天皇・神話・震災……なぜ日本のサブカルチャーは右傾化するのか? 
新海誠監督『すずめの戸締まり』(2022年)、海上自衛隊と『ONE PIECE』、庵野秀明総監督『シン・ゴジラ』(2016年)などを論じた、
批評家・大塚英志氏による短期集中連載第1回。

https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h5530

「残念ながら日本の教養の原点はジャンプ」

 この原稿は一通のSNSの投稿から始まる。

 1月2日、防衛省海上自衛隊(@JMSDF_PAO)とあるアカウントに、甲板の先端に旭日旗を掲げ「正義」と背に白く描いたTシャツ姿で腕を組む隊員たちの写真とともに「今年も専心職務の遂行にあたります!」とのコメントがSNSに投稿されたのだ(現在は削除)。
その後ろ姿からは学園祭ノリの幼さ、あるいは元ヤン的なドヤ顔が透けて見える気がして、自衛隊文化とは今はこんな感じなのかと一瞬思い、
そしてその元ネタが『少年ジャンプ』の人気まんが『ONE PIECE』にあると思い至るまで、正直に言えば少し時間がかかった。
中略
安倍マリオに始まり、「日本文化」化したコスプレと政治や行政の野合にはもはや神経は鈍麻しているが、それでも海自という「国防」組織の年初の決意を示すツイートが『ジャンプ』からの引用であることには、ある種の感慨を持った。
つまりナショナルな意識を公が大衆に表明しようとする時、それを支える教養の変容とでもいうべきものを改めて実感せざるを得なかったのだ。
メディア史ではナショナリズムの大衆的教養は大日本雄弁会講談社の提供する文化として明治以降、永らくあったというのが定説だが、それが『ジャンプ』にとって変わったのかという程度の感慨ではあるが。

 無論、『ジャンプ』が「教養」化したのは自衛隊員の職業意識に於いてだけではない。オンラインで実行犯を募る強盗グループの指示役は「ルフィ」と名乗っていると盛んに報道もされた。
そういったことも含め、何年か前、川上量生が『朝日新聞』のインタビューで「残念ながら日本の教養の原点はジャンプ」になってしまったと発言したことを改めて思いだす。

 そこで川上はこう述べていた。

 欧州中央銀行の会見でドラギ総裁に女性が襲いかかる事件が起きた時、「女性の南斗水鳥拳にドラギ総裁が気功砲で応戦した」とネットやテレビで話題になった。
社会で何かが起きて気の利いた風刺をしようとした時に出てきたのが「北斗の拳」の例。
知的な笑いを表現しようとしたら、その素材は「ジャンプ」になった。
昔の人の「オデッセイア」にあたるものは、今の日本人には「ドラゴンボール」ですよ。
残念ながら日本のインテリの教養の原点は「ジャンプ」だというのは、現実として認めないといけない。
(2015年8月17日付 朝日新聞デジタル「川上量生さん『残念ながら日本の教養の原点はジャンプ』)
 中略

 サブカルチャーを参照して了解されるもの以外は、そのフラットすぎる器に何も盛れないのである。
『ジャンプ』的「教養」の圏外に、ひどく初歩的な政治や経済や文化や科学が駆逐されていることの例は逐一、指摘する必要もないだろう。
これは、アニメやまんがが悪いわけではない。アニメやまんがの借用で事足りると思い込む政治が「浅い」のである。


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