そんな明弘さんがこの20年の間に「恵子を取り戻せるかもしれない」と期待をにじませた時期がある。14年5月、日本と北朝鮮がスウェーデンで政府間協議を行いストックホルム合意を結んだころだ。

 北朝鮮側は、拉致被害者や拉致の疑いがある特定失踪者などについて、全面的に再調査を行うと約束。日本側は、北朝鮮が調査を開始した時点で、独自に行っていた対北朝鮮制裁の一部を解除すると表明した。

 当時の首相は安倍晋三氏。日本では珍しく長期政権が見込まれていた。北朝鮮側は、そんな日本の政治状況を踏まえ、国交正常化を視野に合意に応じたと見る向きが強かった。

 「安倍さんだから、信じているんだよ」。北朝鮮側が一度決めた、死亡という娘の調査結果を覆すハードルが高いことは承知の上で、明弘さんは期待をのぞかせ続けた。

 だが、現実は厳しかった。政府関係者によると、しばらくして北朝鮮側は水面下で日本政府側に再調査結果を告げたが日本側がのめる内容ではなかったという。そして、北朝鮮は核・ミサイル開発を本格化させ、ストックホルム合意は徐々に形骸化。新型コロナウイルス禍が深刻化する中、20年9月に第2次安倍政権は終わりを迎えた。

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