主役は2年生で4番(三塁手)を務めた中村紀洋。卒業後、ドラフト4位で近鉄に入団し、2005年にはドジャースに移籍。
帰国後、オリックス-中日-楽天-横浜(DeNA)に所属、国内5球団で通算2101安打、404本塁打をマークした、通称「ノリ」である。

 1990年7月30日、決勝戦が行われた大阪市中央区の日生球場は、熱く燃えあがった。渋谷の相手は前年のセンバツ準優勝投手、宮田正直(ドラフト外でダイエー入団。
現在はスコアラー)を擁する上宮。下馬評は圧倒的に上宮が有利。だが、いきなり中村のバットが炸裂(さくれつ)した。

 一回2死一塁で宮田の初球カーブを左翼席上段へ先制2ラン。そして3-2となった三回には1死一塁から今度は中堅バックスクリーンへ2打席連続の2点本塁打をたたき込んだ。

 打つだけではない。投げては、連投で右足を痛めたエースを四回からリリーフ。上宮の反撃を6回5安打2点に抑えて6-4。82年の春日丘以来8年ぶりに、公立高校として大阪府の頂点に立ったのだ。

それにしても、大阪淀川リトル、そしてシニア時代からスラッガーとして名を馳(は)せていた彼がなぜ、母校に来てくれたのか。不思議だった。当然、上宮や近大付、北陽など府下の強豪校から誘われていたはず。

 「大阪の私立校は強すぎる。この状況を変えたいんや。みんなで公立から甲子園目指せへんか」とリトルやシニアの仲間を誘い、渋谷高へ進学したという。

https://www.sankei.com/article/20170803-FC4QSBFZLRNDFF6PTK2SJV5MFM/

かっこよすぎやろ