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『歴史道』(週刊朝日ムック)
「わが国最古のまとまった『国史』を編集した聖徳太子は、中国の歴史書を学ぶ中で卑弥呼の存在を知ったと考えている。しかしかれは国内の伝承に拠って『国史』をまとめ、卑弥呼のことに触れるのを避けたらしい。
 そして7世紀末に、天武天皇の命で日本の官撰の史書の作製が始められた。
(中略)
その作業をつうじて、『魏志倭人伝』の記述の一部が、『日本書紀』の「分注」として記されることになった。だから国内の記録だけに拠った『古事記』の神功皇后の部分には、邪馬台国の卑弥呼に関わる記述が見られない」