NECはなぜGoogleになれなかったか――量子コンピューター開発「痛恨の判断ミス」

「量子コンピューターを共同開発したい」
03年ごろ、茨城県つくば市のNEC基礎研究所(当時)を2人の外国人男性が訪れた。
それぞれカナダのベンチャー企業の副社長、特許担当と名乗った2人は、
「私たちは量子コンピューターに関する、ある特許の使用権(ライセンス)を持っている」と話し、共同研究のメリットを強調した。

「突然の話だったので驚いた。怪しげだなと思った」。
二人の外国人男性にNECの研究員として応対した中村泰信氏はそう振り返る。

「ベンチャーとNECは釣り合わない」

しかも、2人のいるカナダの企業には、量子コンピューターの理論の専門家がいるだけで、自前の実験拠点すら持っていないという。
一方のNEC基礎研究所は、有名国立大や国の研究機関をもしのぐ「世界最先端の実験設備」(中村氏)があり、さまざまな特許も保有していた。
微小な炭素材料のカーボンナノチューブなど、ノーベル賞級の成果も複数出していた。

「特許を1つしか持っていないベンチャーとNECでは釣り合わない」。
結局、基礎研究所長だった曽根純一氏の判断で申し出を断ったと、複数の関係者は証言する。
今でこそ、大企業とベンチャー企業が組んで研究開発をする「オープンイノベーション」が
当たり前になっているが、曽根氏自身も「当時の日本には、まだそういう感覚がなかった」と振り返る。

このカナダ企業こそ、八年後、限定的な用途に特化した「特化型」のタイプながら、
世界初の商用量子コンピューターを発売したDウエーブシステムズ社だった。
同社が話を持ちかけたのは、NECがその数年前、量子コンピューターの根幹技術を開発していたからだった。

根幹技術とは、量子コンピューターの計算の基本単位となる「量子ビット」の回路の作成で、
基礎研究所にいた中村氏と蔡兆申(ツァイヅァオシェン)氏が99年、世界で初めて作成に成功し、
英科学誌ネイチャーに発表した。量子ビットはあくまで理論上のもので、
「モノ」としてつくるのは難しいとみられていただけに、論文は世界的な反響を呼んだ。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1912/28/news006_2.html