「ごんぎつねの最後にはごんが死んだとははっきり書かれてない、ごんは生きている」と考える人。38% [469534301]
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https://salon.mainichi-kotoba.jp/archives/199942
ごんはラストで果たして死んだのか?ということです。
新美南吉はこのシーンで、ごんが死んだとは一言も書いていません。銃弾が命中したとも書かれていません。しかも「うなずきました」とあるので、少なくともこの時点では生きていたことが明示されています。もしかしたら、ごんが倒れたのは単にびっくりして思わず死んだふりをしただけではないか?
それなのになぜか、ごんは死んだことにされていて、今まで私も信じて疑いませんでした。これは常識を覆す発見をしたぞと一瞬思いましたが、もちろんそれに気づいたのは私だけではありません。
「なぜ『ごんぎつね』は定番教材になったのか」の本には、小学4年生の感想や「その後」を想像した作文が紹介され「子どもたちのなかには、兵十が動物病院へ連れて行ったとか、応急処置をしたら治ったといった後日談を書いている子どもが数人いた」そうです。
しかし筆者は「ごんは致命傷を負ったと読むのが大前提である」と断言します。私にはその根拠がよく分かりませんでした。
開智国際大学紀要にある遠藤真司さんの「小学校国語科教材の読み方」という論文がインターネットで読めます。「ごんは死んだのか」という私の疑問と同じことが書かれていました。授業で「文中のどこにも死んだという言葉がないので、死んだとは言えない。僕は生きていると思う」と発言した子がいて、論争になったといいます。
学生と教員にアンケートしたところ、「死んでない」または「死んだとは限らない」という回答が38%だったそうです。この多さに遠藤さんは「愕然(がくぜん)」としたと記します。そして、新聞などの説明文では「文章中に何の言葉が書いてあるかが極めて大事」だけれど、文学作品では「死んだ」と書いていないことを死んだと想像させることこそ「文学の文学たる所以(ゆえん)」と批判します。
「ごんぎつね」の世界観に合わせて、死んだ、もしくはこのまま死んでいくと読まなければならない。そう読むことが、 「ごんぎつね」の正しい読み方であり、解釈であり、正しい想像である。教師としても、子どもたちにそのような読みにさせていく指導をしていかなければならない。この作品の最後に「こうしてごんは死んでいきました」などの記述があるかどうかが問題となってくるのではないのである。文学作品は、書かれたことをもとに書かれていないものまでをも想像するのである。 >>346
ちょっと待って?
今までネタだと思ってたけど
もしかして本気で言っているの? 今の時代の創作物って主要キャラが明確に死んだ描写がない場合は
実は生きていることを示す伏線の可能性がある
という50年前とは違ったテンプレがあるからな >>1
どちらに捉えても良い って中間を落とし所にして一蹴しろ
そもそも答えがない問や時間の無駄 >>401
まあ何と言おうが>>1の「死んでない」はこれも「死んだ」と同じく結論を急ぎすぎだが、「死んだとは限らない」は真っ当な態度だよ
結論として述べるなら物語の後概ね死亡したものと推定される、とできる程度
死んだと断定は物語の描写だけでは無理
そもそも物語だし読み手それぞれで解釈の幅があっていいものを死んだ以外認めない、死んだのが唯一の正解と言い張るのがおかしい まあこれ教育には良くないわ
悪いやつが更生しても結局殺されてしまうという話だし 思わぬ形でシンギュラリティが到来したな
人間が劣化しすぎた 生きていたら教訓話しとして存在価値なくなるからな
どれだけ罪を償っても取り返しのつかないことはある >>420
そうだよ
罪からは逃れられないって話だよ 安倍ちゃんだって晋三マッサージで心臓破裂だから、ごんもびっくりして倒れただけかもしれない?? >>427
あのキツネ娘はラストの1枚絵から
春になって戻ってきた説とかもあったな せめての救いは
贖罪の気持ちが兵十に伝わった
その一点にある
兵十は改心した獣を殺し孤独な人生を送る ごん「グエー死んだンゴ~」
こう書けよ不親切すぎる マスゴミの切り取りで起きる世の不条理を描いた傑作だよな 爆音のショックで気絶した可能性もあり。
数分後に起き上がり帰る。 先生「じゃあ生きてるを選んだ人は並んで」
先生「いまから君たちを順番に撃ちます。だって生きているんでしょ」
こんなラノベがありそう 死んだって明記してないから死んだとは限らない
読解の基本 だいぶ忘れてるから今青空文庫で久々に一通り読んでみたけど
これゴン側視点ではキレイに因果応報完結した物語だけど
もしかしたら兵十側からしたら全く意味不明の出来事かもしれないな、ってはちょっと思ったな
「もしかして兵十の母ちゃんが今際の際に『うなぎが食いてえなあ』って言ったんじゃないか」とか
「だから兵十が川にうなぎを獲りに来てて、そいつをおいらが逃しちゃったから母ちゃん無念の死を…」とか
その辺100%ゴンの勝手な想像なわけで、実際はそんなことまったくなかったかもしれないわけじゃん
「親の仇」的な恨みは全くないけど、いつも悪さして鬱陶しいクソ狐が
なぜか夜な夜なクリや松茸を我が家に運んできてくれてたらしい
撃っちゃったけど
何これ…
みたいなね >>420
ごんが悪い事してたのは事実で、
母親が死んだのはごんのせいだ、と兵十がごんを恨んでるんだから仕方ない
改心し更生したと後に兵十が知ったとしても、許せるものではないだろ →死んだとは限らない
生きててほしいと言う自分の願望が入っちゃってるよね
状況を正しく分析できない知能の低さの表れです
つまりバカです >>438
だが、母を失った兵十の元に
クリや松茸が届けられる事は2度とない
孤独な山奥で誰かに気遣われる暖かさもなく
寒さに震える夜だけが兵十に残される >>173
これどういうことなんよ
ここは教師の出番である。次のように説明した。
「小人=こびと」という言葉があります。白雪姫には7人の小人が出てきます。子どもですか。
「子猫=子どもの猫」「小人=小さい大人」。この例で一件落着である。
https://kyousinomanabi.exblog.jp/29706183/ >>420
教育に良くないとは思わんな
悔い改めれば許されるべきなんてのはただの綺麗事で
悔い改めようが改めまいが恨みは消えないってのは真実
この話読んでごん可哀想とか言うならじゃあ死刑制度どう思う?とかいった話に繋げられるし
そういう過程経ずに綺麗事だけ教えても脆い脳みそしか育たないだろう >>437
いつも悪さしてた奴(朝鮮人)が食べ物置いていった→毒でも入れたのか?
て疑っちゃうのが普通の日本人の思考 ジョーはちばが燃え尽きた所で終わらせたけど梶原は廃人になったジョーのその後も書いてあったって言うよね 英語版wikipediaのあらすじだと情緒ないな
ある日、ごんは兵十の前でうなぎを盗みます。兵十は病気の年老いた母親にそれを贈りたかった。
彼の母親はその後亡くなります。ゴンは自分の間違いに気づき、盗んだ兵十にこっそりプレゼントを
渡して埋め合わせようとするが、村人たちは兵十を盗んだと非難し、殴りつける。その後、ゴンは
森で集めたキノコと木の実だけを与えます。兵十は贈り物に感謝しますが、それがどこから
来たのかは知りません。ある日、兵十はそのキツネがこっそり歩いているのを目撃し、
母親の死に怒り、キツネを射殺してしまう。その後になって初めて、彼は自分が撃ったばかりの
キツネがキノコと木の実をすべて与えてくれたことに恐ろしいことに気づきました。 でも、そうはならなかった
ならなかったんだよ、ロック
だから――― この話はここでお終いなんだ 俺らがガキの頃とは子供向けの物語のフォーマットがある程度変わっちゃってるからね
今の時代だと死んでない可能性を念頭に入れる子供がいてもおかしくない 矢吹ジョーも生きてたんだし、ゴンが生きていてもおかしくはないか 「ゴン!お前か!」だとまた猟銃撃ってきそうだもんな >>16
ちゃんと現実を生きてるからだろ
現実の記憶に上書きされてるんだよ
俺なんてなにもないからいまだに幼稚園前から小学校の時の記憶を反芻してるけど >>456
えっ
ジョー生きてたの?燃え尽きたんだろ? 漫画の場合死んだら打ち切りだからザオラルなりエリクサーなりで必ず生き返るもんな >>434
これこんなタイトルやったかな
俺が読んだのは違うタイトルやったと思うわ 沖田艦長「わしも生きとるで」
ブラックエンジェルズ松田「いんだよ、細けえ事は」 >>459
廃人になった後葉子に飼われて日向ぼっこしてるイラストが後年書かれた
連載時はそれが認められなくてあれで終わったとのこと 鬼滅みたいな死んで感動ってやつ
ワンピースみたいな普通死ぬところを生きてるやつ
ドラゴンボールみたいに死ぬけど理屈つきで生き返れるやつ
キン肉マンや男塾みたいに凄え雑な説明でも生き返るやつ
一番教育に悪いのどれかねw ゴンはばあさんを殺した
↓
たとえゴンが心を入れ替えたところで死を持って償うしかありえない
許しの心がないからゴンが死んだ以外考えられない >>466
リングにかけろもそうだったけど
死んだと思った人間が生き返るのはジャンプのお家芸だな >「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。(おわり) 週刊少年ジャンプで連載しようぜごんぎつね
そしたら生きてても文句言わないだろ誰も 続編で、細けえことはいいんだよって
言いながらごんを登場させればいいんだよ >>447
てかこれ、英語圏(つかキリスト教文化圏)での焼き直しのほうが
よくあるキリスト教的「罪と悔悛(と赦し)の物語」の古典童話フォーマットで
日本人よりむしろ飲み込みやすかったりするかもしれないな、ってちょっと思ったり
つか新美南吉って実はクリスチャンだったりしたんだっけ >>471
うんw
でもまあ子供らがそういう描写のおかしさを分かってて
ギャグとして消費してる間はまだまともって事なんだろうな >>474
ゼノンに移籍して異世界モノにする事も出来るな! ○○side
とか書かないと視点変更が理解できんの多いらしいからな
直接的に書かれてないことは「無い」ことになっちゃうのだろう >>476
どちらかと言うとギリシア悲劇的
兵十の視点で見ると差し入れを
神の仕業と受け取っていたわけで
「神殺しの物語」だよね 遠藤真司さんの「小学校国語科教材の読み方」
これか
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kaichi/17/0/17_125/_pdf/-char/ja
もっと古いかと思ったら2018年
学生対象の調査だと死んでないor死んだとは限らない が全体の55% 最後にゴンでリアルファーのコートとか作っておけば良かったのねん 兵十にとって自然は
思いままならないものでもあったが
同時に実りをもたらすものでもあった たしかにごんが「~かもしれない」ってすべて思ってるだけでエビデンスはないんだよな >>485
>.考察~説明文教材と文学教材の読みの違い
> 説明文教材の読み ~根拠となる言葉があるかどうか~
>文学作品は、書かれたことをもとに書かれていないものまでをも想像するのである。
>この「ごんぎつね」は文学作品
例えば詩を読むときに比喩的な表現を解釈できないのは困るよねって感じか <8竜>
(O O)
( 八 ) < 死亡確認
( 皿 ) >>485
よく映画などでは、主人公が死んだのにも関わら
ず、作品がヒットしたため、前作で死んだよう
に見えた主人公が実は生きていたという設定で
像編が作られるものもある。しかしこれを授業
中に指導する文学教材にあてはめてはいけない この後兵十もエキノコックスで死ぬところまで読み解くのが真の文学者 >>492
大人の都合で前作改変って教育的には宜しくないよなあ ベラルーシ人の感想を読んできた
日本のきつねがいたずらをするとしても、
自分の罪を感じたり、
償いの行為をしようと努力するのに対し、
ロシアのきつねは
自分の関心のあることだけに対して行動し、
エゴイズム丸出しで自分のやり方を決めます。 てか自分のイタズラでどんだけ相手にダメージはいったかを確認にいくのがジャップだな
欧米ならぶち殺して知らん顔でしょ 行間を素直に読めるようになるってのも国語教育の教えるべき事の一つだと思うんだが
肝心の国語のテストがそこを悪用してタチの悪い引っ掛け問題を量産しているからな
そのせいで読み手のモラルも崩壊してしまった
これは国語教育の敗北だね 安倍晋三だって自殺したのに生きてるからね、しょうがない ごんに生きてて欲しいっていう願望が
子どもたちにそういう解釈をとらせるんだろう
文章力を計りたいなら、ウエットにならない作品でやらないとダメだよ >>502
うーむ🤔
ニーチェ的に言うとだね
この感情が揺さぶられるディオニソス的陶酔と
アポロン的なものの統合こそが重要で
ただ、秩序のみを奉じることが
アポロンをも腐敗させたのだよ みんなよく話の内容覚えてるな
俺小学生の頃読んだってこととタイトル以外何も覚えてない >>485
若者は日本で忖度する危険性を無意識的には認識してるんだろう
後で国民が誤解したとか陰謀論を唱えたとか名誉棄損をしたとか勝手に行ったとされて最悪殺されるからな
日本人は世界一人を信用してない
人助けランキングで日本は最下位! 「他人を信用しない」と「低賃金」の関係
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2109/01/news036_2.html
それが何故自、民党を絶対視するのかが分析されてる
第639回:なぜ維新なのかについてのロスジェネ的考察。の巻(雨宮処凛)
https://maga9.jp/230621-2/
>もうひとつは、言語化できなくても、この国に住む多くの人が、ずっと政治にDVを受けているようなものだと、どこかでわかっていることだ。そんな状況があまりにも長く続くと、優しいふりをした人に裏切られるより、最初からひどいとわかってる人間の方がまだましという気持ちになる。究極の消去法であり、唯一できる自己防衛なのだ。しかも無意識の。 第二部では兵十がピンチに陥ると謎の仮面キツネが
助けてくれる展開だな >>505
ごんの母親が復讐に立ち上がる
あらゆる権謀術数を用いて
兵十を社会的に孤立させた母狐は
ついに猟銃で武装した兵十を廃ビルに追い詰める 『ごんぎつね』は、語り手が
「小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞いた物語」
という大前提がある
つまり兵十が「ごんを語り継いだ」ことが重要なんだよな
そのうえでなぜごんと兵十の視点が行き来するのか
それがどんな効果を及ぼしているのか
ジュネットを援用した教え方のが面白いと思うな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています