【画像】古代杵築大社(出雲大社)復元図がデカすぎる。流石に誇張入ってるだろ [237216734]
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>>316
そしてこの人の突っ込みに>>239
考古学ではありえない返しをしてますよね
君ここで完全に化けの皮はがれてますよ >>318
祭祀都市だぞ
祭器に使われていた特殊器台などが岡山県あたりのものと一致するため
多分瀬戸内海勢力の建てた王朝だぞ
渡来系じゃないじゃん
ほらどうした? >>21
単に大きさの象徴として16丈を使っただけだよな
ジャイアント馬場の足のサイズはそこまでデカくないのに16文と言われてるのと同じこと >>313
すぐ壊れたら次はもうちょっとマシなの作ろうとか学習せんの?w >>319
逃げるんですね
それでいいですよ
ちなみに
出雲は>>239のいう通りの発生で
それは考古学では当たり前に半島からの潮の流れと一致するため
渡来系と密接なクニであったとされます
もちろん出雲とは神話での名称で
この時期は古墳時代とするよりも弥生時代としたほうが
整合性が取れる
すなわち出雲神話とは古墳時代の新勢力が
弥生時代から続く勢力を飲み込んでいったその名残と推定されるわけです
更にその弥生時代を形成したのは「渡来人」ではないなんていうバカは
その時点でただのバカです >>321
祭祀都市であったことが渡来系ではない証拠になると
どうして妄想したのかそのあたりが君が極めて病的なところですよ >>323
それはわかんない
ただこのポンコツ>>1が作られてはぶっ壊れていた記録は残ってるんだ
これね>>84 >>322
ヤオヨロズはとにかくたくさんを言いたいからそう表現したわけだし、
「八咫」烏もつまるところ大きいカラスって言いたいわけだものね
ただ、平原一号墓出土のおおきな内行花文鏡は、本当に八咫を測れる部分をとにかく作りたかったらしい倭人の主意性を感じる 古代の日本人のペニスもこのくらい巨大だったらしいな
渡来人の血が混じって短小になったと言われてる 21世紀でも木造で建てるのは不可能だね
強度が確保できない >>325
祭祀都市で
その祭祀に使う土器(特殊器台)が岡山県のものと一致するっていっただろ
瀬戸内海勢力が打ち立てた王朝だろ
ほら渡来系じゃないぞ >>330
それは基準法があるから出来ないってだけで
「建てる」だけなら可能だろ なんか東南アジアにそっくりなのあったよな
これ昔の定番建築だったんかな 日本の場合さ
明らかに紀元後数百年の弥生期どころか古墳時代まで「古代扱い」
これがもうホントにね
大陸の東の最果てだから
大文化大文明の流入が最後の最後になって
紀元後も世界的区分(★ココ大事)では「新石器時代」だからね
弥生時代に入って渡来した高度稲作潅漑農法で飛躍的に人口が増加し
同時期に世界でも珍しい青銅と鉄の同時流入があり
ここからやっとこさ文明といえるものが日本列島で始まるのだけど
肝心の「文字」がないから技術伝承が上手くいかないのがこの時代で
まさに古代
もちろん大陸はとっくに文字を使いこなし様々な画期的発明を成し遂げ
三国志の英雄列伝は当たり前に残っている古代だけど
列島とはあまりにも古代の質が違いすぎる
そんな弥生時代というみすぼらしい時代を象徴する建造物が
この見た目だけですぐ倒壊する>>1だったという話 >>331
それどうして文化伝達方向を日本海側から瀬戸内海ではなく
遡ったの?
おまえさ
マジでさ
頭おかしいって これかっこいいよね
現代でも高いとこ高い方に住もうとする奴いるよな
何かあるんだよ 何度も壊れてるから平安時代あたりになると木材が全然なかったらしい >>337
はい特殊器台も知らない知ったかさんでしたねキミ
もういいぞ SASUKEのセットの高さは25mだな
これを数日で仕込む現代人すげえ 以下ID:pmuddpQ2の妄想スレになります
↓ 以下ID:pmuddpQ20の妄想スレになります
↓ >>341
特殊器台は弥生時代末期
すなわち古墳時代の始まりを象徴する物なのに
なんでそれが瀬戸内から日本海側に遡ったことを
証拠にしたの?
もしかしてキミ、出雲国は古墳時代に出現した国だとしているの?
えーw
銅鐸どうなるんだよw このお伽噺みたいなラッキーはホントにあったらしい事実
「1110年の記録には、“出雲大社にほど近い稲佐の浜に、全長30m・直径2.1mの巨木など100本あまりが漂着し、それを出雲大社造営の用材としたが、それでも部材が不足した”といった内容の記載が見られます。 お寺はちゃんとしたものを建ててずっと使うよね
法隆寺とか
神社は建てては壊し建てては壊しで無駄 専門家集めて再現する番組やってたけど失敗してたな
現代の木では建築する大きさがないから小さいサイズでやってたけど 近畿にもきっともっといろいろあったんだろうけど
発掘すると建設納期の邪魔だから無かったことになってる
少なくとも滋賀はそう
もったいない もとは舶来品だった
銅鐸の内製化→元来の用途の形骸化→巨大化は、
朝鮮半島~大陸から渡来してきた人たちの子孫と在来の人とで交じらいながら順次形成されていく“倭人”が舶来に対して抱いた意識のありようを典型的に示していると思う
出雲大社の神殿が巨大になったのにも、類似した意識が介在していたかもしれないね 砂上の楼閣って言葉知らん?
比喩だろうけど砂の上に建物建ててもすぐダメになるって誰でも思うだろ
わざわざチャレンジしたのけ?
馬鹿だろうw >>352
工事してたら遺跡らしいものが出てきたが見なかったヨシ! >>355
定期的に壊れてるからその度に建てる
公共事業みたいなもんだ >>358
現代でも道路を掘っては埋め掘っては埋めしてるもんな
この頃からこの国は腐っていたのか!? 肝心の出雲風土記にスサノオの記述が無い問題
誰か解決してや >>359
まあこの時代公共事業は請け負った側の自腹だから受注やめさせてくださいの戦いだが >>359
神格はお渡りになるものなのよ
神格の利用する道の駅を「御旅所」と言い、各地に残っている
もっというともともと社は建物を立てない。宗像の神津島に残る安全祈願の祭祀でも、古くは岩場そのものが礼拝場所だったことがわかる
…というのも、いかにも辺境の土俗的よね。「建物を立ててお祀りする」という観念自体が外来だったってこと ユダヤ人埴輪
今日はこれだけググって帰って下さいw >>363
神格ってなんや
道の駅ではソフトクリーム舐めるのけ? >>369
そもそも「御旅所」だって後付けした名称だろうし、「道の駅」で喩えてもええやろがい 実際あったんだからしょうがない
日本のピラミッドだよ でかくするだけなら渡来人の技術があればできるにはできたらしい
ただ木造巨大建築が長持ちする自然環境ではないからちょっと大きな台風なんかですぐにダメになったはず
だから段々身の丈に合った規模で作るようになったとか あったんだろけどせいぜい15メーター程度の微妙なやつなんやろな
当時は2階建てすらないような時代だろ
15メートルでも十分ぶったまげるよ 今年の夏に行ったけどこの復元図を知ってたせいで伊勢神宮くらいの広さのある神社だと思ってたら
意外と狭くてビックリしたわ
駐車場からすぐだったし >>370
道の駅にソフトクリーム舐めるところ以外の意味があるのか? >>93
本物の出雲大社あるのにそれよりも立派な復元してどーすんの >>376
でも、俺がほっこりするから…
御旅所も神格がほっこりできたらええんやろ。知らんけど >>62
現代建築でこれに準じるような建物あんの? >>224
どうみても鉄骨鉄筋コンクリート構造ですが ピラミッドにしろ万里の長城にしろ今の技術で作ったとしても莫大な予算と年月掛かるだろ
こんな捏造とでっちあげの権化みたいな代物復元する必要ないよ
やるならネトウヨの有志の募金で作れ
税金はびた一文投入すんな >>1
これに関しては儀礼的な意味合いが強かった
朝廷よりも高い場所に我々の神を祀れという条件つきで、出雲は調伏したからな
他にも出雲は風土記なんかで独特の神話体系を作って朝廷に出してるし
朝廷もそれに対して文句もつけてないところを見ると
当時の出雲の力が相当強かったことが伺える
そういう事だから、建ててずっと維持するようなものではなかった
技術的にも、中国は漢代から楼閣建築技術が発展してたから出来ないほどでもない
法隆寺の五重塔はその技術で建てられたものだからな
昔の書物に出雲大社が一番日本で高いと書いてある
2位が奈良の建物でそれより高いからこのくらいだとか >>203
文献偽造して遺構も偽造するって普通にある手法じゃん >>222
火山は無くなって大陸型の完全に冷えて固まって固着した岩盤なのに、深い所から徐々に冷やされて温泉だけ適温で吹き出してくる。
近くだと済州島も、完全に大陸化していって終わった火山地帯。 出雲地方で栄華を極めていた集落は紀元前後に営みを終焉し、その後畿内各地で加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が見つかるようになる。
この事実は杵築大社の八雲の天井図が一つ欠けて七つしかないことに関係しているんじゃないか?
イザナミが根の国から黄泉の国へ、上津国から下津国に行った話も同じことを示しているのだろう。
出雲地方で元々信仰されていたのは出雲の姫神である幸神と東から来て文物をもたらしたクナトの神、そして二神の子サルタヒコ。
サルタヒコが見つかったのは八衢、道が幾つにも分かれるところ
その後1世紀半ば近畿地方で勾玉と銅鐸の文化が花開く。国作りの始まりやね。 >>1
この番組見てたけど文化財構造学の専門家が実現可能って言ってたな
柱が3本でワンセットになってるのと水平方向の柱が垂直方向の柱にくらべて細くなってて免震構造だかになってるみたいね(清水寺も同じ構造)
模型だと省略されてるけど 20回くらい地震で建て直して
柱の破片が残っていると思われるくらいらしいな
4・5回燃えてるし破片も怪しいと
この構造自体がそもそも胡散臭いけどw >>393
クナトってカナタ(彼方)の転訛じゃないの?
サルタヒコはサダル(琉語で「先導者」)の転訛かもしれない
幸神というのは岐神のことでは? それならサダルとのつながりは明白かと >>389
昔はあった ただ平安時代あたりからかなりなくて困ってたらしいな
>>385
うん 日本の話だし作ってたよ 無理気味な建築物だから高さなんかには何か数字的な意味合いがありそう
何かの倍数とかになってないかな 高さに誇張はあるだろうけど実際こういう建物だったんでしょ
でも技術が無いから無理に建てたはいいけどすぐ倒壊した
今でいうMRJみたいなもん 西暦700年頃にガンダムくらいデカい大仏作れるんだから古代と言えどこれくらい余裕やろ 48mってのは「昔はもっと大きかった」って話に尾ひれがついて
いつのまにか「今の倍の高さだった」って話になっただけだろうな
こういう構造の建物が建ってたのは事実だと思うぞ 諏訪の御柱祭が中近世も続いてきたのは
ひとつには出雲大社の巨大さへの対抗心からだと思う 新国立競技場のヘボさを見ると昔からでまかせだったんだな この前は三國志やロシア文化のこと語ってたと思ったら今度は古代日本のこととかお前ら博識だな
もっとこういうスレたててくれ >>280
ひろゆきみたいなコミュニケーションの取り方する、ヤベェ奴増えたな。 >>80
刻まれてテキトーな使われ方したんだろうなあ
もったいねえなあ
今なら薄い板だけで何百万するのに 地震や台風のような自然災害でしょっちゅうぶっ壊れてその度に高さが低くなって行ったって聞いた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています