日本が阿片をばらまいてアジアを阿片まみれにして軍人が大儲けしていたという事実。なんで学校で教えないんだろうね [647032164]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
そして遂に日本が阿片扱いの世界のトップクラスになったのです。
●モルヒネの生産量 昭和10年
世界で 約31トン
アメリカ 6.3トン
ドイツ 6.3トン
フランス 4.0トン
日本 3.1トン
●ヘロインの生産量 昭和10年
世界で 0.67トン
日本 0.25トン(世界で第1位)
これだけの量が日本国内で消費されるわけはなく、
大部分が国策として中国に密輸されたものと思われます。
https://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_a/4866/ そら日本のアヘン王の子孫が総理大臣とは説明出来んやろ🥺 これの仕返しで韓国とか北から覚せい剤撒かれてるんだよな 南京やマニラでのレイプもそうだけど、おそらくは世界一あくどいことしてる
滅ぶべき民族って心底思う
もう滅ぶの確定だけどね 佐野眞一「阿片王」を昔買ったきりで積読になっちまった これを機に読んでみるか 関東軍の阿片は黒歴史すぎて未来永劫教科書に載ることはないだろうな 自虐史観でもなんでもないわな
マジで糞だったんだから
何がアジア解放だよ 阿片商人の子孫が首長やってたなんて事実おしえられないですし 今の上級国民の祖父あたりが関わってるからな
絶対でない 市川市に里見甫の墓あるから見に行ったな
安倍の爺さんが揮毫したんだよなあれ 中国人が買うのが悪いんだろ
中国人が売らなければそんなの作らないよ 「歴史の教科書などというものは、世界中いつでもどこでも、時の政府に都合のいい宣伝文句に過ぎない」 マルセル・パニョル チー牛で民間人大量虐殺した独裁者で
ヤクの売人の子孫を崇めるわー人って…🥺 アヘンを取り扱ってた会社と同じ名前の会社が日本にまだあるから 満州アヘンスクワッド期待してたのに実名も史実も出てこない中途半端なダークヒーローもの少年漫画で残念 はえ〜またひとつ嫌儲で賢くなった…
さっきこんなスレも立っててさ…
統合失調症、平均寿命が短い事が判明!もうオワコンだろこの病気 [985284829]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1639450827/
のソースで
>統合失調症と薬物アルコール依存は関係があり、薬物が発症や再発のきっかけになることはよく経験される事実です。
とあるんだけど、ジャッピて糖質多めなのかなあ…(´・ω・`)きっっっつ >>47
英米からしっかり学んで(周回遅れにせよ)帝国主義に走ったのはそこまで間違いでもないです
東ユーラシアは未開市場だから浸出するのも正しいし、大義名分もウソではないです アヘン売ってた末裔が、まだのうのうと息してるからだろ そもそも最初に中国にアヘンをばらまいたのは日本ではないしw 日本は台湾方式の漸減政策でアヘンを専売制にしただけであるねw
SF作家星新一の親父が、台湾のアヘン政策にかかわって裁判になってたよねw 今では中国がフェンタニルの原料を世界にばら撒いてる でも気持ちよくなったのは自分だよね?気持ちよくなったなら対価は払わなきゃね 本物の世界規模の上級様から世襲ジャップは軽蔑されて冷遇されてる説 岸信介、里見甫、児玉誉士夫、昭和通商、
これら満州阿片利権の中枢人物を知ることこそ
戦後日本の腐敗、謀略を知ることに他ならない、
嫌儲の基礎教養だぞ よく阿片戦争を例に挙げてブリカスブリカス言ってる人いるけどこの点に関しては日本人何も言えんやろ シナチクではアヘン戦争以来、アヘンが蔓延して、取締のための国際会議も何度も開かれたが、さっぱり実効性がなくて
日本は台湾方式でアヘンを減らす政策に取り組んだわけであるねw
国民党の蒋介石も阿片取締を看板にしていたが、実は阿片を密造して、膨大な資金を得ていたわけであるねw >>73
てか中国近代史って半分くらいはアヘン利権の話やからね ジャップが発明したメタアンフェタミンでヒトラーが頭狂って大虐殺と大侵略を始めたんだよね
つまり全ての悪の根源はジャップにあったと言う話 >>60
里見甫、満鉄、満映は十分に描写してるから及第点だろ、
満州国の州、主要都市それぞれも解説出来る作品は
普通に応援したいわ
岸信介の扱い間違えると池田勇人漫画の二の舞に
なりかねんから出さないのはしゃーないのかもな、
同じ講談社だし 包み隠さず全て教えてしまうと
今の日本の潔癖すぎる薬物対策が
いかにおかしいのかって事に
気が付いてしまうからだろ 毛沢東になってから、シナチクの阿片は綺麗サッパリ駆除されたそうで、あれは中共がした良いことのひとつに数えることができそうであるねw 満州の歳費の5%程度は確実で
後は関東軍の軍事費、関係者のポッケに消えてた説も多くてな
ttp://blog-imgs-60.fc2.com/k/i/m/kimuramasahiko/107.jpg
ttp://blog-imgs-60.fc2.com/k/i/m/kimuramasahiko/108.jpg
ttp://blog-imgs-60.fc2.com/k/i/m/kimuramasahiko/109.jpg
ttp://blog-imgs-60.fc2.com/k/i/m/kimuramasahiko/110.jpg
ttp://blog-imgs-60.fc2.com/k/i/m/kimuramasahiko/111.jpg
ttp://blog-imgs-60.fc2.com/k/i/m/kimuramasahiko/112.jpg
ttp://blog-imgs-60.fc2.com/k/i/m/kimuramasahiko/113.jpg
ttp://blog-imgs-60.fc2.com/k/i/m/kimuramasahiko/114.jpg >>33
今も飲みニケーションとか言って受け継がれてるな 何がアジアの解放なんだか。
本物のゴミクズ民族よなジャップ そもそも蒋介石が南京陥落して重慶におちのびたのも、シナチクの奥地がアヘン栽培において重要な根拠地であったからというよねw 嫌儲の基礎教養
544 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 12e8-YDOr)[sage] 2021/11/09(火) 02:35:00.80 ID:ovWkH66L0
>>527
まず新国家満洲国に乗り込んで牛耳ったのが
東条英機、星野直樹、松岡洋右、鮎川義介、岸信介の
いわゆるニキサンスケな、後ろ3人は長州人でしかも縁戚でもある
新国家の財源、軍費を補うのに関東軍は
フィクサー里見甫を使いアヘン売買をやらせんだけど
岸信介、児玉誉士夫、笹川良一らは戦後そういった
資金を私物化して己の影響力下に置いてる、
ついでにCIAからも資金援助受けた岸信介は
戦後議員全部貧しい中で莫大な影響力を奮った、
怪死事件や不審な金の流れがあればほぼ
占領軍以外ならこいつが本星ってのが戦後初期
これが前提で安倍はこいつの利権や人脈を
そっくり使えるんで異常な金回りや政権下での
政治家官僚の不審死って形で出てる
ここら辺が嫌儲の基礎教養 完全に大陸利権を食い物にしてた
アジアの開放などとは程遠い中国人は奴隷のような状況だった 岸信介はこれで
カチンの森事件でスターリンに恨みのあるソ連人を雇って
サボタージュさせたからなその後のソ連を。 いまも国内にステマをばら撒いてるし、アメ公の価値観を「誤った形」で流布してます 満州アヘン人脈・売国のルーツ1/5【里見甫・電通・岸信介・自民党】
ttps://youtu.be/KNCChsXigtE
アヘン密売を任務とする昭和通商の設立には
三井、三菱、大倉財閥も出資してるからな まーシナチク共産党がアヘンを速やかに根絶できたのも、日本によるアジア解放がその要因で、だから毛沢東は日本に感謝したのかもしれないねw しかもカチンの森事件そのものは、演出:岸信介、のおまけつき。 岸信介がアヘンを大量に売買していたというのは本当なのですか! >>90
アジアの開放=欧米勢力の駆逐
ついでにジャップはアジアの盟主になろうとしたわけだが
ズダボロに負けたので全部手を引いた
後に残ったアジア諸国は欧米勢力も弱まりジャップの支配力も無くなったので順次独立していった
ジャップが狂乱したことでアジア圏の独立が加速したのは事実
ただもちろんそれはジャップの意図したものではないしましてや善意などではなかったがな アホコテがずっと喚いてるけど
ヘアプアとかと違ってこいつはNGに放り込んどけばネトウヨ仕草見なくて済むから楽でいいわ >>102
とにかく、薩摩長州の、他民族蔑視は酷い。 >>103
どこの東北だ?日本の東北?中国東北部? >>106
日本の東北。日本の東北はよ、クスリ好きじゃねえんだ。 Breaking Badの主題になってるメスは日本が原産って知って誇らしいわ >>113
終わり終わりってちっとも終わらねえな嫌儲。 >>115
そいつはいちおう、よい嗅覚をしている。 >>32
台湾は化外の地でアヘンが蔓延してたから総督府は専売制にして流通をコントロールしてたが、もともとアヘンがない朝鮮には認可してないぞ
デマ吐きは恥ずかしいぞ 満州アヘンスクワッドって、ヤンマガの漫画が満洲と阿片をテーマにしてるそうであるねw
雁屋哲の男組にも、満州アヘンの話がでてきたよねw >>1
>>39
思われます
おそらく
いつになったら現実を見るの? >>93
これプラスCIAから供与されたM資金だな、
そもそも開戦時商工大臣務めてたとはいえ
基本官僚あがりの岸信介が戦後巣鴨プリズンから
釈放されてすぐ議員になり石橋湛山との総裁選を
戦えるんじゃ相当莫大な原資がないとやれないわな、
石橋湛山に敗れるのが最高にざまあな展開だが
その政権の短命も岸信介が怨念込みで足引っ張ったとこあるだろよ >>117
ならベーシックはカソリックになったな。 明治からずっと薩長閥のゴミども主導で悪事の限りを尽くしてきたからなジャップランドは
日本のナチスとも言うべき存在なンだわ >>109
日本は幕末以来、薬の取り締まりはかなりマシだったほうだが、日本以外のアジアはアヘンが蔓延してたからねえw >>121
石橋湛山の潰し方は、過密スケジュールに突っ込ませたことだったな。 競艇が未だに笹川一族の私物ギャンブルなのは本当に闇が深い
戦後80年経っても未だに戦中の怨念に縛られてるのがジャップ社会なんだよな >>129
笹川の息子のほうが先日テレビ出てたな。 電通と笹川がいなくなったらこの国はまともになってただろうな >>117
今でも安倍だろ、麻生は所詮財閥出のボンボンであって
金は多少あっても政治資金でキャバクラ通いする程度には
みみっちい、自派閥の議員数だってたかが知れてる、
自民党政治において派閥の領袖の資金力=政治力は常識よ
少なくとも政権中に自殺に見せかけた死が大量に出るなんて
麻生政権ではない、安倍にだけ異常に多い、
アメとムチを備えてる安倍以上に闇将軍できる奴はいない ミャンマー樹立に笹川財団が深く関与してるようだな。 悪人の子孫が善人の振りをして国の舵を取ってるのが今の日本の真実 >>132
タラレバがデカすぎてわからないです
っていうぐらい既得権益で犯罪まみれだわなw >>133
いや安倍の知能じゃ無理だわ
あいつは軽い神輿として担がれてるだけだ >>125
1931年7月13日麻薬製造および分配取り締まりに関する条約ができたのに
せっせと阿片を輸出してた国があるってほんと? 少なくとも日本で芽が出ない膿のような連中が
満州国で一旗上げて軍人華族が大量没落した後の
敗戦後日本を牛耳っていくのは敗戦以上に屈辱的な面あるわな >>140
だから怪しげな自殺事件ある前後に首相動静で
中村や今井と面談してるからそこでアレコレあるんだろよ
以前の類似スレで嫌儲民が出してくれた貴重な資料群
721 名無しんぼ@お腹いっぱい sage 2018/10/08(月) 21:49:56.48 ID:0eaJGKxm0
>>712
森久男『関東軍の内蒙古工作と蒙疆政権の成立』
大江志乃夫『岩波講座 近代日本と植民地』
馬場明『日中関係と外政機構研究-大正・昭和期-』
勅令集『興亜院官制』『興亜院連絡部官制』
江口圭一『日中アヘン戦争』『証言・日中アヘン戦争』
みすず書房『続・現代史資料(12)阿片問題』
倉橋正直『阿片から見た日中関係』
今、俺の家に転がってるのはこの辺りしかない
といってもほとんど1990年代以前に書かれた絶版もので多分、大きな図書館にでも行かないとないだろうな
詳しく調べたければ全国の大学学術論文検索で「興亜院」とか「昭和通商」とかで検索かければいくらでもこの種の研究論文がいくらでも出てくるので、そこで引用・参考された文献にあたってくれ
あと、国立図書館にとかに戦前に発行されていた『蒙疆新聞』で問い合わせれば、年間何トンの阿片を製造し、税収としてどれだけ収納したとか生々しい資料に当たることもできるぞ 終戦後、備蓄されてた軍需物資は綺麗さっぱり無くなってたらしいからな
どこにナイナイしたんだか 同じヤクザが、紙くずになった軍票や満州の土地の権利書を、
まだ敗戦を知らないブラジル移民に売りつけていたとか、外道の極み。 当然こっちも解説要
★★ 電通とは? ★★
電通は明治の終わり頃に設立されたニュース配信兼広告代理店「日本電報通信社」。
その後、満州事変が始まると、国策による合併を経て、満洲国通信社となり、
初代主幹兼主筆に里見甫氏が就任しました。
里見氏と言えば、里見機関を軸に三井物産や三菱商事と共同で中国で阿片を密売し、
関東軍の戦費を調達したり、日本の傀儡政権である汪兆銘(汪精衛)政権に
資金をばら撒いたりしていました。
つまり、里見機関とは日本の諜報機関で満洲国通信社(電通)はその下部組織でした。
任務は情報収集と情報統制です。
その後、日本はアメリカに敗戦し、諜報機関である満洲国通信社は解体され
元の電通に戻ります。この時、里見氏は釈放され終身刑になる代わりに
岸信介・笹川良一・児玉誉士夫・正力松太郎と共にCIAエージェントに
加入させられます。
そして、里見氏が支配していた電通という諜報機関も、そっくりそのまま
アメリカのエージェントになり現在でも日本国民をコントロールしております。
さらに、日本に2つしかない通信会社、時事通信と共同通信は電通の関連会社です。
ttp://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/rebel00/20120131/20120131221516.gif
※平井は電通出身 >>141
1931年の条約なんてのは、1912年の万国阿片条約の補足にすぎないわけであるねw
万国阿片条約
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%9B%BD%E9%98%BF%E7%89%87%E6%9D%A1%E7%B4%84
日本は国際的な阿片会議でも台湾の漸減政策について紹介してるし、中国本土に阿片輸出するときも
国際条約に背馳しないように注意してやってたわけであるねw あのさぁ!
日本のアヘンはいいアヘンなんだからそういうのやめようよ! >>152
ソースが漫画て…w
きっちり委員会使って広言してる内容でドヤ顔してる抜け作おる?笑
https://i.imgur.com/zFKpSVP.jpg 俺の名は「アヘン三世」。かのA級戦犯岸信介の孫だ。日本中の野党が、俺に血眼。
とっころが、これが捕まらないんだなぁ。ま、自分で言うのもなんだけど、狙った予算は必ず手にする神出鬼没の大泥棒。
それが、この俺、「アヘン三世」だ。
「菅義偉」、俺の相棒。早撃ち0.3秒のプロフェッショナル。絶対に当たらない。そのうえ、義理堅く、頼りになる男。
4代目「小泉進次郎」。いにしえの大泥棒、小泉純一郎の末裔。演説の達人。すぐに世論を真っ二つにしちまう、しゃべらせるとと怖ぁ〜い男。
謎の女、「安倍昭恵」。私人か、公人か、この俺にも分からない謎の女。いつもひどい目にあうが、憎めないんだなぁ。俺はカワイコちゃんに弱いからねぇ。
ご存じ、志位和夫。共産党の敏腕党首。俺を捕まえるのを生き甲斐とする、俺の最も苦手な「とっつあん」だ。
さて、さて、これら一癖も二癖もある連中に囲まれて、どんな事件を巻き起こしてやろうかな。 >>149
作家の西村京太郎も陸軍幼年学校の最後の生徒として
8/15を迎えてこの軍需物資横領を『15歳の戦争』に
書き残してる、それも玉音放送の直後に何台も
トラック使って運び出してるからな
『15歳の戦争』は山田風太郎の『戦中派不戦日記』同様に
8/15前後の有様を書いてるから暇なとき読んでくれ
ttps://i.imgur.com/C7or3H9.jpg
ttps://i.imgur.com/B5IyFA3.jpg
ttps://i.imgur.com/s18aNdm.jpg
ttps://i.imgur.com/uAI9rwW.jpg
ttps://i.imgur.com/CDXS83s.jpg
ttps://i.imgur.com/mICeYtc.jpg https://i.imgur.com/odXJ6jz.jpg
そもそも松岡洋右含めて「コケイン」がトレンドなのに全く見当違いなのがエタ非人ぽいわ〜 しょーもな
隠退蔵物資事件とか裁判になっとるのに今更何言ってんのと
エタ非人以下の知障ガイジ死んどけよ 第一阿片会議および第二阿片会議においては
・ アヘンの輸入や販売を政府の独占事業とすること。
・ アヘン及びコカ葉の生産、輸出、販売等の取り締まりに法規を設けること。
・ 麻薬の製造、販売、輸出入等に許可制度を設けること。
などが定められたわけで、日本の大陸における阿片取引も基本は阿片会議条約の枠内であったといえようw 大陸に侵略して阿片利権で金儲け
イギリス帝国と変わらんからな >>166
枠内だから何?
お前の倫理観はもはや人間ではない >>166
やっぱ国ぐるみの行為か
大日本帝国はほんと邪悪国家だったんだな
滅ぼしてくれてありがとうアメリカ様 >>169
条約の枠内で事業やってるならば、基本的に合法かつ正当。 当たり前の話ではないかw いやー江戸期のエタ非人の方がよほどマシだよなぁ
自虐史観ですらない漫画・TVソースのアホ史観振りかざしてるアホはほんと酷いわ 笑 日本の阿片についての歴史については、雁屋哲の男組の影響大きいよねw
ケンモメンなんかだいたい漫画で日本の阿片について学んだのがほとんどだろうw >>170
日本軍の華僑粛清なんて阿片を独占する為の虐殺と言える >>173
私がいくらソース貼っても漢字読めないエタ非人以下のボンクラしかいねえからどうしようもない
ほんとコンドーム破れたせいで生まれてきたエタ非人以下のノータリンには死んでほしいわ
左翼の方がまだちっと論理的というね 満州アヘンスクワッドもヤンマガに昇格して
早くもヤンマガの柱になりつつあるのは嬉しい 阿片は基本専売事業だから、これは大日本帝国の決定により行われた事業
なお星一が台湾の阿片を事業化しようとすると本国の内務省にクッソ邪魔にされる話が「人民は弱し官吏は強し」に出て来る >>176
ま〜日本によるアジア解放も理解できない低脳ぞろいではあるが、彼らにも寛容に接していかねばならないであろうねw 満州アヘンスクワッド、序盤面白くなりそうな空気があったのに
なんかダラダラしててそうでも無くなってきたな 国際連盟アヘン諮問委員会ラッセル・パシャ「世界における非合法白色麻薬の9割が日本製」
北朝鮮なんて話にもならないレベルのならず者国家だわ
アジア人をヤク漬けにしてアジア解放(笑)
肉体から精神を解放させてどうするつもりなんだ?w >>177
お、エタ非人がまたレスしてる 笑
あの漫画は絵柄は好きだけどなぁ〜
隠退蔵物資事件なんて知った上で金がないわけではないって言う根本的はロジックがわかってりゃクソみたいな結論は導き出されんのだわ >これだけの量が日本国内で消費されるわけはなく
遊郭とかすごいことなってたろ >>178
星新一のショートショートには10代からよくお世話になったなあ いま、フィリピンのドテルテが麻薬の売人は一般市民が勝手に殺して良いと決めて
麻薬の売人を裁判抜きで殺しまくって、欧米から非難あびたりしてるが、麻薬退治というのは
あれくらいドラスティックな荒療治が必要であるかもしらんねw 中国はないわ
中国はヘロインとかそういう精製されたものではなく
阿片そのまま喫煙するから 日本の阿片政策も、ドテルテの阿片政策にくらべれば、穏健そのものであるねw >>191
英国がやった事を日本もやっただけだろ
むしろ当時は英国の後追いをしないと思う方がどうかしてる ジャップはアジア中で虐殺しまくってたからな阿片漬けにすることなんか罪悪感ないだろ ネトウヨって汚言症なんだろうな
いちいち差別用語を使わないと喋れないのか? そりゃイギリスの真似をすることが鎖国から世界に追いつく事と同義だったからな
結局はイギリスとアメリカにいじめられて発狂したけど 星新一の「人民は弱し、官吏は強し」では、星の親父を弁護した弁護士が
当時の極東の阿片情勢について弁護のために必要ということで論じていたねw >>191
植民地経営の一環でむしろ奨励されてたのが阿片事業
モルヒネも作れるしね いまの日本人の大半が「日本はかわいそうな戦争被害者」と思ってるぞ >>194
「当時は」ってイギリスが100年前にやった悪行を日本は真似たんだが
今の中国が日本に100年前やられたことやり返されても文句言うなよw >>200
しかも反日勢力に弾圧されてる可哀想な国ってマジで思ってる 真阿片吸った時の顔がおもしろい
ストーリーはちょっとぐだってきたし憲兵がうざすぎる >>200
ジャップでもそこまでバカなわけないと思いたい
あきらかにあからさまに帝国主義の侵略戦争ですやん 日本によるアジア解放を理解できない無知無能に真理を啓蒙していくのも大変であるねw
なにか報酬がないとやってられないよねw >>187
気に入らないやつは麻薬売人認定してなんでもできるじゃん
このネトウヨコテいつもズレた事言ってんな 里見甫が関わった日本陸軍の闇商売というのもあってなかなか面白い
闇ガネ作りたがるのは日本の官庁の宿痾かな? >>207
しかしま〜フィリピンではドテルテ圧倒的な支持率で、麻薬の売人を即殺害政策も
フィリピン国民の支持を得ていたわけであるねw 麻薬取引現場を抑えられたら、一度目は警告するわけだが、二回目は即処刑でオッケーなわけであるねフィリピンではw >>154
>1931年7月13日には、麻薬製造および分配取り締まりに関する条約によって、麻薬の製造を学術や医療のための正当な需要に制限することを国際協定とし、先の条約を補足した[2]。
これを破ってたのが日本なんだよね
https://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/bulletin/bulletin_1953-01-01_2_page004.html
第二次世界大戦前から戦時中にかけて、日本の占領軍が領土内でのヘロインの製造と取引を保護していたことはよく知られていた。
戦後、連合国側が大規模なヘロイン工場を発見したことで、この事実が確認された。
アメリカの麻薬取締官の報告によると、当時の軍国主義日本政府が運営していた韓国ソウルのある工場では、
1938年に1244キロ、1939年には1327キロのヘロインが製造されていた。
日本が満州を占領していたこの2年間に、このヘロインは2,400キロが満州国専売局に委託された。
1938年以前の満州を含む中国の通常の年間ヘロイン必要量は15キロであった。
1938年と1939年の世界の医療用ヘロインの総需要は、それぞれの年で1200キロを超えることはなかった。
従って、この1つのヘロイン工場の生産量だけで、世界のヘロインの総医療需要量を超えていたのである。
(中略)
1925年と1931年の条約の効果は、以下に示す生産量の数字と12ページのグラフから見ることができる。
この数字は、認知されたヘロインの生産量が1930年の約4000キログラムから1934年には約1100キログラム、
1935年には約600キログラムに減少したことを示している。常設の中央アヘン委員会は、薬物の国際的な統制の進捗状況を次のように評価している。
「製造された医薬品の場合、国際的な管理が世界的な範囲で行われたと言える期間は比較的短く、1931年から1936年の6年間である。
この事実は、問題自体に関連した出来事により、いくつかの国が理事会に必要な統計を提供しなくなったことによるものである。
それにもかかわらず、理事会は、完全な統計が得られた短い期間にもかかわらず、製造された医薬品の管理に関する2つの条約の主な目的、
すなわち、入手可能な供給の完全な説明(1925年のジュネーブ条約)および医療および科学上の必要性に応じた製造の制限(1931年の制限条約)が、
大部分および1つの例外を除いて達成されたと述べることが正当であると感じている」
その例外とは、先に述べた日本と韓国でのヘロインの違法製造である。1934年から1937年にかけて、世界の供給量の94%が占められていたと推定されている。 >>73
アヘン密売なら同じレベルで語れるけど、ブリカスは逆ギレして不平等条約結ばせてるからな >>201
お前は文脈を読み違えている
「英国がやった事を日本はやってない」という事に対して否定の意味で
当時の後進国日本が英国の真似をしない訳がないと言ってるだけで
「それが正当な行為」などと一言も言ってない
レイプ被害者が徒党を組んだレイプ犯に「当時はそう言うレイプが流行ってた」と言われて納得する訳ないだろ
被害者側はぶっ殺したいと思うのは当たり前 日本人は元来草食であり
日本人はそんなことしないのであります >>214
いくつかの国が統計を出していないと書いてあるが、そのような不完全な統計にも関わらず
ある期間において日本がほとんどヘロインを製造していたと断定することは、さらなる疑問を呼び起こすねw 学校で教えても良いとは思うがあまりマイナスなことを成熟していない子供のうちに教えてしまうとここでジャップジャップ連呼してる頭おかしい人間が出来上がって日本にとってあまりよくないんじゃないか?
学校じゃなくて別の機会を設けて知ってもらったほうが良いとおもうがね
子供のうちは過去ではなく未来に思考ベクトルを向けて貰ったほうが日本のためだよ 「満州」ってワードは何個か書き込みあるけど
「伊藤博文」ってワードはないのなw 伊藤博文はあまり阿片とは関係ないねw
阿片と関係ある政治家といえば、後藤新平なんかであるねw ネトウヨ「アヘン戦争で香港を取ったのは日本じゃないだろ」 >>178
あれは政敵の平沼騏一郎と某製薬会社あたりが絵描いてハメられてるね… >>224
水沢伊達家で後藤って
後藤寿庵となんか関係があるのかね? それだけの生産があるのに国内に殆どないとかありえないのでは? >>227
「戦争と日本阿片史」によると後藤と政敵だった加藤高明、そして加藤と結びついた第一製薬・三共製薬が絵図を書いたとしてますわ
著者は二反長音蔵の次男です 日本がなんて曖昧に言ってるからだろ
阿片まみれにさせた人がいるならその個人名というか著名人とか政治屋ならば、あるいはその子孫の政治屋の名前も出ないと
実感ないんよ
日本がばらまいたとかじゃ何も伝わらんし実感がない >>237
岸信介が関与していたのは事実だが岸信介に責任を全フリしている奴ら←
このスレにも岸ガーが大勢いるだろ
岸はこの件に関して隠しているわけでもないのに取り上げる奴が少ないのは
中国の要人が必ず出てくるから
稼げる物を中国人が手を出さないわけがないのと関われるのはそれなりに上の層にいる人間だけ 男組って漫画に出てくる影の総理の話やん
あれって元ネタがあったんだな なんか岸って書かれるのが嫌そうな奴がいるから岸と書いとくわw >>238
総理大臣になる奴が関わってたから取り上げられるんだろ
現地の反社がやっててもああそうってだけだし >>234
レスもらったんでお礼に
知ってるかもしれんが意外なことに星製薬は存続していてトイレのボール作ってたりする 昭和の妖怪・岸信介は 「アヘン密売」 で絶大な権力を得た!? 今さら聞けない「満州国の裏面史」
岸信介の孫が安倍晋三元首相である。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49263
安倍首相が心酔するおじいちゃん・岸信介の戦争犯罪! アヘン取引でブラックマネーを集め戦争を遂行
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_1396/ そしてそうやって他国を毒したクズの末裔が
今度はアメリカに媚びて日本を、ソトで
おもちゃにしてた満州国の代用品として
今は内側をおもちゃにしてるわけだからな
これが国家を擬態したゴミ島の実態だが
これを注意深く認識させないのが
奴隷管理所の所長の腕の見せ所なんだろ アヘ顔は阿片顔の意味なのにメリケンが使ってて草
人権意識ないやろw >>243
当時は反社程度が上部で関われる物ではない 青帮の頭目は民国政府にもすげー顔効いてたよ
上海のボスね >>249
なろう主人公とでも思ってんじゃねえの?
十倍の軍相手に速攻勝利、日本史上最高の軍事の天才、
太平洋戦争では不遇扱いのため日本敗戦
俺の言うこと聞かないから、的なとこ含め
なろう中毒者向けだわ 日本が広めたのはヒロポンことメタンフェタミンな
モルヒネは普通に鎮痛用では
ヘロインは当時何故かモルヒネ中毒の治療に有効とされていた >>42
日本政府にとっては黒歴史扱いにしたい代物であっても、
諸外国は日本に阿って黒歴史扱いする必要は無いだろ。
韓国辺りは日本の悪行を世界に認知させたいのならそこら辺を突っ突けばええのに、
それをしないって事は、やはり日韓のいがみ合いはプロレスで、
実際は国情院が日本と裏で手を握ってたりするんだろうか? >>255
日本が広めたのはメタンフェタミンだけと思ってる?
アジアの総合薬局が単品勝負なわけねーだろアホか アンフェミタミンは戦後もアメリカ空軍が使っていたが今はモダフィニルだね >>1
あへん戦争はその前だが
これがコリアン時空か >>255
今でも北朝鮮が現役稼働させてるのは
旧日本軍の覚醒剤製造工場発
戦時中のヒロポン広告
ttps://i.imgur.com/Wir2nEa.jpg
ぶっちゃけこればっかりはWW2期時代の価値観では
断罪しきれん、日本のみならず連合国、枢軸国とも
どこも使ってるし、アメリカは未だに航空兵に
スピードと称して処方してるし国務省も認めてる
アヘンは紀元前には発見されその中毒性も依存性も
認識されつつ近代までは酒タバコ感覚で嗜好され、
アヘン戦争以後は完全に国家を蝕む害悪として
認識されつつも満州国の財源に量産した点が重罪 ヒロポンは戦争中に兵の恐怖心を抑えるために(当時はまだ)合法的に使用されてたのに対して
関東軍のアヘン(ヘロイン)は純粋に資金目的で当時ですら非合法的に密造してた話だから全然違うよ >>255
あとヘロインはモルヒネからの合成物で
数倍の効果あるだけ、キングオブドラッグだから
アヘン派生の麻薬の話はこっちでも見てくれ
ttps://youtu.be/ukQAWwcTmE0
嫌儲は当然だが薬物乱用に反対だぞ、
俺らが夢中になっていいのは安倍とネトウヨを叩くことのみ >>260
アヘン戦争の時代には既に世界的に害悪が知られていて非合法になっていたものを
それから100年も経った時代に関東軍は資金源として密造してたって話なんだけど
普通の日本人さんは普通の日本語が通じないので普通の日本人さん語で説明されないと読めないの? ヒロポンは当時の感覚ではコーヒーやモンスターエナジー
がぶ飲みする奴らとあんまり変わらん、
これだって何百年か後にはカフェイン中毒の野蛮な
21世紀人類として後代に断罪されるかも知れん 満州で荒稼ぎしてたんだよな
岸信介はアヘンで財産を築いたと言われている 文字どおり日本がばらまいたんやと言われると
国策で末端までの日本人が総動員で鋭意ばらまいていたと思われてるのが納得いかないんだよな >>269
そこは言葉の綾だなー
2020東京オリンピックを日本人は一丸となり
喜んで推進した、と言われると同時代に生きてる俺らには
違和感しかないし下手するとオリンピックが
開催されたことを知らない人もいるかも知れない、
だが歴史には現場に近い人間を日本人代表みたいにして
残されちゃう
政府官僚や関東軍が関わってたなら日本人の
仕業と言われても仕方のないことだが
そもそもこれらは国会審議を経て
決定されたことでもないしな、真珠湾攻撃もだが >>269
>国策で末端までの日本人が総動員で鋭意ばらまいていたと思われてるのが納得いかない
日本人が総動員でアヘンをばらまいてたわけねーだろ
何でも極端に考えるなよ
ゼロじゃなければ100なのかよ
ただしアヘン密売は満州国(=関東軍)の国策だったことは事実 >>62
いや鬼畜米英とか亜細亜解放言っておいて
これはないから 普段のケンモメン
「思われる?証拠ないのに何言ってんだ?」
これが日本叩きになれば全て吹っ飛ぶ >>277
その以前は脱亜入欧!って言ってたからキチガイジャップは 中国人を阿片づけでボロボロにしておきながら
侵略戦争じゃない!アジアを解放した!正義の戦争!
ジャップはサイコパス
https://ja.wikipedia.org/wiki/里見甫
里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 - 1965年3月21日)は、ジャーナリスト、実業家。三井物産のもとで関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた。
1928年8月、南満州鉄道(以下「満鉄」)南京事務所の嘱託となり南京に移る [1]。 ここで、国民政府に対し満鉄の機関車売り込みに成功するなど華々しい業績をあげている。
1931年9月に満州事変が勃発すると、翌10月に関東軍で対満政策を担当する司令部第4課の嘱託辞令を受けて奉天に移り、奉天特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で、甘粕正彦と共に諜報・宣伝・宣撫活動を担当する。これらの活動を通じ、中国の地下組織との人脈が形成された。
また、司令部第4課課長松井太久郎の指示により、満州におけるナショナル・ニュース・エージェンシー(国家代表通信社)設立工作に務め、陸軍省軍務局課長鈴木貞一の協力のもと、新聞聯合社(以下「聯合」)の創設者岩永裕吉や総支配人古野伊之助、電通の創業者光永星郎との交渉を行い、1932年12月、満州における聯合と電通の通信網を統合した国策会社である満州国通信社(以下「国通」)が設立され、初代主幹(事実上の社長)兼主筆に就任する [2]。
1933年5月には、聯合上海支局長であった松本重治に、ロイター通信社極東支配人であり、後に同社総支配人(社長)となるクリストファー・チャンセラー(Christopher Chancellor)との交渉の斡旋を依頼して、交渉の末ロイターとの通信提携契約を結び、国通の名を国際的に印象付けている。1935年10月国通を退社し、同年12月、関東軍の意向により、天津の華字紙「庸報」の社長に就任する。1936年9月、5年住んだ満洲を去る。
1937年11月、上海に移り、参謀本部第8課(謀略課)課長影佐禎昭に、中国の地下組織や関東軍との太い人脈と、抜群の中国語力を見込まれ、陸軍特務部の楠本実隆大佐を通じて特務資金調達のための阿片売買を依頼される。1938年3月、阿片売買のために三井物産および興亜院主導で設置された宏済善堂[3]の副董事長(事実上の社長)に就任する。
ここで、三井物産・三菱商事・大倉商事が共同出資して設立された商社であり実態は陸軍の特務機関であった昭和通商や、中国の地下組織青幇や紅幇などとも連携し、1939年、上海でのアヘン密売を取り仕切る里見機関を設立[4]。
ペルシャ産や蒙古産の阿片の売買によって得た莫大な利益を関東軍の戦費に充て、一部は日本の傀儡であった汪兆銘の南京国民政府にも回した。また、里見機関は、関東軍が極秘に生産していた満州産阿片や、日本軍が生産していた海南島産阿片も取り扱っている。
この活動を通じて、青幇の杜月笙・盛文頤や、笹川良一、児玉誉士夫、吉田裕彦、岩田幸雄、許斐氏利、阪田誠盛、清水行之助らとの地下人脈が形成された[5]。
1943年12月、宏済善堂を辞し、満鉄と中華航空の顧問となる。1945年9月に帰国し京都や東京に潜伏するが、1946年3月に民間人第一号のA級戦犯容疑者としてGHQにより逮捕され、巣鴨プリズンに入所する。
1946年9月、極東国際軍事裁判に出廷して証言を行い、同月不起訴となり無条件で釈放される。その後、渋谷峰岸ビル(現在のQFRONT)に日本商事(医薬品関連の日本商事とは別)を構え代表に就任する。戦後、祖神道本部の熱心な信者となった。
1965年3月21日、家族と歓談中に心臓麻痺に襲われ死去。享年70。千葉県市川市国府台の總寧寺にある里見の墓の墓碑銘「里見家之墓」は、岸信介元首相の揮毫による。 里見機関
当時阿片市場として最大なのが上海であった。阿片の最大供給国はは英国で、インド阿片を持ち込んでいた。わが国の三井、三菱両財閥もペルシャ阿片の確保に鎬を削り、上海租界の運搬は専ら青幇(清幇)の手に委ねられ、その販路を牛耳っていた。
大使館付武官補佐官で上海陸軍特務部の楠本実隆大佐(陸士24期)が、販路の確保を里見に持ちかけたが、その背景には影佐の特命があった。当時塩沢大佐は経済課長で上海後方建設の主任で、中支那新興会社の創立に当たり、満鉄から人間と事務所を調達、日本国内からは鉄道省、日銀など各機関から若手キャリア組を出向させた。佐藤栄作元総理はこの時、鉄道省から派遣されている。中支那新興会社は海軍と提携し、子会社として鉱山会社を現物出資の資本金100万円で発足した、維新政府設立第1号の鉄鉱会社が2000万円で発足した。当時上海だけは陸海軍武官府を構成、他の各地とは異なり陸海の協力は密で、海軍は津田静枝中将がその任に当たっていた。
これら上海後方建設の合弁会社が続々と設立されるにつれ、既存の維新政府財源では予算がなくなり、次第に阿片の収益金に目をつけるようになり、その責任者として里見に白羽の矢を向けたのである。
軍の信頼が厚く「滅死奉公(滅私奉公?)」の念に燃えていた(塩沢の評価)里見に、謀略の元締めである影佐第8課長が特命を下したわけで、ナショナルエージェンシーの確立、ハルビン工作に手腕を発揮した里見に阿片工作でも、軍の期待が賭けられていた。
阿片工作の対象として期待した青幇のボス杜月笙は巧みに上海から重慶に逃れた。里見との出会いはなかったのである。国民政府の参議少将の肩書きを持つ杜月笙としては、莫大な阿片の独占権を目の前にしながら、里見の手を振り切った。替って上海租界に入った大物が盛宣懐である。武漢大冶の漢冶萍公司の総経理である盛は維新政府の鉄鉱会社に大冶の鉄鉱石を供給、維新政府は利ザヤを稼いで八幡製鉄(現新日鉄)に売るという形である。盛は阿片癮者で、里見の手から阿片を供給され、ここに奇妙な実業家と虚業の結び付が生まれている。
また軍は昭和12年秋の大場鎮の戦闘で、日本軍の損害が大きく、攻めあぐんだすえ、里見に対策を求めた。里見は伝手(ツテ)を求めてフランス租界で敵将と極秘裏に会見、折衝の結果、支那軍総退却の合意を取りつけたが、約束が実行されるかどうかに一抹の不安を持った軍当局は、その代償金の金額前渡しを、ニセ札で行なおうと主張したが、里見は烈火の如く怒り、「日本の武士道いずくにありや」と責め、真札を贈って信義を守った。敵将も里見との約束を守って、打合せ通りの日時に合図の号砲を発射し、これに応じて開始された日本軍の総攻撃と同時に、敵は全線にわたる総退却にうつり、前日まで寸土も許さなかった大場鎮の堅塁は、大した犠牲もなく陥落した。(新聞通信調査会報1965年5月号「里見甫さんのあれこれ」佐々木健児=元同盟通信記者)
これなど里見機関の真骨頂を示すもので、日本内地で大場鎮陥落の提灯行列が行われた戦闘の裏面史である。
阿片の収益は主として軍の特務機関工作に使われたが、日本が設立した傀儡政府=蒙疆政府、華北政府、維新政府などいずれも阿片の収益で赤字を補填する形になっており、大東亜聖戦を呼号した軍の在り方が疑われる所以でもあるが、戦争末期、中国民衆が上海でわが国の阿片工作機関である宏済善堂に対する攻撃を始め出してから、阿片の収益は次第に低下、里見機関のカネは軍関係者によってむしり取られてゆく。
軍関係者だけでなく、政治家もコネを頼って里見機関のカネを狙い、昭和17年4月の翼賛選挙では岸元総理(当時商工大臣)が500万円(当時)の資金調達を依頼したことは有名な話になった。
新聞ゴロも里見が新聞記者をやっていた関係上セビリにゆく者が多く、里見機関はこれら悪性日本人の資金供給源となっていたことは否めない。したがって里見は中国民衆の抗議を潮時とみて地下に潜伏、上海の表面から消えた。終戦引揚までその消息は杳としてわからなかった。 はじめに
わが国の阿片問題について語るとき、避けて通ることのできないのが、「里見機関」(宏済善堂)の存在である。主宰者の里見甫(リーチェンプ)(東亜同文書院13期=大正5年6月25日卒業 昭和40年3月21日歿、享年68歳)は、戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯として、巣鴨拘置所に収容されたが、何故か無罪放免になった。その理由について里見は、「供述調書を読んだ米国の情報関係者が、利用価値があるとみて釈放してくれたのではないか」と、多くを語るのを避けていたが、ロッキード事件で公然化した米国流の「司法取引」が行われたのかも知れない。
法廷に提出されたのは、供述調書の一部で、阿片取引の収益金の具体的な用途、とくに軍の情報謀略工作関係については、大部分が隠蔽されたと、里見は語っている。
後年、ベトナム戦争当時、米国がベトナム半島の山岳民族(阿片栽培が唯一の現金収入)に対し情報工作を展開するに当たって、里見機関の阿片工作のやり方が流用され、グリーンベレーの送り込みには成功したものの、反面、米軍内部に大量の阿片吸引患者の発生を余儀なくされ、本国送還による戦力低下とともに、米国内における阿片吸引患者の激増をみたことは、関係者の知るところであり、阿片の持つ危険な両面性を遺憾なく物語っている。
里見が阿片謀略工作に手を染めたのは、参謀本部支那課長であった影佐貞昭大佐が初代の参謀本部第8課長(謀略担当)になったとき(昭和12年11月)影佐に懇望されたことによるもので、昭和12年から終戦までの8年間にすぎない。それも軍が阿片取引に深入りするのを心配された天皇が、しばしば侍従武官に「どうなっているのか?」と御下問になるので、里見に旨を含め、軍の隠れミノとするため発足させたもので、侍従武官を務めた塩沢清宣中将(陸士26期)が、里見の没後筆者に詳細に説明してくれた。
里見と軍の関係については後述するが、この間の消息を伝える意味慎重な撰文が、里見の墓誌銘に刻まれている。
「凡俗に堕ちて、凡俗を超え
名利を追って 名利を絶つ
流れに従って 波を揚げ
其の逝く処を知らず」
撰文は里見の後輩で、新聞記者時代から陰に陽に里見を見守ってきた大矢信彦(東亜同文書院16期=大正8年6月29日卒業)。書は1期先輩の清水董三(東亜同文書院12期=大正4年6月27日卒業)の筆になる。墓誌は元満州国熱河禁烟総局長から経済部次長、国務院総務庁次長になった古海忠之(戦後、中国戦犯として撫順収容所で18年間服役し、帰国後、岸信介元総理の世話で東京卸売りセンター所長)が
「……昭和7年満州で新聞聯合社専務理事岩永裕吉、総支配人古野伊之助の協力を得て国通を設立した。時に37歳。支那事変の拡大とともに大本営参謀影佐貞昭の懇望により上海に移り大陸経営に参画、国策の遂行に当たった。……」
と記している。
阿片工作については直接触れていないが、「大陸経営」とは汪兆銘政権、国策とは宏済善堂の経営つまり阿片工作の遂行であったことは、指摘しておかねばなるまい。ちなみに「里見家之墓」の五文字は、岸元総理の書いたものである。墓地は千葉県市川市の里見公園を見下ろす安国山総寧寺の境内にある。 自民党は中国人をボロボロにした汚い金で結党した
侵略戦争じゃない!アジアを解放した!逆ギレ
冷戦下の状況から中国に賠償金も払っていない
https://ja.wikipedia.org/wiki/児玉誉士夫
児玉機関
1941年11月、児玉が属した国粋大衆党を主宰する笹川良一の紹介で海軍省(海軍大臣は嶋田繁太郎)の外局である航空本部(本部長は山本五十六)より招かれた。ここから児玉は海軍航空本部のため航空機に必要な物資を調達する。戦時下の外地はインフレ状態で物流も滞り、国民感情ではナショナリズムの高まりによる排日排日貨(日貨とは日本製品)運動が起きていた。目的の重なる陸軍、艦本の機関と競合するため各方面からの干渉も予想されたが児玉は承諾し、総務部長(山縣正郷)と上海へ飛び、ここに児玉機関の本部を置いた。児玉は海軍の嘱託(佐官待遇)となる。
1942年3月、総務部長は大西瀧治郎となり、特攻生みの親とされる大西中将が敗戦後に自決する場に立ち会う縁が繋がった[注釈 4]。
ここで源田実と知り合い、戦後に源田が児玉に瀬島龍三を紹介した[14]。1941年真珠湾攻撃の直前、海軍航空本部独自の物資調達の為に笹川が山縣正郷少将に紹介、その後任者が大西瀧治郎少将(当時)で、後に大西中将が自決する日まで、親しい間柄となる[注釈 5]。この縁で上海に児玉機関[注釈 6]と呼ばれる店を出した。
これは、タングステン[注釈 7]やラジウム、コバルト、ニッケルなどの戦略物資を買い上げ、海軍航空本部に納入する独占契約をもらっていた[注釈 8]。よく、児玉はこの仕事でダイヤモンドやプラチナなど、1億7500万ドル相当の資金を有するに至ったと言われている[注釈 9]。アメリカ陸軍情報局の報告では、児玉機関は鉄と塩およびモリブデン[注釈 7]鉱山を管轄下におさめ[注釈 10]、農場や養魚場、秘密兵器工場も運営。戦略物資、とくにタングステンを得るため、日本のヘロインを売っていた[15]。
児玉の行動について憲兵の監視はあったが、大西瀧治郎のような大物が庇護しているため逮捕してもすぐに釈放されるという結果となった。この間、1942年4月30日に行われた第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)に5人当選区の東京5区から非推薦候補として立候補をして8位落選をしている
右翼団体・大化会の村岡健次(後の暴力団北星会会長・岡村吾一)らが児玉機関で働いていた。中国人や満州人を銃で脅し、恐ろしく安い値で物資を獲得したため略奪と呼ばれた。他の部下には副機関長となった吉田彦太郎や岩田幸雄、藤吉男、許斐氏利ら右翼の無法者がそろった。
この類の「○○機関」は当時大陸において非常に多く、前述の表の仕事と比して裏の仕事として中国側へのスパイ活動、抗日スパイの検挙や殲滅等を請け負っていた。以下は里見機関と水田機関とに対する関係である。
・児玉は吉田彦太郎を里見甫のもとへ何度もやって、里見から中国の情報をもらっていた。里見が親しい人にこぼすには、こと中国の情報収集に関しては、児玉はだめだった。 竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P 70 つまり大麻推進派も同じ事を考えているって事だ
反対だろ >>69
裕仁の子孫が未だに崇拝されてる方がやべえ
そいつらの悪事が消し飛ぶレベル >>284
岸信介
1954年には、鳩山一郎を総理大臣にするために三木武吉の画策に力を貸した。1955年には自由党(緒方自由党)と合併して自民党になった。誠心誠意嘘をつくなど名言を残した三木武吉は病の床で「こだまをよろしく」との言葉を残した。
後その後も自民党と緊密な関係を保ち、長らく最も大きな影響力を行使できるフィクサー(黒幕)として君臨した。岸信介が首相になる際にもその力を行使した。
岸首相の第1次FX問題をめぐる汚職を社会党の今澄勇が追及していた時には等々力の児玉の私邸へ二度も呼び、児玉は追及をやめるように説得した。しかし、今澄が聞き入れないため、身上調書を渡した。それには今澄の政治資金の出所、その額、使っている料理屋、付き合っている女が全て書かれていた。児玉は東京スポーツを所有する他[注釈 17]に、腹心をいくつもの雑誌社の役員に送り込んでいた。それらに書き立てられることは脅威となった。
日米安保条約改定のため党内協力が必要となった岸信介は1959年1月16日、次期総理大臣を党人派の大野伴睦に譲り渡す誓約をした[注釈 18]。その立会人が児玉であり、河野一郎や佐藤栄作も署名した誓約書が残されている。改定に反対する安保闘争[注釈 19]を阻止するため、岸信介首相は自民党の木村篤太郎らにヤクザ・右翼を動員させたが[注釈 20]、児玉はその世話役も務めた[注釈 21]。
1962年(昭和37年)の夏頃から、「(安保闘争のような)一朝有事に備えて、全国博徒の親睦と大同団結のもとに、反共の防波堤となる強固な組織を作る」という構想のもと、児玉誉士夫は東亜同友会の結成を試みた。結局、同会は結成されなかった。しかし、錦政会・稲川裕芳会長、北星会・岡村吾一会長、東声会・町井久之会長らの同意を取り付けていた。昭和38年(1963年)には、関東と関西の暴力団の手打ちを進め、三代目山口組・田岡一雄組長と町井会長との「兄弟盃[注釈 22]」を実現させた。 上海・児玉機関のダイヤが自由党結党資金?
〈問い〉 戦後、自民党の前身となる党がつくられたとき、旗あげ資金に右翼・児玉誉士夫からのダイヤなどが使われたと聞きました。ほんとうですか?(大阪・一読者)
〈答え〉 戦後、日本共産党の公然たる活動の開始に前後して、戦争中にみずから解党した各政党が再建されますが、いずれも、大政翼賛会への合流についての反省なしに、戦争協力者が中心になって、党名を変えて結成したものでした。
1945年11月、日本を悲惨のどん底においこんだ天皇制官僚や大資本家、大地主の代弁者が今日の自民党の前身である日本自由党(総裁・鳩山一郎)、日本進歩党(町田忠治が中心)を結成します。
この日本自由党の旗あげにさいし、結党資金と党運営資金を提供したのは右翼・児玉誉士夫(A級戦犯容疑者)でした。
このことは、児玉本人が「すべてを投げうってこれに協力することはいささかでも国家に報いる道」と自著『悪政・銃声・乱世』でものべており、広く知られています。「『鳩山新党』結成準備会(45年9月)がもたれた直後に児玉は、東京・麻布の石橋正二郎邸に間借り住いをしていた鳩山に会った。人払いをして鳩山、辻(嘉六)、児玉の三人だけで、児玉機関の財産をそっくり鳩山新党の政治資金として寄付することを合意、かわりに鳩山から『絶対に天皇制を護持する』という言質を引き出した」(竹森久朝著『見えざる政府』)とされています。
児玉は、開戦直前の41年、国粋党総裁笹川良一の仲介で海軍航空本部の軍需物資調達のために上海に特務機関「児玉機関」を作り、物資の調達に従事、膨大な物資を入手。戦後、それをソックリそのまま自分の手にいれていました。その額は「当時のカネで七千万円。それにカマス一つ半くらいあったダイヤと段ボール箱二十箱ぐらいのプラチナをそれぞれ半分ずつ」(大森実の児玉インタビュー『戦後秘史』に収録)といわれています。
日本の支配政党の結党資金が中国の人々を軍靴で踏みにじることによって作られたことは、戦後60年たってもけっして忘れてはならないでしょう。(喜)
〔2005・2・12(土)〕 里見が阿片謀略工作に手を染めたのは、参謀本部支那課長であった影佐貞昭大佐が初代の参謀本部第8課長(謀略担当)になったとき(昭和12年11月)影佐に懇望されたことによるもので、昭和12年から終戦までの8年間にすぎない。
それも軍が阿片取引に深入りするのを心配された天皇が、
しばしば侍従武官に「どうなっているのか?」と御下問になるので、
里見に旨を含め、軍の隠れミノとするため発足させたもので、侍従武官を務めた塩沢清宣中将(陸士26期)が、里見の没後筆者に詳細に説明してくれた。
https://i.imgur.com/Nviq5Tn.png
Der Fuehrer's Face - Walt Disney (1943)
https://i.imgur.com/VZNA8Dn.jpg
皇軍が中国人をアヘン付けにしているのを責任者である天皇は黙認
どこがアジア解放
五族協和
正義の戦争なんだ?
ヒトラームッソリーニ ヒロヒト
悪のラスボスだろうが? こんな国際法ガン無視の蛮行をしておきながら中国に賠償金無し
自分らの犯罪の証拠を映像にしっかり残している
「日本軍による空襲〜中国、オーストラリア〜」
一方、日本軍は、日中戦争・太平洋戦争を通して大規模な空襲を中国やオーストラリアなどに対して行いました。とくに、国民政府の首都となった中国の重慶に対しては5年間にわたって空襲を行い、1万人を超す死者が出たとされています。
重慶への爆撃については、日本ニュースのカメラマンが爆撃機に同乗して、何度もその模様を記録していました。
また、日本軍は、オーストラリア北部の港湾都市ダーウィンなどに対して、数十回に及ぶ空襲を行っています。ニューギニアやソロモン諸島への侵攻を有利に進め、米豪間を遮断するのが目的だったのです。
日本ニュース 第8号
公開日: 1940年(昭和15年)7月31日
チャプター3 俄然敵機現る成都大空襲
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300393_00000&seg_number=003
日本ニュース 第16号
公開日: 1940年(昭和15年)9月24日
チャプター3 海鷲の偉勲重慶大爆
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300401_00000&seg_number=003
日本ニュース 第56号
公開日: 1941年(昭和16年)7月1日
チャプター14 重慶爆撃<特輯聖戦四年>
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300441_00000&seg_number=014
日本ニュース 第58号
公開日: 1941年(昭和16年)7月15日
チャプター9 海鷲 重慶大空襲
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300443_00000&seg_number=009
日本ニュース 第169号
公開日: 1943年(昭和18年)8月31日
チャプター4 重慶爆撃行
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300554_00000&seg_number=004
日本ニュース第96号
公開日: 1942年(昭和17年)4月7日
チャプター4 ポート・ダゥイン爆撃
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300481_00000&seg_number=004 嫌儲って満州スレ立つけど実証ソースはほとんど出さないから発展しないな
美濃部洋次や椎名悦三郎への言及なんか皆無だし(というか名前すらおそらく知らない)
基礎的な部分で妄想や決めつけが多くてあてにならん >>1
日本が管理しなければ中国の馬賊や共産党が広めていた 1938年2月から1943年4月までの間、重慶爆撃のために台湾の基地を飛び立った日本の飛行機は、述べ10,000機、投下爆弾2万1593発と記録されています(日本軍の記録)、
中国側のまとめでは重慶の空襲は218回に及び、空襲による直接死者だけで1万1885人に上るとされています。また負傷者1万4100人、焼失家屋1万7608戸と発表されています。
1937年(昭和12年)4月26日にドイツ空軍がスペイン内戦下で実行したゲルニカ爆撃が本格的に焼夷弾を使用した世界最初の空襲とされ、軍事目標と都市市街地を区別せず爆撃する都市無差別爆撃の史上最初の空襲と言われていますが、
重慶爆撃はそれに比べてけた違いの規模の連続無差別爆撃だったのです。
これが第2次世界大戦においての航空機による焦土作戦の幕開けとなりました。
ヨーロッパでは、イギリスとドイツの無差別爆撃として展開し、やがて日本全土の主要都市が無差別爆撃による焦土作戦の渦に巻き込まれて、日本の100をこす都市が灰燼に帰すという悲惨な結果をまねくことになりました。 日本軍によるオーストラリア港湾攻撃と都市空襲
1942年2月から1943年11月までの間に、日本軍はオーストラリア本土や港湾地域を少なくとも97回に渡って航空機による攻撃を行っています。
1942年2月19日朝、オーストラリアの港湾都市ダーウィンを242機の艦載機で攻撃しました。
日本の航空母艦4隻(赤城・加賀・飛龍・蒼龍)は、オーストラリアの北西部にあるチモール海から計188機の艦載機を発進させ、ダーウィンの港湾施設に大きな被害を与え停泊中だった9隻の船舶を沈没させました。
これにより、オーストラリアの主要基地であるダーウィンは海軍基地としての機能を喪失するほどの大きな被害を受けることになりました。
この攻撃により、少なくとも243人が死亡し、数百人の人々が住宅を失うことになりました。
更に午後には、54機の陸上攻撃機がダーウィンの市街地と空軍(RAAF)基地を襲い、20機の軍用機を破壊しました。この空襲により251人が死亡し300人〜400人が負傷しました。
この日の日本軍によるダーウィン空襲は、真珠湾攻撃をしのぐほどの規模だったといわれています。
1942年2月〜1943年11月までの期間に、日本軍はダーウィンやウィンダムの市街地及び港湾施設を50回以上空爆しています。そのほかオーストラリア北岸に位置する港湾施設や空軍基地などで40回以上の空爆をしています。
1942年5月31日、日本軍はシドニー沖合で停泊中の潜水艦から3隻の殊潜航艇を発進させて、シドニー港に停泊中の連合国軍艦船を攻撃しました。
特殊潜航艇のうち1隻はシドニー港入口で防潜網にかかり自爆、1隻の潜航艇がアメリカ海軍の重巡洋艦シカゴを魚雷攻撃したのですが目標をそれて岸壁に停泊中のオーストラリア海軍宿泊艦クッタブルに命中し沈没させ乗員19名が戦死しました。
また、隣に係留されていたオランダ海軍潜水艦KIXも爆発の衝撃で損傷しました。
日本軍の潜航艇2隻のうち1隻は、攻撃の際受けた損傷が原因で沈没。もう1隻も、シドニー湾の南方海上で待機していた母艦の潜水艦のもとに、ついに帰還することがありませんでした。 マジでなんで教えないんかな〜
現代史から教えない教育が悪いよな 私はかつてから「ダーウィン」という地にも関心を持っていた。というのも,
1942年2月19日,
日本軍はダーウィンを空襲したが,その記憶を呼び起こす展示物などがダーウィンのいたる所に存在すると聞いたことがあるからだ。
そのために反日感情が完全におさまっているわけでもなく,2007年にダーウィンで日本人が卵を投げつけられたという話も聞いたこともある。
毎年2月19日にはダーウィンで空襲式典が開催されているとも聞いた。
第2章:ダーウィン空襲の痕跡
(1)ダーウィン中心部にある「ダーウィン空襲」を紹介するパネル
きれいな海辺の近くにある,
ダーウィン中心部。ダーウィン中心部はそれほど大きくない。
ショッピングモールにはお土産を売る店や食事ができる場所,日本のすしを提供するお店もあった。そうしたショッピングモールのなかに,【写真1】【写真2】のようなパネルがある。
このパネルには,
「1942年2月19日,オーストラリア本土がはじめて軍により攻撃を受けた」,
「10週間前にハワイの真珠湾を空襲した部隊と同じ部隊がダーウィンを空襲したが,ハワイに投下した2倍以上の爆弾をダーウィンに投下した」,
「2月19日の2回の空襲で,少なくとも292人
が犠牲者となり,数百人が負傷した」,
「ダーウィン地域はその後,1943年11月12日まで少なくとも62回の空襲を受けている」,
「最初の爆撃はオーストラリアに衝撃を与えた」などと記されている。
また,日本軍が攻撃する経路や地理が紹介されているもの(【写真2】中央の上の部分),
対空砲で応戦する兵士の様子を紹介する絵(【写真2】左側真ん中),
防空壕に隠れたり,逃避する市民の様子を紹介する絵(【写真2】右側真ん中)が掲載されている。
そして,このパネルの一番下の部分には,
「忘れまじ LEST WE FORGET」と記されている2)
https://i.imgur.com/O2nC4wY.jpg
2)「忘れまじ LEST WE FORGET」の訳については,鎌田真弓「記憶の国境線を問う」鎌田真弓編『日本とオーストラリアの太平洋戦争』(御茶の水書房,2012年)39頁の訳に従った。 >>290
おまえの言う国際法とはどれのことだ?
オレ流妄想国際法かwww 蒋介石と日本
1931年の満州事変から1945年の終戦まで、
中国に対して行った日本の戦争行為をつぶさに見てきた中国の蒋介石総統は、他の連合国とともに敗戦後の日本をどうするかを決定する権限を担っていた。しかし彼のとった処置は実に寛大なものであった。
1.戦争賠償金を日本に請求する権利の放棄
この戦争で中国の受けた損害額は1937年7月当時の米ドル換算で313億3013万6600ドルに達するといわれた。
この巨額の賠償を獲得すれば、荒廃した中国国土がどのくらい潤うことか。しかし蒋介石は賠償請求を一切しなかった。1949年にフィリピンのキリノ大統領の特使が台湾に来たとき、蒋介石に言った。
「日本に対して一番賠償請求権があるのは中華民国でしょう。わがキリノ大統領は80億ドルの賠償を考えていますが、貴殿はいくら請求されますか。」これに対し、
「賠償請求は一切しない。」と答えた。
特使はこの言葉をキリノ大統領に伝えた。その後フィリピンは対日請求額を6億5千万ドルに引き下げた。
さらに他の東南アジア諸国も軒並み請求額を下げたのである。
2.日本の分割占領の阻止
連合国の間にはドイツのように日本を分割占領し、分断国家とする意見が強かった。
しかし蒋介石は米国による単独占領を強く主張した。
もし巨額の賠償を請求され、更に分断国家とされていたら日本は高度経済成長などはあり得ず、ドイツ、ベトナム、朝鮮のように平和から遠い国家となっていただろう。
3.200万人以上の日本軍民の早期帰還
敗戦後、中国に残された将兵130万人、民間人85万人がいた。多くの中国人民を殺傷し、虐げた日本軍民はいかなる仕打ちをされるか怯えていた。
しかし蒋介石は、ソ連とは異なり、日本人を捕虜としたり、虐待することなく、すぐ帰国の手続きをとらせた。
このために中国の輸送機関の80%が動員され10か月余りという短期間で日本への帰還を完了させた。終戦の際、中国では天皇の放送に続いて、蒋介石は次のように放送したという。
「神は愛なり。汝の敵を愛せよ。日本人に危害を加えるもの、また物資を奪うものは死刑に処す。」この言葉に多くの日本人が励まされ、力づけられたという。
4.天皇制の存否を日本人に委ねる
1943年11月日本の戦後処理を協議するためにカイロ会談が開かれた。
連合国の間では天皇の罷免、放逐、戦犯処理が渦巻いていたが、蒋介石は天皇制の存否は日本人に委ねるよう主張した。
彼はこの戦争をどう考えていたのだろうか。
クリスチャンである彼の目標は「大同の世界」
(真の平和が実現した世界)であり、
日本との戦争はその過程の一つであり、目標達成の手段は「汝の敵を愛せよ」「恨みに報いるに徳をもってする」という聖書のことばであった。さらに「興人為善」つまり
「人に善を為し、その人を味方に変え、さらにその人とともに善を為す」という思想を持っていた。
彼は日本が軍国主義を廃し、三民主義(民族、民権、民主)の日本に生まれ変わり、
民主日本が力をつけたら、今度は対等の立場で協力し(合作)、世界平和のために尽力していく、このことを日本に期待していたのである。 >>300
1939年のこと、
日本基督教会本部から黒田四郎牧師が南京に派遣された。南京大虐殺の傷跡を見て日本人として途方に暮れていたとき、重慶から蒋介石総統夫人の宋美齢女史のラジオ放送が聞こえてきた。
「私は日本人が憎い。暴虐を尽くす日本軍を赦すことは絶対にできない。しかし私は、日本国を滅ぼしてください、日本軍を全滅させてくださいと祈ることはできない。なぜなら日本には今もなお中国国民のため、涙を流して祈っているドクター・カガワがおられるから・・・」
ドクター・カガワこと賀川豊彦。戦前ではガンジー、シュバイツァーと並んで3偉人と言われ
た。
戦後は世界平和のため世界連邦政府建設同盟の発起者のひとりとなり、その副会長を務め、ノーベル平和賞の候補にも挙げられたが、1945年3月10日の米軍の無差別東京大空襲を猛烈に批判した理由で果たされなかった。
日本社会党の創立に関与し、生活協同組合の推進者で、農協の生みの親と言われる。キリスト教伝道のため国内、世界を巡回し、キリストに最も近い人物と評された。賀川は戦争中、中国に対する日本軍のあまりの仕打ちに中国人に謝罪の文章を書いたが憲兵隊に拘束された。賀川の中国とその人民を思う慟哭の祈りが、苦悩す
る蒋介石夫妻を支えていたのである。
戦後の日本の復興は日本人の勤勉性にあると考えられている。確かにそれも一因ではある。
しかし悪には悪を持って報いなかったアジア諸国、
とりわけ中国の温情によることが大変大きいと思われる。
もし蒋介石の主張が無かったなら、日本はドイツや朝鮮と同じように分断されて、互いに武力をもって対峙し、
また賠償金にあえいで、悲惨な経過をたどっていただろう。
戦後日本は新しい日本国憲法のもとで平和主義を貫いてきた。
このことで外国との戦争に巻き込まれることなく、多大な戦費を浪費することなく、犠牲者を出すこともなかった。
復興に専念することができたし、経済成長を遂げ、福祉国家へと発展することができた。そして開発途上国への援助はトップクラスとなった。
しかしこれを誇ることができるだろうか。できない。私たちは謙虚にまた感謝して援助するものでありたい。 >>298
重慶爆撃、義勇兵役法・・・
米軍の本土空襲による犠牲者数は、トータルでは広島、長崎の犠牲者を上回る。「非人道的」と酷さがしばしば問題になるが、本書はその背景などをいくつか列挙する。
まず「無差別」ということについて。
これはすでに日本が、中国との戦争の中で、重慶爆撃でやっていたこと。
200回以上の爆撃で1万人以上の犠牲者を出している。
独英戦でも双方がやっていた。つまりこの段階では「ルール」がなし崩しになっていた。
加えて撃墜された米軍パイロットに対する日本側の扱いのひどさが米国内で問題になっていた。
捕虜にもかかわらず殺されている。
復讐しよう、という声が高まっていた。
さらに日本では45年に入って総動員体制が強化、6月には「義勇兵役法」ができたことが裏目に出た。
男子は15歳以上が義勇兵に。志願すればさらに若年でも戦闘に加わることができる。
これについて米軍は「全人口が武装予備軍」「日本に民間人はいない」とレポート、無差別攻撃の正当化に弾みをつけた。実際、6月中旬以降、空襲の犠牲者が激増する。
カーチス・ルメイ少将は、非戦闘員を狙った明らかな無差別爆撃だとの批判に、戦後の回想記の中でこう語っています。
「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の民家は全て軍需工場だった。民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか…。」
そのルメイ氏に、日本政府は六四年、「航空自衛隊の育成に協力した」との理由で、勲一等旭日大綬章を贈りました。 スターリンは九月二日に次のように述べた。
「わが国に対する侵略を、日本は早くも日露戦争の時の一九〇四年に始めた。
周知の如く、交渉が継続中の一九〇四年二月に、日本はツァーリ政府の弱体に付け入り、突如背信的に、宣戦を布告することなく攻撃を加え……た。
周知の如く、当時ロシアは日本との戦争において敗北した。
日本は、ロシアから南サハリン[樺太……引用者]を奪い、クリル諸島に定着し、かくして東方においてわが国の大洋への出口をすべて封鎖し、もって、ソヴィエトのカムチャッカとソヴィエトのチュコトの出口と港をすべて封鎖するために、ツァーリ・ロシアの敗北を利用した。
日本がロシアから[ソ連領……引用者]極東をすべて奪うという目標を立てていたことは明瞭であった。
しかし、日本のわが国に対する略奪行為はこれで尽きなかった。
一九一八年わが国にソヴィエト体制が確立した後に、日本はイギリス、フランス、アメリカがソヴィエト国家に対して当時なお敵対的であったことを利用して、彼らに依拠して再びわが国を攻撃し、極東を占領して四年間わが国民を圧迫し、ソヴィエトの極東を略奪した。
しかし、これでもすべてではない。一九三八年、ウラジヴォストークに近いハサン湖地区においてウラジヴォストークを包囲する目的でわが国を攻撃した。
翌年には日本は、ソ連領に突入し、わが国のシベリア鉄道を切断し、ソヴィエトの極東を略奪するために、別の場所、つまりモンゴル人民共和国の一地区であるハルヒン・ゴール付近に対して攻撃を再度行なった。
確かにハサンとハルヒン・ゴール地区における日本の攻撃はソ連兵によって排除され、日本人の屈辱によって終わった。
同様に、一九一八年から一九二二年までの日本の軍事干渉も首尾良く排除され、日本の占領軍はわが国の極東地域から駆逐された。
しかし一九〇四年の日露戦争当時におけるロシア軍の敗北は、国民の意識の中に辛い想い出として残っている。
その敗北はわが国に汚点をとどめた。
わが国民は、日本が打ち負かされ、汚点の雪がれる日が到来することを信じて待った。
四〇年間、われわれ古い世代の者はこの日を待った。ついにこの日が到来したのだ。
今日、日本はその敗北を認め、無条件降伏文書に署名したのである。
このことは、南サハリン[樺太……引用者]とクリル諸島がソ連に移り、これからはソ連を大洋から切り離す手段、われわれの極東に対する日本の攻撃の基地ではなく、ソ連を大洋と直結する手段、日本の侵略よりわが国を防衛する基地となるであろうことを意味する。」 https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の分割統治計画
日本の分割統治計画(にほんのぶんかつとうちけいかく)は、第二次世界大戦終了後の日本本土を連合国が分割統治しようとした計画案。
ソビエト連邦は、北方四島と北海道占領計画を持っており[1]、またアメリカ合衆国もイギリス、ソ連、中華民国の連合国での分割統治する案を検討したが、結局、日本占領は分割占領でなく連合国軍最高司令官総司令部による日本政府を介した間接統治となった
7月6日付の合衆国陸海軍最高司令官(大統領)付参謀長ウィリアム・リーヒによる短いメモ(JCS1398/2)には「日本を占領統治するなら、コストを節減し米軍は最小限にとどめるべきだ。米国が日本軍政に主な責任を負うべき理由はない」とあり、その影響でポツダム会談へ向かう代表団は、米軍負担の軽減化のため、連合国による日本共同占領案が高まり、日本降伏の翌8月16日に、ペンタゴンの統合戦争計画委員会(Joint War Plans Committee,JWPC)が起案した日本占領案「日本とその領土の最終占領(Ultimate Occupation of Japan and Japanese Territory)」(JWPC385/1)が成立した[8]。それによれば、
占領開始期は、米国が単独で占領せざるを得ず、二十三個師団・八十五万人の米軍を投入する。組織的抵抗、反乱のため一年間は維持する。
三ヶ月目からは、米軍を撤収させ、各国軍に占領させる。
ソ連:北海道、東北地方。
アメリカ:本州中央(関東、信越、東海、北陸、近畿)。
中華民国:四国。
イギリス:西日本(中国、九州)をそれぞれ統治
東京は四カ国共同占領。
一年後、各国兵力を半数以下に削減し、米軍は13万5千人程となる。
ソ連の北海道占領計画 編集
ヤルタ会談でソ連は対日参戦の見返りとして北方領土を占領することが認められていた[1]。しかし、 8月16日にスターリンは、北方領土だけではなく、北海道の半分をソ連占領地とするよう、トルーマン大統領に求めた[7][1]。
アメリカによるソ連北海道占領案拒否と単独統治 (SWNCC70/5・150/3)
8月18日、トルーマン大統領は、スターリンの要求を拒否し、分割占領を回避することを勧告する国務省案である SWNCC70/5 を承認した[7][1]
8月22日、さらにトルーマン大統領は SWNCC150/3 を承認し、日本政府を介した間接統治方式を最終的に承認した[7]。
なお、スターリンは8月23日に極東地域の日本軍捕虜50万人をシベリアに移送するよう命じた[1]。
戦後、ソ連はアメリカに対して日本への分割統治を強く求めたものの、マッカーサーがこれを拒否した[9]。
イギリス連邦占領軍による中国・四国統治
詳細は「イギリス連邦占領軍」を参照
1946年2月にはイギリス軍、オーストラリア軍、ニュージーランド軍、インド軍などのイギリス連邦占領軍(the British Commonwealth Occupation Force ,BCOF)が中国地方、四国を統治した[10]。
SWNCC 70/5 編集
1945年8月11日にアメリカ国務・陸・海軍三省調整委員会(SWNCC)が承認し、8月18日にトルーマン大統領が承認した大統領宛覚書「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成 (NationalComposition of Forces to Occupy Japan Proper to the Post-Defeat Period)(SWNCC 70/5) で連合国による分割占領案が記載されている[2]。覚書SWNCC 70/5では、
C.. The United Kingdom, China and the Soviet Union have a responsibility to participate with the United States in the occupation and military control of Japan and the obligation to assume a share in the burden thereof.
と書かれており、連合国であるアメリカ、イギリス、中華民国、ソ連も日本の軍事占領に貢献する必要があるとされていた[2]。 >>298
https://i.imgur.com/YP0dEwX.mp4
記者「我々には日本に原爆を落とした責任があり・・・」
トランプ「素敵な討論だ。真珠湾の話をしよう」
トランプ「誰が先にやった?」
トランプ「”真珠湾”ってのがなかったっけ?ん?」
トランプ「あのな あのな」
トランプ「原爆でブチのめしたのは奴らが先にやったからだ」
トランプ「奴らは日曜の朝にやってきて史上最悪に卑怯な攻撃をした」
トランプ「理想主義もいいけどよ、日本は戦争を仕掛けてきたが俺たちのほうがはるかに強くて頭が良かった」
トランプ「だからブチのめしてやった」 >>305
正確な歴史を知らないトランプを持ち出して何をしたい?
確かにアメリカ人の典型的無知の歴史認識だとは言える >>281
国府台‥里見…
本当にあの里見の子孫なのかよ >>302
妄想はいらない
お前が国際法を知らないということは確かに伝わったw 薬物の売人の拠点が親日政府の首都「通州」
中国軍優勢とのデマがながれたとき、親日政府の保安隊が日本人を... >>308
陸戦法規
陸戦法規 (rules of land warfare) は陸上作戦における武力行使についての規則であり、現代では主に1977年に署名されたジュネーヴ諸条約第一追加議定書によって規定される。その内容は主に攻撃目標の選定と攻撃実行の規則であり[5]、従来の戦闘教義にも変化を促した。
攻撃目標の選定の原則は、攻撃を行う目標をどのように選定するのかについての原則である。まず攻撃目標は敵の戦闘員 (combatants) か軍事目標 (military objectives) に定められる。戦闘員とは紛争当事国の軍隊を構成している兵員であり、陸戦法規における軍事目標とは野戦陣地、軍事基地、兵器、軍需物資などの物的目標である[6]。また攻撃目標として禁止されているものは、降伏者、捕獲者、負傷者、病者、難船者、軍隊の衛生要員、宗教要員、文民、民間防衛団員などの非戦闘員と、衛生部隊や病院などの医療関係施設、医療目的の車両及び航空機、教育施設、歴史的建築物、宗教施設、食料生産設備、堤防、火力や水力、原子力の発電所などの軍事目標以外の民用物[7]である。
攻撃実行においては主に3つの規則が存在する。第1に軍人と文民、軍事目標と民用物を区別せずに行う無差別攻撃の禁止を定めている。これによって第二次世界大戦において見られた住宅地や文教施設、宗教施設を含む都市圏に対する戦略爆撃は違法化されている。第2に文民と民用物への被害を最小化することである。軍事作戦においては文民や民用物が巻き添えになることは不可避であるが、攻撃実行にあたっては、その巻き添えが最小限になるように努力し、攻撃によって得られる軍事的利益と巻き添えとなる被害の比例性原則に基づいて行われなければならない。第3に同一の軍事的利益が得られる2つの攻撃目標がある場合、文民と民用物の被害が少ないと考えられるものを選択しなければならない。 >>311
>これによって第二次世界大戦において見られた住宅地や文教施設、宗教施設を含む都市圏に対する戦略爆撃は違法化されている。
つまり戦後の話だな
これで重慶爆撃が違法でもなんでもないことか証明されたなw >>308
ハーグ陸戦条約
1899年に採択された条約
ハーグ陸戦条約(ハーグりくせんじょうやく)は、1899年にオランダ・ハーグで開かれた第1回万国平和会議において採択された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(英: Convention respecting the Laws and Customs of War on Land, 仏: Convention concernant les lois et coutumes de la guerre sur terre)」並びに同附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」のこと。戦時国際法に関するハーグ条約の一つであり、1907年の第2回万国平和会議やジュネーヴ条約等で改定・拡張され、今日に至る。ハーグ陸戦協定、ハーグ陸戦法規などとも言われる。
日本においては、1911年(明治44年)11月6日批准、1912年(明治45年)1月13日に陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約として公布された。
陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則
第一款 交戦者
第一章 交戦者の資格
第1条:戦争の法規、権利、義務は正規軍にのみ適用されるものではなく、下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される。
部下の責任を負う指揮官が存在すること。
遠方から識別可能な固著の徽章を着用していること[12]。
公然と兵器を携帯していること。
その動作において、戦争法規を遵守していること。
第2条:未だ占領されていない地方の人民でありながら、敵の接近にあたり第1条に従って編成する暇なく、侵入軍隊に抗敵するため自ら兵器を操る者が公然と兵器を携帯し、かつ戦争の法規慣例を遵守する場合はこれを交戦者と認める。
第二款 戦闘
第一章 害敵手段、攻囲、砲撃
第22条:交戦者は害敵手段の選択につき、無制限の権利を有するものではない。
第23条:特別の条約により規定された禁止事項のほか、特に禁止するものは以下の通り。
戦争の必要上、やむを得ない場合を除く敵財産の破壊または押収。
第25条:防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。
第26条:攻撃軍隊の指揮官は、強襲の場合を除いて、砲撃を始めるに先立ちその旨官憲に通告するため、施せるだけの一切の手段を尽くさなければならないものとする
第27条:攻囲及び砲撃を行うにあたっては、宗教、技芸、学術、慈善の用途に使用されている建物、歴史上の記念建造物、病院、傷病者の収容所は、同時に軍事目的に使用されていない限り、これに対しなるべく損害を与えない為の必要な一切の手段を取らなければならないものとする。攻囲された側は識別し易い徽章をもって建物または収容所を表示する義務を負う。前述の徽章は予めこれを攻囲者に通告すること。 >>312
ハーグ陸戦条約
1899年に採択された条約
ハーグ陸戦条約(ハーグりくせんじょうやく)は、1899年にオランダ・ハーグで開かれた第1回万国平和会議において採択された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(英: Convention respecting the Laws and Customs of War on Land, 仏: Convention concernant les lois et coutumes de la guerre sur terre)」並びに同附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」のこと。戦時国際法に関するハーグ条約の一つであり、
1907年の第2回万国平和会議やジュネーヴ条約等で改定・拡張され、今日に至る。 ここは売人組織のトップの孫が神輿として総理大臣の地位につくようなクニだよ アヘンで滅んだ国wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>321
言うほど認知されてるか?
本当に戦争責任を追及されたら、岸の孫である安倍の影響力はもっと下がってないとおかしい。
裏金告発した泉田くらいの存在になって然るべきなのに未だに永田町に影響を及ぼしてるという事は、
さしてダメージは被ってないんだろう。 日本史の教科書が明治維新までやたらきっちりやって
昭和をすっ飛ばすのはこういうりゆうなんだよな 俺の知らなかったジャップの悪事がまた一つ学べた
これだから嫌儲はやめられない アヘンでボロ儲けした奴の孫がキングメーカーでその一味がCIA肝煎で作った政党が自民党だからな
全てがクソ 731部隊の残党が集団ストーカーをやっている
医薬品卸商社は集団ストーカーをやっているぞ 内田樹
https://i.imgur.com/t5AY7x9.jpg 161頁
日本では明治時代以降、階級制は廃止されたことになっていますが、それは表
向きの話です。大手グローバル企業のトップや与党政治家たちは皇室を頂点とす
る旧財閥系の姻戚関係者で固められています。医師や学者も芸能人も、もう世襲
が普通です。所得格差どころか階級が固定化しつつある 電通と自民党清和会ていう阿片マネーで作られた組織が戦後日本をずっと支配してきたからな >>40
途中から里見の内縁の妻?にあたるオバンのことについてばっかだからあまり読む価値ないぞ
戦中の日本がイギリスをバカにできんレベルで糞だった事は知れるが、それなら他の書籍でいいしな >>252
中国の要人って日本の傀儡やってた国民政府だろ?
戦後きっちり追い出されたなw >>256
いまはわからんが戦後しばらくはそうだろう
両国に京大や東大出身者が固めてたと >>323
晋さんがアメリカに敵対したら大バッシングの対象になるだろうけど骨の髄までアメポチだからでは? >>336
ダウナー系のアヘン、モルヒネと
アッパー系のアンフェタミン、メタンフェタミン、コカイン
との区別ぐらいつけろよ 岸信介が満州で一番の権力者だったんだよな
中国には岸一族ぶ〇〇権力あるだろ 日本が併合した朝鮮半島がもともと麻薬の生産地だったんだろ
知らんけど >>338
今、大々的に中国に広めちゃえばカムバックしづらいのかな >>341
中国としては頭と性根が悪い奴がトップにいる方が御しやすいだろうから、
侵略戦争した事自体は兎も角、具体的な事例については突っ込まないようにしてるとか? >>314
だから戦後改訂されたんだろ
重慶爆撃は合法間違いない >>313
重慶は防守都市
故に空襲は合法
違法なのはドレスデン 関東軍 「アヘンとモルヒネ売って軍の予算にしよう どんどん植民地を増やしてシャブを売ろう」
これが実態 >>346
日本が管理しなければ中国諸軍閥(共産党を含む)のやりたい放題になる 昔、会社の嘱託の爺さんにこの話振ったら
「そんなもん常識でっしゃろが。大陸で一旗上げるってアヘンの他に何がおまんねん」
と言われた >>347
そんなもん肝心の栽培地域がなけりゃどうしようも >>344
>>345
前田哲男氏(軍事史研究家・評論家、元東京国際大学国際関係学部教授)ほか戦争と空爆問題研究会による、『重慶爆撃とは何だったのか もうひとつの日中戦争』(高文研)には、こうあります。
重慶爆撃の思想とは、地上戦との関係はまったくなく、ともかく空から爆弾、それも殺傷兵器をひたすら投下し続けるというものだ。何のためか、敵国国民の「継戦意志破壊」がそれである。日本軍は、首都となった重慶を徹底的に破壊することによって、蒋介石政権の降伏を導き出そうとしたのである。「テルミット焼夷弾」といわれる「弾着の衝撃で発火すると激しく燃え上がり、2000〜3000度の熱を10分間以上発し続ける」、「7番6号爆弾2型」という、「着弾すると固形油脂剤が溶け出して火災を拡大させる」、「カ4弾」という陸軍が開発したそれは、「空気に触れると自然発火」し「ひどい悪臭と白煙を放つ」という(イスラエルがガザに撃ち込んだものも、こういう特性を持っていた)。そのような爆弾が、重慶に無数に投下されたのだ。まさに無差別爆撃である。
時に対空砲火などで爆撃機が「被害」を受けることもあろうが、しかし地上の被害と、投下する側の「被害」には圧倒的な差がある(非対称性!)。一種の「虐殺」
(67頁)。
こう考えたとき
第26条による爆撃予告の原則
第二六條 攻撃軍隊ノ指揮官ハ、強襲ノ場合ヲ除クノ外、砲撃ヲ始ムルニ先チ其ノ旨官憲ニ通告スル爲、施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘキモノトス。
が、意味を持ってきます。
あるいは第27条により
第二七條 攻囲及砲撃ヲ爲スニ當リテハ、宗教、技芸、学術及慈善ノ用ニ供セラルル建物、歴史上ノ記念建造物、病院並病者及傷者ノ収容所ハ、同時ニ軍事上ノ目的ニ使用セラレサル限、之ヲシテ成ルヘク損害ヲ免レシムル爲、必要ナル一切ノ手段ヲ執ルヘキモノトス。
被囲者ハ、看易キ特別ノ徽章ヲ以テ、右建物又ハ収容所ヲ表示スルノ義務ヲ負フ。右徽章ハ予メ之ヲ攻囲者ニ通告スヘシ。
により、原則的には軍事上の目的に使用されない限り、損害発生回避の措置義務があることもあきらかです。
なので、第25条に違反していないことを根拠に「国際法違反ではない」という結論を導き出すことはできません。 >>344
>>345
ちなみに 東京地方裁判所昭和38年12月7日判決(広島・長崎原爆投下事件 下田事
件)(下民集14巻12号2435号)(甲C11ないし甲C14)判決には、こうあります。
空襲についての国際法について「空戦法規案はまだ条約として発効していないから、これを直ちに実定法ということはできないとはいえ、国際法学者の間では空戦に関して権威のあるものと評価されており、この法規の趣旨を軍隊の行動の規範としている国もあり、基本的な規定はすべて当時の国際法規及び慣例に一貫して従っている。それ故、そこに規定されている無防守都市に対する無差別爆撃の禁止、軍事目標の原則は、それが陸戦及び海戦における原則と共通している点からみても、これを慣習国際法であるといって妨げないであろう。
言うまでもなく、私自身は東京大空襲は残虐な無差別爆撃である、と認識しています。
ただし、無差別爆撃の先例としての重慶爆撃を考えたとき、同様の理由によりこれを「国際法違反ではないと断じるのも、またダブルスタンダードということになります。
日本軍による空爆が戦略思想の転換をもたらし、アメリカの対日政策に大きな影響を与え、より大規模な無差別絨毯爆撃となった、と考えられる以上、東京空襲、日本各都市空襲、広島、長崎への原爆投下が「国際法違反」である、と断じるのであれば、重慶爆撃も
「国際法違反」と考えざるをえません。
もちろん、東京空襲、日本各都市空襲、広島、長崎への原爆投下が「国際法上合法」と考えるのであれば、それは一つの考え方ですし、実際にアメリカは「合法」と主張しています。
いずれにしても重慶爆撃が、都市爆撃と焼夷弾とを組み合わせ、民間人を殺傷し、戦争遂行の戦意を挫くことを目的とした戦略爆撃であった、という事は否定できません。
前記、前田哲男氏作成の「都市無差別爆撃の先例としての重慶爆撃」意見書(甲A5)によると
東京空襲と重慶爆撃との関連について、T「空の戦争」の誕生、U日本における航空主兵理論の生成と展開、V重慶爆撃の実態、W「重慶爆撃」と対日都市爆撃との項目の考察、論証をなし、以下を結論としています。
@ 重慶に対する日本軍の空襲は、都市無差別爆撃の先例として世界に開示された。そこは臨時首都であったので、米・英・ソ連などの在外公館が設置されており、また多くの外国特派員も駐在していた。したがって、空襲の実態は即座に各国政府およびメディアにより(日本を除く)世界に伝達された。イギリスのチャーチル首相が「ゲルニカの暴虐」を対独地域爆撃に利用したように、ルーズベルト大統領も、中国諸都市への爆撃 を「野蛮な日
本」イメージに転化させ、対日無差別爆撃の口実に使うことができた。
A 直接的にも、アメリカの空軍力運用に、それまでタブーだった対都市爆撃の戦略が 採り入れられ、それまで保有していなかった焼夷弾開発に進むのは、「真珠湾以後」ではなく「重慶以後」である。ついで、ヨーロッパでは自制した都市無差別爆撃を日本に対してためらうことなく実行した背景にはー遠因としての「人種偏見」、または直因としての「真珠湾攻撃」や「バターン死の行進」があったとしても、近因に「重慶爆撃」が介在していたことは 明らかである。
B 1944年、B‐29爆撃機が完成すると、ただちに対日都市爆撃が推進された。6月から、四川省・成都周辺を発進地とする対日爆撃が開始されるが、初期の「昼間高々度精密爆撃」が効果不十分と判定されるや、指揮官は更迭され、ヨーロッパ戦線から転戦してきたカーチス・ルメイ将軍が、クレア・シェンノート将軍(中国空軍顧問として「重慶爆撃」を観察し、焼夷弾攻撃の有効性を政府に進言した人物) の助言を受けつつ、「夜間低高度無
差別爆撃」に戦術転換する。この変更にワシントン政府は一切口をさしはさまなかった。
これらの時系列的な対日観の醸成経過と政策決定過程を見ていくかぎり、「重慶に対する無差別爆撃が東京空襲の先行行為となった事実」は動かしがたい。すなわち、「重慶爆撃」が「東京空襲への道」となったものである。
以上のように前田氏は、「重慶爆撃」が「東京空襲への道」となったと結論づけています。 >>344
>>345
重慶爆撃が合法ならば
東京大空襲は無差別爆撃!
広島 長崎は 虐殺!
被害者ヅラするなや? ダブルスタンダードのニ枚舌 卑怯者
歴史を知らない低能ネトウヨが
重慶爆撃、義勇兵役法・・・
米軍の本土空襲による犠牲者数は、トータルでは広島、長崎の犠牲者を上回る。「非人道的」と酷さがしばしば問題になるが、本書はその背景などをいくつか列挙する。
まず「無差別」ということについて。
これはすでに日本が、中国との戦争の中で、重慶爆撃でやっていたこと。
200回以上の爆撃で1万人以上の犠牲者を出している。
独英戦でも双方がやっていた。つまりこの段階では「ルール」がなし崩しになっていた。
加えて撃墜された米軍パイロットに対する日本側の扱いのひどさが米国内で問題になっていた。
捕虜にもかかわらず殺されている。
復讐しよう、という声が高まっていた。
さらに日本では45年に入って総動員体制が強化、6月には「義勇兵役法」ができたことが裏目に出た。
男子は15歳以上が義勇兵に。志願すればさらに若年でも戦闘に加わることができる。
これについて米軍は「全人口が武装予備軍」「日本に民間人はいない」とレポート、無差別攻撃の正当化に弾みをつけた。実際、6月中旬以降、空襲の犠牲者が激増する。
カーチス・ルメイ少将は、非戦闘員を狙った明らかな無差別爆撃だとの批判に、戦後の回想記の中でこう語っています。
「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の民家は全て軍需工場だった。民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか…。」
そのルメイ氏に、日本政府は六四年、「航空自衛隊の育成に協力した」との理由で、勲一等旭日大綬章を贈りました。 >>297
戦争記念館になる前のクッソ狭い敷地のダーウィン爆撃記念館に行ったけど
受付兼館長のオヤジが「日本人でここに来たのお前が初めてやぞ⁉」っと謎のリップサービスくれたわ
んな訳あるか〜い >>306
>>344
お前が歴史を知らないんだよ?低能が
https://i.imgur.com/YP0dEwX.mp4
記者「我々には日本に原爆を落とした責任があり・・・」
トランプ「素敵な討論だ。真珠湾の話をしよう」
トランプ「誰が先にやった?」
トランプ「”真珠湾”ってのがなかったっけ?ん?」
トランプ「あのな あのな」
トランプ「原爆でブチのめしたのは奴らが先にやったからだ」
トランプ「奴らは日曜の朝にやってきて史上最悪に卑怯な攻撃をした」
トランプ「理想主義もいいけどよ、日本は戦争を仕掛けてきたが俺たちのほうがはるかに強くて頭が良かった」
トランプ「だからブチのめしてやった」 >>232
それはしらんなー。家系図調べたらなんかわかるかもね。 日本は満州では日の丸マークあげてアヘンを販売してたそうで、それは密売とは言わないよねw 阿片と政治家といえば岸の名前ばっかりあがるが、首相だった大平正芳も興亜院で蒙疆連絡部経済課主任、課長をやってたわけで、満蒙のアヘン政策に
一番深く関わっていたのは大平だろうねw 総理の福田赳夫も汪兆銘政権で財務顧問やってたそうであるしw ほんとここらの歴史はどこ切り取ってもクズオブクズで先鋭的ケンモメンの俺でもあんま見たくなくなるわ
まぁ個人的に言わせてもらうと、中国とか思いつく限りの陵辱されといてお人好し通り越して頭おかしいだろと
それなりに日帝の悪事を教育されてるだろうに、何で旅行来たり日本企業に普通に商売させてくれてんだよと
よく「歴史を忘れるな」とか言ってるけど歴史を忘れてるのはお前らだよ
ここらやっぱ大陸国家だと侵略の経験が桁違いだろうから緩いのかねぇ >>353
陸軍は住民に対する被害の割に効果が薄いとして空爆を中止している
陸戦と空戦は別。空戦に対する国際法は締結されていない >>354
無差別爆撃は第二次上海事変における国民党の方が先
>ついで、ヨーロッパでは自制した都市無差別爆撃を日本に対してためらうことなく実行した背景には
ドレスデンを都合良く忘れている
長文の割に考慮に値しない駄文だ >>357
戦争が真珠湾から始まっていると思っているトランプこそ歴史を知らない
http://www.soshisha.com/book_wadai/43freedom/
《国民も議会も我が国(アメリカ)の参戦に強く反対であった。したがって、大勢をひっくり返して参戦を可能にするのは、ドイツあるいは日本による我が国への明白な反米行為だけであった。ワシントンの政権上層部にも同じように考える者がいた。彼らは事態をその方向に進めようとした。つまり我が国を攻撃させるように仕向けることを狙ったのである。》
《私は、日本との戦いは狂人[ルーズベルト]が望んだものだと言うと、彼[マッカーサー]はそれに同意した。》
《日本に対して原爆を使用した事実は、アメリカの理性を混乱させている。……原爆使用を正当化しようとする試みは何度もなされた。しかし、軍事関係者も政治家も、戦争を終結させるのに原爆を使用する必要はなかったと述べている。》 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています