【画像】江戸時代のお寿司、ガチのマジでデカすぎる [834922174]
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関西人が戦後なるまで握り鮨食えなかったって聞いて草w >>96
江戸の庶民なんてひたすら貧民だらけなのに相当頭悪いなお前
練馬区あたりの百姓の方が圧倒的にまともなレベルなのに境界知能だろ >>100
ノータリン白痴バカって今に知られてる料理しか知らなさそう 庶民の自炊なんかも
少しの塩辛いもので大量の米をかき込む時代だしな 傘かしげ級のデマじゃね
資料としては口伝の落語が一番当時の再現性が高いのではないか デカいの一貫とか食いづらいだけのクソだろ
切り分けろや まずそう
やっぱ日本の料理文化が花開いたのって明治以降なのかね
海外の食文化に触発されて 皿に並んでる画像はそうでもないように見えたけど
口に運んでる画像ででかさがよくわかった これが200年かけてシュリンクフレーションを起こして今の大きさになったらしい >>111
洋食や家庭料理が庶民に普及するのは大正時代くらいからで
第一次大戦の好景気の影響で庶民の食生活も一気に豊かになったんだとか
明治時代までは江戸時代とほとんど大差がなくて
そのせいで日露戦争では脚気患者を多く出した 日本的な食文化とされるものがほぼ全てが江戸時代ルーツと思ってよろしい
甘じょっぱい味とか典型的な江戸の味 戦後もじわじわ小さなってるみたいだしなあ
廻る寿司合戦のせいもあるんだろうが >>105
適当言ってない?
かけそば一杯16文の時代で日当350文は稼げた時代だぞ、寿司も食えないくらいひたすら貧乏ってことはないだろ >>115
江戸は米が余りまくっててむしろ米しか食ってなかった
おかずがくそ高いから塩とかで1日五合とか食ってた まあ実際は人のサイズが今より1.5倍大きかったらしいな
むしろ寿司が小さいやら大きくしてたもうやら苦情で四六時中クレーム対応に追われたらしい 江戸患いと言うぐらい江戸で白米食べ過ぎて脚気ばかり しかし蕎麦好きに江戸患い無しで蕎麦が流行ったら良い感じになった歴史面白い >>60
コメが市場に出回らなくなり、ヤミ米持ってた奴が店にこれで握ってくれとやってた訳
戦前まで猫跨ぎとすら言われてたマグロのトロがありがたいネタになったのもこの頃
有楽町駅と交通会館の間には寿司屋横丁なる闇市があり、金がある近所のの新聞記者や広告代理店連中がヤミ米持って握ってもらってた訳だ >>100
今みたいに保存が効かないから
必然的に塩や酢を使う事になる
あと肉体労働メインだから塩の悪影響よりメリットの方が多かったのもある
(必要な塩分を食いもんから摂取する) 当時の町人の運動量ならこれ位食わないと体が持たないでしょ
どこ行くにも歩きだし何をするにも体が資本 貫っていうのは重さの単位とは言ったが一定の重さとは言っていない認識です! 天明の大飢饉
江戸時代中期の1782年から1788年
農村部から逃げ出した農民は各都市部へ流入し治安が悪化した。それ以前の1786年には異常乾燥と洪水が起こっていたことも重なり、1787年(天明7年)5月には、江戸や大坂で米屋への打ちこわしが起こり、江戸では千軒の米屋と8千軒以上の商家が襲われ、無法状態が3日間続いたという。その後全国各地へ打ちこわしが波及した。
確かに米は多かった感じだな >>135
江戸中期位までは三食食うことも少なかったから、一食が多くなるのは当然 あと、阿佐田哲也さんが本で書いてた事だけど、
戦前まで寿司や天ぷらは屋台で食べれるもっと庶民的な食べ物だったけど、戦後に衛生概念を理解出来ない米兵がこれらの屋台は禁止して、代わりにホットドッグを許可したらしい
おかげで屋台は店を構える事になり、高級化したわけだ >>142
江戸時代、表立って肉食出来ないから、獣肉には別名が振られていた
カシワとかボタンとかね これじゃ今の寿司がセブ◯イレブ◯みたいじゃん... 最近赤酢を使う店が増えてるのが洒落臭い
昔の江戸前寿司は赤酢だったっていう情報が有名になったからなんだろうけど、まさに情報を食ってる馬鹿向け 素朴な疑問だけどどうして江戸時代は北海道開墾しなかったんだろうな
米つくり放題やんけ だから腐らせないために塩や酢でつけた濃い味付けになって
多量の米で味薄めないと食えないって理屈でしょ >>135
どこ行くにも歩き
それは違う
当時の江戸はそこまで広くはないから大した距離歩かん
江戸時代といっても今のメキシコくらい治安悪かったようだから、なんかの用事で江戸の外に行く時は駕篭に乗って、ボディガード付きで移動するのが基本だったと言う >>144
薬食いだしな
獣肉は漢方薬ってことで目溢しされてた
肉がうまいってのはすでにこの頃には庶民にも知られてたんだけど
当時はまだ宗教思想やお上意識の存在が大きかったんだよね >>150
江戸時代は小氷期で寒くて進出できなかった
日本人は寒冷地に対する防寒対策がほとんどなく
明治に外国人の技術協力によってようやく蝦夷地探検ができるようになったほど 当時は赤酢使ってたからシャリの色が茶色じゃないとおかしい >>120
今見る食文化のスタイルとほぼ同じものが出そろうのは大正〜昭和戦前あたり
刺身とかなま物が全国どこでも当たり前に食えるのは1970年代になってから
流通でコールドチェーンが確立した産物になる >>138
今現在もなーんも変わりない
被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定約2万人)が餓死したと杉田玄白は『後見草』で伝えているが、
死んだ人間の肉を食い、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売るほどの惨状で、
ある藩の記録には「在町浦々、道路死人山のごとく、目も当てられない風情にて」と記されている。
しかし、諸藩は失政の咎(改易など)を恐れ、被害の深刻さを表沙汰にさせないようにしたため、実数はそれ以上とみられる。 そこから廃れたか洗練されたかで今の形になったわけだろ >>143
江戸の街には山くじらとか牡丹鍋などを出す店が普通にあった
それを薬食いと言っていた >>159
逆に貧困を大袈裟に申請することもあったようだよ
地元の古文書館には当時の農民が貧しいと嘘ついて年貢減らしてもらおうとしてたとみられる文書がある
集落の戸数や人口が増えまくって副業までやってて相当余裕ありそうなのに食うものも無いと訴えてる >>152
たとえば江戸の端から端へ行くような用事もそうそうないだろうしな
ところで「当時の町人」のすり合わせを>>135としてはいかがな
町人といえば土地持ちのことだがただの借家住まいの事も指している可能性もある
となればかごや従者などはつかないだろう 戦後の寿司屋は米は持ち込みで握った個数で金額決まってたんで儲かるよう小さくなったって聞いた >>167
隠し田を作って脱税とかもしてたらしいね >>167
とはいえ当時の幕府による失政の免罪符にはならんよ
幕藩体制の確立とともに各地で新田開発、耕地灌漑を目指した事業が行われた。
しかし行きすぎた開発は労働力不足を招き、強引に治水した河川が耕作地に近接しすぎることで、洪水を頻発させ生産量低下の原因にもなった。
さらに当時は、田沼意次時代で重商主義政策が打ち出され「商業的農業の公認による年貢増徴策」へと転換され、
地方の諸藩は藩財政逼迫の折に、稲作の行きすぎた奨励(結果的に冷害に脆弱であった)や、備蓄米を払底し江戸への廻米に向けるなどの失政が重なった。
大凶作の一方で米価の上昇に歯止めがかからず、結果的に飢饉が全国規模に拡大することとなった。これは、国内における飢餓輸出と同様の構造である。 >>35
確かになんでこのサイズなんだろ🤔
小さいおにぎりみっつ食べるみたいな感じにすりゃいいのに
食べながら歩いて帰るならわざわざ包みに入れてなんてやらんだろうけど >>142
普通には食わねぇよ
江戸も後期の幕末に書かれた下級武士の日記帳見るに獣肉食う頻度は半年に1回程度、多い人でも2~3ヶ月に1回とか 最近薬食いの話をずんだもん動画で見たぐらいで江戸時代に肉食してたってドヤるやつ増えたよな
福沢諭吉が(迷信で)肉食わないジャップは無知で野蛮って大興奮するぐらいなのに ネタもシャリも数倍の寿司が一貫200円前後だったらしい
大きさ考えるとスーパーの寿司よりちょっと安いくらいなのかな >>171
幕府の失政は多くあっただろうね当時の治世レベルでは仕方ないが
小金持ちが私財で行った無計画な新田開発がが成功したり、藩をあげての新田とか用水計画が頓挫したり運任せみたいな
中山間地で稲作に向かないからそれ以外の作物(紙の原料のコウゾとか)を推奨した地域が栄えることもあったようだ
擁護するわけじゃないが今と違って情報が滅茶苦茶だからまともな統治は難しいだろう 江戸東京博物館にあったな
酢は赤酢
木の箱に入れて外で売ってたそうな >>176
それって武士のほうが町人より貧乏だっただけじゃね 安倍さん!おかげでお寿司が1/3くらいの大きさになったよ! >>185
武士のような上流階級ほど戒律やしきたりを重んじる風潮が強く
獣肉を忌み嫌ってた
江戸時代は幕府の方が保守的で町民の方がしきたりも緩くおおらかだった このスレ久々の学習スレだな。アフィ移民の頃はこんなスレで溢れてたもんじゃが…
どっかの院生、研究者だらけじゃった >>38
今は下手な回転寿司に行くよりスーパーのパック寿司を買ったほうが満足感あるよな
店によっては予約注文すれば好きなネタを握ってくれるし >>144
イノシシは山鯨とか呼ばれてたんだっけ? 江戸時代の寿司屋って鮮度どうやって保ってたんだろな、氷がそんな潤沢にあったとは思えんし >>193
主に売ってたのは晩秋から初春にかけてじゃないんかな
夏場は生の魚は無理と思う
電気と冷蔵庫、冷凍庫は偉大だ 昔は食あたりで死ぬってのは割と日常茶飯事だったらしいぞ
だから年寄りの冷や水なんて言葉があるわけでな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています