日本の戦争が正しかったと主張する人々は、この事件を「でっち上げ」「誰も見ていない」などとののしってきました。靖国神社の「遊就館」は「南京事件」のパネル解説で「敗残兵の摘発が行われたが、南京城内では一般市民の生活に平和がよみがえった」と述べています。

 約二十年前、「でっち上げ」論の「根拠」を失わせる出来事がありました
 八三年十一月、旧陸軍将校の親ぼく団体「偕行社(かいこうしゃ)」の機関紙「偕行」に「いわゆる『南京事件』に関する情報提供のお願い」という記事が載りました。元将校に、体験手記の投稿を呼びかけたのです。

 記事は、南京事件の証拠を「憶測・誇張・伝聞が多い」「デタラメ」と批判。参戦者の証言を集めて「『大虐殺の虚像』を反証し、公正な歴史を残す」と訴えています。

 「偕行」は翌年四月号から約一年、連載「証言による南京戦史」を掲載。しかし編集部の意に反して、元将兵からは虐殺を告白する手記が多く寄せられました。これらの手記も掲載されたのです。

「弁解はない」
 最終回の八五年三月号で、編集部の加登川幸太郎氏は「弁解の言葉はない」と日本軍の責任を認めました。犠牲者数は「三千ないし六千」「一万三千」と少ない見積もりを示しています。それでも「三千人とは途方もなく大きな数である」とし、こう述べたのです。

 「旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫(わ)びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった」(安川 崇)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-08-04/ftp.html