
八甲田雪中行軍遭難事件(はっこうだせっちゅうこうぐんそうなんじけん)は、
1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。
訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍事訓練における最も多くの死傷者が発生した事故であるとともに、
近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故である。
・小便をしたくても手が凍傷にかかり動かせず、尿意に負けて垂れ流しをするが、それが瞬時に凍って凍死する者
・極限状態の中で雪の中で泳ぐ者
・発狂して裸で雪の中に飛び込む者の姿があった
・余りに凍りついていたため、粗略に扱うと遺体が関節の部分から粉々に砕ける
・大尉は全身凍っていたうえ、帽子も手袋も着けておらず雪に首まで埋まっていた
・軍医は腕に気付け薬を注射しようとしたが、皮膚まで凍っていたため針が折れてしまった
・村松伍長は四肢切断の上、一時危篤状態
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