日本人のルーツとしての多くは大陸と朝鮮から渡って来たとされ、ヤマト王権成立後に同化が進んだ。渡来系氏族は歴史用語として、3世紀から7世紀にかけて大陸より帰化した秦氏などの有力氏族を指すものだとされる。(現在の日本政府ではアイヌのみを日本の先住民族としている)。

秦氏一族は稲荷神社などを創祀したことでも知られており、蚕や絹などによる織物、土木技術、砂鉄や銅等の採鉱及び精錬、薬草なども広めた。

平安遷都に際しては、葛野郡の秦氏の財力・技術力が重要だったとされる。平安時代には多くが惟宗氏を称するようになったが、秦氏を名乗る家系(楽家の東儀家など)も多く残った。
天智天皇は秦氏による山背国(山城国)への開拓(遷都)を進めていたが未開のままとなる。天応元年の桓武天皇即位により再び開拓がなされ、延暦3年(784年)に長岡京を造営する。延暦13年(794年)には和気清麻呂・藤原小黒麻呂(北家)らの提言もあり、平安京への遷都となった。


現在の埼玉県日高市の一部及び飯能市の一部にあたる高麗郡があるが、高麗郡及び上総郷は奈良時代に設置された土地である。高麗郡は716年(霊亀2年)に武蔵国高麗郡が設置された土地であり、朝鮮半島のゆかりの地である。
中世武家時代の鎌倉時代以降、高麗郡の郡域が拡大して、日高市・鶴ヶ島市のそれぞれ全域と、飯能市・川越市・入間市・狭山市のそれぞれ一部が高麗郡の範囲となった。
668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させた。
2017年9月20日から9月21日にかけて、当時の天皇、皇后が、在位中8度目の私的旅行として日高市や深谷市の渋沢栄一記念館に行幸啓し、その際に高麗神社に親拝した。

http://jap.com