坂本龍一さんと違う道歩くしかなかった 小室哲哉さんの憧れと劣等感

 音楽家・坂本龍一が旅立った。のこされた音には何が託されたのか。そこから何が芽吹いたのか。親交のあった人々が語る。

音楽プロデューサー 小室哲哉さん
 僕にとって、歴然とただ一人、飛び抜けた存在でした。「こう来るんだ」「今度はそう来たか」と、これほど意識させられ、感情を揺さぶられた人はいない。憧れて、ひたすら劣等感を感じ続ける。僕にとって教授(坂本さんの愛称)はそういう人でした。

 同じ鍵盤奏者だけど、そもそも轍(わだち)が違う。歩く道が違う。最初にそう認識したのは、実は音楽そのものというよりは、初めて食事をした場でした。

 1980年代末ぐらいに、誘われて初めて一緒に食事をして、店ごとに参加者が入れ替わるような感じで、午前2時か3時ぐらいまで何軒もずっと一緒に回ったんです。

 そのときにすごく衝撃を受けたんです。会話も含めた立ち居振る舞いに「日本にも貴族っているんだな」と思ったぐらいの「位」の高さを感じた。周囲の人と英語で雑談する姿とか、何もかも洗練されていた。

(イカソース)
https://digital.asahi.com/articles/ASR5174NZR51UCVL020.html