三菱重工業が国産ジェット開発を断念 → 日本が航空機をつくれない理由

日々のニュースの中に「学び」のきっかけがあります。新聞を読みながら、テレビを見ながら、
食卓やリビングでどう話しかけたら、わが子の知的好奇心にスイッチが入るでしょうか。ジャーナリストの一色清さんがヒントを教えます。

敗戦で解体された航空機産業
三菱重工業が、国産初のジェット旅客機「スペースジェット(SJ、旧MRJ)」の開発を断念し、事業から撤退することを決めました。
2008年に日本初のジェット旅客機をつくろうとしてスタートした開発プロジェクトは、15年の歳月をかけて失敗に終わったということです。

どうして日本の航空機産業は自前の旅客機をつくれないのでしょうか。その原因を探るため、日本の航空機産業の歴史を振り返ってみましょう。

日本の航空機産業は軍用機の開発からスタートしました。
第1次世界大戦で航空機が威力を発揮したことから、日本も軍用機の開発に力を入れ始めました。
第2次世界大戦が始まると、開発に拍車がかかり、名機と言われる戦闘機が次々に太平洋戦争に投入されました。
三菱重工業の「ゼロ戦」、中島飛行機(現SUBARU)の「隼(はやぶさ)」、川崎航空機工業(現川崎重工業)の「飛燕」などです。
この時点では、日本の航空機製造能力は世界でも指折りだったと考えられます。

しかし1945年、日本は戦争に敗れ、アメリカに占領されました。アメリカは日本の再軍備を警戒しました。
日本にあるすべての飛行機は壊され、資料はすべて没収され、航空機産業は完全に解体されました。
大学で航空工学を教えることも禁止されました。禁止は占領が終わる52年まで続きました。日本から航空機産業が消えた期間は7年に及びます。
この「空白の7年」により日本の航空機産業は、施設や人材を失い、技術の伝承が途絶えました。そのことが日本の航空機産業の復活に大きな打撃を与えました。
それは今でも尾を引いているとみる人は少なくありません。

https://news.yahoo.co.jp/articles/faa502506f1d1cf99b8e152d76bcb2719dc13f37