是枝監督の映画 『怪物』、結局、ラストで二人の少年は死んだの死んでないの? [157470334]
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映画『怪物』でカンヌ映画祭脚本賞受賞、坂元裕二脚本の腹落ち感と“何とも言えないままならさ”
脚本家・坂元裕二氏が是枝裕和監督と初タッグを組み、故・坂本龍一氏が音楽を担当、さらに豪華キャスト陣が集結した映画『怪物』が、
6月2日に公開され大きな反響を呼んでいる。
同作は第76回カンヌ映画祭で脚本賞を受賞、さらに、LGBTQを扱う作品が対象の「クィア・パルム賞」を日本映画として初めて受賞した。
“怪物”とは一体何なのか、登場人物たちそれぞれの視点からみる世界に、私たちは何を感じ取るのか。観た人の心に必ず何かを残すヒューマンドラマだ。
この作品が生まれたのは、是枝監督の演出や故・坂本龍一氏の音楽、キャスト陣の演技力もあってのこと。
しかし、坂元氏の脚本の素晴らしさが改めて語られる作品であることは、脚本賞受賞からも見て取れるだろう。坂元氏の脚本が描くものの正体は何なのか、
過去作品を絡めながら改めて見ていきたい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/38ae6daf11672bcc9e18bf0b45d72845f459ee7f あんな野原なかっただろ
そもそも母親と教師が助けに来てたはずじゃん これ見たいんだけど心が100%元気なときじゃないといけない気がしてまだ行けてない 最後のほう集中切れててよく覚えてないんだけど
あの電車って土砂で埋もれてたんだっけ?
対して飲まれてなかったような
最後の演出は行き止まりの道が何故か続いてたりで
確定死亡演出だったけど >>6
ストーリーしんどいけどそこまで神経削られる感じではない 何度同じネタでスレ立てすれば気が済むんだろか
年に一度くらいしか映画館で映画見ないの? 世の中の同性愛も含めたマイノリティに対するの描き方が曖昧すぎて良くないね
誰しもが怪物になり得るというメッセージ的には良いのかもしれないけど
クィア映画としては果してあれで良いのかなって思っちゃう 死んだんだろうな
とは言え死んでも生きててもどのみち辛いな >>6
元気な時に行ってもしんどいんだからさっさと観てきなよ
むしろダウン調の時の方が余計な力みがなくてすんなり観れるかも 岸田世襲自民党政権の下で子ども達の自殺が過去最多であることを踏まえた映画 本当に素晴らしい傑作 食器カチャカチャが気になった
邦画だから仕方ないとはいえ >>16
そういうのが嫌ってのが良くわからんね
ヒューマンドラマを見て、人間模様を描くのやめてくれるって
言ってるようなものじゃないの 俺は生きてると思ったけどどうやら死んでるっぽいな
死んだ猫に「土をかけてやらないと生まれ変われない」
↓
土砂崩れ 俺は死んでる派だけど別に死=バッドエンドというわけではないと思うんだよな
過去の名作に例えるならテルマ&ルイーズが一番近いと思う
マジョリティの存在に抑圧されてきた彼らが現世から逸脱し「現世で生きることこそが至上なのだ」というマジョリティの価値観に中指を突き立てて終わる >>17
邦画だから食器カチャカチャは仕方ない
頭ではわかっていても、心の中では納得してない
食器カチャカチャがない邦画がひとつもない、とは言わんが
99%食器カチャカチャなのは不健全
ハリウッド映画とか2時間映画のうち40分も食器カチャカチャする作品とかほとんどない >>20
99%って…
もはや何のことを食器カチャカチャって言ってるのか良くわからんのだが 邦画で食器カチャカチャ言ってる人は邦画はおろか洋画も見てない、というか映画見ない人だろうな
単にお馴染みのフレーズで叩きたいだけで
たまにあるまともに映画語れるスレでは一切出てこないからな 周りの風景からして死んでるだろうと思うけどそういうのとは違う次元で二人に救いが与えられている >>6
言うほどしんどくない
鑑賞後の印象はハッピーエンド 脚本は殺す気まんまん
アドバイザー「この年代は性自認とかまだですよ」
殺しちゃヤバいかと日和ってあやふやな映画に
脚本の殺意を嗅ぎ取ると死んだと見えて
日和った事を理解すると死んでないとなるんでしょうね >>26
脚本家の坂元が真っ先に死亡説を否定してたが >>27
実写で実はショタホモ殺しですなんて肯定できないから
あたりまえですね それを当たり前と捉えられるかはその人の感性が試されるね あの二人は生きてても少しも希望はない
それなのにあんなに楽しくはしゃげるっていうことは 希望がない上に死んでしまったらどんだけ酷い映画なんだと 是枝監督作品の登場人物はみんな行き詰まってるよね? 死んでるか生きてるかはこの映画のテーマとして重要じゃないだろう >>34
主人公が死んでるか生きてるか重要じゃないテーマってなに? >>35
それは「テーマ(主題)」の意味を理解してなさすぎだろw >>36
で、君の考える「テーマ(主題)」とやらは何なの?
一応、この映画はクィアパルムを受賞してるが >>37
なんか頭悪い人なんだな
すまんな
主人公や登場人物の生き死にが関係してこないテーマは普通に山ほどあるよ
というか主人公の生死がテーマと密接に絡むものでない限り普通は関係ない
この映画もそうだが、映画を通して現実社会の一面を描いてるわけだからね
物語の登場人物が生きてても死んでてもこの社会の性的少数者の生きづらさ、息苦しさは変わらんのだから
主人公の生き死にが重要になるのは「展開」であって「テーマ」じゃないんだよ >>38
テーマと展開は不可分でしょ
例えば、この映画でいったら
主人公が死ぬという展開によってテーマをどう描くかというのが
この映画のとってのメッセージ性に大きく絡んでくるんだから
それを重要じゃないなんてどういう映画の見方をしてるんだ? 死んだって明確に描いてないんだから死はテーマじゃないよ >>38
どうしたらこんなわけのわからん主張ができるのか
映画のテーマと展開を別々に見ろと言いたいのか >>43
映画あんま見ないんだろ?
「あのキャラが死んだのか、生きてるのか」とかって実は監督や製作者からするとどうでもいい要素であることはよくある
あえてぼかして描いていたり、アクション映画だと単に展開として盛り上がるからやっただけだったり
それを読み取れない人がそういう部分をやたらと気にしてる
要はアスペなんだけど、アスペだから当然自覚はない
というか、このスレそのものがそういうアスペをあざ笑うために立てられたものだろう >>44
そりゃ脇役みたいのが死ぬのが全体としてそれ程重要じゃないというのは分かるけど
この映画で主人公が死ぬのか生きるのかってのは全くレベルの違う話でしょ 見たけどやはり死んだ説が濃厚なんか?
勝手に生存説を押していたが >>39
自分で主人公が死ぬ展開がテーマと関係ないことを説明してしまってるよ
実際のこの映画は「主人公たちが死ぬ展開によってテーマを描く」ということをやったか?
やってないだろう
ラストでは死んだのか死んでないのか、明確に示されずに終わった
主人公たちが死んだことで周囲がどのような反応を示したのかも描かれない
つまり、この映画は主人公たちの死によってテーマを語るということ自体やってない
お前の理屈だと「主人公が死ぬ展開によってテーマをどう描くかがこの映画のメッセージ性に大きく絡んでくる」らしいが
死ぬ展開をそもそも描いてないからテーマも描いてないしメッセージ性も絡んでこないってことになる >>48
この映画で最後は死んでないよ
そこはハッキリ監督も脚本家も言及してる
そういう捉え方をした人は間違ってるだけだ >>46
いやこの映画こそ生きてるのか死んでるのかどっちでもいい映画だよ
本当に重要ならどっちかハッキリしないようなぼかした終わり方するわけないでしょ
ていうかこういう終わり方する映画や文学作品なんてけっこうあるのに見たことないのか >>50
生きてるか死んでるかどっちでもいい映画というけど
仮にそうだとしたらそれはそれで批判の対象だろうね
肝心な部分を曖昧にしてテーマ性やメッセージ性がぼやけてしまうんではしょうがないよね >>17
構わないほうがいいよ糖質だから音が気になるんだよ 死んでるのか生きてるのかハッキリするのが重要だって人は映画はみんな娯楽作品だと思ってるんだろう
でもこの映画はもっと文学寄りで、現実に存在する社会問題を取り扱ってる
こういう映画では問題が解決しなかったりラストが曖昧だったりすることがよくある
それは現実でその社会問題が解決してない、簡単に解決できないからだ
いじめを描いた映画の中でいじめ問題が解消されても、現実のいじめが解消されてなくなるわけじゃない
むしろ安易にフィクションの中で解決させることに不快感を持つ人もいる
でも映画には物語の結末が必要だから、破滅的な結果にしたり曖昧にしてぼかしたりする
すると監督や製作者の一番伝えたい部分は劇中に描かれることになり、結末は単なる物語の行き着いた結果でしかなくなる
だからこの映画も死んだか生きてたか曖昧なんだよ >>51
どこでも批判されてないよ
別に肝心な部分ではないから >>55
そういう一般論的な話をすると論点がぼやけるからどうでもいいよ
この映画に限った話をしましょうよ
この映画にとってラストで主人公が死ぬのか生きるのかというのは
本当にこの映画のテーマにとって重要じゃないと考えてるの? 最後は死んでない
心象風景だと監督は言ってるんだけどね
ぜんぜん曖昧じゃないよ >>57
普通にそうだろ
この映画で描かれてることは死ぬか生きるかじゃない
劇中は生きてても死んだ心地だったわけだし >>56
さっきから現実世界では解決されない問題をフィクションの中で解決させると不快感を持つ人がいるというけど
それは完全に間違ってるでしょ
現実ではない映画だからこそ何らかの解決の糸口を見出す
だからこそ見ている人もそれに対して色々考えて気づきを得るわけでしょ
何の気づきもないような映画は娯楽作としては良いけど
あまり高尚な映画とはいえないよね >>59
良く分からないな
この映画で前景化してくるのは同性愛の問題であり、
性的マイノリティが社会的に疎外されているということでしょ
実際にクィアパルムまで受賞しているんだから
そうしたテーマ性において主人公たちが最後に死んで終わるのか、
或いは、生きて終わるのかというのは、この映画にとってとても重要なことだと思うが
見ている人にとってはそこから得られる印象やメッセージ性に大きな違いが出てくると思うけど まあ、監督も脚本家もラストは死んでないとはっきり言及しているし、
仮にラストを曖昧にしているんだとしたら、それはそれで問題だよねって
二重の意味で食い違いがあるな アスペちゃんは映画を楽しめるんだろうか
あれがおかしいここがおかしいと指摘するのが楽しいのなら
健常者とは楽しみ方が違うからお互いにとって不幸だよね >>63
君こそ、どういう映画の楽しみ方をしてたら
健常者だのアスペだの上から目線で差別的なことを言えるのか
本当にこの映画を楽しんでテーマやメッセージ性から何かを得たのか この手の映画に統一された答えを求めるような画一化された見かたはしないかな
きもちわるいし楽しくないもん
あなたはどう感じましたか?というちょっとしたディスカッションのたたき台にはなってもね 時系列順に並べると最後は土砂崩れが起きてそこに溱の母親とホリセンが辿り着くってのが結末なんだから直前までそこにいた溱ともう1人の男は土砂に埋もれたと考えるのが近いでしょ
何なら依理の方は家でボコられて風呂場に放置されてたからあの時点でくたばってて電車で埋もれてるのは溱だけで最後のシーンは生まれ変わったかどうかは関係なく普通を押し付けられない自分たちだけの世界に行けたって意味じゃないの
ここでハッとさせられたんだけどこの前のリアル事件で女子高生が2人で飛び降りてたのも一緒に死んだら同じ場所に行けると思ってるところがあるんじゃないのかなって
俺にとっての普通は死んだら何も無くなるか善行ポイント悪行ポイントで天国か地獄か決まると思ってたからその普通だと思ってた考えさえ押し付けだったかもしれない 死んだと思ってる人はストーリー全体の流れを無視してる。死んで幸せになる流れは全く無い。最後の描写だけで別世界のような、と判断してるかな?
生きてると思ってる人は自分達が悩みを抱えながらもそのままでいい、トロンボーンのシーンや生まれ変わってない 良かったのシーンからも生きていくことに意味を見いだし その解き放たれた解放感をイフェクトかけてると考えてる。
中には彼らを受け入れない今の社会が少しずつ変わっていくラストと思ってる人もいるようだが。 そりゃ社会に受け入れられなくて現時点だとあの世しか自由な場所はないって断言したらカンヌで賞取れないからでしょ
あの監督的には死んで自由になれる場所に行けてハッピーエンドにしたがるはず 解釈はみた人の勝手、というなら掲示板に来る価値がねえなw 解釈は人それぞれでもそこにはある程度合理性が必要なんだよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています