『チェンソーマン』はなぜ“実写映画的”なアニメになったのか 脚本・瀬古浩司インタビュー

■中山竜監督たちはエネルギッシュでクレバー

――中山竜監督とはどんなやり取りをしましたか?

瀬古:このト書き(登場人物の動作を指示する部分)をもうちょっと前にほしいとか、ここにちょっと描写を足してほしいとか、具体的なところのやり取りが多かったですね。

――中山監督は、別のインタビューで写実的なアプローチでいきたかったとおっしゃっていました。脚本の打合せの時にもそういう会話は特になかったのですか?

瀬古:監督が写実的なアプローチをしていくというのは脚本会議の後に知りましたが、僕も『チェンソーマン』は映画的な漫画だと思っていて、そういう方向で書いていましたから、狙いが合致していたんだと思います。

――中山監督をはじめ、メインスタッフに若い世代が多い作品ですが、彼らのセンスは瀬古さんから見ていかがですか?

瀬古:すごくパワーがあってエネルギッシュだなというのが第一印象ですね。でもただ勢いがあるだけじゃなく、非常にクレバーでスマートだなとも思いましたね。
業界的な感覚で言うと、僕のまるまる1世代下という感じです(実際の年齢は違うと思うのですが……)。
僕がアニメ業界に入った頃は、まだほとんどの人が紙に鉛筆で手描きという時代でしたが、監督たちは完全にデジタル世代と言ってもいいのではないでしょうか。
『チェンソーマン』は派手な描写が目につきやすいですけど、日常描写とかもすごく魅力的で、そういうシーンにこそ監督のこだわりである写実的なアプローチが生かされていると思います。
アニメって、ただ歩くとか、椅子から立つ・座るとか、コップに水を注ぐとか、そういう日常的な動作を自然な動きで描くというのがすごく難しいのですが、そういう部分に真っ正面から挑んでいて凄いなぁと思います。

――『チェンソーマン』は実写映画的な作品という言葉が出てきましたが、実写的とアニメ的とは瀬古さんにとってどう違うものでしょうか。これは感覚的な部分で、人によってもバラつきのあるものだと思いますが。

瀬古:確かに、それは人によって全然違うと思います。また完全に僕個人の感覚的な部分なのでうまく説明できないんですが、表面的な部分に限って言うと、
アニメの場合はインサートショットやフラッシュバック、イメージシーン、あとはモノローグが多かったり、現実ではありえない角度から撮られていたりすることが多いと思います。
あと、僕の感覚では、アニメは実写よりもカットが忙しいという印象は受けます。
ただ、じゃあじっくり間を取ったり、長回しをしたりすれば実写的になるのかというとそういうことでもなく、あとは例えばキャラクターの動きにしても、実際の人間の動きをそのままトレースすれば実写的になるわけでもないので、難しいですよね……。

――瀬古さんは制作進行出身ですが、もともと脚本家志望だったのですか?

瀬古:僕は元々、実写の監督になりたくて実写の専門学校に行っていたんですけど、実習で実際に映画を撮ってみたら全然肌に合わなかったんです。
めちゃくちゃ寒い日に朝早く起きて重たい荷物持って遠いとこまで行って、夜遅くに帰って来てやれやれと思ったらまた次の日も朝早くに別の遠いところまで行って……という(苦笑)。
それが2週間とか続くんで、これはちょっときついなと思って、で、卒業後にあるきっかけがあって、アニメの方に行ってみるか、という感じでアニメ会社に就職して、制作進行になりました。
アニメでも最初は監督になるつもりだったんですけど、まず絶望的に絵が下手くそだし、タイムシートの読み方もさっぱりわからなくて、これは監督は無理だなと思って、じゃあ脚本かなと。結構行き当たりばったりです(笑)。

――なるほど、たしかに実写とアニメの演出はだいぶやり方が違いますからね。最後に、本作をご覧になる方にメッセージをお願いします。

瀬古:なんというか、今って生きるのが窮屈というか、閉塞感がすごいよなぁと感じてて、デンジほどとは言わないですが、
細かいことにがんじがらめになるんじゃなく、多少頭のネジを飛ばして(当然法律は守った上で)自分が生きたいように生きていいんじゃない?
 というようなことを、この作品を観て少しでも思ってもらえるといいかなと。アニメに限らず良い作品に触れると勇気が出ると思いますし、
僕自身、そうやって救われてきた人間なので、この作品を観て、少しでも勇気が湧いてくれたら嬉しいですね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6d5a0f452eec4acb23a296059e8921c1318b7b6e