筆者は若い頃から民俗学が大好きで、宮本恒一の熱狂的ファンを自認し、その真似事をしながら、山登りの途中、深い山奥の里を訪ねて、その土地の人と世間話をしながら、新しい民俗的発見をすることを楽しみにしていた。
 かつて、揖斐川の上流に徳山郷 という平安以前に起源を持つ古い村があって、その奥に能郷白山や冠山という奥美濃山地(両白山地)の名峰があり、このあたりの山深い雰囲気に惹かれて何度も通った。今は無意味な形骸を晒すのみの巨大なダム底に沈んだ徳山の里は、筆者の足繁く通った1970年代には、いくつかの立派な集落があり、春から秋までは渓流釣りマニアでずいぶん賑わったものだ。

 そのなかに、名古屋からUターン里帰りした中年女性の経営する小さな飲食店があった。そこでよく食事をして世間話に興じながら、おばちゃんに村の事情を聞いていたが、実におもしろい話がたくさんあった。
 一番凄いと思った話は、近所の農家の中学生の娘が妊娠したことがあったが、その相手は祖父だったという。しかし、当時の徳山では、この程度は全然珍しいものでなく、ありふれていると言ったことの方を凄く感じた。
 夜になると近所の若者が飲みにくるが、必ず店仕舞のときまでいて「やらせろ!」としつこく強要し、うっとおしくてかなわないという話や、この村では後家女性がいれば、婿入り前の若者たちの性教育係を務めるのが村の伝統的義務とされているというような話も驚かされた。

 こんなことを書くと、かつての徳山村が異常性欲者の集まった変態村だと勘違いする若者がいるかもしれないが、2ちゃんで低俗な浅知恵しかないくせに筆者を小馬鹿にしている阿呆どものように、くれぐれも教科書に書いてあることや、学校のテストに出る知識だけがこの世の真理だと勘違いしないように。
 学校教育や世間の常識というものは、人を無知蒙昧の、命令されたことしかできない家畜人を作り出すために国家権力が作り出した陰謀なのである。人を馬鹿から一歩も進歩させないための卑劣な仕掛けにすぎない。そんな罠にはまって、真理から目を背けるアホにされていてはいけない。自分の足で歩き、自分の目で見て、自分のアタマで考え、自分にとっての真理を掴め! 
 思考回路の作り出したタイムマシンに乗って、歴史を遡り、自分の目で昔を見ておいで。地方へ行けば、民俗資料館がたくさんある。そこに展示された昔の生活用具を見つめていれば、それを使っていた人々の日常の姿が思い浮かぶはずだ。家を見れば毎日の情景が手に取るように分かるだろう。 曾祖母くらいの年寄りに昔の話を直接聞いてごらん。驚くほど詳しく語ってくれるだろう。そうして昔の情景が鮮やかに見えてくるはずだ。

 参考までに、昔の性事情を知らない若者たちに言っておくが、戦前の日本では、とりわけ西日本における古代弥生人の末裔たちの里にあっては、国家によって定められた一夫一婦制結婚形態というのはタテマエに過ぎず、それが厳格に守られた事実は存在しない。つまり適当なものであった、というより、民衆レベルでは自由な乱交が当たりまえであって、生まれた子供が自分の子供である必要はなかった。

 というと、ほとんどの若者たちが「ウソー!」と驚くに違いないが、これが真実なのだ。例えば一番典型的だった中国山陽地方の集落では、一つの集落で、結婚まで処女を保つ娘は皆無だった。初潮が始まると、親が赤飯を炊いて近所の若者宅に配る。それが「おいで」の合図となる。その日から娘は離れの座敷に寝泊まりするのである。
 これは、山陽地方(西日本の古い農家といってもいい)の古い農家の作りを見れば分かる。必ず夜這いのための娘の泊まり部屋が設けられていたはずだ。古い民俗家屋展示を見るときは、昔のこうした光景を見るのだ。すべての構造に歴史の深い意味が隠されていると知ってほしい。
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