【画像】古代杵築大社(出雲大社)復元図がデカすぎる。流石に誇張入ってるだろ [237216734]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>396
ゴッドハンド文書偽造日本がまたやりやがったね!もう日本に夢中だよ! 権力持った人間がこんな落ちたら死ぬような危ないところに上がろうとはしないだろ 清水寺みたいな面積であれぐらいしっかりした造りなら可能だけどこの構造でこの高さは無理
ってか3年保たない 普通に考えてこの規模のが実在したなら奴隷いたろこれ
ピラミッドみたいに公共事業で造ってた可能性もあるが 本殿の中にいるときにウンコしたくなったらどうするのっと >>418
実際何度も立て直ししてるから余計に信憑性があるわ 真面目に言うと出土した掘立柱の太さから
満更作り話でもないとも思えるけど
当時の技術じゃ直ぐに倒れただろうと… 高さ48mの木造建築物か。
20階建のビルくらいの高さあるね。鉄筋コンクリートでなく、木造w >>39
>日本のねつ造は良くあることだな
神道って明治時代に歴史を改竄されてるから
その事も合わせて検証しないと >>428
13~14階建てくらいだ
階高2.4mって戸建てかよ ゴンブトな柱見つかっただけで
こんな荘厳なもんつくれんやろ
ドングリ土人が 明治の初め、お雇い外国人が東京に建てた建物の多くが関東大震災で倒壊し、日本特有の地震なんかを加味できた辰野金吾なんかの作品だけ残った
同じように古代に持ち込まれた中華帝国の技術もローカライズに失敗して長持ちしなかったんではないか 50m以上の木が相当な数残ってる環境があったという事なのかな
ちなみに今時だと20mクラスの木でも落雷とか虫食いで中がボロボロになってる事が多い
無理な仮定だけど単純に根っこから切り倒したら衝撃で破摧しちゃいそうなぐらい弱ってる 巨木があったとしてもそれを支柱として垂直に立てる技術って残されてるのか
素材の存在以上にそうした建築技術の証明こそが
果たしてこれが実在したのかどうかの検証になるんじゃないのか 巨木伝説は好きだけど、巨木が育つようなCO2モリモリの環境だと人が生きていけないし、矛盾点は多いんよね >>389
縄文時代は暑い気候だったから寒冷期に入り始めたばかりの弥生時代に巨木があってもおかしくない
東北やロシア沿岸部も温暖だった
海面が今より3~5メートル高かったのもなにか関係あるのかもしれない >>364
平安時代にもペルシャ人の役人がいたんだからそりゃ埴輪の時代にも大陸からの渡来人はいただろう 東京タワー建設の様子とか今見るとすげーんだよな
800度に熱した鉄(リベット)を上の作業員に向けてぶん投げる
作業員は落ちたら死ぬような高さで命綱なしで作業しながらそれをキャッチする
いわゆる死のキャッチボール
今の俺らからしたら信じられんような無茶をやってた
大昔も想像つかないような技術があったんじゃね >>11
できたけど台風や地震ですぐに倒れたと思う
しかしピラミッド、古墳、大仏殿、大阪城と全て時代が下るにしたがって小さくなる法則は何なんだ
人類はずっと退化してるの? 何で最近になって急にこれで度々スレ立てるの 何かあったの? 耐震基準満たせるなら
観光資源として誇張に目を瞑って再現は良いかもな
巨木のとこはコンクリで周りを木目調にしとけばいいだろ >>442
国内の神社仏閣城郭に限って言えば圧倒的な原材料不足のせい
江戸時代には既に国内の巨木という巨木が切り出されて日本の原生林の殆どが失われていた
一例を挙げると17世紀の出雲大社本殿造営時にも巨大神殿を支えるために必要な巨木が出雲国周辺にはほぼ残されていない有様だった
だから出雲大社の御師たちは当時禁足地で太古の巨木が残されていた但馬国妙見山に出向いて寺の坊主一同に頭を下げて柱となる巨木を伐採する許可をもらっている 大阪万博のリングがこれの四分の一の高さだから比べるのも良いかも シネマズですよね、とはございますしさとしましたですかについてもできますしますよねっとしていますよねとしますし 当時、宍道湖も中海も海に繋がってた面積大きくて湾だった説もある。
そこから弾き出すと、津波の際の避難場所だったら有り得そうな形状なんだよな。
期待された効果を発揮したかはわからんが。 津波なんて来たら真っ先に倒れるだろ…
ただの木を立てただけなんだから ネトウヨはネガキャンしたいのかホルホルしたいのかどっち? 最初見た時は想像物扱いだった気がするが最近はもう史実だった扱いにしようって邪な策謀にしか見えない 縄文海進の頃だから巨木はあったろうし、海は現代のみんなが予想するよりかなり内陸まで来てた
原材料とか輸送手段はそんなところ >>459
おいおい
縄文海進は縄文時代だぞ
7000年前だぞw これ本当はコントで使っていた
最後に派手に壊れて盆回しがかかって歌のコーナーって流れ 縄文海進とか関係なく
こういう場合は
まずは縄文時代までの日本列島には鉄器青銅文明がなかったため
木を切り倒すことが極めて難しく
石斧でなんとかギリで切った木を丸木舟に使っていた程度
これが弥生期に入って鉄器青銅が入ってきて
当然ながら極めて効率的に木を切り倒すことができるようになったが
それでも造船技術が未熟で文字もなく技術伝承が上手くいかなかったため
効率的に木を加工することはできなかったのが弥生時代
まあ
弥生期から本格的な杉の大木の伐採が始まったと推定されるということは
それまでに列島に自生していた杉が樹齢数万年なんてことになっており
そんな大木がそこらへんにゴロゴロとはえていて当たり前
それを切って>>1つくったが
加工技術は未熟なためすぐ倒れるポンコツでしたということだろうね >>447
伊賀周辺の山々は東大寺と興福寺の木材調達地になってたから、中世の改修ラッシュの乱伐で毎年のように土砂災害に襲われるようになったらしいな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています