【悲報】 山上八幡神社、前九年の役の絵巻が奉納されていた 朝廷が安倍一族を討伐 [399259198]
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古墳群のすぐそばにある立派な神社
山上八幡神社は近鉄大和西大寺駅の北東側、近鉄平城駅にも近いやや小高い丘に建つ神社です。
神社の境内は全国有数の古墳群として知られる「佐紀盾列古墳群」に取り囲まれるように位置しており、周囲にはかつて神功皇后陵であるとされていた日葉酢媛命陵(ひばすひめのみこと)、また称徳(孝謙)天皇陵、成務天皇陵、瓢箪山古墳、猫塚古墳など数々の古代古墳が位置しており、うっそうとした古墳の「森」に囲まれた小道を歴史愛好家が地図を片手に散策する姿も多く見られます。
https://narakanko-enjoy.com/?p=10009
https://i.imgur.com/LQ9gcTW.jpg
前九年の役
この戦争は、源頼義の奥州赴任(1051年)から安倍氏滅亡(1062年)までに要した年数から、元々は「奥州十二年合戦」と呼ばれており、『古事談』・『愚管抄』・『古今著聞集』などにはその名称で記されている。
ところが、『保元物語』・『源平盛衰記』・『太平記』などでは「前九年の役」の名称で記されており、それが一般化して現在に至る。
これは源頼義が本格介入した年を基準として戦乱を9年間と計算したという説や、「奥州十二年合戦」が「後三年の役(1083年-1087年)と合わせた名称」と誤解され、12年から3年を引き、前段について「前九年の役」と呼ぶようになったなどの説がある。
朝廷側の兵力はおよそ10,000人と推定され、うち源頼義率いる軍は3,000人ほどであった。
清原氏の参戦によって形勢は一気に朝廷側有利となった。緒戦の小松柵の戦いから朝廷軍は優勢であった。同年9月17日に安倍氏の拠点である厨川柵(岩手県盛岡市天昌寺町)、嫗戸柵(盛岡市安倍館町)が陥落(厨川の戦い)。
貞任は深手で捕らえられ巨体を楯に乗せられ頼義の面前に引き出されたが、頼義を一瞥しただけで息を引き取った。その首は丸太に鉄釘で打ち付けられ晒された。経清は苦痛を長引かせるため錆び刀で鋸引きで斬首とされた。こうして安倍氏は滅亡し戦役は終結した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/前九年の役 世が世なら錆びた刀で鋸引きだったんだから銃弾で死ねたシンゾーはまだついてたんだな そこまで遡れるなら山上ブラスターの名前は那須与一とかにしちゃってもいいかもね。 山上前、山上後で時代の空気が変わった
後世、2022年は時代の転換点として歴史の教科書に載るだろう 八幡太郎に負けたんやな!安倍壺三
山上は現代の八幡太郎や! 那須与一が藤原頼朝を射殺しちゃった感じ。
それくらいの歴史の転換期。 安倍貞任と宗任が安倍壺三と岸無能防衛やな同じ兄弟やし 安倍晋三って、先祖はどこの出身なん?
山口藩毛利家に仕えたのは、いつごろ?
それ以前は? 都市伝説としてはめちゃくちゃ面白いけど扱いづらいよな 本気で一度参拝したいは
賽銭は日本会議に流れるだけだからやらないけどな 「金」の名字の由来
https://folklore2017.com/253.htm
※ 平安時代になると、朝廷に下った「和(にぎ)蝦夷」と、抵抗した「荒(あら)蝦夷」に分かれた。荒蝦夷は征夷大将軍に討伐されて大和朝廷下に組み入れられた。これらの中の有力な氏族と言われるのが、東北地方のいわゆる「コン」一族である。「今」「金」「近」「根」「昆」「今野」「金野」「紺野」「昆野」「近野」「今埜」「今田」「根田」「近内」「今間」。
■ 金(きん、こん、かね)
# 陸奥国気仙郡・磐井郡の古代豪族に金氏がいた。新羅からの渡来人という。安倍氏と並ぶ豪族で、前九年の役では安倍貞任方に川崎城主の金為行が、源頼義方に金為時の名が見える。室町時代、一族の多くは葛西氏に仕えた。 >>19
# 平安時代以降に岩手県南部に勢力をもった豪族で安倍倉橋麻呂を遠祖とする。勢力内の金山から産出された金を朝廷に献上したことにより「金」姓を賜った。
# 金: 新羅国の金閼智(きんおち)の子孫を称する一族がある。日本国内では金氏を称し、奈良時代に武蔵国新羅郡(新座郡)に多数移り住んだ。金氏は九州にも移住し、また東北の岩手県で栄えた。金氏は阿部氏の一族ともいわれる。
・ 陸奥国の気仙郡・磐井郡の金氏は、丈部系の安倍氏が気仙郡の郡司になったときに金氏を賜った。 8/3
【奈良】安倍元首相暗殺現場から徒歩10分の「山上八幡神社」が話題に 「聖地」になる危険性も ★2 [樽悶★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1659475543/ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています