富野 アニメをアニメとして見るのではなく、自分の生活と感覚の延長線上にあるものとしてみているんです。だから物語の都合や予定でキャラクターを動かすことはしません。
そこに気を付けるとひとりひとりのキャラクターに人格が見えてきます。そしてそういうキャラクターが作れると、セクハラをしている暇なんてありません。
その子を気に入って気持ちよくなれてしまうから。僕がオリジナルでその感覚を持ったのはセイラ・マスでした。
セイラの次にマチルダ・アジャンというキャラクターを生み出せた時は、身震いしたものです。アニメだと思って舐めないで良かった。
けれどアニメだから、漫画絵だからと舐めている奴がスタッフの中にかなりいて、そういう奴とそうじゃないやつの違いは正直かなりあります。
なぜなら、正気になったとしても、そのキャラクターを好きでいられる、こいつなら寝ただろうと本気で信じられる存在はいるからです。
その実在感や肉体感みたいなことが持てないと地獄が生まれます。『G-レコ』にもそういうキャラクターがひとりいます。
僕はアイーダのことがまったくわからなかった。だからああなってしまったんです。
https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1657761725