【画像】江戸時代のお寿司、ガチのマジでデカすぎる [834922174]
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ジャップのコンビニおにぎりもどんどん小さくなってくから、10年後には平成のおにぎりデカすぎだろ、って言われてそう 今の寿司は小さくなりすぎて奥歯に挟まって終わりみたいなもんばかりだからな
江戸前謳ってるならちょっとは見習ってほしいわ 湯飲みに入った醤油に皆でつけて食べてたんだよな
汚れた手は暖簾で拭く >>38
最近の回る寿司のネタの小ささはミニチュアかと目を疑うわw
昔は10皿も食えば腹一杯だったのにな >>3
出汁も出ないシジミじゃあ使い道ないですね・・・ >>11
そんなわけねーだろ、握り寿司は1800年代の発明だから大きさが分かる文献が結構残ってるぞ セブンイレブンのくいもんみたいに時代が下がるごとに小さくなっていたのか… 深川の江戸資料館にいなり寿司の模型があってそれもデカかったな >>55
今みたいな形になったのは戦後の食糧危機の時代だからな >>37
マグロはともかく
米や調味料が今と違い過ぎて
大してうまくないぞ 本当に庶民が口にしてたのか?人口の大多数だった百姓なんてまともに米も食えない時代だろ
江戸庶民といっても今の港区住民のような存在がスイーツを口にするようなものじゃないのか? 関西風の押し寿司の方がでかくなくても身が詰まってそう 最近くら寿司のシャリ半分でしか食べてないわ
シャリ半分なら20皿くらい楽しめる
現代の寿司ですらシャリ多すぎるよ >>62
地方が飢饉に喘いでても江戸は幕府の力で米を潤沢に仕入れてたから
庶民でも米が食えたんだ
だから江戸の人間は脚気になる人間が多く、江戸煩いと呼ばれた >>62
そもそも江戸大阪京都は他の地域とは別の世界みてーなもんだから 年々内容量やサイズが切り詰められている現状から逆算すると、もっともっとデカかったのではないかと思う。 原神の屋台においてる寿司も馬鹿でかい
日本モチーフというか江戸時代風だしな 現代の寿司が小さすぎる
これくらいの大きさ提供してくれる店近所に欲しいわ 1個で腹いっぱいになるわ
俺はちっさいシャリの寿司でいいや おにぎりみたいなもんだろ
今ではおにぎりもクソちっさいけども いつから 寿司=銀座で高級な店 みたいになったんやろ >>77
肉体労働者がほとんどだから塩分の濃い食べ物が
好まれたんだよねぇ
蕎麦つゆなんかも昔はもっと塩辛かったっていう >>37
江戸時代にトロを食うのは犬かエタヒニンくらいのもの 鮮度的にネタはしょっぱい醤油漬けか酢漬けだからシャリも大きかった 寿司の大きさと形を決めたのは戦後の米が配給制だった時の影響
1人分の配給量で一人前作るとその大きさになった 御先祖様が米ばっか食ってたせいで俺らも米無しでは生きられない体になってしもうたのか... >>61
醤油が出回るまでは炒り酒とかで刺身なんか食ってたしね 米にもタンパク質は含まれてるとはいえ圧倒的にタンパク質不足だよな
肉食えや肉 昔は海苔巻きの方が高級品で
生魚を使ったものは痛みやすいので人気がなかった >>62
江戸は普通に米食えてたぞ
地方だって馬鹿殿が治める重税の藩や飢饉のせいで食えないイメージがあるけど普通の藩は公共の蔵(郷倉)で蓄える程度には米を保有してたよ >>62
庶民をどの程度をさすか知らんけど
江戸にいるやつとか今の磯野家くらいの地位ぞ でたwノータリン白痴バカって戦前まで寿司が大きかったことすら知らねえノータリン白痴バカボンクラしかいねえよな
あの戦争で寿司が小さくなったことすら知らないって穢多とかチョンとか言われかねないだろ 八戸の庶民は江戸時代でもこういうの食ってたらしいぞ
やっぱ港町は昔から最強だわ
https://i.imgur.com/SokFsfG.jpg そばうどん、握り寿司に塩にぎり
あとは漬け物、干物に味噌汁
塩分と糖質だらけwそら病気になるわな これが食いにくいから2つに切って2個で一貫って呼んでたのにいつから切れ端ひとつを一貫て言うようになったんだろな
俺がガキの頃はどこの寿司屋も2個一貫だったのに 関西人が戦後なるまで握り鮨食えなかったって聞いて草w >>96
江戸の庶民なんてひたすら貧民だらけなのに相当頭悪いなお前
練馬区あたりの百姓の方が圧倒的にまともなレベルなのに境界知能だろ >>100
ノータリン白痴バカって今に知られてる料理しか知らなさそう 庶民の自炊なんかも
少しの塩辛いもので大量の米をかき込む時代だしな 傘かしげ級のデマじゃね
資料としては口伝の落語が一番当時の再現性が高いのではないか デカいの一貫とか食いづらいだけのクソだろ
切り分けろや まずそう
やっぱ日本の料理文化が花開いたのって明治以降なのかね
海外の食文化に触発されて 皿に並んでる画像はそうでもないように見えたけど
口に運んでる画像ででかさがよくわかった これが200年かけてシュリンクフレーションを起こして今の大きさになったらしい >>111
洋食や家庭料理が庶民に普及するのは大正時代くらいからで
第一次大戦の好景気の影響で庶民の食生活も一気に豊かになったんだとか
明治時代までは江戸時代とほとんど大差がなくて
そのせいで日露戦争では脚気患者を多く出した 日本的な食文化とされるものがほぼ全てが江戸時代ルーツと思ってよろしい
甘じょっぱい味とか典型的な江戸の味 戦後もじわじわ小さなってるみたいだしなあ
廻る寿司合戦のせいもあるんだろうが >>105
適当言ってない?
かけそば一杯16文の時代で日当350文は稼げた時代だぞ、寿司も食えないくらいひたすら貧乏ってことはないだろ >>115
江戸は米が余りまくっててむしろ米しか食ってなかった
おかずがくそ高いから塩とかで1日五合とか食ってた まあ実際は人のサイズが今より1.5倍大きかったらしいな
むしろ寿司が小さいやら大きくしてたもうやら苦情で四六時中クレーム対応に追われたらしい 江戸患いと言うぐらい江戸で白米食べ過ぎて脚気ばかり しかし蕎麦好きに江戸患い無しで蕎麦が流行ったら良い感じになった歴史面白い >>60
コメが市場に出回らなくなり、ヤミ米持ってた奴が店にこれで握ってくれとやってた訳
戦前まで猫跨ぎとすら言われてたマグロのトロがありがたいネタになったのもこの頃
有楽町駅と交通会館の間には寿司屋横丁なる闇市があり、金がある近所のの新聞記者や広告代理店連中がヤミ米持って握ってもらってた訳だ >>100
今みたいに保存が効かないから
必然的に塩や酢を使う事になる
あと肉体労働メインだから塩の悪影響よりメリットの方が多かったのもある
(必要な塩分を食いもんから摂取する) 当時の町人の運動量ならこれ位食わないと体が持たないでしょ
どこ行くにも歩きだし何をするにも体が資本 貫っていうのは重さの単位とは言ったが一定の重さとは言っていない認識です! 天明の大飢饉
江戸時代中期の1782年から1788年
農村部から逃げ出した農民は各都市部へ流入し治安が悪化した。それ以前の1786年には異常乾燥と洪水が起こっていたことも重なり、1787年(天明7年)5月には、江戸や大坂で米屋への打ちこわしが起こり、江戸では千軒の米屋と8千軒以上の商家が襲われ、無法状態が3日間続いたという。その後全国各地へ打ちこわしが波及した。
確かに米は多かった感じだな >>135
江戸中期位までは三食食うことも少なかったから、一食が多くなるのは当然 あと、阿佐田哲也さんが本で書いてた事だけど、
戦前まで寿司や天ぷらは屋台で食べれるもっと庶民的な食べ物だったけど、戦後に衛生概念を理解出来ない米兵がこれらの屋台は禁止して、代わりにホットドッグを許可したらしい
おかげで屋台は店を構える事になり、高級化したわけだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています