教科書を約10年後の学習指導要領の改定まで発行できる。ライバル社の編集者は「第一学習社の独り勝ちが続く可能性があり、不公平としか言いようがない」と憤る。【大久保昂】 >>196
娯楽からでも人は学べるし、言葉という気分的な道具からなら尚更 現代語という概念が小説を介して作られてきた経緯があるのに
それを軽視するのはあかんやろ
むしろ評論文のほうが要らないの多すぎ
チラシの裏かよってくらいレベルが低い せめて国語の教科書に小説載せないと「東大生の好きな小説」が空欄になっちまうだろw >>196
詩と物語が国語、ひいては民族を形作ってきたんだぞ >>9
バカなのか?
新しい学習指導要領が適用されるのは来年からだぞ
だから共通テストがそれに対応するのは4年後だ 小学生の頃、国語の教科書の小説楽しすぎて4月に配られたらすぐ全部読んでた
そこから本好きになってたくさん読むようになった >>201
日本文化を作ってきたのは漢籍だろ
言文一致してからまだ100年ちょいしか経ってない歴史の浅い小説で何語ってんだか >>206
現代の人間が漢籍の哲学や美意識どれだけ理解出来るか
近代日本小説はもちろんそれ以前の意識(漢籍もある程度は含む)の影響はあるがそれだけてはない >>206
だから古文漢文もやって連続性を学ばせるんだろうが 小説興味なかったけど現国の教科書載ってた山月記とセメント樽の手紙で興味持って
色々小説を読むようになったわ >>137
言えるねw
言葉の切り捨ては現在進行形だしな
基本語彙が貧しいと思考も貧しくなるし
(´・∀・`) 国語の授業で小説読まないってやばいな
どんだけ反知性主義なんだよ 小説扱わないって・・・
国民総アスペにするつもりかよ 10年そこら前でさえピーナを筆頭になっかなかの“新日本人”像が見えていた
ホセやらグエンやらが爆増してるだろう今
明治ジャップの文語に曝す縛りプレイに意義あるんけと言われりゃ選択制はまあ必然 今の小説ではアカンのかいな
芥川とか時代遅れも甚だしいぞ 高校の教科書会社じゃなく大学側や受験問題に言及しないと >>149
これマジでゴミだよな
シェイクスピアからどれだけ修辞技法が学べるか >>206
現在の日本を形成しているのは1980年代からブームになった太平洋戦争中の連載小説
吉川英治の三国志だよ >>1
> 法律や契約書の読解といった実用的な国語力の養成を目的とする「現代の国語」
実用的なのかね?
小説を完全に排除してまでして必要なこと? >>137
百田尚樹が漢文廃止しろとか喚いていたよな
敵性語かよっての
短絡的過ぎる 評論にしたって論理が一見飛んで分かりづらくなるような箇所って
筆者の筆が乗ってちょっと修辞的になっちゃう部分が多いからな
文学的なものと論理国語的なものはそう簡単に切り分けられない この国語教科書の採択問題に関して共産党も文科省の方針に反対してたな
とくに産業界の要請で「実用的な国語力の養成」を重要な柱にした点を批判してた 現代小説の傑作も載せろよ
三人が横一列に並び、ケミンの合図で歌がはじまった。
「「「よっこらふぉっくす こんこんこん♪」」」
可愛らしく精いっぱい明るい声で三人が歌い始める。
両手を前に伸ばし腰を落として上下に激しくシェイクしながら右に左に体を揺らす。
「「「尻尾をふりふり こんこんこん♪」」」
次は元気よく回転して背中を向け、腰に手をあて、しっぽを振りながら腰を振る。
「「「耳の先だけ くっろいぞ♪」」」
しゃがんで狐耳に手を当て上目使い。
「「「尻尾の先は しっろいぞ♪」」」
体を半身にして尻尾を手でもちあげ先を見せつけてくる。
「「「よっこらふぉっくす こんこんこん♪」」」
サビらしく冒頭と同じ振りだ。
「「「もふもふふかふか こんこんこん♪」」」
背中を向けて尻尾と腰を振る。
「「「こーーーーん♪」」」
最後は全員でおもいっきり飛び跳ね、心底楽しそうに叫ぶようにして終了。
その、なんというか、すっごく可愛い。もう可愛すぎて理性が飛びそうだ。 しかし、文科省のこれ、本当頭悪いやつ作る為に改悪したんじゃねえのかって思えるような内容だな
嫌儲の書き散らしたようなレスすら長文だとか言って読めない信じられないような奴らがガチ増えてきてんのに
何を考えてんだと >>48
やはり羅生門とこれは鉄板だと思う
思春期男女で読むべき内容なのでどんな媒体でもよいから高校生は通った方が良い >>220
無駄のない文章に持っていこうとするともう使わんが候文に行き着くのにな
その候文なんて漢文の影響かなりあるだろ
普通に一二点レ点上中下点登場したりするし
百田がなんていったか実際見てないからこれ以上は言わんけどさ
嫌儲のレスみたいな話だな本当だとしたら >>214
芥川に変わるようなものが出てないんだろ
実際大人になってから読んでみても子供向けに書いた話でも普通に耐えられる内容
というか、猿蟹合戦とかまさに今の勘違いしちゃってる日本人向け >>137
>>220
ひろゆきは古文教育を否定していたな 契約書で行間を読んで判断したら大変なことになるよな
切り分けて教えるってのはわからなくもない >>224
現代短歌はケンモメン向けじゃないか
岡野大嗣はいいぞ
>グレゴール・ザムザは蟲になれたのに僕には同じ朝ばかり来る
>消しゴムも筆記用具であることを希望と呼んではおかしいですか
>This video has been deleted. そのようにメダカの絶えた水槽を見る
>道ばたで死を待ちながら本物の風に初めて会う扇風機
>ここじゃない何処かへ行けばここじゃない何処かがここになるだけだろう >>227
https://lite-ra.com/2017/04/post-3122.html
百田尚樹が中国憎しで「漢文の授業を廃止せよ」とバカ丸出し! 右派の大好きな教育勅語も明治憲法も漢文なんですけど… 実用的な国語とか言うのであれば
もっと常用漢字外の漢字を教えたほうがいいぞ
常用漢字じゃないからって世間は許しちゃくれない 法律の読解にはそれこそ「小切手ニ為シタル引受ノ記載ハ之ヲ為サザルモノト看做ス」とか
「補箋ニ之ヲ為スニ非ザレバ其ノ効力ヲ有セズ」みたいな芥川の時代に使われた文語体に慣れとく必要があるだろ
契約の知識で必須となる小切手法や手形法は未だに文語体だからな 漢文と古文っていう二つのゴミ分野
せめて漢文はなくせよ。 芥川とかいって自分を卑下しておいて
龍之介でイキりはじめるよくわからない作家名 人一人が頭で考えたことを多数があーでもないこーでもないと講釈することになんの意味があるだろう
芥川でもなんでも小説は個人で楽しむ娯楽に過ぎんよ >>232
有難う…別の意味でもうノーコメントだわこれ
口開いたらボロクソ書いても書きたりねえってことになる
大体、明治大正下手したら昭和初期くらいまでは序跋が漢文とか普通にあったわけで
それ考えると凄まじい劣化ぶりだよな
よくバカウヨが韓国が漢字使わなくなったことを馬鹿にしてるけど、
日本も100年ほど以前からの文章にアクセスできなくなっているって酷い有様なのにな >>238
思考力ってものがないと
書いてなかったから何しても良いんだとか言い出すんじゃねえか?
昨日辺りいくつかスレ立ってたけども 聖人が、国家と人倫のあるべき道を記した書物を、大説と言う
すなわち四書五経がこれである
それに対して、市井の人が、個人的な考え、生活について述べたものが小説である
小説とは、文字通り小さな説なのである
小説を読むことにより、人間的な向上を図ろうとするすることがいかにナンセンスであるか分かろう 教科書で印象に残ってるのはヘッセの蝶の話とツルゲーネフの猟人日記、水門の話
山月記には共感できず 三島が、小説で、「神速のスピードで」という表現を使っている
それは三島だから許されるのであって、これから文章を学ぼうとするものが、真似してはいけない
「夜の底が白くなった」もそう
小説の文体は、その作家の個性と不可分であるから、小説は、国語教育の材料に供するには不適格なのである 小説が読めなければ実用的な本も読めないよ
実用的な本も実は感情的に書かれてるからな
経済だろうが資格だろうが作者の感情がこもってる
学問も結局は哲学だからな プルーストは文学の最高峰だけど、普通の人は、あんな文章書いたら駄目だからな
教育は規格化であり、文学は規格の外側にある
文学を使って、規格化しようとする試み自体がナンセンスなわけだ >>243
>「夜の底が白くなった」
なんだそのヤン提督が載ってる小説に出てきそうな表現はw
他の人が真似して使ってもいいんじゃない?
規格化された文章を「教育だ」と押し付けるのではなく
小説評論いろんなものを読ませる中でそれぞれが自然と身に付けていくでしょ
授業で強制する必要なし
まずは本を読ませること
小手先の技術をあれやこれやいう前にこの土台を作っとかないと
ここの部分で国語教育は根本的に間違ってると言わざるを得ない >>247
ぜんぜん足りない
学校の時間の半分を費やしていい
今の授業は無駄だらけなんだからそっちの方が合理的 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています