【悲報】鎌倉殿の13人、北条義時がヤバすぎるwwwwwwwwwwww [308389511]
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善児はトウを殺さなかった時点で既に人の心が芽生え始めてたってことなんだろうが、昨日のいきなり感は若干否めなかったな
ていうか突拍子もないけどそんなに一幡が可愛いのならむしろ義時を殺せばよくない?って思ってしまった
仮にも暗殺者なんだし 所詮は北条家の政権奪取にしかないのに…と思うと、演出有りありな大河ドラマは観ていない >>330
見てなくても吉橋姫を漁師の嫁設定にしていたとか
番宣等で否応なく知っちゃうんだから
それだけで叩く権利あると思うけどなw
ちなみに吉橋姫は今の八千代市の吉橋を治めていた吉橋氏の娘な
れっきとした武士の娘なんだけど
不勉強なバカ脚本家はそれをガチで知らなかったのさw 大江広元を始めとする文官たちも当然のように北条に従ってるのは若干違和感あったな
まあ武力を前にしたらどうしようもないのは分かるけど、もう少し葛藤とかないのかと >>334
上皇もそんな事言ってたから多分そういう設定 >>335
ナイフ持ったままの善治が義時狙ってそうで微妙な空気になった
そこをトウが「水遊び」に誘って解散させた
出来る女だ >>340
うーんそこは俺も気になって何回か見返したんだけど、善児としては刀を抜く構えを見せながら自分の前に出た義時に狼狽えてただけじゃないかなあ
トウとしては、義時を察したので自ら一幡を水遊び(意味深)に誘っただけかと でも番宣は見たんだよな
やっぱりお前も見てから言ってんじゃん しかし北条時政と政子はよく子供や孫をあんなに殺せるもんだな
実行は義時の方なのかもしんけどそれも親戚だし
現代から見るとここの心情はどうにも理解しにくい >>216
純粋なスポーツ愛に人生を捧げていたオリンピック開催委員長の嘉納治五郎が1940年東京オリンピック開催に執着するあまり
国家主義とか排他的な愛国心に取り込まれていくのを弟子筋の主人公が見かねて「今の日本はオリンピックを開催するに値するのですか?」と絶叫する所がクライマックスだったね。 >>216
ここ20年だと間違いなく上の方の良作だったな
後半になればなるほど前半の蓄積が効いてくる
落語は…まあ…うん しかし歴史ドラマは歴史ドラマでしかないのによくやるよな
史実あれこれいうなら学会行ってくれ
作劇は作劇だっての いだてんが合う合わないって話ならまだ理解は出来るが
あの程度の話の作り方が難しい、理解出来ないってのならもう時代劇チャンネルで水戸黄門だけ見てれば?とは思ったなあ >>319
藤原と一くくりにするけど藤原の治世は長すぎてここまで短期間にいろいろ起きてない
織田はトラブルが多かったが裏切っても帰参を許されたケースもかなりあるし、例えば失脚した佐久間信盛なども命まではとられてない
あくまでも身内でなく敵に厳しかっただけ
豊臣は秀次には残忍だったが、むしろ初期は寛容だし
織田も豊臣も徳川もケースバイケースで対応してるだけで鎌倉御家人みたいな内ゲバとは違うからな 横並びの御家人が権力争い始めたらこうなるのは予定調和
貴族や後世の大名連中と比較するのは背景が違いすぎる >>331
尺足りなくね問題はもう毎年言われてるから特に脇役の扱いについては我慢しろ
主役やメインイベントの描写不足は批判していいぞ 今回、実験的?なのは登場人物が多くて群像劇風な部分でしょ
登場人物が多いときちんと話しを追えてないとついていきにくいし、ただでさえも題材としては少ない時代
本来ならちょっと玄人向け内容、それでどうやって見せるかという工夫
キャラを濃くして、視聴者にわかりやすくする
ここらへんは三谷は得意 >>353
清盛の治世はこんなにドロドロしてない
やっぱり源氏か東国かその両方に問題がある >>356
今回の宗盛と義経のやりとりは平家は身内を殺さなかったが、源氏は親兄弟でも殺しあう対比をやってるということらしいね >>356
清盛自身は叔父を殺したりして結構ドロドロだし
貴族化した上に権益を平家で独占して平家内の争いを抑えた代償として
他の武士どころか貴族や皇族からも恨みを買って総スカン状態になったから早々に滅んだ
これも背景が全然違う >>356
平清盛でも源氏は身内で殺しあってたからな >>358
平忠正を斬ったのは保元の乱の結果で個人的な理由ではないでしょ
保元の乱は400年来の死刑廃止の終焉だったわけで
源氏は保元の乱に関係なく殺しあってたから
義平と義賢、義光と義忠など
平家都落ちのときも頼盛は鎌倉に逃れたけど頼盛が身内の処刑など行ってはいない >>23
吾妻鏡的にはあそこまでは時政主導で畠山の件で壊れる設定なんだけどな >>351
受信料を払ってる視聴者がわからないと言ってるからクドカンの独りよがり >>362
当時に公私の区別なんてないし
能員の息子で生き残ってる奴もおる >>363
言うて執権になって2年と持たず追放されとるからなあ >>338
大江広元は京都でぱっとせず鎌倉で花開いた人間なんでなにより幕府なんだと思うけど
元は京の貴族だからそれほど源氏への忠誠心なんてないだろうし
梶原景時の変では梶原失脚には難色を示したと伝わるけど
承久の乱では主戦派の筆頭だった
のちに大江の子どもから西国一、一時期は日本一の所領を誇ったという毛利家が生まれ、幕末までキーマンになっていくという >>365
おいおい保元の乱の処刑はきちんと罪名宣下が行われて法治に則った処刑だぞ
ただ平安朝は初期の平城上皇の変(薬子の変)以降死刑が行われていなかったので当時は相当な衝撃だった
しかも死刑は武士にだけ適用されて貴族の処刑は行われていない
この3年後に行われる平治の乱で頼朝が許されるのも当時はまだ死刑に拒否感があることも念頭に入れないと >>368
敵味方に分かれて争ってる時点の話という事も理解せんとか
武士なんて処刑云々以前に戦で首切られる事のある仕事なんやで
それに北条もキッチリ能員の息子助けとる言うとるやろ >>194
ゴッドファーザー、仁義なき戦いは組織同士の戦いなのが大きい
今作は組織の内ゲバだから爽快感が無い
どっちかというとゴッドファーザー3のテイストに近いかな >>369
保元の乱は院政や摂関家の争いであって武士はそれに参加しただけなんだから平家自体の内ゲバとは本質的に違うだろ
頼盛と清盛は確執があったが積極的な殺し合いはしてないし
河内源氏は義朝と為義は平治の乱以前から仲違いして義平が義賢を殺害
そもそも為義頃の源氏の衰退の一因は義光による義忠暗殺と下手人を勘違いした為義による義綱一族の粛清といった内ゲバで衰退していったのは有名な話し
頼朝は源平合戦の最中でも叔父の行家や義広、入京前の木曽義仲とも対立してる >>371
平家は権益が巨大になり過ぎて勘違いしてるけどあくまで家
平氏のレベルで見たら内輪揉めしまくり定期やぞ
清盛一代で短時間に権益拡大したから家のレベルで内輪揉めする要素が生まれなかっただけの事
全然背景理解しとらんな 保元の乱と違って罪状もはっきりしない比企一族を皆殺しにすること自体があたおかな話しで『助けた』って話しではそもそもないしな
比企氏が滅亡したために詳細な状況すらよくわからない話しなわけで >>372
義朝と為義なんぞ関東の権益の奪いあいで親子で実質殺し合いしてたじゃないか
源氏と平家の違いはある意味、ブランド力だと思うぞ
武家の棟梁が誰か?源氏では一族で常に議論になるわけだが、平家ではそういったことは起きてない
ブランド力が低いこで一門でバリューをあげようとしたが、源氏は平家より最初からブランドがあるのでトップを巡り内ゲバになる >>374
順当に出世した忠盛清盛ラインとパッとしない為義からの義朝の権益を一緒にしてる時点で馬鹿馬鹿しいな
その事を理解もせずに源氏が最初からブランド力が有るとか何を言ってんだ? おそらく足利徳川と続く中で作られた虚構に踊らされてる感じなんやろな
後に色々な都合で持ち上げられただけで当時の源氏に言うほどブランド力無いからな >>376
足利なんて後から着けた源氏の嫡流だもんな
格的には新田と遜色ないが鎌倉政権で北条に近かっただけなのにな
徳川はもっと酷くて土着の松平じゃ箔がつかないから世良田とかを出してむりくり源氏の流れにしたし >>375?
順当でじゃなさすぎて白河院の御落胤説がでまくった清盛がか?
三位以上には武装貴族がなった例はなかったんだぞ もともと
河内源氏は摂関家の武力
平家は院の武力だから院政期に源氏封じ込め行われただけで源氏が平家よりブランドが上だったから板東平氏が頼朝担ぐあげた根本が理解できたないな
なんで奥州藤原秀衡が、親類でもない義経を大将にしろと息子たちに遺言したと思ってるんだ >>378
足利は頼朝時代から身内扱いで源氏の生き残りだから北条も鎌倉幕府の正統性のために重宝したわけでな >>379
為朝義朝のパッとしない権益と順調だった忠盛と大出世を遂げた清盛の権益の規模を比較して家中で争う必要があったのかという問いかけに意味のないレス返して恥を晒すなや >>382
鎌倉幕府っていう強大な権益をめぐって殺しあった源氏との違いを説明できてないぞ だいたい頼義はそれなりに出世した上での息子一族たちが殺し合いしたわけだからな >>383
御家人の力が強すぎて鎌倉殿の権益が大した事ないという結果やけどな
門葉含めた多くの御家人に権益分配するから平家で独占した権益の規模と比べるべくもない >>381
結城朝光に喧嘩売られる程度の正当性で草
言うほど重宝されてないから平賀は討たれた >>385
のちに一門で守護独占しまくった足利一門の内ゲバは壮絶だったが
同じように独占しまくった北条一門はそこまで内ゲバだらけじゃないわな
名越のように滅ぼされた一族もいたが
それは理由にならないんじゃないか >>386
平賀なんかを滅ぼしたあとだから足利を残したんだろ
鎌倉時代の流れもわからないで言ってるのか? 官位からも特別なのは将軍1人と分かるぐらいに将軍「家」には権益がない >>387
一門は家じゃない
規模が全然違い過ぎる
全然理解してなくて草 平氏を自称しながら北条が将軍職につかなかった時点で源氏と平家のブランド力が大差なことを理解できないと
くそみたいな家柄でも徳川は源氏を担いで自称した >>388
足利滅ぼす理由もない
平家だって頼政重用しとるぞ >>390
じゃあ都落ちした平家一門は再従兄弟クラスの繋がりも多かったがあれが同じ家だと思ってるのか
外戚の時平なんかも含まれてるのに?
平家だから同じ家だとむしろ勘違いしてないか? >>392
頼政は摂津源氏でまったく別系統
頼政はちなみに鳥羽院系の人間で、平家に付き従っていたわけではない
もともと以仁王の令旨は、以仁王VS高倉天皇の問題だから鳥羽院系の頼政は以仁王に味方した
平家の権益問題とは関係がない >>391
頼朝が特別だから頼朝に近い血が多少重用されただけで源氏のブランドじゃない
源氏にブランド力有ったなら血縁のある平賀や足利担いで問題なかったという事になるけど
現実は違う >>395
平賀が将軍に担ごうとされたのにか?
梶原景時は武田を担いで源氏将軍を乗り換えようとした説もある
むしろ初期は源氏なら誰でも良かったぐらいだぞ >>393
権益大きかったから多少血が遠くてもおこぼれにあずかれた奴が多かっただけの話 源氏なら誰でもいいと思ってるやつが多かったから義時、政子が実朝が死んだあと源氏を粛清しまくったことが理解できてないな
足利はたまたま生き残ったんだが、のちには鎌倉政権に源氏の血筋も必要ということで重宝された >>396
担ごうとした時政もろとも速攻潰されたのが現実
そんだけ御家人からしたら意味不明だったんやろな >>397
家ってのは相続されていくもにだから横広がりにはならない >>398
源氏というより頼朝の血筋を消したんや
権力の安定化のためとはいえ業の深い話 >>400
成功したら親戚が増える理論だから厳密な話じゃないぞ
厳密な話だったらそもそも「平家」なんて呼ばれん >>399
意味不明なら殺す価値ないな
平賀は頼朝存命中から一門として扱われてたんだが
安田義定なんかも粛清されてるし、なのある源氏が抹殺されまくった事実が理解できてないのか
危険だから殺された
今回の大河でも鎌倉殿のすげ替えを狙う描写をたくさんあるだろ >>401
頼朝の血筋なんてそこまで重視してないよ
それなら頼朝の近親から迎えた藤原将軍を見捨てるはずがない
もっとブランドがある皇族がいれば良かったんだよ >>402
平家ってのは伊勢平氏とその縁者を利権集団としてザ・『平家』って括ってるだけの話しだろ
厳密な家制度とはちょっと違うな >>403
義定殺したの頼朝で義時政子関係ない濡れ衣で草 >>404
そりゃ皇族のブランドに比べりゃ頼朝本人ならともかく頼朝に近い血が霞むのは当たり前やんけ 源氏とはとどのつまりは天皇家の分流、平氏もそうなんだが、源氏と平氏では平氏の方が格が高いというのはその成り立ちの違いからそうなってる
だから皇族がいればそれでいい問題はのちに徳川5代将軍を皇族から迎える議論があったことでもわかる >>406
そもそも源氏の殺し合いの話ししてることも忘れたのかw >>405
というより清盛を中心に拡大した血縁権益集団
あくまで清盛個人(後はせいぜい父親の忠盛)に寄る所が大きいから「家」という表現に落ち着いたんやろ
そもそも厳密にしようとしたのはそっちなのに何が言いたかったんや? >>409
平氏の殺し合いの話をしたきゃ将門の時代からいくらでもできるやろ >>412
平氏といっても将門は河内源氏も生まれていない源経基の時代
時代の尺がわかってないな
そもそも武家の棟梁の源流とは将門、純友の乱を鎮圧したものたちの後裔をさす
基本が理解できてないな
武家の棟梁という価値観がない時代を持ち出すなんて >>411
清盛一門が『平家』じゃん
時政以降の北条一門とほぼ道義じゃん
得そう家みたいな狭い定義じゃないし まあ平家というのは血縁だけでなくその家人、郎党たちも含めて呼ぶのだは >>413
時代を下って鎌倉時代の内輪揉めも坂東「平氏」を始めととした平氏が中心みたいなもん
つまりいくらでも話ができる >>415
だからそっちが勝手に狭い定義の話を始めただけやん
ホンマ何が言いたいんや? >>417
逆に言えば将門を倒した貞盛の系統以外が武家の棟梁を名乗るのはおかしいからね
房総平氏だのなんだのは将門や貞盛のじいさんの代で別れてるし
貞盛の本流の平直方は娘婿に頼義を迎えた、頼義はただの源氏ではなく桓武平氏嫡流をこの時、吸収、さらには将門の血をひき房総平氏に繋がる平忠常を従える
摂津源氏と並び河内源氏有力だったのは実は平氏本流を吸収したこともある
伊勢平氏は直方系からみれば支流でもともとぶが悪い >>419
平氏同士の争いの話をしてるのになんで話逸らすん? ほぼ親父のせいに仕立て上げると思ったら違ってよかった >>420
平氏に武家の棟梁争いなんて聞かないブランドがないから これが成功して戦国幕末のローテから脱却できればいいんだけどな >>423
今期の朝ドラに出ている
沖縄感が高い女優達をそのまま使い回して
邪馬台国な大河をやるとかか >>422
武家の棟梁なんて平氏政権を経て頼朝の頃に確立した新たな概念
平氏も平宗盛が惣官になってるからブランド関係ない事が分かる >>425
武門の棟梁といった言葉は、平安後期には登場するよ
ただそれが唯一の人間を指すわけではなかった
複数の有力者がいて、朝廷に賊の追討なりの権限を与えれた者たち
それらが中央政界の権力争いと関わるようになった保元の乱以降、武門の棟梁が平家政権や源氏政権に一本化されるんだろ
源氏ブランドは平安時代には存在して明らかに板東平氏のそれより上だった
以仁王は平家政権=高倉天皇の系譜に対抗するために平家以前のブランドだった源氏核各流を焚き付けて、平家政権の転覆をはかった
以仁王、頼政を討っただけで終われば良かったのに平家は執拗に以仁王の令旨を受け取ったものを詮索したので、かえって各地の源氏が報復を恐れて蜂起するに至った
頼朝が数ヶ月令旨を放置したのも別に平家政権への不満はなかったあらわれ、源氏的にして令旨送りまくったんだから源氏の棟梁争いになるのは必然
頼朝じゃなくて源氏政権の種を撒いたのは以仁王と以仁王の令旨を配った行家ではないか >>426
長々と言葉遊びで必死に話逸らしてるところすまんが
平宗盛が惣官になってる時点で論理破綻しとる >>427
だから平家はそこまでブランドないから清盛や宗盛をみんなで担いだ
源氏はそこまでしなくてもブランド力があったから頼朝の代わりなんていくらでもいたという話しをしてるんだよ
義仲でも行家でも良かったし、以仁王の令旨の時点で源氏の最高位は頼政でまさにその頼政を以仁王は連れていたんだ 頼政自身が平家の引き立てがあったものの三位という権威になってたけど重要なのは以仁王(の令旨)であって頼政じゃない
関東では過去の経緯から頼義義家親子に多少のブランド力が残っていたから神輿になった
その上で頼朝が圧倒的な実績をもって新たなブランドと化した
つまり源氏にブランド力があった訳じゃない 嫁が自分から離縁を申し出たように描いてたけど言わせたんだろうなと思いながら見てた その後に幕府を立て尊氏や家康が自ら頼朝に準えてブランドの拡大再生産が行われた事で現代まで続く源氏のイメージが確立して貴方の様な勘違いが生まれてる ちなみに頼義義家親子が関東でブランド化した1つの要因として頼義が平氏の婿になった事も大きいやろな
つまり所謂源氏として有名な氏族は元々平氏ブランドも継承していたというオチ ちょっとずつ黒くなって行ってたけど
前回比企を滅ぼすと決めた所で完全に闇堕ちした感じ
善児の所に出向いて一幡殺そうとした時も何のためらいもなくて怖すぎる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています