【画像】江戸時代のお寿司、ガチのマジでデカすぎる [834922174]
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>>142
江戸時代、表立って肉食出来ないから、獣肉には別名が振られていた
カシワとかボタンとかね これじゃ今の寿司がセブ◯イレブ◯みたいじゃん... 最近赤酢を使う店が増えてるのが洒落臭い
昔の江戸前寿司は赤酢だったっていう情報が有名になったからなんだろうけど、まさに情報を食ってる馬鹿向け 素朴な疑問だけどどうして江戸時代は北海道開墾しなかったんだろうな
米つくり放題やんけ だから腐らせないために塩や酢でつけた濃い味付けになって
多量の米で味薄めないと食えないって理屈でしょ >>135
どこ行くにも歩き
それは違う
当時の江戸はそこまで広くはないから大した距離歩かん
江戸時代といっても今のメキシコくらい治安悪かったようだから、なんかの用事で江戸の外に行く時は駕篭に乗って、ボディガード付きで移動するのが基本だったと言う >>144
薬食いだしな
獣肉は漢方薬ってことで目溢しされてた
肉がうまいってのはすでにこの頃には庶民にも知られてたんだけど
当時はまだ宗教思想やお上意識の存在が大きかったんだよね >>150
江戸時代は小氷期で寒くて進出できなかった
日本人は寒冷地に対する防寒対策がほとんどなく
明治に外国人の技術協力によってようやく蝦夷地探検ができるようになったほど 当時は赤酢使ってたからシャリの色が茶色じゃないとおかしい >>120
今見る食文化のスタイルとほぼ同じものが出そろうのは大正〜昭和戦前あたり
刺身とかなま物が全国どこでも当たり前に食えるのは1970年代になってから
流通でコールドチェーンが確立した産物になる >>138
今現在もなーんも変わりない
被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定約2万人)が餓死したと杉田玄白は『後見草』で伝えているが、
死んだ人間の肉を食い、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売るほどの惨状で、
ある藩の記録には「在町浦々、道路死人山のごとく、目も当てられない風情にて」と記されている。
しかし、諸藩は失政の咎(改易など)を恐れ、被害の深刻さを表沙汰にさせないようにしたため、実数はそれ以上とみられる。 そこから廃れたか洗練されたかで今の形になったわけだろ >>143
江戸の街には山くじらとか牡丹鍋などを出す店が普通にあった
それを薬食いと言っていた >>159
逆に貧困を大袈裟に申請することもあったようだよ
地元の古文書館には当時の農民が貧しいと嘘ついて年貢減らしてもらおうとしてたとみられる文書がある
集落の戸数や人口が増えまくって副業までやってて相当余裕ありそうなのに食うものも無いと訴えてる >>152
たとえば江戸の端から端へ行くような用事もそうそうないだろうしな
ところで「当時の町人」のすり合わせを>>135としてはいかがな
町人といえば土地持ちのことだがただの借家住まいの事も指している可能性もある
となればかごや従者などはつかないだろう 戦後の寿司屋は米は持ち込みで握った個数で金額決まってたんで儲かるよう小さくなったって聞いた >>167
隠し田を作って脱税とかもしてたらしいね >>167
とはいえ当時の幕府による失政の免罪符にはならんよ
幕藩体制の確立とともに各地で新田開発、耕地灌漑を目指した事業が行われた。
しかし行きすぎた開発は労働力不足を招き、強引に治水した河川が耕作地に近接しすぎることで、洪水を頻発させ生産量低下の原因にもなった。
さらに当時は、田沼意次時代で重商主義政策が打ち出され「商業的農業の公認による年貢増徴策」へと転換され、
地方の諸藩は藩財政逼迫の折に、稲作の行きすぎた奨励(結果的に冷害に脆弱であった)や、備蓄米を払底し江戸への廻米に向けるなどの失政が重なった。
大凶作の一方で米価の上昇に歯止めがかからず、結果的に飢饉が全国規模に拡大することとなった。これは、国内における飢餓輸出と同様の構造である。 >>35
確かになんでこのサイズなんだろ🤔
小さいおにぎりみっつ食べるみたいな感じにすりゃいいのに
食べながら歩いて帰るならわざわざ包みに入れてなんてやらんだろうけど >>142
普通には食わねぇよ
江戸も後期の幕末に書かれた下級武士の日記帳見るに獣肉食う頻度は半年に1回程度、多い人でも2~3ヶ月に1回とか 最近薬食いの話をずんだもん動画で見たぐらいで江戸時代に肉食してたってドヤるやつ増えたよな
福沢諭吉が(迷信で)肉食わないジャップは無知で野蛮って大興奮するぐらいなのに ネタもシャリも数倍の寿司が一貫200円前後だったらしい
大きさ考えるとスーパーの寿司よりちょっと安いくらいなのかな >>171
幕府の失政は多くあっただろうね当時の治世レベルでは仕方ないが
小金持ちが私財で行った無計画な新田開発がが成功したり、藩をあげての新田とか用水計画が頓挫したり運任せみたいな
中山間地で稲作に向かないからそれ以外の作物(紙の原料のコウゾとか)を推奨した地域が栄えることもあったようだ
擁護するわけじゃないが今と違って情報が滅茶苦茶だからまともな統治は難しいだろう 江戸東京博物館にあったな
酢は赤酢
木の箱に入れて外で売ってたそうな >>176
それって武士のほうが町人より貧乏だっただけじゃね 安倍さん!おかげでお寿司が1/3くらいの大きさになったよ! >>185
武士のような上流階級ほど戒律やしきたりを重んじる風潮が強く
獣肉を忌み嫌ってた
江戸時代は幕府の方が保守的で町民の方がしきたりも緩くおおらかだった このスレ久々の学習スレだな。アフィ移民の頃はこんなスレで溢れてたもんじゃが…
どっかの院生、研究者だらけじゃった >>38
今は下手な回転寿司に行くよりスーパーのパック寿司を買ったほうが満足感あるよな
店によっては予約注文すれば好きなネタを握ってくれるし >>144
イノシシは山鯨とか呼ばれてたんだっけ? 江戸時代の寿司屋って鮮度どうやって保ってたんだろな、氷がそんな潤沢にあったとは思えんし >>193
主に売ってたのは晩秋から初春にかけてじゃないんかな
夏場は生の魚は無理と思う
電気と冷蔵庫、冷凍庫は偉大だ 昔は食あたりで死ぬってのは割と日常茶飯事だったらしいぞ
だから年寄りの冷や水なんて言葉があるわけでな 昔の米はほとんど麦で質が悪かったから刺し身で誤魔化してただけ説を提唱したい
麦をちゃんと育てて米にできるようになった現代では、むしろ刺し身が邪魔になってると思う 料理系YouTuberが作ってたな
おにぎりみたいな感じだった >>203
麦を丁寧に育てると米になんの?凄くね? 江戸前寿司は屋台のファストフードだろ
天ぷらも蕎麦も明治になってやたら洒落た高級品ヅラした商売し始めた >>185
別に皆が皆下級武士が貧乏だった訳ではないぞ
特に日記残してる1人の番士郎と言う武士は上級武士の着付けやってたらしくそれなり給金があったが肉は風邪引いた時くらいしか食ってない >>203
これが21世紀の先進国国民の知識だって考えると過去にどんな馬鹿が存在してもおかしくないと思えるよな >>206
天ぷらは江戸後期に金ぷらってのが出た時には既に高級面し始めてる 冷蔵庫ない時代にどうやって生もの提供してたの?
夏ならもって2時間くらいじゃね >>133
食糧難で飲食店の営業許可が下りない中、寿司屋だけは配給米の委託加工って名目で早くに許可が下りた
1度の配給量で一人前の数を握ると今の大きさになった なんでぇこんなのは鮨じゃねぇぜ
一口でぺろりと行けるのが粋ってもんよ? >>118
>>124
で米ばっか食ってたからタンパク質が不足しがちなったので江戸っ子はどうしてたかと言うと
更に米を食いまくってタンパク質取ってたんだよな
その結果江戸は脚気と糖尿病が風土病になってしまった
栄養学と言う概念が生まれるのは20世紀からだし
人類ってどうしようもなく間抜けなんだなと思ったわ
馬鹿じゃなくね間抜けね 江戸時代の文献に出てくるけど寄席を見ながらつまむようなカジュアルな物
いつから高尚なもんになったんだか 未婚の地方の武士が江戸には沢山いたからこういった手軽に食べられるものは重宝された
現代と同じ >>223
大正初期から多種類のネタやお酒を出す店ができて段々高級店が増えていったとか あぁ巻き寿司くう恵方巻きにケチつけて
捨てていたマグロのトロを遠洋漁業で取って高く売り
いくらとか食べちゃう江戸前寿司ねwww 江戸時代に米が余ってたってまじ?
一揆やら打ち壊しやらやってたんじゃないの? >>213
新米は秋
魚が美味くなるのは冬
だから冬季限定で売ってたから問題ない >>234
江戸の米事情が比較的良好だったのは要は地方から強奪してただけで
それも商人が売り惜しみしたら打ち壊しはあった特に幕末は打ち壊ししまくり
一揆は基本的に庶民がお上に団結して政治要求飲ませる運動だから江戸では稀で
地方ではやはり幕末に頻発してたよ
全体的に余ってたつうか偏在してたつうことよ >>26
ほんとこれ
もっというと大トロなんか昔の江戸前ではでてこないしな 関西からきた醗酵食品としての鮨を屋台で時短に作って出すために簡易に酢飯と刺し身という取り合わせになったらしい
そのおかげで逆に日本人の味覚の幅は広がったんだから馬鹿には出来ない ネタが腐ってるか舌ですぐに判別できる様にネタを下にして食うのが定番だった
目の前の江戸前の魚とはいえ氷なんて無いし新鮮な魚使ってるとは限らないから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています