歴史学者「邪馬台国は近畿で確定。箸墓古墳の年代が邪馬台国と完全に一致した。」 [999047797]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
いっぽう、纒向遺跡内でも2009年に、卑弥呼と同時代の最長20m近い大型の建物群が発見された。今度はがぜん纒向に注目が集まる。さらに国立歴史民俗博物館の研究グループが、卑弥呼の墓だといわれる箸墓(はしはか)古墳(向遺跡内)を放射性炭素年代測定法を用いて計測した結果、「箸墓古墳は西暦240~260年の間に造られた」ことが判明したのである。これはまさしく卑弥呼の活躍時期とビタリと一致する。
そこで同博物館の春成秀爾(はるなりひでじ)名誉教授が「この時代、ほかに有力者はおらず、箸墓古墳は卑弥呼が生前に築造した可能性が高い」と断言したのだ。その後も、卑弥呼時代の建物跡や巨大な溝などの発見が相次いだ。この結果、日本史の教科書の記述に変化が表れたのである。
いまも教科書の邪馬台国論争の箇所には、畿内説と九州説が併記されているものの、「最近では、大型建物跡や大溝が見つかった奈良県桜井市
の纏向遺跡の発掘成果や、漢の鏡の出土分布などから、大和盆地南東部がその候補地として有力になりつつある」(『新選日本史B』東京書籍)と表記する教科書が登場し、畿内説が有力になっている。
https://nodule.jp/info/ex20210103/ ってことは金印は近畿地方で盗まれて九州に持ち込まれたってことか
あんな隠し方をするくらいだからありえるっちゃあありえるが
>>7
出土した金印は後漢のだ、100年以上時代が違う 箸墓古墳って行ったことある~
めっちゃ変なとこにあるやつ 知らんけど
そもそも2千年前とかに関西人が九州の存在とか知ってたのか?
逆に九州人や四国人も本州を外国と認識してたんじゃないの?
九州は九州の王がいて四国には四国の、関西には関西の王がいたんじゃないの?
そもそも元々は論争なんてなくて、畿内が定説だった
しかし京大への対抗意識から東大閥が九州説を主張
この東大の詭弁が戦後長く続いているが、近年は東大閥でも近畿説に傾きつつある 邪馬台国は九州だけど奈良もそこそこ栄えてたってことでええやん 卑弥呼って情報の無さが紀元前の話なのかと思うけど中国の三国時代の西暦200年頃なんだと思うと日本って急速に発展したよね >>16
もともととか対抗意識なんて事実と何の関係もない
もともとが間違ってて対抗意識で真理に到達することだってあるわけで だって天皇である大和王朝を日本在来の邪馬台国からの系譜にしないと天皇家が渡来系の征服王朝だって明確になっちゃうもん 卑弥呼の金印もいつかは出るのだろうか
でも民家の真下とかにあったら無理だ >>15
少なくとも卑弥呼以前、
2000年前に隋に朝貢した奴国の王は
本州(関東以南?)、四国、九州をまとめて倭と認識しているから
少なくとも知識層においては「日本」の認識は
今とそれほど変わらない(北海道除く) >>12
九州派のことだろ村おこし&素人が騒いでるのは
纒向遺跡が無くても普通に近畿、それも奈良から大阪府の河内あたりがが邪馬台国 吉野ヶ里遺跡の年代が邪馬台国と100年以上のズレがあるのは炭素年代測定法ではっきり科学的に出てしまってる
今の九州派は魏志倭人伝にめちゃくちゃな解釈を与えて何とか威勢を張ってるだけ
日本古代史の発展のために敗北を認めてくれ どう考えても地理的に近い九州に決まってんのに政治的に天皇家と繋がり持たせたいクソどもが騒いでるだけ定期 >>18
よく明治維新で列強入りしたのが凄い言われるけど
5~6世紀頃の発展速度が日本史上一番ヤベーと思うわ
鬼道で民衆を誑かしてたのに100年ちょっとで中国の首都機能モノマネしてんのヤバイ >>24
邪馬台国論争そのものが
オラの町こそ邪馬台国だとの村おこしによって
支えられ続けているのが現状で
アカデミアな話題からは遠ざかっているものですよ >>32
急速に発展しすぎてて調べすぎると天皇に関わる不都合な真実出てきてしまいそうだと素人ながら考えてしまう
まあ、そんなのも含めて日本だから俺は許容できるけどね 畿内説派「九州説は矛盾がある」
阿波派「邪馬台国は徳島なんですよ🤓」
九州説派「畿内説は矛盾がある」
阿波派「邪馬台国は徳島😡💢!!!!」 近畿を主張する京大派と北九州を主張する東大派の権力争い >>21
邪馬台=やまと って呼ばせたいだけだもんな >>35
大陸からの渡来一派が支配者としてやってきたとか? まずこの話は
・当時の日本列島が先史時代であり文字がないこと
そして
・魏志倭人伝が中国大陸の古文書であること
当然ながら
・先史時代の日本列島の当時の遺跡をいくら発掘しても
「文字がない」ため
日本列島から出てくる証拠はその時代の遺跡の規模や種類などに
限られること
もちろん
・魏志倭人伝に書かれた邪馬台国が日本列島の何を指示したのかは
魏志倭人伝に書かれている範囲でしかわからず
特にその位置に関しては「無茶苦茶いい加減」でしかない
よって
コレはいくらやっても邪馬台国の位置なんてわからないから
学問的には当然ながら「邪馬台国のわからない」が正解 いくら日本だって言っても3世紀だろ?
地理や交通の理解はかなり進んでたんじゃないの
大陸に近いってだけじゃちょっと弱いよな >>41
間違えた
「邪馬台国の位置はわからない」が正解 >>32
推定人口の推移で日本が上位20国入りしてくるのがそのあたりの時代 100年ほど記録がすっぽ抜けてる上にその記録も中国頼みという悲しさ
考古学では測定しても100年くらい誤差範囲なので延々と議論が終わらない だからこれは
日本国内でいくら発掘作業したところで
こんな規模の遺跡があるとか
こんな種類の遺物があるといった
「それっぽいもん」しか出てこず
この手の海外でそのように認識されていた組織をこれがそうだと
同定するのは無理ゲとなる
よって
あとはすでに文字が使用されていた「朝鮮半島」から
邪馬台国に関して書かれたもんでも出ないことには
「永久にわからない」
そういう性質のものだから
卑弥呼は永久に村おこしに利用されるということ >>40
その可能性もあるし嫁を大量に送られて血が激薄になってる可能性もあるし
女を首長にして旦那を送られて実質の実権握られてた可能性もあるし
急速な発展には大陸の技術は絶対に必要だったと思うしね 別に邪馬台国という国があって卑弥呼という女王が治めていましたってだけで、それが機内にあろうが九州だろうが大和王朝と連続しているかどうかはまた別物なんだろ?
何でここまで騒いでいるの? あ
まあ一応は考古学的には
当時のヤマト王権がすでに機内にその拠点を置いて広がっていたのか
機内に拠点を置く最中だったのか
この辺にはかかるかな >>15
スンダランドからやってきた縄文人にしても朝鮮半島からやってきた弥生人にしても魏呉蜀の戦を逃れてやってきた古墳時代の倭人にしても
基本的にまず九州に上陸してそこから日本海伝いに出雲を経て天橋立まで行くか瀬戸内海を通って大阪湾まで行くかのどちらかなんだから
畿内の民は当然に九州の存在を知っているはず 邪馬台国って近畿地方のひとつの国でしかなかったんだろ
まだ日本なんて概念すらない時代だし
まだ天皇もおらんかったんやろ まあさ
「当時の日本列島は先史時代」ココが一番重要
そんな文字のない時代の日本列島の権力者を
「中国大陸でこういわれていた人がいる」と日本でその証拠を
見つけようとしても
文字がないんだからわかるわけがない
中国大陸で書かれている邪馬台国みたいなもんは
あったのだろう
ここまでで十分なんだ >>21
皇室は普通に近畿の土着豪族だろ
列島に勢力広げる過程で滅ぼした勢力の中に
後に卑弥呼で有名となる北九州政権があったってだけ じゃあなにか
魏の使者は九州に上陸してから更に遠路遥々近畿汲んだりまで行ったってことか?
当時の日本の街道なんて獣道に毛が生えた程度じゃねーのか
そもそもわけわからん未開の島国まで命を賭けて海を渡って行った以上使者が適当に話し盛ってることも考慮に入れなきゃだと思うんだが
そうやすやすと確認できるところにあるわけじゃないし話盛り放題だろ 松平が三河移住後戻り家康の祖父の時代までは大した勢力じゃなかったように
天皇もはじめはチンケな勢力だったんじゃないか。オスマンもそんな感じだ >>41 >>55
奴国までの道程はほぼ確定してる 九州に上陸したあと瀬戸内海を船で移動すれば畿内まで比較的楽にいける
さすがに陸路は使わんやろ >>23
なんで隋が卑弥呼より前の時代になるんだよ 邪馬台国について言及してる三国志って実はめちゃくちゃ凄くない? 邪馬台国は機内にあってそれを神武東征で滅ぼして取って変わったんじゃないのか それと魏志倭人伝で重要なのは
中国大陸が倭国の「軍事拠点の位置」を明確に記していること
それが伊都国の一大率
伊都国の位置まではとってもわかりやすく
その地名も現在の糸島と音が一致するため
ここが魏志倭人伝において隣国の軍事情報を記す
最も重要な箇所といえる
あとは日本列島の風俗が描かれているから当時の様子がわかり
たくさんのクニがあったこともわかる
そこらへんだけで本当にすばらしい古代日本列島に関する海外文献となる
邪馬台国の位置なんてこれらの情報に比べりゃ
もはやどうでもいい類のもんでしかないけど
そこまでの道程の「書き方」がいい加減すぎて
謎解き問題みたいになってしまい
そこだけが注目されてしまうということ 中国様がいなけりゃ西暦240年頃の日本の様子さえ分からない
土人国家 全然関係ないけど
日本の国号を宣したのは天武持統朝
天皇と言いかえたのは当時最先進国の唐の高宗、というか武周武則天の影響を強く受けて持統天皇が初
学問としてしっかりと日本史を辿れるのはここまで
それ以前は神話レベル
もう無理やねん…… >>65
後のヤマト王権となる勢力が宮崎から畿内に移動したという
考古学的証左は今のとこ皆無 だいたい頼りの考古学の方の信頼性が実にウンコなのがジャップランドだし
ゴッドハンド(笑)
バイト1人に全責任押し付け(笑)
しかも歴史修正主義者が政権を握り
統計や資料改竄破棄が得意技ときた
信用ゼロwww それなら魏から戻ってきた連中が
北九州を歩き回っていた理由を教えてチョ 実在がほぼ確定している雄略天皇で西暦400年の初めごろの古墳時代
魏志倭人伝の成立が西暦200年代後半
そのあいだになにがあったのかね
そもそも邪馬台国と雄略天皇につながりはあるのか >>65
神武東征は記紀での描かれ方から
マジでそういうことがあったとしたら弥生時代の最初の頃の話となるはずだよ
記紀で対応する邪馬台国ごろの時代
つまり弥生時代の最終版から古墳時代の最初期は
神武ではなく神功皇后の時代辺りとなる >>66
道程はいい加減ではない
奴国まではほぼ正確、おかしいのは明らかに日数行程から
帯方群治から倭へは海岸に沿い、韓国を経て南、東へ行き、その(倭の)
北岸が狗邪韓國である。七千里である。
初めて海を渡り、千余里で対馬国に至る。
また瀚海と呼ばれる海を千里渡ると一大国に至る。
また海を千里渡れば末盧国に至る。
陸路で東南に五百里行けば伊都国に至る。そこに王が居る。全て女王国に
属している。
東南に行けば奴国がある。
東に行けば不彌國がある。
南に行けば投馬国がある。水行二十日。
南に行けば邪馬台国がある。ここが女王の都だ。水行十日、陸行一月。 ネットでは九州だという声が無茶苦茶大きいのウケる
特に嫌儲は>>21この手のアホ左翼が学問を無視しイデオロギーで暴れている
でも現代の歴史学者は近畿説を前提とした上で邪馬台国と天皇家を切って考えている
むしろ現在近畿説で固まっているのは考古学の研究者成果だけど
その考古学の研究者は古墳群の研究から世襲王権制が確立していなかったと万世一系を否定しがち 昨日のNHKスペシャルネトウヨ発狂してた?
実況スレ見てないから知らんけど >>75
いや、うんざりとかじゃなく何か言いたい事あるならはっきり反論しなよ 中国では邪馬台まででヤマトゥって発音らしい
はい、答えは出たね >>76
邪馬台国卑弥呼とヤマト王権別物なら
北九州か畿内かなんてどうでもいいのに
どんな連中が言ってるんだ >>74
ほぼ全てが「方角+距離」で表現しているのに、最後の最後で「日数」に変わっているんだよね
ここがポイントだと思う 使者の気持ちになって考えれば命からがら海渡ってやってきてそこからさらに大冒険する気にはならんだろ
未開の蛮族がウヨウヨいる化外の地でさぁ
俺なら上陸して一番近い集落で聞き込みして帰るわ 卑弥呼、邪馬台国って縄文系っぽいしな
ウポポイのにおいがする
縄文は日本ではない ちな
考古学的にこの邪馬台国の時代は
弥生時代末期から古墳時代最初期に分類されるため
もちろんその「文化形態がガラリ」と変化する時代にとても
接近している時期となる
となるとあたりまえに「その支配者」や「権力構造」が
例えば銅鐸という宗教的儀式に関係したと考えられている
ものが壊され埋められるという大きな変化からも推定でき
考古学からも卑弥呼の後に権力者やその構造が大きく変化しているほうが
「自然」ともいえるんだ
もちろん古墳は時代が大きく変化した最たる証拠となり
コンビニよりも多くの古墳が建造されていく古墳時代とは
日本列島がやっとこさ大陸(半島)からもたらされた文字を理解し
利用し始め半島と同レベルの文明に追いつき始める
急速な文明化が進んだ時代
もちろん多くの戦乱も予測できるが
なにせ古墳時代も文字がない先史時代に毛が生えた程度の段階から
始まっているのと空白の4世紀のせいで
実際にどんな権力争いがありどんな戦争が起きたのかも
最初のほうでは全くわからず
なんだかんだで結局は天皇につながる権力者が統制に成功したんだろうねと
しかいえず
それを無理やり遡って卑弥呼につなげるのもアクロバティック杉で
「本当にバカみたい」なんだ >>83
それは魏志倭人伝とは全く関係ない
弥生時代の始まりから古墳時代にかけての話だね
もちろん
弥生人を渡来人ではないなんていうのはもう頭のおかしいネトウヨだけしかないから
日本人は半島経由でやってきた渡来人が
その遺伝子の90%前後を占めて形成されたとして間違いないね 顔に入れ墨しなくなったからあとから来た人間に入れ替わったんでしょ >>89
九州からは糸島での漢鏡が
物的証拠としてあげられるね
まあだからといって
それが疑似倭人伝とどうつながるのかは
機内と同じことでどうでもいいんだけど 文字も持たない原始人の集落跡見つけた所で、邪馬台国かどうかなんて判断つかなくない? >>94
おまえは考古学スレにいっちょ噛み使用する前に
その攻撃されたらマンマンマンマンいうその脳みそをどうにかしろ 晋さんが中華をめちゃくちゃにしたせいで4~5世紀のわーくにのことを記してる余裕がなかったのが痛い どうでもいいけどさも当然との如く書かれている卑弥呼の時代に卑弥呼の勢力以外有力勢力が日本列島内にない
ってのはどういう経緯と証拠に基づいて明らかになってるの? >>98
どんなものが「ない」のか「あった」のか
まったく明らかになってないよ
解っているのはこの時代にも
なんかムラではなくクニといえる規模の遺跡が
あっちこっちにあって
そこからはこんなもんが発掘されていますということだけ
その出土物には半島経由でもたらされたもんも色々あって
それはこんな風に分布していますよ
ということだけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています