「先生が教える」という考えはもう古い

新しい教育の何が「大改革」なのかといえば、明治維新以来150年続いてきた、「先生が一方的に何かを教える」という教育のありかたが、変わってしまうということです。

たとえば「分数の割り算をどうやるか」。従来は、先生が子どもたちに「割る数の分母と分子をひっくり返して掛ける」と一方的に教えていました。

しかしこれからは、「分数の割り算をどうやるか」について、子どもたちが次の授業までに考え、スライドショーにまとめて、クラスで発表する。それから皆でディスカッションして、正しいやりかたにたどり着く。そんな流れの授業が、だんだん定着していくものと期待されています。

すでに世界の初等中等教育では行われている、先生が教えるのではなく生徒が教える「反転授業」、スライドショーでプレゼンして、それを皆でディスカッションして、正しいやりかたにたどり着く「アクティヴ・ラーニング」が、当たり前のように日本の小学校、中学校でも行われるようになっていくわけです。

(中略)

いままでとは違う、これからの「できる子」

しかしこのギガスクールの時代、日本の教育のありかたは、根本的な変革を余儀なくされます。

結果、起こるのは、一般的にいう「エリート」とか「成績のいい人」の基準が、いままでとは大きく変わってくるということです。これまでは、先生が一方的に教えてくれる「正解」をできるだけたくさん頭に覚えた生徒が、「成績が良い」生徒ということでした。

しかしこれからは、違います。ギガスクールでは、成績のいい子の基準は次のようなものになります。

・問題を発見できる子
・その問題をプレゼンできる子
・正解があるかどうかもわからない問題の正解を求めて探究できる子
・探究の結果をプレゼンできる子
・プレゼンを聴いて、質問のできる子
・自分の考えを積極的に述べてディスカッションできる子

10年もすれば、このギガスクールで育った第一世代が、大学卒の新入社員として、会社に入ってきます。このように育った世代が、入社3年目にして、早くも会社を大変革させる。そのような状況が、この国のいたるところで起こってくるのではないでしょうか。

「先生から教わるばかりでない教育」を受けてきた若者たちは、問いを見つけ、その問いについて自分の頭を使って考える、つまり思考する習慣ができているからです。

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